返礼は、想定済み
深夜の執務室に、久しぶりにあの紙が出た。
《簡単にクビになる方法・改訂版》。
初版には、補給倉庫の放火から辞表の連投まで、却下の線が並んでいる。副官を倒さず、人事の胃を守り、兵を飢えさせずに失敗する。条件を守ると、残る案が少ない。
ゼナは新しい欄を作った。
【リリア対策】。
(とうとう専用の欄が要るようになった……)
第七砦では、勝利の報告にこちらの救援活動まで書き足された。アルメリアでは休日を人事評価へ換えられた。次も、向こうは何かする。
会談の隅で、リリアが外交官と書類を突き合わせているのを二度見た。片方が紙を指し、もう片方が首を振る。三度目に覗いたときには、二人とも頷いていた。
立会人に決定権がないことくらい、本人も知っている。
ゼナは、用意した譲歩案の脇へ書き込んだ。
――免税には、相互免税。
――費用負担には、共同負担。
そこでペンを止め、関所の調査報告を開く。地図、巡回表、予算書。最後に、人類側から届いていた交渉権限の一覧。
一枚ずつ重ね、順番を入れ替えた。
(返してくるなら、返せるものから出しましょう)
退職計画にも、議題の順序が要るらしかった。
◇
共同視察の朝は、街道南端の市場から始まった。
人類の商人が布を売り、魔族の商人が反物を肩に担いで運んでいく。停戦から幾月か経ち、荷車の通れる道幅だけは、どちらの種族にも等しく不足していた。
「そこ、一台通すから空けて!」
リリアが手を振ると、人垣が割れた。
通り抜けた馬車の御者が、顔をほころばせる。
「勇者様。おかげで、全部売れましたよ」
「帰りは何を積むの?」
「今回は空です。向こうで次の荷が待ってますから」
空の荷台が、軽い音を立てて揺れた。
リリアは次の一台にも声をかけている。ゼナはその間に、市場に隣接する軍の倉庫を確認した。軒下には関所の補修に使う板材と釘の箱が積まれ、輸送待ちの札が下がっていた。
「手配は」
「荷馬車を雇う見積もりが、本日上がります」
「確認したら回して」
頭の中で、帰城後の決裁が一枚増えた。
視察の一行は、そこから北へ、国境の関所へ向かった。市場で荷を売った商隊が帰るのも、同じ道である。
途中、林の切れ目に魔王軍の巡回兵がいた。野生の魔物が出る区間だけ、商隊は週三便の護衛を待って、まとまって通る。
「次の便は明朝です。今夜は宿でお待ちください」
兵に言われた御者が、懐の銭入れを覗いた。
リリアの歩みが、少し遅くなった。
「毎日、出せないの?」
「追加の人員と手当が要るわ」
「人は?」
「組める。費用は、まだ誰も出すと言っていない」
ゼナは、後ろの護衛隊長へ目を向けた。
「今日の商隊は、私たちの列の後ろに。関所まで同じ道よ」
隊長が頷き、待っていた御者たちへ手を振った。
リリアが、こちらを見た。
ゼナは地図を畳んだ。
◇
関所前の天幕には、両軍の実務者が揃っていた。
記録席にギデオン。人類側外交官の隣にリリア。金髪の前には、色の違う付箋が並んだ書類の束がある。
「ずいぶん用意がいいのね」
「誰かさんのおかげでね」
ゼナは椅子を引いた。
「国境三街道の通行税を、人類側の商人に限り、半年間免除することを提案します」
差し出した一枚を、人類側外交官が手に取る。
魔王軍側の随行官は、別紙の減収見込みを見て背筋を伸ばした。
「閣下。この額を、無条件で?」
「ええ」
「事前の協議を経ておりませんが」
「提案者は、私の名で記録して」
ゼナは、そこだけ念を押した。
人類側外交官がリリアを見た。リリアは青い付箋の紙を抜き、相手の手元へ置く。
「では、当方からも同期間、魔族側商人の通行税を免除したい。相互免税については、本国の承認を得ております」
随行官が、息をついた。
ゼナは頷いた。
「結構です」
リリアの指が、次の付箋の上で止まった。
「……いいの?」
「そちらからの返礼を断る理由はないでしょう」
ゼナは、重ねてあった二枚目を卓へ出した。
「では、通行税に加えて、護衛も付けます」
リリアが顔を上げる。
「先ほどの市場から、この関所まで。商隊の護衛便を毎日設ける。当面三十日。人類商隊の利用料は、当方が負担します」
続く別紙には、人員の交代表と追加費用が記されていた。兵の休息を削らず組めることは、予備隊の隊長に確認してある。手当の支出先は、手つかずの復興促進予備費。
予定済みの工事も、補給も止めない。ただし、護衛を有料で出せば得られたはずの収入を、丸ごと放棄する提案だった。
「この費用については、人類側からの支払いを求めません」
リリアが、赤い付箋の紙を抜いた。
ゼナも、人類側の街道調査を開いた。
「そちらの道は、宿場の警備隊で足りている。私たちの商人へ同じ護衛を付けても、節約になる費用がない」
赤い付箋が、卓の上に置かれた。
ゼナは、今度はリリアを見た。
「ほかの返礼を、聞かせて」




