37 終わらせる者
夕暮れだった。
ヴォルカニアの空は赤い。
夕日ではない。
火山の光だ。
遠くで噴煙が立ち上り、空全体を赤黒く染めている。
レインたちは避難民の集落で一晩休むことになった。
粗末な天幕に簡単な食事。
だが周囲に漂う空気は重かった。
誰も兵士の件を忘れられないでいた。
焚き火の火が小さく揺れる。
最初に口を開いたのはレインだった。
「……あの兵士」
カイルは無言で座っていた。
レインは続ける。
「あれ、本当に助からなかったのか」
空気が止まる。
カイルは焚き火を見たまま答えた。
「無理だ」
迷いなく即答した。。
レインは眉をひそめる。
「なんで分かる」
「見れば分かる」
「そんなの――」
カイルが初めて顔を上げる。
その目は静かだった。
「助からねぇ奴はいる」
焚き火が揺れる。
レインは納得できなかった。
「でも試すことはできた。時間をかければ方法が見つかったかもしれない。ミリアなら――」
「無理だ」
今度は少し強く否定する。
レインの表情が曇る。
「なんでそう言い切れる」
カイルは答えない。
代わりに薪を火へ投げ込む。
火花が散った。
その空気をミリアが破る。
「正直に言うなら」
二人が振り向く。
ミリアは冷静だった。
「私にも分からない」
「え?」
レインが驚く。
ミリアは続ける。
「灰の侵食については情報が少なすぎる。治療法が存在しないとは言い切れない。でも助けられたとも言えない」
焚き火の音だけが響く。
「判断材料が足りない」
それがミリアの結論だった。
レインは黙る。
正論だった。
だからこそ苦しい。
リュカは少し離れた場所で座っていた。
何も言わず、ただ話を聞いている。
カイルが言った。
「だから終わらせた」
レインが顔を上げる。
カイルの声は変わらない。
「苦しんでた。本人も分かってた。だったら終わらせるしかねぇ」
レインは反射的に言う。
「それはお前が決めることじゃない」
空気が凍る。
カイルの目がほんの一瞬だけ動く。
「そうかもな」
静かな返事だった。
怒っていない。
否定もしない。
それが逆に重かった。
「でも誰かが決めなきゃいけない時もある」
焚き火が弾ける。
レインは言葉を失った。
カイルは立ち上がる。
「もう寝る」
それだけ言って離れていく。
背中はいつも通りだった。
だがどこか遠かった。
ミリアが小さく息を吐く。
「……重症ね」
レインが聞く。
「何が」
ミリアはカイルの背中を見る。
「諦めることに慣れすぎてる」
リュカが初めて口を開いた。
「違う」
二人が振り向く。
リュカは焚き火を見ていた。
「たぶんあいつは」
少しだけ考えて言う。
「諦めたんじゃない……選んだんだ」
その言葉が妙に引っかかった。
レインは何も言えなかった。
深夜。
風が強くなっていた。
避難民たちは眠っている。
火山の唸りだけが遠くで聞こえた。
カイルは眠れなかった。
目を閉じる。だが眠れない。
嫌な予感がしていた。
最近ずっとそうだ。
灰を見るたび、苦しむ人間を見るたび、あの時のことを思い出す。
忘れたはずなのに。
「……」
目を開く。
静かな夜。
誰もいない。
そう思った。
「カイル」
静寂を破るように声が聞こえた。
カイルの身体が固まる。
聞き間違えるはずがない。
その声は。
「兄ちゃん」
幼い声。
「助けて」
振り向く。
そこにいた。
小さな少女。
幼い女の子。
赤い髪。
泣いている。
カイルの呼吸が止まる。
「……やめろ」
声が掠れる。
少女は近づいてくる。
涙を流しながら。
「痛いよ」
「助けて」
「兄ちゃん」
カイルが立ち上がる。
後退る。
だが止まらない。
少女の後ろに人影が増える。
老人。
子供。
男。
女。
次々と。
全員知っている顔だった。
忘れるはずがない。
「どうして」
誰かが言う。
「なんで」
また誰かが言う。
「助けて」
「怖い」
「嫌だ」
「死にたくない」
カイルは拳を握る。
爪が食い込む。
「違う」
声が震える。
「違う」
人影が増える。
増え続ける。
血だらけの村人たち。
皆こちらを見ている。
「あの時」
老人が言う。
「お前が」
子供が言う。
「俺たちを」
全員が言った。
「殺した」
世界が止まる。
カイルの呼吸が乱れる。
胸が苦しい。
分かっている。
幻覚だ。
現実じゃない。
でも、聞こえる。
忘れられない。
あの日の声が。
「……っ」
カイルは剣の柄を握る。
強く、強く、震えを止めるように力を込める。
そして目を閉じる。
しばらくして。
再び開く。
そこには誰もいなかった。
夜の静けさが残っている。
遠くで火山が唸る。
カイルは小さく息を吐いた。
額には汗が浮かんでいた。
「……今さらだろ」
誰に言うでもなく呟く。
だがその声は少しだけ震えていた。
眠れない夜だった。
そして遠く離れた火山の奥で、何かが目を覚まし始めていた。
燃え上がるような赤い光が、闇の中で脈打つ。
まるで誰かを待つように。




