無限の改良権
「工事を、二段階に分ける」
ゼナの声は、戦場のそれだった。
「第一期。以前と同じ湯を出せる状態まで戻す。余計な機能は一つも付けない」
「ですが、それでは」
「第二期。あなたの改良。――ただし、第一期が完成した後に」
ミレーユが口を開きかけ、止まった。
「完成した後の改良は、いつまで?」
「期限は設けない。やり放題でいい」
「完成した後に、改良……! それは……無限では!?」
「そうよ」
(早く入りたいだけよ)
ミレーユは胸の前で両手を組んだ。信仰を得た顔だった。
「なんて合理的なんでしょう。完成は一度きりですが、改良は永遠……! 分かりました。第一期を最短で終わらせます。一秒でも早く、無限を始めるために!」
動機はどうあれ、結論は正しい。ミレーユは改良案の図面を丁寧に鞄へしまい、復旧だけの工程表を、恐るべき速さで引き直した。天才は、目的さえ合えば速いのである。
第一期の修理は三日と切った。検査を含めて、五日で湯を出す。資材は軍の補給網に相乗りさせ、最寄りの駐屯地から半日で届く手配を組む。戦時に鍛え上げた兵站は、平時に使うと魔法のように速い。職人たちが目を丸くした。
「軍って、こんなに手際がいいんですかい」
「うちの補給部門は優秀なの」
主に自分が組んだ補給網である。温泉へ繋がると分かっていたら、あと一割は速く組んでいた。
ついでにゼナは、湯守の老人を第二期の相談役に任命した。
「彼女の改良案は、まずあなたが聞いて。街に要るものだけ、通して」
「わしが、四天王様の関所かね」
「一番詳しいでしょう、この湯に」
老人は笑って引き受けた。ミレーユは早速、図面を抱えて隣へ椅子を運んできた。
◇
工事は、三日で街の風景を変えた。
初日の夕方、ミレーユは夜の作業灯を用意し始めた。湯守の老人は、工具箱に蓋をした。
「嬢ちゃん。いい腕だが、湯ってのはな、待たせ方も味のうちだ」
「待たせ方……! つまり供給の緩急制御……メモしますね」
「そういう話じゃあないんだがねえ」
現場からは帰されたが、夕食の卓には図面が広がった。
老人は湯を使う順序を、ミレーユは管の中を湯が通る順序を話した。ときどき話が合い、ときどき、互いに首をかしげた。
二日目の朝、ゼナは、交換予定だった制御盤が残っているのに気づいた。
「新しいものに替えるのでは?」
「このつまみは、修理して使います」
ミレーユが古い真鍮のつまみを回した。握る場所だけ、長年の手に磨かれて明るい。
「湯守さんが、触ればどのくらい開いたか分かるそうです。替えたら、初日から操作を覚え直していただくことになりますから」
「……いいの? 旧式のままで」
「第二期の新しい装置は、隣で試します。こちらの湯を止めずに済みますし」
図面には、細い分岐が一本増えていた。
ゼナは工程表の「操作説明会」を、一つ消した。
(こういう改良なら、いくらでもどうぞ)
そのあいだに、ガルドは通りの瓦礫を片づけていた。荷車が三往復する量を一往復で消し、崩れた石積みを積み直し、ついでに傾いた宿の柱を直した。護衛の仕事は、初日の三分で終わっていた。以後は完全に土木の人である。
「兄ちゃん、いい身体してるねえ」
「鍛えているからな!」
「うちの屋根も見てくれんか」
「任せろ!」
二日目には両腕に子どもをぶら下げて歩き、三日目には街の年寄りたちに囲まれて茶を出されていた。薪割りを頼まれれば冬じゅうの薪を割り、井戸の釣瓶を直し、ついでに石段の傾きまで直した。四天王第一席が、町内の頼れる兄貴になっていた。
魔族も人も、働き者を好きになる速度だけは同じである。
◇
修理は、予定どおり三日で終わった。続く二日で配管の圧力試験と水質の検査を済ませ――五日目。湯出し試験の日が来た。
最初に湯が入ったのは、バーデ名物だったという高温槽である。二年前と同じ温度へ、忠実に戻しただけの復旧だ。
試しに手を入れた職人が悲鳴を上げ、慌てて手を引いた。ゼナはその時点で、この槽を選択肢から外した。
「昔から、こんな温度だったの!?」
「名物ってのは、そういうもんさね」
ガルドだけが、肩まで浸かった。
「…………これだ」
至福の顔だった。誰も共感しなかった。
ミレーユが温度計を差し込み、首をかしげた。
「温度は、元の記録どおりですね」
「そこは、下げていいわ」
湯守の老人だけが、遠い目で頷いた。
「わしの親父の代にも、一人おったよ。そういうお客が」
「どこの世にもいるのね……」
続いて、本命の配湯試験。職人が中庭へ縄を張り、見物人をその外へ下げてから、ミレーユが起動栓を回した。
「旧式配湯機構、再起動です」
二年間眠っていた機構は、目覚めの機嫌が悪かった。
弁のひとつが固着していたのである。行き場を失った圧が管を走り、逃げ道を探した湯が、中庭の涸れた噴水から一気に噴き上がった。十丈。真昼の空へ、白い湯柱が立った。
ミレーユが、すぐに元栓を閉じた。
湯柱が落ち、白い湯気だけが残る。その向こうで、子どもが声を上げた。
「もう一回!」
「直してからです」
ミレーユは屈んで、配管を覗き込んだ。湯気に差した日が虹になり、縄の外から歓声が上がる。二年ぶりの湯を、街は一足先に見てしまった。
湯守の老人がぽつりと言った。
「……これ、名物になるんじゃないか」
「でしたら第二期で、安全な自動制御にしましょう! 定刻に噴かせます!」
「事故を機能にしないで」
ミレーユの図面に、また一本、線が増えた。
◇
夕刻。復旧一号湯に、湯が満ちた。
街の人々は総出で並び、そして誰も入ろうとしなかった。
「最初の湯は、恩人に」
全員が同じことを言った。譲る気配が、微塵もなかった。
ゼナは衆目の拍手に見送られ、浴場へ送り込まれた。望むところではあった。見送りは、要らなかった。




