表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰と光の調律者  作者: 廣風
3章 水の都リヴィエラ
23/30

23 研究室

階段を上がった瞬間だった。

空気が、変わる。

さっきまでの湿った重さが消え、代わりに乾いた嫌な匂いが鼻を刺した。

焦げたような臭い。薬品の刺激。そして微かに混じる、腐敗。


「……」


レインは無言で足を止める。

視界の奥に広がっていたのは、研究室だった。

だが、まともな状態ではない。

机は倒れ、棚は崩れ、ガラス容器は粉々に砕け散っている。

床には黒い液体がこびりつき、乾いて、ひび割れていた。

まるで何かが暴れた後のようだった。


「……荒れてるな」


カイルが低く言う。


「戦闘の跡か?」


ミリアはゆっくりと首を振る。


「違うわ」


一歩踏み込む。

割れた瓶の破片を拾い上げる。


「これは……内側から壊れてる」


「内側?」


レインが聞き返す。

ミリアは床を指差した。

黒い跡が一点から広がるように飛び散っている。


「爆発に近い。でも火薬じゃない」


さらに奥へ進む。

壁には、焼け焦げたような痕。だが炎の形ではない。

侵食されたような歪な模様。


「……何が起きた」


カイルの問いに、ミリアは答えない。

代わりに、机の上に散らばる紙へ手を伸ばす。

一枚また一枚。目を走らせる。

読み進めるたびに、彼女の動きがわずかに遅くなる。


「……」


レインが近づく。


「分かるのか」


ミリアは短く答える。


「ええ」


そして、次の紙を手に取った瞬間完全に動きが止まった。


「……どうした」


カイルの問にミリアはすぐには答えない。

数秒の沈黙のあと、ゆっくりと口を開く。


「……灰の再現実験」


その言葉は、静かだった。

だが、重かった。

レインの眉が動く。


「再現……?」


ミリアは紙を見たまま説明する。


「精霊のエネルギーを分解して、汚染状態を人工的に作る研究」


レインの中で、違和感が形になる。


「……それって」


「ええ」


ミリアは視線を上げる。


「この街の汚染と、同じものよ」


空気が、一段重くなる。

カイルが鼻で笑う。


「なるほどな。原因は外じゃなく中か」


レインは無意識に拳を握る。


(……人が、やったのか)


自然じゃない。事故でもない。

意図的だ。

ミリアはさらに紙をめくる。


「……段階的に進めてる」


・低濃度の汚染・生体反応の観察・精霊との融合実験


指が止まる。


「……ここ」


レインが覗き込む。

そこには、こう書かれていた。


『精霊核の安定化に成功』『汚染状態を維持したまま、形を保持可能』


ミリアの目が細くなる。


「……最悪ね」


カイルが言う。


「何がだ」


「制御できてるってこと。偶然じゃない。これは技術よ」


レインは部屋を見回す。

視界の端に、何かが引っかかった。


「……あれ」


奥のガラスケースの中は空で割れている。

だが、内側に黒い跡が残っている。

まるで中に何かがいたように。

レインが近づく。

指で触れる。


「……っ」


一瞬、頭が重くなる。

嫌な感覚。


(……これ、あの霧と同じだ)


ルミナスの気配が、わずかに反応する。

ミリアがそれを見る。


「……触らない方がいいわ」


レインは手を引く。


「……ここで作られたのか」


「ええ」


ミリアは頷く。


「そして、多分……逃げた」


その言葉に、カイルが剣に手をかける。


「なら、上にいるな」


ミリアはもう一度、資料を見る。

そこには数式が並んでいる。

理論は理解できる。むしろ、綺麗に組まれている。


(……完成度が高い)


それが逆に、気持ち悪い。


「……」


小さく息を吐く。


(理論としては成立してる。だからって、やっていいことじゃないわ)


ほんのわずかに、感情が混じる。

レインがそれに気づく。


「……ミリア」


「何?」


「どう思う」


少しだけ間があった。

ミリアは答える。


「……間違ってるわ」


即答ではない。だが、はっきりと言った。


「でも……理解はできる」


レインの表情がわずかに動く。

ミリアは続ける。


「原因を知りたい。制御したい。再現したい。それ自体は、研究者として正しい欲求よ」


そして、視線を落とす。


「……ただ、方法が最悪なだけ」


そのときだった。


「……」


カイルが顔を上げる。


「音が変わった」


レインも気づく。

水音が違う。

さっきまでの流れじゃない。

集まっている音。

ミリアが顔を上げる。


「……中枢に集まってる」


「行くわよ」


レインが剣を握る。


「……ああ」


カイルが先に歩き出す。

迷いはない。

レインが続く。

ミリアは最後に、資料を一枚だけ持ち上げた。

そして少しだけ迷ってから、置いた。


(……今は、戦う方が先ね)


振り返らない。

三人は、そのまま奥へ進む。

扉の前。

中から、低い振動。

脈打つような気配。

レインは手をかける。


「……いるな」


カイルが言う。


「ええ」


ミリアも頷く。

レインは、ゆっくりと扉を開いた。

扉を開けた瞬間だった。

空気が、重く沈んだ。

それまでの湿気とは違う。もっと粘つくような、まとわりつく圧。


「……っ」


レインは無意識に呼吸を浅くする。

肺に入る空気が、わずかに重い。


(……これ、森のときと似てる)


だが違う。あの黒い霧とは質が異なる。

もっと整えられている。人工的に濃縮されたような、不自然さ。

カイルが一歩前に出る。


「……奥だな」


短く言う。

視線の先。部屋の中央に、それはあった。

巨大な円形の水槽。天井まで届くほどの高さ。

その中で、水が渦巻いている。

黒と灰が混ざったような色の濁った水。絶えず形を変えながら、蠢いている。

その中心に、小さな光があった。


「……」


レインの足が、わずかに止まる。


(……あれは)


言葉にしなくても分かる。

あれは、精霊だ。


「……ひどいわね」


ミリアが、低く呟いた。

その声は、いつもの冷静さを保っている。だが、ほんのわずかにだけ感情が滲んでいた。


「構造が完全に壊れてる……いや、壊されてる」


レインが視線を向ける。


「……分かるのか?」


「ええ。本来の流れじゃない。外側から押し込まれてる」


水槽の中の渦が、わずかに強くなる。

ミリアの目が細くなる。


「……無理やり形を保たされてる状態ね」


カイルが鼻で笑う。


「生かされてるのか、殺されてるのか分からんな」


レインは何も言わない。

ただ、水槽を見つめる。


(……苦しいのか)


ルミナスの気配が、わずかに震える。

言葉はない。だが、はっきりと伝わってくる。


“嫌だ”


その感情がレインに刺さる。

そのときだった。


「……ォ……」


かすかな音が、響いた。

三人の動きが止まる。

水が、大きく波打つ。


「……聞こえたか」


カイルが低く言う。

レインは頷く。


「……声だ」


ミリアは何も言わない。ただ、じっと見ている。

水槽の中の光が、わずかに揺れる。


「……ま……も……」


途切れた音。

意味を成さないはずの断片。

だが。


「……守る……?」


レインが、無意識に呟く。

次の瞬間。


「グォォォォォォッ!!」


水が爆発した。

水槽が内側から砕ける。

濁流が、一気に溢れ出した。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ