10 森の調査
翌朝。空気はひどく静かだった。
鳥の声も、風の音さえもどこか弱い。まるで森そのものが息を潜めているようだった。
「準備はいい、レイン」
シルフィが振り返らずに言う。
「ああ」
短く答えながら、レインは剣の柄を握り直した。胸の奥に、わずかな違和感が残っている。だが、それを押し込むように一歩踏み出した。
二人は森へ入る。
奥へ進むにつれて、空気が変わっていくのが分かる。湿ったような、重たい感覚。肌にまとわりつく不快な気配。
(──来る)
次の瞬間、茂みが大きく揺れた。
「グォォォッ!!」
現れたのは5体のオークだった。
「レイン、行くよ」
「……ああ!」
ほぼ同時に地面を蹴る。
シルフィの姿が一瞬で消えた。次に見えたときには、すでに一体の背後だ。
風を纏った一閃。オークの首が宙を舞う。
レインも踏み込む。風を足に乗せ、一気にオークとの距離を詰める。
(見える……!)
振り下ろされる棍棒を紙一重で躱し、そのまま背後へ回る。剣を振る。
一体を倒した。
すぐに次へ向かう。だが──
「グォッ!」
振り下ろした剣が、止められた。
「っ……!」
力の差があった。次の瞬間、横から別のオークが迫る。
(やばっ……!)
防御が間に合わない。
"ガキィン!"
風と共に重い衝撃が割り込んだ。
「気を引き締めて」
シルフィがレインの前に立っていた。
レインは小さく息を吐いた。
「……助かった」
「まだ余裕はないわよ」
「……こいつら、速くなってないか?」
「ええ。兇魔に近づいているわ」
そこ言葉に空気が一段と重くなる。
「油断したら終わるわよ」
レインは深く息を吸った。
足元に風を集める。集中し迷いを失くす。
(落ち着け)
1歩踏み出す。
視界が研ぎ澄まされていく。
正面から振り抜いた剣がオークの首を断った。
続けて、シルフィがもう一体を斬り伏せる。
そして最後の一体をシルフィと連携して確実に仕留めた。
シルフィの視線はすでに奥へ向いている。
「ここから先はもっと強くなるわ」
「……ああ」
剣を握り直し、再び歩き出す。
しばらく進んだそのときだった。
「……っ」
レインの足が止まる。
視界の先で黒い影がゆらりと揺れていた。
「……あれは」
「間違いないわ」
シルフィの声が低くなる。
「兇魔よ」
現れたのは、黒く染まったオークだった。
全身が煤けたように濁り、目は光を失っている。ただ壊すことだけを目的に動く存在。
「グォォォ……ッ!!」
地面を砕きながら突進してくる。
速い。
レインは即座に動いた。横へ跳び、腕を躱す。
そのまま手首へ斬撃。
(──硬い)
「くっ……!」
剣が弾かれる。
すぐに魔力を込め風を纏わせ、もう一度斬る。
だが浅かった。
(ここまで違うのか……!)
一撃では通らない。
それでも止まれない。
回り込み、斬る。避けて、斬る。少しずつ確実に体力を奪っていく。
オークの動きが鈍る。
膝が崩れた。
「シルフィ!」
レインが叫んだ。
その瞬間、風が唸った。
シルフィの姿が宙へ跳ぶ。
剣に集まる風が鋭く収束する。
「──終わりよ」
美しい一閃。
黒い首が落ちた。
レインは肩で息をしながら立っていた。
「……強いな」
「ここからが本番よ」
シルフィはそう言って、前を指した。
その先に──黒い霧が広がっていた。
森の一部だけが、完全に色を失っていた。光さえも飲み込むような異質な空間。
「……あれか」
「ええ」
シルフィの表情がわずかに硬くなる。
「ここから先は本当に危険よ」
一瞬、視線がレインに向けられる。
「覚悟はできてる?」
「ああ」
迷いはなかった。
シルフィは小さく頷き、霧の中へ足を踏み入れる。レインも続いた。
その瞬間。
「……っ!」
シルフィの身体が揺れた。
「シルフィ?」
返事がない。
次の瞬間、膝が崩れ落ちる。
「うぐっ……!」
頭を押さえ、苦しそうに息を吐く。
「シルフィ!?」
レインはすぐに駆け寄り、肩を支える。
「どうした!?怪我か!?」
「違う……これは……」
シルフィの呼吸が乱れている。
「……やっぱり……ダメなのね……」
「何がだ!」
シルフィは震える手で霧の奥を指した。
「……あそこには……入れない……」
「……は?」
意味が分からなかった。
(あのシルフィが、入れない?)
「中に入ると……力が……削られる……」
それだけじゃない。明らかに様子がおかしい。
顔色が悪い。呼吸も浅い。
まるで存在そのものが拒絶されているようだった。
「戻るぞ!」
レインはシルフィを抱え、すぐに霧の外へ出る。
外に出た瞬間、シルフィの呼吸がわずかに戻った。
「……はぁ……はぁ……」
「大丈夫か?」
「……ええ……少しは……」
だが、完全ではない。
シルフィはゆっくりと立ち上がり、霧を睨んだ。
「間違いない……これは……」
途中まで言いかけ、言葉を飲み込む。
そして、レインを見る。
「……レイン」
その声は、今までにないほど重かった。
「あなた一人で行ってもらうことになるわ」
空気が止まる。
「……一人で?」
「私は……中では戦えない」
悔しさが滲んでいた。
あのシルフィが。
「……分かった」
レインは短く答えた。
怖くないわけじゃない。
だが──
(ここで止まるわけにはいかない)
再び剣を握り、霧の奥を見る。
「行ってくる」
シルフィは何も言わなかった。
ただ、小さく頷いた。
その目には──わずかな不安と、確かな信頼があった。
レインは一歩踏み出す。
黒い霧の中へ。
その先にある何かへ向かって。




