四天王に退職制度はありませんが
「退職届を出したいんだけど」
「四天王に退職制度はありませんが」
「…………え?」
「え?」
翌朝の人事部で、ゼナと窓口の担当者は見つめ合った。
担当者は初老の文官である。人事ひと筋三十年、胃痛と共に魔王軍の台帳を守ってきた男だが、さすがに今日の来客は想定していなかった。四天王が窓口に並ぶだけでも心臓に悪いのに、用件が退職なのだ。
「せ、整理して申し上げますと……四天王の皆様は、知りすぎておいでです」
魔王の能力。魔王城の防衛構造。各軍の配置。国家機密。人類側への諜報網。
辞めた四天王がひとりでも人類側へ渡れば、国が傾く。
よって、本人都合の自主退職は禁止。規則にそう明記されていた。
「転属は」
「四天王からの降格願は受理できない決まりです」
「休職は」
「軍医の診断が必要です。……失礼ながらゼナ様、大変ご健康に見えます」
「つまり私は、死ぬまで働くの?」
「大変な名誉かと」
「そう」
「り、理由をお聞きしても……いえ、聞かなかったことにいたします」
担当者は自分から引っ込めた。四天王の退職理由など、知れば知ったで胃に穴が開く。
ゼナも止めなかった。理由は「休みたいから」である。口に出すのは簡単だが、伝わる気はしなかった。
ゼナは表情を変えずに頷いた。表情を変えないまま、続けた。
「人事規則の写しを貸して。全部」
「全部……三百六十頁ほどありますが」
「読むわ」
窓口の脇で、ゼナは第一条から読み始めた。頁をめくる音が一定の速さで続く。あまりの速さに、担当者は途中から仕事の手を止めて見入った。戦場の英雄が人事規則を精読する姿など、三十年の勤めでも初めて見る。
――第百二条、慶弔休暇。四天王は対象外。
――第百七十五条、功労休暇。ただし戦時は凍結。
規則は隅々まで、休ませない方向へ整っていた。
(作ったの、誰。ちょっと顔を見せなさい)
四半刻後、指が止まった。
第九章、罰則。
《四天王解任規定》。
重大な作戦失敗。重大な利敵行為。指揮官として著しい不適格。
いずれかが認定された場合、四天王職および現役軍籍を剥奪する――。
「この、剥奪された後は?」
「《機密保護居住区》へ移されます。魔王城内の、その、平たく申せば幽閉施設で」
担当者は気の毒そうに声を落とした。
「役職なし。部下なし。定例会議なし。原則として軍務もなし。生活は生涯保障されますが、外出と通信に制限がかかります。名誉も自由も失う……四天王にとって、これ以上ない屈辱です」
役職なし。
部下なし。
会議なし。
仕事なし。
家賃、なし。
「……最高じゃない」
「はい?」
「なんでもないわ。参考までに、過去に解任された四天王は?」
「記録にある限り、二百年間でひとりもおりません」
「そう」
(いないなら、私が最初のひとりになるだけよ。二百年ぶりの快挙ね)
「ちなみに、解任は誰が決めるの」
「監察局の調査を経て、軍議の勧告と魔王様の裁可により認定されます」
「監察局」
「軍規違反の調査を司る部署です。それはもう、厳格な」
(監察局。覚えたわ。近いうちに、お世話になります)
ゼナは規則の写しを丁寧に畳み、礼を言って窓口を離れた。
方針は決まった。
わざと失敗して、クビになる。
あとは重大な失態をひとつ犯すだけでいい。
連戦連勝の天才軍師の経歴において、それは初めての「難しそうな仕事」だった。
◇
最初の機会は、すぐに来た。
――前線近くの占領村より、食料を徴収せよ。
ありふれた任務である。ありふれた任務だが、受領するゼナの目は輝いていた。
徴収の失敗。命令違反。実にちょうどいい。
道中、部下たちの口は重かった。徴収は戦争の一部だが、好んでやりたい仕事ではない。誰かの冬の蓄えを、荷馬車へ積んで帰る仕事である。
ゼナはそれを咎めなかった。嫌々やるべき仕事は、嫌々やるのが正しい。
だが村に着いて、彼女は馬上で動きを止めた。
村は、遠目でわかるほど痩せていた。
畑は半分が手つかずのまま夏草に呑まれている。囲いの中の家畜は、骨の形が浮いていた。出迎えた村長の後ろには、老人と子どもばかりが並んでいる。働き手は戦争に取られたのだ。どちらの軍にかは、この際たいした違いではない。
「もう……差し出せる食料など、残っておりません……」
村長が、乾いた地面へ膝をついた。
後ろの子どもが、荷馬車の樽をじっと見ている。中身が食料だと、匂いでわかるのだろう。
「そう」
ゼナは村をひととおり眺めて、考えた。
それから部下を振り返った。
「軍用食を降ろして」
「はっ。……は?」
「半分、村へ置いていく。医薬品も」
「ゼナ様!?」
部下が動揺するのも無理はない。徴収に来て配給を始める指揮官が、世界のどこにいる。
当のゼナは、手元の補給表を確認していた。
三日後に補給隊と合流予定。半分渡しても、兵は飢えない。全部渡せばもっと大きな失態になるが、それでは部下が困る。
(クビにはなりたいけど、死人を出したいわけじゃないし)
敵性住民への物資供与。命令違反。軍への損害。
解任規定に照らせば、堂々たる利敵行為である。しかも誰も傷つかない。
(これなら誰も困らずに、ちゃんと失敗できる。……完璧。私、失敗の才能もあるんじゃない?)
指揮官の再確認にも、ゼナは頷くだけだった。樽が次々と降ろされていく。
兵のひとりが、隣の同僚へささやいた。
「これは……あれだな。深いお考えがあるのだな」
「だろうな。ゼナ様だし」
ないのだが、誰も疑わなかった。日頃の行いである。
村長が、震える声で問うた。
「な、なぜ、我々に……」
人類を最も多く退けてきたはずの四天王が、なぜ。
ゼナは、いつもの冷たい目のまま答えた。
「勘違いしないで」
「は、はい」
「私の都合よ」
村人たちには意味がわからなかった。慈悲か。罠か。気まぐれか。
どれでもない。
彼女は本当に、ただ自分が退職するためにやっている。
降ろした樽の脇では、軍医が薬包の使い方を村の年寄りへ説明していた。子どもたちは樽を遠巻きに囲んで、触っていいものかどうか、大人の顔色をうかがっている。
ゼナはそれを横目に馬へ戻った。長居をする理由はない。ここでの仕事は、もう「失敗」し終えている。
帰路のゼナの足取りは軽かった。
軍歴で初めての、あきらかな命令違反。あとは処罰の通知を待つだけである。
その通知は、数日後に来た。
魔王から、玉座の間への呼び出し。
ゼナは確信した。
(……キター!)




