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灰と光の調律者  作者: 廣風
2章 精霊の森エルドリア
14/30

14 契約

朽ちた祭壇の奥へ一歩踏み込んだ瞬間、空気が変わった。

重く濃い。呼吸するたびに、肺の奥が焼けるように痛む。


「……いるな」


カイルが低い声で言い、剣を抜いた。

レインも剣を構えた。ルミナスの光が、わずかに揺れる。


『……いやな感じ……すごく』


「迷うなよ。斬るしかない」


カイルがレインに向けて言った。

次の瞬間。

ズズ……と地面が軋んだ。

黒い霧が渦を巻き、中心からそれが現れる。

巨大な木のような身体。だが、その表皮は腐り、裂け、黒く濁っている。枝のような腕が歪に伸び、地面に触れるたびに腐食が広がる。

そして胸の奥に黒く濁った核が、脈打っていた。


「……あれが原因か」


カイルが呟く。

その時レインは気づいた。

裾の隙間からカイルの腕に、わずかに黒い筋が浮かんでいた。

だが本人は、それを気にする様子もなく剣を構える。


「……カイル、それ」


「気にするな。長くいれば死ぬだけだ。だから短時間で終わらせる」


レインは何も言わずに理解する。


(耐えてるだけか……無理をする……)


そんなことを考えていた時、ルミナスの震えた声が聞こえた。


『……あれ……精霊……』


レインの目が見開かれる。


「精霊……?」


『うん……でも……壊れてる……』


そのとき。


「……ォ……ォォ……」


低い声が響いた。

苦しむような、かすれた声だ。


「……森……守る……はず」


レインの胸が強く打つ。


(意識が……ある……?)


だが次の瞬間。


「グォォォォォッ!!」


咆哮と同時に、地面が爆ぜた。


「来るぞ!」


カイルが踏み込む。

レインも続いた。

腐食した精霊の腕が振り下ろされる。


「っ……!」


剣で攻撃を受ける。

瞬間、衝撃が全身を貫いた。


「がっ……!」


吹き飛ばされる。地面を転がり、血を吐いた。


(重い……!)


ただの力じゃない。触れた部分から、体力が削られるそんな感覚だった。

カイルが横から斬り込む。

無駄のない動き。


「チッ……」


小さく舌打ち。

腕の黒い筋が、少しだけ広がる。

一瞬、動きが鈍る。


「……問題ない」


自分に言い聞かせるように呟く。


「核を狙え!」


カイルが叫ぶ。


「それ以外は意味がない!」


レインは立ち上がる。

足が震える。それでも、前を見る。


(あそこだ……!)


踏み込む。

だが小さな光が無数に現れた。


「……っ!?」


精霊の周囲に、小さな精霊が出現する。

だがその姿は歪んでいた。

濁り、裂け、黒く染まっている。


「邪魔だな」


カイルが一瞬で三体を斬り落とす。


「レイン、道を作る!」


ルミナスが言った。


「任せた!」


レインは一直線に核を狙う。


「ぐっ……!」


小精霊が身体に絡みついてきた。

視界が歪む。


(意識が……削られる……!)


『レイン!』


ルミナスの光が強くなる。

黒が弾かれる。


『今!』


「──ああっ!!」


全力で踏み込み、剣を振るった。


「っ……浅い!」


核に届かない。

次の瞬間、巨大な腕が振り抜かれた。


「──っ!!」


攻撃が直撃してしまった。

身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。


「が……は……っ……」


呼吸ができない。

腕も、足も、感覚が鈍い。


(……立て……)


身体が動かない。

視界の端で、カイルが戦っているが押されている。


(このままじゃ……)


そのとき。


『……レイン』


ルミナスの声が、すぐ近くにあった。


『もう……一人じゃ無理』


その声は、静かだった。

責めるでもなく、ただ事実を告げる声だ。


「……ああ……」


レインは、かすれた声で答える。


「分かってる……」


血が流れ、意識が遠のく。


「でも……助けたいんだ」


精霊を見つめる。

苦しそうに歪む存在を。


「……あいつも……さっきの奴らも……」


ルミナスが、静かに揺れた。


『……消えてた』


「……ああ」


『……あれ、助かってるのかな』


レインは答えられない。


「……分からない」


正直に言った。


「でも……」


ゆっくりと息を吸う。


「苦しんだままよりは……終わらせてやりたい」


ルミナスの光が、少しだけ強くなる。


『……優しいね』


「違う」


レインは首を振る。


「見たくないだけだ」


苦しむ姿を。

それを放置する自分を。

ルミナスは、しばらく黙っていた。


『……ねえ、レイン。私と……つながる?』


空気が変わった。


「……つながる?」


『うん』


ルミナスが、ゆっくりと近づく。


『力、貸す。でも……ただ貸すだけじゃ足りない』


ルミナスの光が、優しく揺れる。


『ちゃんと、結ぶの』


レインの心臓が強く鳴る。


「……契約、か」


『うん』


ルミナスは頷いた。

だが、その表情は少しだけ不安そうだった。


『でもね……これ、軽くないよ』


「……どうなる?」


『私とあなた、少し混ざる。痛いかもしれないし……怖いかもしれない』


「……」


レインは、精霊を見る。

苦しむ存在。

崩れかけた森。


(迷う理由はない)


「……やる」


レインは意思を込めて言う。

ルミナスの光が、わずかに震える。


『……ほんとに?』


「やるって言っただろ」


ルミナスは、少しだけ笑った気がした。


『……じゃあ、ちゃんと約束して』


空気が静まる。

黒い霧すら、わずかに遠のく。

ルミナスが、レインの前に浮かぶ。


『私の光を、無駄にしないこと』


「……ああ」


「壊すためじゃなくて……救うために使うこと」


レインは、一瞬だけ目を閉じる。母の顔を思い出す。そして決意する。


「約束する」


ルミナスが、ゆっくりと手を伸ばす。

小さな光の手。


『名前、呼んで』


「……ルミナス」


その瞬間、光が弾けた。

世界が白に染まる。

静かな場所だった。

音がない。

重さもない。

ただ、光だけが広がっている。

レインは、その中に立っていた。


「……ここは」


『中だよ』


ルミナスの声がした。

振り向くと、そこにルミナスがいた。

さっきよりもはっきりとした姿だ。


『レインの中』


不思議な感覚だった。

境界が曖昧になる。


『……怖い?』


ルミナスが聞く。


「……少しな」


レインは正直に答えた。

ルミナスは、少しだけ嬉しそうに笑った。


『よかった』


「なんでだよ」


『怖いのに、逃げないから』


レインは苦笑する。


「逃げる暇がないだけだ」


ルミナスが一歩近づく。

光が重なる。


『じゃあ、最後にもう一つ』


真っ直ぐに見つめてくる。


『信じてくれる?』


「……何を」


『私を』


ルミナスへの警戒心などとうに無くなっていた。迷いはなかった。ただルミナスへの信頼がそこにはあった。


「最初からそのつもりだ」


ルミナスの光が、大きく揺れた。


『……うん。じゃあ一緒に行こう』


光が、重なる。

溶けるように。

境界が消える。


「──っ!!」


レインが目を開ける。

空気が変わっていた。

軽い。

黒い霧が、明確に押し返されている。

身体に、光が流れている。


「……成功、か」


レインはが呟き、立ち上がる。

さっきまでとは違う。


「行ける……!」


腐食した精霊が咆哮する。


「終わらせるぞ」


光を纏った剣を構える。

戦いは、最終局面へ向かう。

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