26 教団の目的
夜の水の都リヴィエラは静まり返っていた。
昼間まで濁っていた水路も、今は月明かりを映して静かに揺れている。
だがその静けさは平穏とは違う、どこか張り詰めたものだった。
宿の一室。
カイルは壁にもたれ、腕を組んだまま目を閉じている。
レインは窓際に立ち、水路を見下ろしていた。
ミリアは机に向かい、研究記録をまとめている。
髪にはびっしりと数式や構造図が並んでいた。
精霊核。
汚染構造。
浄化反応。
「……おかしい」
ミリアのペンが止まる。
カイルが目を開いた。
「何がだ」
ミリアは紙を見つめたまま答える。
「汚染の進行速度よ。普通じゃない」
レインが振り返る。
「普通じゃない?」
「ええ」
ミリアは紙を一枚突き出した。
「本来、精霊汚染はもっと不安定なの。暴走するなら規則性が崩れる。けれど今回は違う、綺麗すぎる」
ミリアは静かに言った。
「まるで誰かが設計したみたいに」
カイルの眉が動く。
ミリアは言葉を続ける。
「暴走じゃない。これは......書き換えれられている」
その時だった。
「──正解です」
知らない声が部屋に響く。
全員が反応する。
窓の外の月明かりに照らされた水面がゆっくりと歪み始める。
波紋が広がり黒い人影が浮かび上がった。
まるで水の中から現れたように。
レインが剣を抜く。
カイルも立ち上がる。
ミリアは目を細めた。
「……教団、なの?」
黒衣の人物は否定しなかった。
「その呼び名で構いません」
落ち着き払った声だった。
「今回の汚染、あなた達の仕業?」
「ええ」
「精霊核も?」
「ええ」
「人も死んでるんだぞ」
レインの声は低く冷たい。
だが相手は微動だにしなかった。
「必要な犠牲です」
その一言で空気が凍った。
カイルが前に出る。
「目的はなんだ」
黒衣の人物は静かに両手を広げた。
「世界の管理です」
「管理?」
「精霊は世界を維持するシステムです。水を循環させ、風を運び、大地を支え、命を育む。しかし、精霊は不完全だ。感情を持つ。迷う。暴走する。そして壊れる」
リヴィエラで起きた出来事が脳裏をよぎる。
守護精霊。
汚染。
悲劇。
黒衣の男は続けた。
「だから我々は考えた。ならば人間が管理すればいい」
ミリアの目が揺れる。
理論としては理解できた。いや、理解できてしまった。
「精霊を支配するのか」
レインが言う。
「支配ではありません。上書きです」
その瞬間、水面が黒く染まる。
そこに映ったのは、核を埋め込まれた精霊。
意思を失い、命令だけに従う存在。
「我々は新たな精霊を創る。人間の意思で動く精霊を……そうすれば世界は安定する」
ミリアの指先が震える。
(確かに理論上は……可能……)
それが余計に恐ろしかった。
「馬鹿げてる」
レインが言う。
黒衣の男が視線を向ける。
「何がです?」
レインは男を睨み、怒りを込めて言う。
「それで残るのは生き物じゃない、都合のいい人形だ。意思も選択も奪って、それを救いとは呼ばない」
黒衣の男は小さく首を傾げた。
「なぜ?選択は争いを生む、自由は混乱を生む、ならば管理された方が幸福でしょう」
「違う!苦しくても選ぶんだ、間違えても進むんだ、それが生きるってことだろ」
部屋が静まり返る。
その言葉に反応したのは、意外にもミリアだった。
「……精霊は装置じゃない」
黒衣の男がミリアに視線を向けた。
「意思がある、感情がある、だから不完全でも価値がある」
自分でも驚くほど感情的な声だった。
数日前なら言わなかっただろう言葉だ。
黒衣の男は少しだけ笑った。
「あなたまでそう言うのですね」
ミリアの眉が動く。
「あなたなら理解できると思っていました」
「理論だけなら理解できた......でも私は見た」
守護精霊の最後を。
悲しみ、苦しみ、痛みを。
「だから否定する」
黒衣の男はミリアの予想外の答えに沈黙する。
その時だった。
レインの胸元で、小さな光が震える。
ルミナスが恐怖し、怯えていた。
理由のわからない震えがルミナスを襲う。
その瞬間、黒衣の男が動きを止めた。
「……?」
ゆっくりとレインを見る。
「おもしろい」
不気味の笑みを浮かべ言う。
「あなた、何を宿しているのですか」
カイルが警戒を強める。
ミリアも違和感を覚えた。
黒衣の男はレインを観察するように見つめた。
「精霊との親和性、異常な耐灰性、浄化反応の共鳴率、記録より高い」
レインの背筋に寒気が走る。
まるで研究対象を見る目だった。
黒衣の男は小さく呟く。
「なるほど……あなたは鍵かもしれない」
「……何の話だ」
「いずれ分かります」
黒衣の男は答えない代わりに一歩後ろへ下がる。
「計画は予定通り進む、風の地でも砂の国でもそして最後の地でも」
ミリアの顔色が変わる。
「まだやる気なの?」
「当然です。精霊が守る均衡は終わる。次は人間の時代だ」
その言葉と同時に、水面が大きく揺れた。
黒い影が崩れる。
消える直前、黒衣の男は最後にレインを見た。
「また会いましょう、レイン・アルヴェル。あなたは必ず我々の前に来る」
影が溶け、水面が静かになった。
完全な静寂が宿の一室を包む。
やがて、ミリアが呟いた。
「……最悪ね」
「敵ははっきりした。あいつらは精霊を支配する気だ」
レインは窓の外を見る。
月が揺れている。
胸元ではルミナスの光がまだ震えていた。
「……怖い」
レインにだけ聞こえる小さな声。
レインはそっと胸元を握る。
「大丈夫だ」
根拠なんてない。それでも言った。
「俺がいる」
ルミナスは何も答えなかった。
ただ震えだけが少しだけおさまった。




