19 ミリアとの出会
川沿いを進むにつれて、空気が変わっていった。
湿った風が微かに甘く、そして鉄のような匂いにレインは眉をひそめる。
「……水の匂い、濃くなってないか」
「上流に近いだけだろ」
カイルは淡々と答える。
やがて、視界が開け、遠くに水の光が見えた。
「……あれか」
カイルが短く言う。
レインは足を止め、視線を上げた。丘の先に広がるのは、一面の水の都市だった。
水路が街を縫うように流れている。白い石造りの建物が並び、その間を橋が繋いでいる。水面には陽光が反射し、本来なら穏やかで美しい景色のはずだった。
「……濁ってるな」
レインは眉をひそめる。
水は透き通っていない、それどころか黒く濁っている。遠目でも分かるほどに。
「噂通りだな」
カイルは興味なさそうに言う。
「水の都がこれじゃ、終わりも近い」
「終わらせるために来たんだろ」
レインが返す。
カイルは肩をすくめた。
「原因を断つ。それだけだ」
簡潔な答えだった。
そのとき、レインの隣で小さな光が揺れた。
『……いやな感じ。水が、泣いてる』
ルミナスが呟いた。
レインはわずかに目を細める。
「……分かるのか」
『うん。すごく、汚れてる』
その声には、はっきりとした嫌悪があった。
レインは小さく息を吐く。
(やっぱりただの異変じゃないな……)
「行くぞ」
カイルが歩き出す。
レインもそれに続いた。
街の入口に入った瞬間、空気が変わった。
湿った匂い。どこか腐ったような、水の臭気。
「……っ」
レインはわずかに顔をしかめる。
通りには人がいたが、その様子は明らかにおかしかった。
顔色が悪い。咳き込んでいる者もいる。中には壁にもたれ、動けなくなっている者もいた。
「……ひどいな」
レインが呟く。
「放っておけば死ぬだろうな」
カイルの声は淡々としていた。
「原因が水なら、街全体が汚染されてる」
レインは何も言わない。
『……あの人』
ルミナスの声にレインの視線が自然と動く。
水路のそばに一人の女性がしゃがみ込み、水をすくっていた。
長い青髪の女性。
白い外套を羽織って手には細い器具のようなものを持っている。
水をすくい、じっと観察している。
「……研究者か?」
レインが小さく呟く。
その瞬間だった。
「──飲まないで」
鋭い声が飛んだ。
女性は振り向かないまま言う。
「その水、もう安全じゃないわ」
ちょうど水を飲もうとしていた男が、ぎょっとして手を止める。
「な、なんだよ急に……」
「見れば分かるでしょ。濁り、粘度、匂い。全部異常よ」
淡々とした声で言う。
ようやく女性が立ち上がり、こちらを振り向いた。
その目は冷静だった。感情よりも先に、状況を測る目。
レインとカイルを一瞬で観察する。
服装、武器、状態。
「あなたたち……外から来たのね」
断定だった。
「その反応、ここが普通だと思ってない顔だもの」
カイルが小さく息を吐く。
「観察力は悪くない」
「当たり前でしょ」
女性はあっさり返す。
そして視線が、レインに止まる。
ほんの一瞬だけ。
「……へえ」
小さく、興味を示すような声。
だがすぐに元に戻る。
「忠告しておくわ」
腕を組み、淡々と言う。
「ここは今、水そのものが汚染されてる」
「知ってる。だから来た」
カイルが答える。
「そう」
女性は頷く。
「なら話は早いわね。原因を探してるんでしょ?」
レインが答える。
「ああ」
女性は少しだけ目を細めた。
「じゃあ、感情論は後にして」
その声は冷たく、はっきりしていた。
「まず原因を特定するべきよ」
ルミナスが、小さく揺れる。
『……つめたい人』
レインの中でだけ呟く。
レインはその言葉に苦笑しそうになるのを抑えた。
(確かに真逆だな)
「名前は?」
レインが聞く。
女性は一瞬だけ間を置いて答えた。
「ミリア・セレスよ」
そして、まっすぐレインを見る。
「あなたは?」
「レイン」
短く答える。
ミリアはじっと見つめる。
その視線は、どこか探るようだった。
「……やっぱり変ね」
ミリアがぽつりと言う。
「何がだ」
「説明できない。でも、普通じゃない」
レインは眉をひそめる。
カイルが横で小さく笑った。
「面白いこと言うな」
ミリアはカイルを一瞥し、すぐにレインへ視線を戻す。
「興味があるわ。協力してあげる」
「見返りは?」
カイルが聞く。
「調査の精度が上がる。それ以上に必要?」
合理的すぎる答えだった。
レインは少しだけ考え、言う。
「……分かった」
ミリアは小さく頷く。
「いい判断ね」
そして、水路の奥へ視線を向ける。
「まずは下層から行くわ。汚染が一番進んでる場所よ」
ルミナスの声が、静かに響く。
『……いやなところ』
レインは小さく息を吐いた。
「ああ、わかってる」
カイルが歩き出す。
ミリアが続く。
レインも、その後を追った。
黒く濁る水の奥へ。




