09 シルフィの推測
「話しましょう。私が知ることを……」
シルフィはそう言うと、1度大きく息を吐いた。
胸の奥に溜め込んでいたものを吐き出すようにゆっくりと呼吸を整える。
その横顔はどこか覚悟を決めたようにも見えた。
「まず確認ね」
静かに目を閉じ、そして開く。
「かつてこの世界は四大精霊王によって均衡が保たれていた……これは知ってるわよね?」
「ああ。火・水・風・地だったはず……」
レインの答えにシルフィは小さく頷いた。
「そう。四つの精霊王がそれぞれの領域を支配し、世界の循環を維持していた。火は生命の活力を、水は流れと再生を、風は循環と平和を、地は安定と基盤を司っていた」
シルフィの声は落ち着いていたが、その奥にはわずかな緊張が混じっている。
「その均衡が崩れたのが……10年前の灰の厄災だったの」
空気がわずかに重くなる。
レインは無意識に息を飲んだ。
「空から降った灰。それはただの物質じゃなかった。触れたものの在り方そのものを歪める異質な力……」
シルフィの視線が窓の外の森の奥へと向けられる。
「生き物は理性を失い、兇魔へと変わる。植物は枯れ、精霊さえも狂う。あの災厄は、世界の根幹そのものを壊したの」
レインの脳裏に、あの日の光景がよぎる。血、叫び声、そして──母の最期。
「……」
言葉が出ない。
「厄災のあと、精霊王たちは姿を消した。完全に消滅したのか、それともどこかにいるのか……それは分かっていない」
シルフィはそこで一度言葉を切った。
そして、わずかに眉を寄せる。
「ただ──今、起きている異変」
慎重に言葉を続ける。
「黒く変色した作物。触れた際の痺れ。魔物の異常な行動。そして……黒い霧」
一つ一つ、確かめるように言葉を置いていく。
「これらが示しているのは、ひとつの可能性」
シルフィの視線がレインへ向いた。
「灰の厄災が、再び始まろうとしているかもしれない」
部屋の空気が一瞬で冷えた。
「そんな……」
レインの声がかすれる。
だがシルフィは首を横に振った。
「でも、それは違うとも思っているの。いや、確実に違うわ」
シルフィはどこか悲しそうに遠くを見つめた。
「……え?」
「本来の灰の厄災なら、もっと明確な変化が出るはずなの」
シルフィの目が鋭くなる。
「触れたものは即座に理性を失い、兇魔へと変わる。でも今は違う。作物は変質しているだけ。人もまだ保っている」
レインは村人の話を思い出した。痺れ、吐き気──だが、誰も狂ってはいなかった。
「……確かに」
「だからこそ、もう一つの可能性が浮かぶ」
シルフィの声が、ほんのわずかに低くなった。
「アウァリティア教団」
その名を聞いた瞬間、レインの胸が強く脈打つ。
黒いフードの男の姿が脳裏に蘇る。
「あなたの母の日記に書かれていた組織。闇魔法を扱う危険な集団……」
シルフィはゆっくりと言葉を選びながら続ける。
「もし彼らが関わっているなら、この現象にも説明がつく」
「どういうことだ?」
レインが問い返す。
「闇魔法は歪める力よ」
短く、しかし重い言葉だった。
「生命、精神、そして魔力の流れ……すべてに干渉する。禁忌とされている理由はそこにある」
シルフィの指先が、わずかに震える。
「もしその力で灰の厄災を模倣しているとしたら──」
そこで言葉が止まった。
だが、続きは言われなくても分かる。
「……再現、できるのか?」
レインの問いは、自分でも驚くほど静かだった。
「闇魔法が魔法である限り完全には無理だけれど……可能性はあるわ」
シルフィは含みのある言い方だったがはっきりと頷いた。
「そしてそれが事実なら、これは自然災害じゃない」
シルフィが一歩、レインに近づく。
「誰かが意図的に引き起こしている災いよ」
沈黙が落ちる。
風の音だけが微かに聞こえた。
「……目的は?」
レインが呟く。
「分からない」
即答だった。
「でも、あなたの母が狙われた理由と無関係とは思えない」
レインの拳がゆっくりと握られる。
「……俺、行くよ」
「レイン……」
顔を上げる。
その目に迷いはなかった。
「このまま放っておいたら、もっと被害が出る」
レインは一歩踏み出した。
「それに──」
ほんのわずかに、声が低くなる。
「あいつらの仕業なら……見逃せない」
シルフィはしばらくレインを見つめていた。
その視線には、迷いと覚悟が入り混じっている。
やがて、小さく息を吐いた。
「……分かっていると思うけど」
静かに言う。
「これは今までとは比べものにならないほど危険よ」
「分かってる……それでも俺は行く」
シルフィの目が、ほんの少しだけ細くなる。
「……本当に強くなったわね」
小さく、呟くように言った。
「でも無茶はしないこと。絶対に」
「……ああ」
レインは短く頷く。
「明日の朝、森に向かうわ」
シルフィはそう言って窓の外を見た。
夜の闇が、静かに広がっている。
その奥に──何かが潜んでいるように感じた。
「……嵐になるわね」
その言葉は、ただの予感ではなかった。




