遊びは本気よ
リリアの手帳には、今日一日の予定がぎっしり書き込まれていた。
名物料理。服屋。博物館。期間限定の市。カフェ。締めに温泉。
「……軍事作戦?」
「休日よ!」
「こんなに予定があるのに?」
「休みだからこそ、全部やるの!」
「休みに疲れてどうするの」
「遊ぶ疲れと仕事の疲れは違うわ!」
「同じ疲労よ」
休日観が、戦争観より深く対立した。
ゼナは宿へ撤退しようとした。撤退戦は得意分野である。
腕を掴まれた。得意分野が通用しなかった。
「せっかく来たんだから!」
◇
市場の屋台で、リリアは串焼きを五本買った。一本をゼナへ渡し、残る四本を自分の手にまとめた。
「お連れさん、いい食べっぷりだねえ」
「でしょう?」
「褒めてないと思う」
次は博物館だという。アルメリア二百年の歴史展。
ゼナは興味なさそうに入り、十分後、展示パネルの前で足を止めていた。
「……この布陣図、左翼の位置が違う」
「え?」
「五十年前の第二次アルメリア防衛戦。この位置に騎兵を置いたら谷で全滅する。実際の布陣はもっと東。それと、この『奇跡の勝利』は奇跡じゃなくて、単に敵の補給が三日切れてた」
「あなた、展示より詳しいの!?」
「仕事なので」
係員が遠くから、熱心な客だと感心して見ていた。訂正の内容までは聞こえていなかった。幸いである。
◇
服屋。
ゼナは服にほとんど興味がない。
「服は着られればいいでしょう」
と言いながら、柔らかそうな部屋着の棚の前だけ、明らかに歩みが遅くなる。
「それ、好きなんだ」
「機能性が高そうなだけ」
「三回目よ、それ触るの」
「耐久性の確認」
店を出る間際、ゼナは無言で戻り、その部屋着を持ってきた。
「……包んで」
「結局買うんだ!」
「耐久性に問題がなかったから」
次は、動物と触れ合える店だった。
膝に猫が乗った。
ゼナは無表情のまま、正確な手つきで撫でた。猫が喉を鳴らす。口元が、二ミリ緩んだ。
「今笑った」
「笑ってない」
「笑った」
「見間違い」
そのうち、二匹目もゼナの膝を目指してきた。リリアの膝には、一匹も来ない。
「……なんで私には来ないのよ」
「日頃の行いでしょう」
「あなたにだけは言われたくない!」
店員が猫を回収した。戻ってきた。二度目も、戻ってきた。三度目には、リリアが笑うのをやめていた。
◇
カフェ。
リリアは看板の名物を上から三つ頼んだ。ゼナは「同じものを」と言いかけて、やめて、甘味を二種と温かい茶を頼んだ。
「結局しっかり選ぶのね」
「注文は正確に。基本でしょう」
窓際の席で、ゼナは店の甘味を静かに食べていた。買ったケーキとは別腹である。
「ねえ。本当にそんなに、魔王軍を辞めたいの?」
「辞めたい」
「辞めたら何するの?」
「何もしない」
「何かあるでしょ」
「ない」
温かい飲み物を一口。少しだけ、幸せそうな顔になる。
「何もしなくていい日を、毎日やる」
「もったいない」
「最高でしょう」
「最悪よ」
「やっぱり、あなたとは分かり合えない」
ゼナはカップを両手で包み直した。窓の外を眺めている。次の店を急ぐ様子はなかった。
リリアは、手帳の続きをいったん閉じた。
そのリリアが、思い出したように一枚の書類を取り出した。
「そうだ。これ、見せておくわね」
差し出された紙には、人類側の紋章が入っていた。
《意見書――魔王軍四天王ゼナ・クロウを、今後の停戦協議における継続的な交渉窓口として推奨する》
「…………何これ」
「あなたの退職を邪魔するって、言ったでしょう?」
「言ってたけど」
「だから人類側でも、『ゼナは和平に必要な相手』って評価を固めておこうと思って。今朝、外交官に提出済み」
「なんで敵が私の人事評価を上げてるの?」
「人類のため」
「……正論なのが腹立つ」
ゼナは一応、反撃を試みた。
「その意見書、取り下げて」
「嫌よ」
「敵の要請でしょう」
「敵だから聞かないの」
「今日は敵じゃないって、さっき串を奢ってきたのは誰」
「あれは休日の私。これは仕事の私」
「肩書は休日にならないんじゃなかったの」
「……あなた、そういうところは覚えてるのね」
反撃は、痛み分けに終わった。
さらにゼナは、遅れて気づいた。
今日リリアに連れ回された店。市場の乾物屋は、東部戦線から避難してきた一家だった。服屋の主人は、元は占領地で商売をしていた男だった。
リリアは遊びながら、彼らと世間話をしていた。世間話の形をした、聞き取りだった。
いわく、あの軍は追撃をしなかった。
いわく、あの指揮官は村から食料を奪わなかった。置いていった。
いわく、捕虜になった息子が、五体満足で帰ってきた。
いわく、避難の途中で荷車の車軸が折れたとき、通りがかった魔王軍の兵が直してくれた。
「……最後のは私じゃない。第三隊が勝手にやったのよ」
「部下が勝手に人助けする軍って、何?」
「……教育した覚えはないわ」
「ないのにそうなってるのが、一番の証言なのよね」
リリアは満足そうに帳面を閉じた。
「……今日の予定、全部これのため?」
「半分は遊び」
「半分も?」
「遊びは本気よ」
「そこは疑ってない」
(この女、遊びながら工作してる……)
そのときだった。
窓の外の通りが、妙にざわついていることに、二人同時に気づいた。
人が、増えている。
そしてその半分ほどが、こちらの店を見ていた。
◇
騒ぎの原因は、一つではなかった。
まず、勇者リリアは有名人である。顔が割れている。
その勇者が昼過ぎから、見知らぬ魔族の女性と親しげに街を歩き回っていた。しかも菓子屋の前で、勇者がその連れを「ゼナ」と呼んでいた――そんな目撃談まで、噂には混ざっていた。
まさか、あの《氷血の魔女》ゼナ・クロウでは。いや、まさかね。
その「まさか」は、夕方までに半信半疑へ育っていた。
さらに、リリアが聞いて回った「食料を奪わなかった魔王軍の指揮官」の話が、市場をひと回りしていた。明日は停戦会談だ。二人で街を歩いている理由まで、噂の中では決まりかけていた。
店の前の通りには、いつの間にか人垣ができていた。
東部から逃げてきて、命を拾ったという礼を言いたい避難民。
魔族と馴れ合う勇者を警戒する人類側の強硬な連中。
人類への譲歩そのものが気に入らない魔族の一団。
そして、何かが起きそうだから見に来た野次馬たち。
「ごめん」
「あとで聞く」
人垣の前方で、人と魔族の口論が始まった。押し合いになる。中立警備隊が割って入るが、頭数が足りていない。
「このままでは通りを封鎖できません!」
警備隊員の悲鳴のような報告が聞こえた瞬間――ゼナの顔から、休日が消えた。
私服。片手に菓子の箱。もう片手に猫型クッション。
装備は史上最悪である。それでも中身は、一瞬で《氷血の魔女》に戻った。




