ゼナ条項
御者が運行帳をめくった。
「三日後は、ここの三台が空で戻ります。次が五日後。同じ三台で」
どちらも納品先と数量の決まった予約便だった。届けたあとは、次の荷を受け取るために空で帰る。その荷台なら、今、約束できる。
リリアが巡回表を横へ置いた。この二日は、帰りの護衛便がない。通常なら一泊して待つところだった。
「何を積めますか」
リリアが聞く。御者は倉庫の荷の一覧を覗き込み、二つに印を付けた。
「この板と、釘の箱。長い梁は、うちの車には載らんです」
「梁は軍の大型車。そこは、もともと別よ」
リリアは礼だけ言って、続きを書いた。
輸送を引き受けた便に、護衛を付ける。
積載量と受け渡し場所を決め、荷役は軍が担うことになった。
「ほかの商人は?」
ギデオンが問うた。
「参加は自由です。契約しない商隊も、今までの護衛便を使えます」
リリアが答えると、外交官は書面へその一文を足した。
商人のひとりが、紙を指した。
「遅れたら、どうなります。馬だって、腹を壊す日がある」
ゼナはペンを取り、納入日の隣へ予備日を書き込んだ。
「馬の急病や道の事故なら、分かった時点で関所へ知らせる。その場合の代わりの便は、軍が手配するわ」
「それなら」
商人が頷いた。
ゼナはペンを置きかけ、もう一度紙へ戻した。
「あと、荷はここに書いた種類と量だけ。現場で勝手に増やせない。変更には、双方の合意を要する」
その一文には、強く下線を引いた。
リリアが、下線を見ていた。
「……それも、軍の規則?」
「今、入れたの」
人類側外交官が、同じ一文を控えへ写した。
◇
最後に残ったのは、費用だった。
随行官は、輸送予定表と雇車料の見積もりを並べていた。確約された便へ板材と釘箱を振り分け、軍が雇う必要のなくなった馬車に線を引いていく。
「雇車料は、金貨十二枚の節約です。護衛手当と荷役費で七枚、予備便に二枚を残しても、三枚浮きます」
示された差額を、ゼナは目で追った。
一度。二度。
(……合ってる)
黒字の根拠が、自分の筆跡で残っていた。
最初の三十日間の無償護衛案は、卓の端へ退けられている。その上に、商会ごとの便数と対価を明記した試行契約が載った。
護衛を待つ宿代が減る。帰り道に荷を運ぶ。軍の支出も減る。
商人たちが内容を読み終え、それぞれの印を押した。
リリアが、小さく息を吐いた。
「間に合った」
「十五分は、過ぎたわよ」
「……どのくらい?」
「合わせて、四十二分」
外交官が、自分の時計も確かめた。それから相互免税の合意案へ、護衛と輸送の試行を付け加える。
「当方としては、この条件なら合意できる。追加の国庫負担もない。魔王軍側はいかがか」
署名欄が、ゼナの前へ回ってきた。
(断るなら、直す前だったわね……)
欄外に書き足した予備日を確かめる。消す気には、ならなかった。
ゼナは署名した。
記録席で、ギデオンが合意書と商会の契約を綴じ合わせる。
「利益は、見積もりと当事者の承諾で確認できた。ただし、履行はこれからだ。実施の記録も提出されたい」
「そこまで見てくれるの?」
リリアの声が明るくなった。
「契約を見届けるためだ。貴官の監視も続ける」
「はいはい」
「返事は一度でよい」
ゼナは合意書を閉じた。
契約便を逃せば、こちらも向こうも困る。監視役の次回の予定を、自分の手帳にも書き込んだ。
◇
散会後、リリアは商人たちを見送り、戻ってくるなり椅子へ腰を下ろした。
「疲れた……」
「休日の予定を全部やるより?」
「種類が違う」
ゼナは赤い付箋の付いた書類を、向かいへ滑らせた。結局、一度も使われなかった相互護衛の案である。
「そちらの返しは、読んでたわ」
「途中までね」
「途中からは、私も書いたでしょう」
リリアは、商会の控えに残った強い下線を見た。
「うん。だから、できた」
ゼナは返事をせず、書類を鞄にしまった。
リリアが、残った茶を一口飲む。
「次は、ちゃんと一時間取っておくわ」
「次がある前提で組まないで」
◇
後日。魔王城の執務室に、軍務局から査定通達が届いた。
《独断による免税及び無償護衛の提案について。事前協議を欠いた点を確認。ただし、成立した〈国境街道相互免税協定〉及び付帯する護衛・輸送の試行契約を総合し、本件は不問とする》
「……そこまでは、知ってる」
その先は、知らなかった。
《なお、現地の事情に応じた対価の調整が国益に資することを踏まえ、四天王の外交裁量権を拡大する。定められた予算及び期間の範囲内において、金銭以外の対価を含む提案・協定を、事前協議なく行うことを認める》
別紙に、人事規則の改正箇所が付いていた。
条文の脇に、小さく通称がある。
《ゼナ条項》。
「…………私の名前」
ゼナは机の引き出しから、人事規則の写しを出した。
今回の退職計画で使うはずだった箇所に、細い線を引く。事前協議を欠く独断。次からは、決められた範囲なら、それも違反ではなくなる。
貼り足す紙には、自分の名が付いていた。
(私の失敗が、法になっていく……)
紙の端を、爪で丁寧に押さえた。読みにくい規則は嫌いだった。
◇
同じ日の便で、リリアから手紙が届いた。封には、教会が検めた跡がある。
《最初の荷は、予定どおり着いたそうです。
護衛を待つ泊まりが一晩減ったと、あの御者が喜んでいました。
追伸。次も、用意していくから。
リリア》
ゼナは、三行目を指で隠した。
二行目までは、いい便りだった。
猫型クッションを引き寄せ、《簡単にクビになる方法・改訂版》を開く。
【リリア対策】の欄には、免税と共同負担への対策が、几帳面に並んでいる。
その下に、一行を足した。
――相手の案を、その場で直さない。
しばらく眺めた。
それから「人が困る場合を除く」と、小さく書き足した。




