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灰と光の調律者  作者: 廣風
1章 成長
5/8

05 母の日記

レインは震える手で机の上の日記を手に取った。

古びた皮の表紙だ。指でなぞるとかすかに温もりが残っている気がした。

日記には"レインの成長日記"と優しい筆跡で書かれていた。


「……母さん……」


喉の奥がぎゅと締め付けられる。

レインはゆっくりと日記の最初のページを開いた。


[今日、やっと我が子が生まれた!

元気な男の子!名前はレイン!

どうか、元気にすくすく育ってくれますように……]


と母さんの字で書かれてた。

思わず息が詰まりそうになった。

文字の一つ一つから溢れるほど喜びが滲んでいた。

ページをめくる。


[レインが初めてハイハイした!]


[初めてママって呼んでくれた!]


[レインが初めて立った!転んでも諦めずにまた立った!]


[レインが初めて歩いた!ほんの少し2.3歩だったけどちゃんと歩いた!]


どのページにも小さな出来事がびっしり書かれていた。

何気ない日常。けれど、そのすべてが宝物のように綴られていた。


「……こんなに……」


知らなかった。

自分のことをこんなにも見ていてくれたなんて。こんなにも愛してくれていたなんて。

涙が頬を伝い、床に落ちる。

止めようとして止まらなかった。

レインは袖で乱暴に涙を拭いながら、ページをめくり続ける。

やがて、ページが途切れた。

その数ページ後、1枚だけ明らかに違う空気を持つページがあった。

中央に丁寧な字で書かれていた。


『レインへ』


胸が大きく脈を打つ。

レインは大きく息を吸い、震える呼吸を整え読み始めた。


レインへ

これを読んでいるということは、私はもうあなたのそばにいないのでしょう。

ごめんね。あなたを一人にしてしまって。

本当は、もっと一緒にいたかった。

もっと、あなたの成長を見ていたかった。



レインの視界が滲む。それでも止めずにレインは読む。



あなたに伝えなければならないことがあります。

私たちは──精霊の愛し子。

精霊に愛され、その力の一端を扱うことができる存在です。

本来、その力は世界を守るためのもの。けれど、その大きさゆえに、争いの種にもなる。

だから私たちは、その力を隠し、静かに生きてきました。



レインの指がわずかに強く紙を握る。

シルフィから聞いた話と繋がっていく。



けれど、まだあなたが幼い頃。

力が目覚めてしまった。

あなたは無意識に魔法を使ったの。

とても強い力だった。

あの瞬間、確信しました。

「見つかった」と。



レインの心臓が嫌の音を立てる。



アウァリティア教団。

そう名乗る組織が私たちに接触してきました。

目的はただ1つ。精霊の力の利用。

彼らは禁忌とされている闇魔法を使う危険な集団。詳細は分からない。

けど、確実に言えるのは関わってはいけない存在ということ。



レインの脳裏にあの黒いフードの男が浮かぶ。

不気味な笑い。

あの異様な気配。



私は当然誘いは断り続けました。

すると彼らは兇魔を差し向けてきた。

本来操れるはずのない存在を……。

どうやっているのかは分かりませんでした。

けれど、あの者たちは何かを知っている。



レインの拳が震える。

怒りか、恐怖か、自分でも分からない。



いずれ、私は限界を迎えるでしょう。

そのとき、次に狙われるのはあなたよ。

だからお願い。逃げて。

そう言いたい。

でも、あなたはきっと逃げない子だから。



レインの目から大粒の涙が落ちる。



だからせめてこれだけは伝えさせて。

あなたの力は誰かを傷つけるためにあるものじゃない。守るための力よ。

復讐なんて空しいだけ。

どうか──大切な誰かを守れる人になって。

生きて。

生きて、笑って。

幸せになって。

それだけが母さんの願い。



涙で文字がぼやける。

それでも最後まで目をそらさなかった。



私はあなたを世界で1番愛しています。


そして、最後に。

レインが18歳になった時に渡そうと思っていたものがあります。

机の横の木箱に入っています。

誕生日おめでとう、レイン。


母より


日記の最後の一行を見た瞬間、指が止まった。


(……は?)


意味が、入ってこない。

もう一度読む。読めているのに、理解が追いつかない。

喉が、ひどく乾く。


「……なんだよ、これ」


声がうまく出ない。

手が震えて、紙がかすかに揺れる。

視界が滲む。


「……っ……」


声にならない。

次の瞬間。レインは立っていられず、その場に崩れ落ちた。

音が消えた気がした。

膝が床にぶつかった感覚すら遠い。

ただ、胸の奥がぐちゃぐちゃに掻き回されている。

涙が止まらない。嗚咽が漏れる。

悔しさも悲しさも全部が一気に溢れ出した。


「……なんで……」


どうしてもっと早く気づけなかったのか。

どうして自分は守れなかったのか。

拳で床を叩く。何度も何度も。やがて拳から血が滲んだ。それでも止まらない。

日記の中の言葉が頭から離れなかった。


『守るための力』


(誰をだよ……)


『幸せになって』


(どうやって……)


その言葉が、頭の中で何度も反響する。

──ふと、記憶がよぎる。


「レイン、ちゃんと食べなさい」


少し呆れた母の声。

テーブルに並んだ、少し焦げたパン。


「……いらない」


「だめ。強くなるんでしょ?」


笑いながら、無理やり皿を押しつけてきた。


「ほら、ちゃんと食べたら褒めてあげる」


「……いらない」


——あのときも、そう言った。


(なんで……食べなかったんだよ)


胸が締め付けられる。


(なんで……ちゃんと話さなかったんだよ……)


戻らない。もう二度と。

視界が、現実に引き戻される。

ぼやけたままの世界。

日記を握ったまま、レインは動けなかった。

どれくらいそうしていたのか、分からない。

気づけば、部屋の中は暗くなっていた。

いつの間にか、窓の外には月が上っている。

窓の隙間から入る風が、紙をわずかに揺らす。

レインは、まだその場にいた。


「……遅すぎだろ」


ぽつりと呟く。

返事はない。

ただ、静かな夜だけがそこにあった。

震える手で木箱に手を伸ばした。

ゆっくり蓋を開けると──中には一振の剣と小さなネックレスが入っていた。

剣は飾りの剣ではない。実践で使われるための、鋭さを持っていた。

ネックレスは淡く光を帯びている。


「……母さん……」


それらを抱きしめて言う。


「……ありがとう……」


涙でぐしゃぐしゃの顔のまま呟いた。

そのとき。ふと、心の奥で声が聞こえた気がした。


(俺なんかに……できるのかな……)


ほんの小さな問だった。


すると──


(あなたならできるわ)


優しい声が聞こえた。

懐かしいあの声が。


「……っ」


顔を上げる。

当然、そこには誰もいない。

けれど──確かに背中を押された気がした。

レインはゆっくりと立ち上がる。

涙を拭う。

まだ震えているが、足は止まらない。

日記を大切に抱え、剣とネックレスを身に付ける。そして、階段へ向かった。

1歩ずつ。確かめるように登る。

これは終わりじゃない。ここからだ。

真実を知り、母の願いを受け取り、自分の意志で進む。その最初の1歩だった。

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