あなたの退職を邪魔することにした
「第三隊は村へ。住民の避難を最優先。戦うより先に、逃がして」
ゼナの声が変わったことに、敵も味方も気づいた。
命じられた魔王軍の隊は、疑問を挟まず駆け出した。人の村を守れという命令に、である。一拍遅れて驚いた兵もいれば、「我らの任務は民の保護……なんと崇高な」と勝手に感動している兵もいた。慣れた顔で「ゼナ様だからな」とだけ言って走る古参もいた。
リリアは目を丸くしていた。
「人の村よ?」
「知ってる」
「あなたが、助けるの?」
「民間人に大量の死者が出たら、原因調査と責任者会議が増える。……あと、普通に寝覚めが悪い」
「…………」
「何」
「あなた、思っていた人と、だいぶ違うわね」
ゼナは答えず、地図もないまま指示を続けた。地形は頭に入っている。
「群れの本隊は谷を通る。あなた、正面で三十数えるだけ止められる?」
「三十でいいの?」
「十五でもいい」
「なら三十止めて、おつりで群れの頭を叩いてくる」
「……話が早いのは、いいことね」
リリアが駆け出すと、ゼナは残った人類軍にまで指示を飛ばした。
「そこの槍兵、二十名で東の畦道を塞いで。群れが割れたらそこへ流れる」
「て、敵の指揮で動くのですか!?」
「正しいから仕方ないでしょ!」
答えたのは人類軍の副長だった。仕方ないでしょ、で敵軍の指揮系統に入る軍が世界のどこにあるのか。あったのである。この日、ここに。
村では、魔王軍の第三隊が住民を荷馬車へ積み込んでいた。魔族の兵に抱え上げられた老婆が、状況を呑み込めずに聞いた。
「わしらは、徴収されるのかね。避難させられるのかね」
「避難です!」
「魔王軍にかね」
「魔王軍がです!」
誰にも説明している時間はなかった。
勇者は正面を止め、魔女は群れを割った。塞がれた畦道が、割れた群れを綺麗に受け止めた。
初めて組んだはずの連携は、両軍のどの兵の目にも、長年の相棒のように映った。
村人は全員無事。魔物の群れは、半刻で散った。
避難させた村人の頭数を、ゼナは名簿と三回照合した。リリアはその横顔を、黙って見ていた。一万の兵が死んでも眉ひとつ動かさない女の、これが素顔だという。噂は、いったい何を見ていたのだろう。
◇
事件が終われば、状況は元へ戻る。
人類軍は予定どおり砦を占領し、魔王軍は撤収する。それだけの話である。
別れ際、ゼナはリリアを呼び止めた。
「一つ、お願いがある」
「何?」
少し迷った。どうせ、もう会うこともない相手だ。
「私、魔王軍を辞めたいの」
「…………は?」
「今日、あなたは四天王から重要拠点を奪った。帰ったら、そう大々的に報告して。派手に。誇張気味に。できれば英雄譚として」
「……奪ったというか、渡されたけど」
「細かいことはいいから」
「よくないわよ」
押し問答の末、リリアはいちおう頷いた。
頷きながら、確かに感じていた。人類が二十年恐れてきた《氷血の魔女》の像が、音を立てて崩れていく。
◇
魔王城へ戻ったゼナは、その足で荷造りを再開した。
二度目の支度は一度目より速い。毛布の畳み方に、熟練の気配が出てきた。
今度は重要拠点の喪失である。今度こそ、解任審査。
ところが届いたのは、審査の呼び出しではなく、一枚の通達だった。
《軍務局通達――第七砦の件について。査定の結果は以下の通り。同砦の年間維持費、消失。戦線短縮により守備兵力に余剰、発生。人的損害、ゼロ。人類軍による追撃、なし。以上を総合し、本件は損失ではなく利得と認定する。よって査問の対象外。なお本件の戦術的意義については、ルカ四天王による解説報告書を全軍教材として回覧済み》
「…………利得」
帳簿が、敵だった。
審査が立たなかったのはルカのせいではない。軍務局が数字だけを突き合わせ、彼女の敗北計画は数字の上で完璧に黒字だった。ルカの報告書は、そこへ美しい解説を付けて屈辱を全軍規模へ広げただけである。
(また黒字……。どうして私の敗北は、いつも黒字なの)
通達を届けに来た副官が、感慨深げに頷いた。
「査問なしとは。当然の判断です」
「……そうね」
「ゼナ様? お声が」
「なんでもないわ」
(私の敗北を、返して)
毛布が、また棚へ戻っていった。畳み方だけが上達していく。
◇
一方、人類側の司令部。
「四天王ゼナより第七砦を奪取」の報は、確かに英雄譚として広まりかけていた。
広まりかけた報告書に、当のリリアが自分の手で詳細を書き足したのである。
守備兵は事前に退避しており、双方の死者はゼロ。周辺住民への被害もなし。さらに野生魔物の襲撃から人の村を救ったのは、当のゼナである――。
上官は報告書を三度読み返した。
「……これは、本当に我々の勝利なのか?」
「砦は取りました」
「それ以外は?」
「私も、よく分かりません」
ただ、ひとつだけ確信があった。
リリアは戦域の記録を調べ上げていた。ゼナが担当する戦線だけ、人類側の死者が桁で少ない。
そして、ゼナが辞めたとき、次に来る指揮官がそうである保証は、どこにもない。
リリアは和平派の重鎮のもとへ、自分から証言に立った。
「魔王軍にも、交渉できる相手がいます」
◇
数日後、ゼナへ新しい命令が下りた。
人類側より、限定的な停戦の打診あり。予備会談の魔王軍側実務担当として、ゼナを指名する――先方からの、名指しの要望付きで。
(なんで名指しなの)
会談の場所は、両軍のあいだの中立地帯に張られた天幕だった。人類側の外交官は、書類を持つ手が最初から震えている。《氷血の魔女》と机を挟むのだから無理もない。
その外交官の隣に、見覚えのある金髪が座っていた。震えても緊張してもいない。むしろ手を振ってきた。
「……なんであなたがいるの」
「軍事側の立会人。私が希望したの」
「どうして」
リリアは、にこりと笑った。
「あなたを辞めさせるわけにはいかないから」
「は?」
「調べたのよ。あなたの戦線だけ、人類の死者がぜんぜん少ない。あなたが辞めたら、次に来る誰かは、たぶんあなたみたいには戦わない」
「……当たり前のことを言わないで」
「だから、決めた」
笑顔のまま、リリアははっきりと言った。
「私、あなたの退職を邪魔することにした」
「……………………敵よね!?」
声が裏返ったのは、四天王になって初めてだった。




