11 ルミナスとの出会い
森は不気味なほど静かだった。
風が吹いているはずなのに、枝は揺れない。鳥の声も、虫の羽音さえも聞こえない。
ただ、重たい空気だけあった。
「……」
レインは一歩、踏み出す。
足元の土は黒く変色し、踏みしめるたびにわずかに沈む。木々も同じだった。幹は色褪せたように黒く染まり、葉も黒く変色し力を失って垂れ下がっている。
生きているはずの森が死んでいるように見えた。
(身体が……重い)
胸の奥に圧迫感がある。自然と呼吸が浅くなる。
黒い霧が身体にまとわりついているようだった。
(これが……霧か)
剣を握る手に力を込める。
一歩ずつ、確かめるように進む。
引き返すという選択肢はレインには最初からなかった。
そのとき。
「……?」
視界の奥に、違和感があった。
黒の中に、わずかな色が見えた。
「なんだ……あれ……」
レインは目を細める。
それは、淡く揺れる小さな光だった。
白く、かすかに輝く光だ。
この場に似つかわしくない存在だった。
(……罠か?)
警戒が先に立つ。
足を止める。
だが──光は、ゆらゆらと揺れながら、どこかへ逃げるように離れていく。
まるで、ついてこいとでも言うように。
「……」
一瞬、迷いが生じる。
ここは明らかに異常だった。不用意に動くべきじゃない。
(でも……)
あの光だけが、この空間の中で異質に正常だった。
黒ではない。歪んでいない存在だった。
(……行くしかないか)
レインは小さく息を吐き、ゆっくりと歩き出した。
光との距離を少しずつ詰める。
だが、近づくとわずかに離れる。
完全には逃げず、一定の距離を保ちながら、導くように光は揺れていた。
(誘ってる……?)
違和感は消えない。
それでも、足は止まらなかった。
やがて──光が止まった。
開けた空間にでた。
周囲だけ、わずかに霧が薄い。
その中央に、光が浮かんでいた。
レインはゆっくりと近づく。
あと数歩。
手を伸ばせば届く距離。
そのときだった。
『……だれ?』
声がした。幼い声だった。
だが、その響きはどこか遠く、現実感が薄い。
レインは反射的に剣に手をかける。
「誰だ!」
周囲を見渡す。
だが、人の気配はない。
『こっち……』
声は、目の前の光から聞こえていた。
「……っ」
レインは一歩引いた。
光が、わずかに形を変える。
ゆっくりと。
輪郭が生まれる。
小さな人影のような姿。
白い髪に金色の目が淡く輝く、少女のような存在だった。
「……」
言葉が出ない。
その存在は、あまりにも現実離れしていた。
『……こわい?』
少女が首を傾げる。
「……いや」
レインは短く答えた。
完全に恐怖がないわけではない。
だが、それ以上に──
(敵意がない……?)
不思議な感覚だった。
警戒はしている。
だが、剣を抜くほどではない。
「俺はレイン」
ゆっくりと言う。
「君は……?」
少女は少し考えるように沈黙し、そして言った。
『……ルミナス』
短い名だった。
ルミナスはふわりと宙に浮かび、レインの周囲をじっくり観察するようにゆっくりと回る。
『……あなた、不思議な感じがする』
「不思議?」
『うん。黒くないのに……黒の中にいる』
意味はよく分からない。
だが、否定もできなかった。
「君は……精霊なのか?」
レインは慎重に問いかける。
ルミナスは小さく頷いた。
『うん。光の精霊』
「光……?」
レインの眉が動く。
火、風、水、地。それは知っている。
だが、光は聞いたことがなかった。
『知らないの?』
ルミナスが不思議そうに言った。
「……ああ」
『そっか……』
少しだけ、寂しそうに揺れた。
『でも、あなたは私と話せるんだね』
ルミナスの声が少し明るくなる。
『普通は……無理なのに』
「俺は……精霊の愛し子らしい」
言いながら、わずかに胸が痛む。
母の言葉が頭をよぎった。
「だからかもな」
ルミナスはしばらくレインを見つめていた。
そして、小さく頷く。
『……なる…ほど?』
「なあ、ルミナス」
レインは一歩踏み出す。
「君はなんで、ここにいるんだ?」
この異常な場所に光の精霊がいる理由。
レインは気になっていた事を聞いた。
ルミナスは、少しだけ考えた。
『……わからない』
あっさりとした答えだった。
『気づいたら、ここにいた』
「……それだけか?」
「うん」
迷いはなかった。
嘘をついている様子もない。
(記憶がない……?)
違和感だけが残った。
だが、今はそれ以上追及しても意味はなさそうだった。
『……この奥に行くの?』
ルミナスが霧の奥を見る。
「ああ」
レインは頷いた。
「原因を探す」
ルミナスは少しだけ沈黙し、そして言った。
『……危ないよ』
「分かってる」
レインは即答した。
それでも行く。
それがレインの答えだった。
ルミナスはレインをじっと見つめた。
そして──
『……じゃあ、私も行く』
「……は?」
予想外の言葉だった。
『連れてって』
「いや、待て」
レインはすぐに首を振る。
「ここがどれだけ危険か分かってるのか?」
『分かってる』
「だったら──」
『でも』
レインがすべてを言い終わる前にルミナスが口を開く。
ルミナスの光が、わずかに強くなった。
『私は、この霧に負けない』
空気が、少しだけ変わった。
黒い霧が、ルミナスの周囲だけわずかに揺らぐ。
「……」
レインは目を細める。
確かに霧の影響を受けていない。
それどころか──
(押し返してる……?)
『私は光だから』
ルミナスが言う。
『これは……嫌い』
その言葉には、わずかな感情があった。
「……」
レインは黙る。
シルフィはいない。
ここから先は、一人で行かなければならない。
得体の知れない精霊を信用していいのか分からない。
(でも……)
この霧の中で、唯一まともに存在しているのがルミナスだった。
そして何より──
(さっきのオーク……)
一人で突破できる保証はない。
レインには一人で倒せる自信もない。
「……本当に、大丈夫なんだな?」
レインは確認する。
『うん』
ルミナスは迷いもなく返事をした。
『守ってあげる』
その言葉に、わずかに苦笑が漏れた。
「頼もしいな」
(正直分からないな……)
信用していいのか。
危険じゃないのか。
(でも──)
この場所でまともに立っているのはルミナスだけだ。それにレインの本能が連れて行けと言っていた。
「……分かった」
レインは頷く。
「一緒に来い」
ルミナスの光が、少しだけ強くなる。
『うん!』
その声は、どこか嬉しそうだった。
レインは前を向く。
黒い霧の奥。
まだ何があるか分からない。
だが──今は、一人じゃない。
隣で揺れる小さな光。
その存在を感じながら、レインは再び森の奥へと歩き出した。




