40 村の記憶
夜だった。
炎の神殿の一室。
外では溶岩の流れる音が響いている。
赤い光が岩壁を照らし、揺らめく影を作っていた。
レインたちは休息を取っていた。
ミリアは資料を整理している。
リュカは壁にもたれたまま眠っていた。
レインも疲労に耐えきれず横になっている。
だが、一人だけ眠れない人間がいた。
カイルだった。
「……」
神殿の外。
熱風が吹く岩場に腰を下ろす。
剣を膝の上に置く。
視線は遠くの火山へ向いていた。
赤黒く燃える山。
まるで消えない傷跡のようだった。
昼間の出来事が頭から離れない。
隊長の顔。
助けを求める声。
そして、自分が剣を振った瞬間。
「……」
カイルは目を閉じる。
嫌でも思い出してしまう。
ずっと昔のことを。
まだ剣を握る理由なんて知らなかった頃を。
青い空だった。
暖かな風が吹いている。
花畑が揺れていた。
幼いカイルは全力で丘を駆け上がる。
「待てって!」
後ろから声が聞こえる。
振り返る。
そこには同じ年頃の少年がいた。
茶色い髪。
人懐っこい笑顔。
親友のダリオだった。
「遅ぇぞ!」
「お前が速すぎるんだよ!」
二人は笑う。
何でもない日常。
だが今となっては二度と戻らない時間だった。
丘の上に着く。
村が見えた。
小さな村。
豊かでもない。
有名でもない。
それでも、カイルにとっては世界の全てだった。
煙突から煙が上がっている。
畑では農夫たちが働いている。
子供たちが走り回っている。
誰もが笑っていた。
「平和だなぁ」
ダリオが寝転ぶ。
「ずっとこんな感じならいいのにな」
幼いカイルは答える。
「なるだろ」
「なんで分かるんだよ」
「俺が守るから」
ダリオが吹き出した。
「何だそれ」
「本気だ」
カイルは胸を張る。
「俺、騎士になる」
「またそれかよ」
「なるんだよ」
空を見上げる。
どこまでも青かった。
「みんな守るんだ」
子供らしい夢だった。
でも本気だった。
その時、遠くから声が聞こえる。
「カイルー!」
少女が手を振っていた。
長い黒髪。
元気いっぱいの笑顔。
リアだった。
「また遊んでる!」
「別にいいだろ!」
「駄目!」
リアは頬を膨らませる。
「おじさん探してたよ!」
カイルは顔をしかめる。
「親父か」
「訓練だって」
「うわぁ……」
ダリオが笑う。
「頑張れ未来の騎士様」
カイルは嫌そうな顔をする。
リアも笑う。
三人の笑い声が風に乗る。
その景色は眩しかった。
夕方、家へ帰る。
木造の小さな家。
扉を開く。
「ただいま」
母親が振り向く。
優しい笑顔だった。
「お帰り」
暖かい匂い。
料理の匂い。
家の匂い。
父親は剣の手入れをしていた。
元騎士だった。
寡黙な男。
だが厳しさの奥に優しさがあった。
「訓練をサボったな」
開口一番だった。
カイルは顔を逸らす。
「……少しだけ」
「少しか?」
「ちょっとだけ」
父親は溜息を吐く。
母親が笑う。
「あなたも昔は同じだったでしょう」
父親は何も言わなかった。
図星だったらしい。
食卓を囲む。
何気ない会話。
明日の予定。
畑の話。
村祭りの話。
本当に、何も特別なことはなかった。
でもだからこそ幸せだった。
数日後。
村の祭り。
広場には人が集まっていた。
音楽。
屋台。
笑い声。
子供たちの歓声。
村全体が明るかった。
カイルはリアと並んで歩く。
「騎士になったらどうするの?」
リアが聞く。
「守る」
「そればっかり」
「大事だろ」
「もっと他にないの?」
カイルは考える。
少し悩む。
そして言った。
「じゃあ……」
リアを見る。
「お前も守る」
リアの顔が赤くなる。
「なっ……!」
カイルは気付いていない。
本気で言っている。
リアは慌てて顔を逸らした。
後ろではダリオが大爆笑していた。
「言った!」
「うるせぇ!」
「言ったな今!」
平和だった。
本当に。どうしようもなく平和だった。
夜。
祭りが終わると、広場の灯りが消えていく。
人々が家路につく。
カイルは丘の上に立っていた。
村を見下ろしている。
灯火が揺れている。
優しい光。
帰る場所。
守りたい場所。
その時、父親が隣に来た。
「気に入っているか」
「何を?」
「この村だ」
カイルは即答した。
「当たり前だろ」
父親は頷く。
しばらく沈黙。
そして言う。
「守りたいと思うものがあるのはいいことだ」
カイルは嬉しくなる。
褒められた気がした。
だが父親は続けた。
「だが覚えておけ」
「?」
父親の横顔はどこか遠かった。
「守るというのは綺麗なことだけじゃない」
意味は分からなかった。
幼いカイルには。
父親は空を見上げる。
「いつか選ばなきゃいけない日が来る」
風が吹く。
静かな夜だった。
「その時に逃げるな」
カイルは頷く。
よく分からないまま。
それでも頷いた。
父親は小さく笑った。
「それでいい」
村の灯りが揺れる。
暖かい光だった。
この時は誰も知らなかった。
この光が、あと数年で消えることを。
この村が、灰に飲まれることを。
家族も。
親友も。
リアも。
全て失われることを。
まだ誰も知らない。
カイルはゆっくり目を開いた。
目の前には炎の山。
赤い空。
熱風。
現実だった。
膝の上の拳が震えている。
思い出したくもない記憶。
だが忘れたことは一度もない。
幸せだった時間。
守りたかった人たち。
そして、自分が失った全て。
カイルは静かに立ち上がる。
火山の奥を見る。
その瞳には普段見せない感情が宿っていた。
後悔。
喪失。
そして消えない罪。
次の夜。
彼はその続きを思い出すことになる。
村が滅びた日のことを。




