消してはいけない手間
その改革は、ゼナの午後を救うはずだった。
相互免税の協定ができてから、国境を通る荷は増え続けている。布、豆、塩、農具。荷車が増えれば、申請書も増えた。
占領地の民間交易には、軍の許可が要る。品目、数量、経路、行き先。担当官が確かめ、最後にゼナが判を押す。朝に片づけた机へ、昼には次の山が届く。
(この判、私が押す意味ある?)
帳面を繰った。武器でも薬品でもない荷に、同じ照合が三度。布を運ぶだけで、布より重い書類が付いていた。
三日後、ゼナは制度を書き換えた。
許可制から、届出制へ。
危険物と軍需品だけは従来どおり許可を要する。それ以外は、届け出れば原則自由。許可に付いて回る経路の調整も廃止し、商人が選べるようにした。
「現場からの個別の相談は、どう扱いますか」
「安全に関わるものは上げて。それ以外は、まず動かして」
そう答えたあと、ゼナは次の決裁へ移った。
承認業務は、十分の一になった。
関所から待機の列が消え、荷車が動き、市に品が並んだ。いつもは閉店間際にしか寄れない菓子店へ、その週は一度、明るいうちに行けた。
「お見事です。現場が軽くなりました」
「私の机もね」
「ご謙遜を」
包みの中には、売り切れる前に買えたケーキが二つあった。謙遜と呼ぶには、成果が具体的すぎた。
◇
異変の報告は、数週間後の朝に来た。
交易量は、予測の三倍。
一枚目だけなら、いつもの成功報告だった。ゼナは二枚目をめくり、ケーキの皿を脇へ寄せた。
東部山間部。越冬用の物資が、予定量まで届いていない。
保存食、塩、燃料。村の名の横に、必要量と現在量が並んでいる。数え間違いではない。先週と今週で、増えるはずの在庫がほとんど増えていなかった。
「担当官を呼んで」
やって来たのは、関所勤めの長い小柄な男だった。ゼナは、幹線の交易量と山間部の在庫表を隣り合わせに置いた。
「以前は、どう回していたの」
「幹線へ行く許可を出すとき、山への荷も一口、頼んでいました。今週は塩が要る、次は豆を、と」
「許可の条件に?」
「はい。幹線で稼げますから、商会も引き受けてくれていました」
「その手順は、どこに」
担当官が、持ってきた帳面を開いた。
頁の間に、村から届いた小さな紙が何枚も挟まっている。塩が足りない。次の便はいつになる。返事を求める、別々の字。
「決まった手順はありません。その都度、御者と話をつけておりました」
ゼナは、しばらく帳面を見ていた。
自分がなくした、経路の調整。その中に、この紙に応える仕事が入っていた。
「新しい制度では、相談は上がらなかった?」
「山へ回る条件は、もう付けられませんので。村には、届出のあった商会をご案内しました。商会からは、次の便でと……」
担当官は、そこで口をつぐんだ。
次の便も、幹線へ行ったのだろう。
道がよく、一度に大量に売れる幹線へ、荷車が集まる。山は坂が多く、積める量が少ない。同じ一日を使うなら、どちらへ行くか。算盤を弾くまでもなかった。
品薄で値が上がれば、そのうち山へ戻る。ゼナは、その調整を見込んでいた。
だが、峠が閉じる。
冬前の輸送期限が、在庫表の上端に赤で記されていた。例年の峠閉じまで、一週間あまり。高値を見た商人が仕入れを増やし、荷を用意し、山へ向かう。その順を待っているうちに、道が使えなくなる。
(……読み違えた)
不足する村の一覧を、もう一度追う。
下のほうに、見覚えのある名があった。
軍用食の半分を、置いてきた村である。
ゼナは椅子を引いた。
「東部へ行く。備蓄と輸送隊の空きを、移動中に確認できるようにして」
「軍務局への報告は」
「今日中に。制度変更が原因と見られる、と入れて」
担当官が退出したあと、机の隅の人事規則が目に入った。
第九章。指揮官として著しい不適格。
あれほど欲しかった失敗が、村の名を連ねて机に載っている。
ゼナは規則を閉じた。
「過失の整理と処分の申し立ては、後始末が終わってからにするわ」
副官が頷き、出立の手配へ向かった。
皿のケーキには、まだ一口も手を付けていなかった。




