本日の決戦は、定例軍議
その夜のゼナは、いつになく真剣だった。
深夜の執務室。鬼気迫る横顔。定規で引かれる精密な線。書き込まれていく時刻と数字。
新しい作戦に違いなかった。停戦下で何が起きたのか。副官は息を呑み、机上の表題を盗み見た。
「……新作戦、ですか」
「ええ。最重要の」
恐るおそる問うた副官に、ゼナは顔も上げずに答えた。声に一片の冗談もなかった。副官は静かに敬礼し、邪魔をしないよう退出した。
机上の表題は、こうである。
《月例軍議・進行表(完全版)》
作戦ではなかった。明日の会議の、段取りだった。
しかも本体だけではない。別紙として《脱線対処一覧》まで付いている。
――ガルドが鍛錬の話を始めた場合。賛同し、三秒で本題へ戻す。
――ミレーユが装置の話を始めた場合。「詳細は書面で」と言う。
――ルカが感動した場合。感動の対象を議事録へ誘導する。
――魔王が「ちょうどよい」と言った場合。
最後の項目だけ、対処法が空欄だった。三年考えて、まだ見つかっていないのである。
議題は七件。発言順も、想定される脱線も、分単位で組んである。審議に一時間十二分。予備の四十八分を加え、十時開始、正午終了。つまり――午後は、白紙。
(停戦後、最初の月例軍議。議題は平時の七件。これを定時で終わらせれば、午後がまるごと私のもの)
ゼナは定規を置いた。東部戦線を差配した夜より、いい顔をしていた。
(見てなさい。歴史上もっとも美しい定時を作ってあげる)
◇
当日の朝。決戦の朝である。
廊下の角で、ゼナは壁のような影に捕まった。
「おう、ゼナ! いいところに来た!」
声だけで廊下の空気が揺れた。
魔王軍四天王第一席、ガルド。岩を削り出したような巨躯に、朝だというのに汗が光っている。もう一仕事終えた顔だった。実際、夜明けから三時間鍛えている。
「これから軍議でしょう。なんで朝から汗だくなの」
「会議は頭を使う」
「そうね」
「頭は身体の一部だ」
「そうね」
「つまり、準備運動が要る!」
「どこで曲がったの、今の理屈」
ガルドは真剣だった。この男はいつでも真剣である。会議前の合同鍛錬に、通りがかりの士官が次々と善意で回収されていく。
ちょうど廊下の向こうで、ルカが捕まるのが見えた。
「わ、私は理論派ですので、その、身体よりも頭脳を」
「理論も身体の一部だ!」
「その理屈、さっきから万能すぎませんか!?」
回収されていった。合掌。
「お前も来い。頭が回るぞ!」
「私は進行表の最終確認があるから」
完璧な理由だった。事実でもある。ガルドは疑いもせず頷いた。
「そうか! お前はいつも準備がいいな!」
褒められてしまった。
ルカは生まれたての子鹿の脚で戻ってきた。
◇
会議室。
定刻五分前、ゼナは上座に近い自席で進行表を広げた。魔王は既に着座し、にこにこと全員を眺めている。有能な部下たちが一堂に会するこの時間が、彼は心から好きなのである。
そこへ、最後のひとりが入ってきた。
魔王軍四天王、ミレーユ。魔導研究と兵器開発を統べる才媛である。穏やかな物腰、知的な微笑、目の下に隠しきれない徹夜の名残。両腕に、見慣れない魔導具を抱えていた。
「皆さん、朗報です。会議システムを改善しました」
嫌な予感がした。
卓の中央に据えられたのは、水晶と歯車でできた装置だった。発言を自動で記録する議事装置。ここまでは、いい。
「《自動議事支援装置・三号》です」
「……一号と二号は?」
「聞かないであげてください」
聞かないことにした。会議室の壁の、真新しい漆喰の一角も、見ないことにした。
「さらに改良を加えまして。発言を要約し、論点を整理し――関連する議題まで、ご提案してくれます」
「……提案?」
「会議が、もっと豊かになりますよ」
豊かにしないでほしかった。終わってほしかった。
ゼナは着席のまま、卓の下を一瞥した。装置から延びる魔力の供給線が、床の導管へ繋がっている。位置を、覚えた。配線を見れば分かる。抜いても本体には影響しない、ただの魔力供給線である。
(何かあったときのために)
軍師は、退路から確認する。
定刻。魔王が鷹揚に頷き、軍議が始まった。
「議題一件目。東部国境の警備配置の見直しについて」
ゼナの進行は完璧だった。要点二分、質疑三分、採決一分。進行表どおり、寸分の狂いもない。
一件目、終了。順調――
装置が、ちん、と澄んだ音を鳴らした。
『関連議題ヲ提案シマス。冬季ニオケル伝令経路ノ見直シ』
会議室が、ほう、と感心した。
「確かに冬の伝令は課題だな」と誰かが言い、書記が新しい頁をめくった。
議題八件目が、誕生した。
誰も頼んでいないのに、である。




