16 シルフィの元へ
扉が開いた瞬間だった。
「──シルフィ!」
聞き慣れた声だった。だが、その声に混じる重さにシルフィの表情が変わる。
振り向いた瞬間、視界に入ったのは、血に濡れたレインの姿だった。
「……っ!」
一歩で距離を詰める。
「レイン……!」
手が伸びる。肩に触れた瞬間、確かな体温を感じる。
「……生きてる」
小さく、漏れた言葉だった。
だが次の瞬間、表情が変わる。
「何があったの」
声は低く、鋭い。
レインは短く息を吐いた。
「奥に……あった。祭壇と……あれが、原因だと思う」
「あれって?」
シルフィは一切の曖昧さを許さない。
レインは一瞬だけ目を伏せ、そして言った。
「精霊だ」
その一言で、空気が止まる。
「……続けて」
レインは、見てきたものを話す。
黒い霧。歪んだ魔物。そして──腐食した精霊の存在。
弱ると正気を取り戻したこと。そして最後に、浄化で消えたこと。
すべてを聞き終えたとき、シルフィはしばらく何も言わなかった。
ただ静かに、目を閉じる。
(……やっぱり)
確信に近い。
「……教団ね」
ぽつりと、呟いた。
「間違いないわ。これは自然じゃない」
そして目を開く。
「精霊に核があった?」
「ああ」
「弱ると正気に戻った?」
「……ああ」
「……最悪ね」
短く、吐き捨てる。
「構造を弄られてる」
レインの眉が動く。
「……そこまで分かるのか?」
「分かるわ。精霊は本来、そんな壊れ方をしない」
その声には、明確な怒りが滲んでいた。
シルフィはゆっくりとレインを見る。
頭から足先まで、じっくりと。
血、傷、乱れた呼吸。
「……ボロボロね」
静かな声だった。
「まあな」
レインが苦笑する。
「馬鹿」
小さく、だがはっきりと言った。
レインが一瞬固まる。
「無茶しないって言ったわよね」
「……結果的にはな」
「結果じゃない。死んでた可能性の話をしてるの」
その言葉は冷静だった。だが、その奥にある感情は隠しきれていない。
数秒の沈黙の後、ふっと息を吐く。
「……でも、戻ってきたのは偉いわ」
ほんの少しだけ、声が柔らかくなる。
視線を逸らしながら言った。
レインは少しだけ目を見開く。
「……どうしたんだよ急に」
「別に」
シルフィは即座にいつもの調子戻った。
だがその直後、再び真剣な顔になる。
「……レイン」
「なんだ」
「あなた、変わったわね」
レインは少し考える。
「……強くなったって意味か?」
「違うわ。もっと危ない方向に」
その一言は、かなり核心を突いていた。
「それと」
レインが少しだけ視線をずらす。
「一人じゃなかった」
「……?」
そのときだった。
ふわりと、光が浮かぶ。
シルフィの視線が止まる。
世界が、一瞬だけ静止したように感じた。
「……」
何も言わない。
ただ、見ている。
光の揺らぎ。純度。存在の質。
(……ありえない)
心の奥で、何かが軋む。
『……ルミナス』
小さな声が名乗る。
『光の精霊』
シルフィは、ゆっくりと息を吐いた。
「……そう」
それだけだった。
だが内側では、完全に別の思考が走っている。
(光の精霊……?違う)
心の中で即座に否定する。
光の精霊は存在しない。
正確には存在していたがすでにこの世から消えているはずだった。
(けれどこの質は……精霊王クラス。でもあれじゃない)
思い出すのは、かつての存在。
人間を愛し守っていた。けれど、人間のせいで壊れてしまった存在。
背筋に冷たいものが走る。
(……あなたは、消えたはずよ)
いや、違う。
壊れたまま残っているのかもしれない。
そして目の前の存在はその壊れなかった部分。
この世界の希望なのかもしれない。
そのときだった。
ルミナスが、ふわりとシルフィの前に寄る。
じっと見上げる。
『……あなた、精霊でしょ』
ルミナスが小さく、言う。
レインが一瞬固まる。
「……は?」
シルフィは、ほんのわずかに目を細めた。
「……どうしてそう思うの?」
静かに返す。
ルミナスは少し考えて、
『風のにおいがする』
と答えた。
その言葉で、確信する。
(……見えてるのね)
ただの精霊じゃない。
本質を見ている。
「……そうね」
シルフィはあえて、軽く認める。
「風の精霊よ。少し特殊だけど」
完全な嘘ではない。
だが真実でもない。
レインは納得したように頷く。
「やっぱりか」
(……まだ気づかせない方がいい)
『つよいね』
シルフィは少しだけ目を細める。
「……ええ」
ルミナスは小さく続ける。
『でも……かなしい』
その一言に、シルフィの動きが止まる。
ほんの一瞬だけ。
「……」
否定はしなかった。
シルフィはルミナスを見る。
「ルミナス」
『なに?』
「あなた、自分が何か分かってる?」
ルミナスは首を振る。
『……わかんない』
その答えに、シルフィは目を細める。
(やっぱり……)
「……そう」
短く返す。
シルフィは一歩ルミナスに近づく。
ルミナスの光に手を伸ばすが、触れる直前で止めた。
(触れれば分かる。でも、それは確定になる)
ほんの一瞬の迷い。
そして、手を下ろす。
「……レイン」
「なんだ」
「その子は手放さないで」
静かに言う。
「絶対に」
レインの表情が少しだけ引き締まる。
「……ああ」
その日の夜。
一人になったシルフィは、窓の外を見る。
「……最悪ね」
小さく呟く。
「よりにもよって」
目を閉じる。
浮かぶのは、あの存在。
かつての光の精霊王。
「……もし、あれが」
言葉を途中で止める。
そして、ゆっくりと開く。
その瞳には、決意があった。
「……レイン。あなたはもう、ただの愛し子じゃない」
静かに、言い切る。
「これからまた始まってしまう。10年前の続きが……」
風が、わずかに揺れた。
「レイン……これからあなたにはたくさんの試練が待ち受けているわ。どうかお願い……この世界を……」
シルフィは一人未来に思いを馳せた。




