合法の休みが、欲しい
魔王軍には、四天王ですら逆らえない相手が三つある。
魔王と、人事規則と――医務局である。
机の上の通知を、ゼナはもう一度読んだ。
《四天王定期健康診断のお知らせ――医務局。日時、三日後。全四天王、受診必須》
健康診断。
診断。
……診断書。
医務局の診断書は、魔王の裁可より強い。軍医が「休め」と書けば、四天王だろうと休むのが規則である。二十年の戦時を支えるために作られた、数少ない、まともな制度だった。
なにしろ三年前、診断を二度すっぽかした魔王本人が、診察室へ引きずり込まれて一時間説教されている。あの魔王が、素直に謝ったという。魔王城の七不思議の一つである。
(体調不良の判定が出れば……療養休暇。診断書つきの、誰にも文句を言われない、合法の休み……!)
狙いは退職ではない。そちらは本命の計画があるから、安売りはしない。
今回の目標は、もっとささやかである。一週間。いえ、五日。……三日でもいい。診断書という名の、鉄壁の休暇が欲しい。
アルメリアで三十分、本を読めた。バーデでは湯から上がる時刻を自分で決められた。どちらもよかった。次は、翌日の仕事を考えずに眠りたい。
念のため、人事規則を頭の中でめくる。あの日、人事部の窓口で三百六十頁を読んだ記憶は、一頁も薄れていない。
(第百七十五条、功労休暇――戦時は凍結。でも、療養休暇は第百八十条。医務局の所見に基づく。凍結条項……なし)
完璧だった。療養休暇は、戦時ですら誰にも止められない。規則を作った誰かも、まさか四天王が健康診断に人生を懸けて臨むとは思わなかっただろう。
幸い、と言っていいのか、自覚はある。睡眠は足りていない。運動はしていない。食生活は菓子に偏っている。
これで健康なはずがない。勝算は、十分だった。
◇
診断前夜。
ゼナは「不健康になる努力」を開始した。
まず、夜更かしをして本を読む。……いつも通りである。
次に、寝る前に菓子を食べる。……いつも通りである。
最後に、運動をしない。……何もしないだけなので、努力ですらない。
毛布の中で、ゼナはふと手を止めた。
(……あれ。私、努力の必要がないのでは?)
日々の生活が、そのまま仕上がりだった。強いて言えば、菓子をひとつ多く食べた。勝負前夜の増量である。
期待だけが、健康に育っていった。
◇
当日の医務室は、開場前から騒がしかった。
受付の前に、既に汗だくの巨躯が立っている。
「おう、ゼナ! 診断に備えて、昨日は二十時間鍛えた!」
「休んでください」
答えたのはゼナではない。診察室から顔を出した、白髪の軍医である。
「ありがとうございます! 軽めの鍛錬にします!」
「会話をしてください」
軍医は深いため息をついた。四天王の健康診断を二十年担当してきた男の、年季の入ったため息だった。
診察室の戸には、古びた木札が掛かっている。《この部屋の中では、階級を捨てること》。二十年間、掛かり続けている札だという。
「二十時間の根拠は何ですか」
「二十四時間だと、寝る時間がない!」
「四時間は寝たんですね。上出来です。次は二十時間寝てください」
「はっはっは! 先生は面白いことを言う!」
冗談ではなかった。軍医の目は、一度も笑っていなかった。
そこへ、廊下から車輪の音が近づいてきた。
ミレーユである。台車の上に、見慣れない機材が三台。自作の測定器だという。
「おはようございます。今日は楽しみにしてきました」
「……何を」
「医務局の測定器を、間近で見られる日ですから」
目が輝いている。計られる側の目ではなかった。
軍医の眉が、ぴくりと動いた。
最後に、ルカが到着した。到着した、というより、辿り着いた。
「本日も……朝練に、回収されました……」
診断前だというのに、既に生まれたての子鹿である。健康診断の朝に健康を削られる。この軍の朝は、今日も平常運転だった。




