医務室は、戦場
ミレーユは、入室から三分で医務局の魔導測定器を開けた。
「あら。ここ、まだ改良できますよね?」
「閉めてください」
「精度が三割上がりますよ」
「閉めてください」
「配線だけでも――」
「出入り禁止です」
四天王ミレーユ、診察の順番が来るまで医務室から追放。史上初の記録である。
廊下へ出された彼女は、窓に図面を押しつけた。《第一案》。軍医はカーテンを閉めた。
「……書面で、後日なら?」
「受付へ提出してください」
ミレーユは頷いて椅子に座り、《第二案》を書き始めた。受付の文官が、見なかったふりをした。
待合の椅子では、ルカが診察の順番を待ちながら、掲示された測定記録の見本を熱心に読んでいた。
「ゼナ様。先ほどの脈拍記録、拝見しました」
「なんで見るの」
「この波形……一定の律動の中に、時折鋭い変化がある。診察室においてすら戦略を思考しておられる証です!」
「そう」
実際に考えていたのは、帰りに食べる菓子の在庫である。桃のケーキの季節は終わった。次は栗だ。栗は、いつからか。
脈が鋭く動いたのは、栗を思い出した瞬間だった。
なお、そのルカの診断結果は「全身の筋肉痛」以外、完全な健康体だった。
「鍛錬による、名誉の負傷です!」
「負傷です」
軍医は容赦なく記録した。
ガルドの計測では、握力計が音を立てて壊れた。
「……今年で三台目です」
「握っただけだ!」
「握らないでください」
「計測では!?」
以後、ガルドの握力は「計測不能」で記録が統一されている。もう誰も、正確な数字を知らない。
◇
ゼナの番が来た。
問診から始まった。軍医は記録紙を構え、事務的に問う。
「睡眠時間は」
「四時間」
「運動の習慣は」
「ありません」
「食事は」
「甘味を中心に」
「量は、一日どのくらい」
「……業務量によります」
「量を聞いています」
「業務量に、比例します」
「……立派な数字です。悪い意味で」
ゼナは頷いた。期待が高まる。この生活記録で健康なはずがない。
検査の途中、魔が差した。視力検査である。全部読めてしまう自分の目が、憎かった。わざと読み間違えれば、それだけで数値は落ちる。
(……読み間違え。それは、検査記録の改竄)
(これで余計な検査を増やしたら、先生の仕事が増えるだけよね)
ゼナは、一番下の小さな文字まで正しく答えた。
ところが。
視力、両目とも申し分なし。血圧、理想値。心音、明瞭。反射、俊敏。骨密度、良好。
数値が読み上げられるたび、ゼナの表情が薄く曇っていく。
(なんで。私の生活の、どこに健康の要素があるの)
軍医が記録紙を置いた。
「検査した身体の数値は、いずれも良好です」
「…………そんなはずは」
「あなたの身体は生まれつき頑丈です。ご先祖に感謝なさい」
「……ちょうど今、恨んでいたところよ」
二十年のため息が、また一つ増えた。
「――ただし、一点だけ」
「!」
「ストレス数値が、記録的に高い」
「!!」
(きた)
「身体が頑丈でも、寝不足が消えるわけではありません。休養を処方します」
(きた! 診断書! 合法の休み!)
ゼナは神妙な顔を作った。内側では祝杯を挙げていた。三日か、五日か。いっそ一週間か。
「処方は――三日間の、職務停止。執務室への出入りと、書類の持ち帰りも禁止」
完璧だった。祝杯が、二杯目に入った。
「ならびに、短時間の散歩。同行は、ガルド四天王」
祝杯が、割れた。
「……先生。休養では」
「休養です。だから、仕事のほうを止めます」
軍医は副官宛ての通知にも、印を押した。決裁の代行先と、急務の連絡先が書いてある。どちらにもゼナの名はなかった。
「でも、ガルドでしょう」
軍医は戸を開け、廊下の巨躯を手招きした。
「午前に三十分、平らな道を歩く。残りは休養。鍛錬も、作業もさせない。いいですね」
「軽度だな!」
「あなたの軽度ではありません」
ガルドが、ゼナの靴から肩までを見た。
それから処方箋を受け取り、もう一度読んだ。
「よし。分かった!」
ゼナには、その「分かった」がどこまでを含んでいるのか、分からなかった。
「……先生。この紙の写しを、私にも」




