議題二十件目
魔王ヴァルハルトは、心底うれしそうに立ち上がった。
この顔をしているときの魔王は、必ず仕事を持っている。三年の付き合いで、ゼナはそれを知っている。
「議題二十件目。――東部復興計画である」
進行表に、存在しない番号だった。
停戦により、東部一帯の再建が可能になった。壊れた街道。止まった水路。二年前から湯の止まった温泉街。避難したまま戻れない村々。
魔王は熱を込めて語った。語りながら、広げた地図へ旗を立てていく。
「戦は、終わらせ方が九割だ。剣を置いた後の暮らしが立たねば、次の戦の種になる。停戦の今こそ、東部へ金と人を入れる」
為政者としては、まったく正しい。正しさに文句のつけようがないのが、この王の恐ろしいところである。旗は増え続け、その一本一本が、仕事の匂いしかしなかった。
「これは戦後を作る仕事だ。わしの誇る四天王たちへ、褒美として任せたい」
褒美、と魔王は言った。
側近が運んできた資料の重みで、卓が鳴った。
四天王の反応は、綺麗に割れた。
「瓦礫の撤去なら任せろ! 腕が鳴る!」
ガルドは椅子を鳴らして立ち上がった。彼にとって復興とは、合法的に身体を使い放題の祭りである。
「街道、水路、給湯設備……開発案件の山ですね。ああ、どこから改良しましょう」
直す、と言わなかったことだけが、ゼナには気になった。
「戦後復興を担った将は、歴史に必ず名が残ります……! これは軍史の教科書に載る事業です!」
ルカは震えていた。感動で、である。脚の震えは鍛錬のせいでもある。
そしてゼナは、無表情のまま座っていた。
(帰りたい)
四人の中でひとりだけ、動詞が違った。
担当は滑らかに決まっていった。ガルドは土木と瓦礫。ミレーユは設備の復旧。ルカは調査と記録。適材適所である。
「命じるのは、これだけだ。四天王全員で、東部を立て直せ」
役職は、増えなかった。珍しいこともあるものだ、とゼナは思った。
思った矢先である。
「ではゼナ。進行役のついでに、初回ぶんの優先順位だけまとめてくれ」
「……初回ぶん、だけですね」
「うむ。今日のところはな」
今日のところは。嫌な限定だった。
ゼナは地図を引き寄せ、ルカにも一枚渡した。
「二十件目も、同じ形式で」
「担当と期限、ですね」
ルカの紙に、新しい欄ができた。
資料がひと抱え、机に置かれた。地図と、予算表と、陳情書の束。会議は当然のように延長戦へ入った。
陳情書の一番上は、こう始まっていた。《温泉街バーデ組合より――湯を。どうか、湯を》。切実である。
予算の粗組み。優先順位の仮決め。町ごとに異なる資材の要望。
ゼナが一つ決めるたび、ルカは担当者へ復唱した。受け持ちが重なった街道には、その場で線を引き直す。ミレーユは水路の資料を受け取り、ガルドは瓦礫の量を確かめていた。
窓の外が、暮れていった。
散会の間際、魔王は満足げに締めくくった。
「今日は、よい会議だった」
よい会議は、定時に終わる会議である。喉まで出かかった正論を、ゼナは拝命の礼と一緒に呑み込んだ。
ゼナの進行表の末尾には、几帳面な字でこう書いてあった。《正午、閉会。以後、白紙》。
閉会したのは、夜だった。
定時は、死んだ。議題二十件目に、轢かれて。
◇
散会後の廊下で、ミレーユが追いついてきた。徹夜明けの顔に、満開の笑みが咲いている。
「ゼナ様。復興、楽しみですね」
「……そうね」
「でしたら、私の新開発がお役に立ちますよね?」
嫌な予感だけが、定時で来た。
「まずは何から直しましょう。ああ、待ちきれません」
弾む足取りで実験室へ消えていく背中を、ゼナは黙って見送った。あの部屋は午後だけ貸したはずだった。徹夜の準備をする足取りだった。
入れ違いに、会議室からルカが出てきた。
書類を抱えている。
ゼナは足を止めた。
「議事録?」
「はい。西門の件を、ミレーユ様へ確認に」
自然に差し出しかけた手を、ゼナは背へ回した。
「何か食い違いが?」
「『右の案』では、図面を逆から見た者に伝わりませんので。図面の番号へ直します。ガルド様には確認しました」
「……そうね」
「技術検証は来週。着工の決定とは分けて書きました」
正しい。
ゼナは書類を受け取らず、頷いた。
「それで進めて」
「はい。照合が済んだ分は、書記の方と配布を始めています」
会議室の中では、封筒に宛先を書く音が続いていた。
ゼナが廊下へ出たあとも、手は止まっていなかった。
「解説のほうは、今日は」
「そっちは、明日から書きます。まず正式版です」
ルカは小走りでミレーユを追っていった。
ゼナは、その背を見送り、今度こそ居住棟へ向かった。
◇
夜、自室。
枕元では、アルメリアで買った猫型クッションが、静かに職務に就いている。よい買い物だった。少なくとも、解説は始めない。
ゼナは肩に毛布を掛け、役目を終えた進行表を畳んだ。予備時間込みで二時間。実際の所要、九時間。小さく畳んでも、数字は変わらなかった。
机には復興の資料がある。いつもなら、その隣へ議事録が積まれる。
今日は、来なかった。
夕食を届けた副官が、一枚の受領控えを置いていった。ルカの署名。確認済みの部署に印が付き、配布も終わっている。
「ゼナ様のご決裁は不要とのことです」
「そう」
受領控えは、引き出しへしまった。
膳を手前へ寄せ、匙を取る。煮込みから、まだ湯気が立っていた。
「……熱い」
ひと口を吹いて冷ます。
いつもなら、議事録の誤りを直しているあいだに、勝手に冷めている。今日は、次のひと口にも息を吹きかけた。
パンで皿の底を拭い、最後まで食べた。
膳を下げてもらってから、最初の視察先だけを決めることにした。
復興計画の資料を膝へ引き寄せる。
復旧対象の一覧、三行目で、指が止まった。
――温泉街バーデ。源泉導管損傷により、二年間休業中。
備考欄に、こうあった。《湯質は東部随一。湯が柔らかいことで知られた名湯》。
「…………」
ゼナは資料を膝に置き、しばらく考えた。
初回の優先順位を組むのは、自分である。つまり、最初の視察先を選ぶのも、自分である。
(復興の初弾は、象徴性が重要よね)
理屈は、もう完成していた。




