41 灰の日
空は灰色だった。
その日を境に、カイルの世界は終わった。
最初は小さな異変だった。
村の井戸の水が濁った。
家畜が突然暴れ出した。
森の鳥が姿を消した。
村人たちは不安そうに空を見上げていた。
「変な天気だな」
「嵐でも来るのか?」
誰も深刻には考えていなかった。
まさか、それが始まりだとは思わなかった。
騎士見習いとなったカイルは訓練場にいた。
年齢は十七。
剣の腕も村では随一だった。
父親譲りの才能。
そして誰よりも強い責任感。
「お前なら本当に騎士になれるかもな」
ダリオが笑う。
今では村の警備隊に所属していた。
昔と変わらない親友だった。
リアもいた。
薬師見習いとして働いている。
「二人とも真面目にやりなさいよ」
「お前もな」
「私は真面目よ!」
いつものやり取り。
いつもの日常。
そのはずだった。
昼過ぎに村の鐘が鳴った。
異常を知らせる警鐘。
全員が顔を上げる。
騎士たちが走る。
「北門だ!」
「魔物か!?」
村人たちが慌て始める。
カイルも剣を掴んだ。
胸騒ぎがした。
理由は分からない。
だが、嫌な予感だけがしていた。
北門には人だかりができていた。
村人たちが後退している。
誰も近づけない。
その中心で一人の男が倒れていた。
木こりの老人だった。
皆が知っている人物。
優しい老人。
子供たちにいつも木彫りを作ってくれる人だった。
だが、様子がおかしい。
皮膚が黒く変色している。
血管のような灰色の線が全身を走っていた。
「なんだ……これ」
誰かが呟く。
老人は苦しそうに喘いでいた。
目が赤い。
呼吸が荒い。
そして老人が顔を上げた瞬間、全員が凍りついた。
瞳が人間のものではなかった。
「グアァァァァァッ!!」
咆哮。
老人が飛びかかる。
近くにいた兵士の首を掴んだ。
骨が砕ける音。
悲鳴。
血。
村人たちが叫ぶ。
「化け物だ!」
「逃げろ!!」
地獄は一瞬で始まった。
その日空から灰が降った。
雪のうように静かに美しく。
そして残酷に。
灰に触れた人々が倒れていく。
苦しみ始める。
変異する。
村中で悲鳴が上がる。
「助けて!」
「誰か!」
「いやだ!」
人間だったものが壊れていく。
騎士団が出動した。
村を守るために。
だが、敵が多すぎた。
そしてその敵は村人だった。
カイルは剣を振るう。
暴走した魔物を斬る。
変異した獣を倒す。
戦う。
戦い続ける。
だが、救えない。
どれだけ斬っても終わらない。
灰は増え続ける。
人々は倒れ続ける。
「カイル!」
父親だった。
全身血だらけ。
鎧も壊れている。
「南側が突破された!」
「何!?」
「避難誘導を優先しろ!」
カイルは頷く。
全力で走る。
助けるために。
守るために。
そのために騎士になろうと思ったのだから。
だが、現実は残酷だった。
広場へ辿り着とそこには倒れている人々がいた。
泣き叫ぶ子供。
逃げ惑う老人。
燃える家々。
まるで戦争だった。
カイルは叫ぶ。
「落ち着け!」
誰も聞いていない。
恐怖が全てを飲み込んでいた。
その時、視界の端に見慣れた姿が映る。
リアだった。
「リア!」
カイルは駆け寄る。
リアは無事だった。
怪我もない。
その瞬間だけ安心した。
だが次の瞬間、リアが袖を隠した。
カイルの表情が凍る。
「……見せろ」
「大丈夫だから」
「見せろ」
震える声で言う。
リアは笑おうとした。
失敗した。
そして、ゆっくり袖を上げる。
そこには灰色の痕があった。
侵食が始まっていた。
カイルの頭が真っ白になる。
「嘘だろ」
リアは笑う。
泣きそうな笑顔だった。
「私もそう思った」
「治せる」
「無理だよ」
「治せる!」
叫ぶ。
認めたくなかった。
リアだけは。絶対に。
リアは静かに首を振った。
「カイル」
涙が零れる。
「怖い」
その言葉が胸を抉った。
夜になる頃。
騎士団は壊滅していた。
半数以上が死亡。
残りも負傷。
灰の侵食は止まらない。
父親が剣を握っている。
目の下に深い影。
疲労。
絶望。
それでも立っていた。
「……終わるな」
父親が呟く。
カイルは何も言えなかった。
終わる。
誰の目にも明らかだった。
村はもう助からない。
救援も来ない。
逃げ場もない。
守れない。
何も守ることができない。
深夜の闇を炎が赤く染める。
村の半分が燃えていた。
その光景を見ながらカイルは初めて理解した。
守るだけでは足りない。
願うだけでは足りない。
強さだけでも足りない。
どうしようもない日がある。
何をしても届かない日がある。
その現実が、目の前にあった。
そして、さらに残酷な朝が来る。
本当の地獄は、まだ終わっていなかった。
ここから始まるのだから。




