22 水源研究塔
石畳の道を抜けた先。都市の最奥に、それは立っていた。
水源研究塔。白い石で造られた円柱状の建造物。だが今は、その美しさは見る影もない。
外壁のあちこちに、黒い染みが広がっていた。水が、壁を伝いながら濁っている。
「……ここが源だな」
カイルが短く言う。
レインは無言で塔を見上げた。ルミナスの気配が、わずかに揺れる。
(……嫌な感じが強い)
ミリアは一歩前に出る。
「内部構造は三層。水流制御機構があるはずよ」
淡々とした声。
「気をつけて。ここは事故じゃない」
その一言に、空気が少しだけ重くなる。
レインは扉に手をかけた。
「……行くぞ」
軋む音と共に、扉が開いた。
扉が閉まった瞬間、外界の音が消えた。
残ったのは、水の音だけだ。
ぽたり、ぽたりと落ちる雫。遠くで流れる水路の低い唸り。そしてどこか不規則な振動。
「……」
レインは一歩踏み出す。
靴の裏が、水を踏む音を立てた。
床には浅く水が張っている。足首にかかるかどうかの深さだがその水は、透き通ってはいなかった。
濁っている。黒に近い、灰色。
ただの泥とは違う。見ているだけで、喉の奥がざらつくような、不快な色だった。
「……嫌な水だな」
小さく呟く。
カイルが壁に手を触れ、すぐに離す。
「冷えてるのに、生臭い」
ミリアはすでに周囲を観察している。
壁、床、水路の角度、流れ。
すべてを理解しようとしている目だった。
ミリアはしゃがみ、水に指先を入れていた。
波紋が広がる。
その揺れを、じっと見ている。
「……普通じゃないわね」
「何がだ」
レインが聞く。
「流れが死んでる」
ミリアは水路を指す。
塔の内部には複数の細い水路が走っている。本来なら、絶えず循環しているはずの構造。
だが今は違う。
「滞ってる。……いえ、違うわ。止められてる」
レインの眉がわずかに動く。
「意図的に、か?」
ミリアは即答しない。
ただ、水面を見る。
「……可能性は高いわね」
空気が、ほんの少しだけ重くなる。
そのときだった。
「──止まれ」
カイルの声に反応しレインは即座に足を止める。
次の瞬間、水面が不自然に揺れた。
波紋じゃない。
内側から押し上げられるような動き。
「……来る」
"バシャッ"
水が弾けた。
黒い影が飛び出す。
「ッ!」
レインは反射で剣を振る。
横薙ぎの一閃。
「……っ!?」
手応えがない。
刃がすり抜けた。
影は魚の形をしていた。だがその身体は、水そのもののように揺らぎ、裂けてもすぐに元に戻る。
「なんだこれ……!」
空中で方向を変え、再び突っ込んでくる。
レインは体をひねって回避する。
背後で水が爆ぜる音。
着地した瞬間、もう一体が足元から飛び出した。
「チッ」
カイルが前に出る。
最短距離で踏み込み、縦に斬る。
「……無駄だな」
同じだった。
刃が通り抜ける。
魔物は崩れず、形を戻す。
「物理が通らないタイプか」
距離を取りながら言う。
ミリアが一歩前に出る。
目は冷静だった。
「完全に流体化してる……汚染で構造が崩れてるのよ。形が固定されてない」
レインが短く聞く。
「つまり?」
「そのままじゃ斬れない。純度を上げて、構造を一時的に固定する必要がある」
カイルが眉をひそめる。
「純度?」
ミリアの視線が、レインに向く。
「できるでしょ」
レインは一瞬だけ目を細める。
(……見抜いてるのか)
全部じゃない。だが、何かがあることには気づいている。
ルミナスの気配が、すぐそばで揺れる。
(……頼む)
声には出さない。
だが、応えるように。
ほんのわずかに、空気が澄んだ。
レインは剣を握り直す。
呼吸を整える。
意識を、水へ向ける。
(流れを……整える)
足元の濁りが、ほんの一瞬だけ薄れる。
「──っ!」
踏み込む。
突っ込んでくる魚型の魔物へ、真正面から。
振るう。
「ギィッ!!」
確かな抵抗。
刃が引っかかった。
そのまま、斬り抜く。
魔物が崩れた。
水の形を保てず、黒い残滓となって落ちる。
「……なるほどな」
カイルがすぐに理解する。
「固めてから斬るか」
同時に踏み込む。
レインが水を整えた瞬間を狙い、正確に斬る。
一体、崩れる。
さらにもう一体。
連携が、自然に成立する。
言葉はいらなかった。
「右!」
レインが短く言う。
カイルが振り向きざまに一閃。
「遅い」
斬る。
最後の一体が、水面に落ちた。
黒い残滓が広がる。
やがて、それも溶けるように消えていく。
静寂が戻る。
レインは小さく息を吐いた。
「……面倒な相手だな」
カイルは剣を軽く振って水を払う。
「慣れれば問題ない」
短い答えだった。
ミリアは戦闘の跡を見ていた。
しゃがみ込み、残滓に触れる。
指先でこすり、匂いを確かめる。
「……やっぱり」
「何が分かる」
レインが聞く。
ミリアは少しだけ間を置いてから言った。
「これは自然発生じゃない」
空気が、ぴたりと止まる。
「どういう意味だ」
「ここまで均一な汚染は、自然には起きない」
床の水路を指す。
「濃度、分布、反応速度……全部が揃いすぎてる」
視線が、奥へ向く。
「誰かが作ってる」
その言葉は、静かだった。
だが、重かった。
レインは奥を見る。
暗い通路に濁った水。
そして、その先にあるもの。
(……人がやってるのか)
胸の奥に、わずかな苛立ちが生まれる。
だが、それ以上に。
(……まだ、確定じゃない)
決めつけない。
それでも、確実に何かがおかしい。
カイルが先に歩き出す。
「止まっても変わらん」
振り返らずに言う。
「原因を潰すだけだ」
レインも動く。
ミリアも続く。
水を踏む音が、再び響く。
第一層の奥へ。
さらに濃くなる異常の中心へと、三人は進んでいった。




