14 契約
朽ちた祭壇の奥へ一歩踏み込んだ瞬間、空気が変わった。
重く濃い。呼吸するたびに、肺の奥が焼けるように痛む。
「……いるな」
カイルが低い声で言い、剣を抜いた。
レインも剣を構えた。ルミナスの光が、わずかに揺れる。
『……いやな感じ……すごく』
「迷うなよ。斬るしかない」
カイルがレインに向けて言った。
次の瞬間。
ズズ……と地面が軋んだ。
黒い霧が渦を巻き、中心からそれが現れる。
巨大な木のような身体。だが、その表皮は腐り、裂け、黒く濁っている。枝のような腕が歪に伸び、地面に触れるたびに腐食が広がる。
そして胸の奥に黒く濁った核が、脈打っていた。
「……あれが原因か」
カイルが呟く。
その時レインは気づいた。
裾の隙間からカイルの腕に、わずかに黒い筋が浮かんでいた。
だが本人は、それを気にする様子もなく剣を構える。
「……カイル、それ」
「気にするな。長くいれば死ぬだけだ。だから短時間で終わらせる」
レインは何も言わずに理解する。
(耐えてるだけか……無理をする……)
そんなことを考えていた時、ルミナスの震えた声が聞こえた。
『……あれ……精霊……』
レインの目が見開かれる。
「精霊……?」
『うん……でも……壊れてる……』
そのとき。
「……ォ……ォォ……」
低い声が響いた。
苦しむような、かすれた声だ。
「……森……守る……はず」
レインの胸が強く打つ。
(意識が……ある……?)
だが次の瞬間。
「グォォォォォッ!!」
咆哮と同時に、地面が爆ぜた。
「来るぞ!」
カイルが踏み込む。
レインも続いた。
腐食した精霊の腕が振り下ろされる。
「っ……!」
剣で攻撃を受ける。
瞬間、衝撃が全身を貫いた。
「がっ……!」
吹き飛ばされる。地面を転がり、血を吐いた。
(重い……!)
ただの力じゃない。触れた部分から、体力が削られるそんな感覚だった。
カイルが横から斬り込む。
無駄のない動き。
「チッ……」
小さく舌打ち。
腕の黒い筋が、少しだけ広がる。
一瞬、動きが鈍る。
「……問題ない」
自分に言い聞かせるように呟く。
「核を狙え!」
カイルが叫ぶ。
「それ以外は意味がない!」
レインは立ち上がる。
足が震える。それでも、前を見る。
(あそこだ……!)
踏み込む。
だが小さな光が無数に現れた。
「……っ!?」
精霊の周囲に、小さな精霊が出現する。
だがその姿は歪んでいた。
濁り、裂け、黒く染まっている。
「邪魔だな」
カイルが一瞬で三体を斬り落とす。
「レイン、道を作る!」
ルミナスが言った。
「任せた!」
レインは一直線に核を狙う。
「ぐっ……!」
小精霊が身体に絡みついてきた。
視界が歪む。
(意識が……削られる……!)
『レイン!』
ルミナスの光が強くなる。
黒が弾かれる。
『今!』
「──ああっ!!」
全力で踏み込み、剣を振るった。
「っ……浅い!」
核に届かない。
次の瞬間、巨大な腕が振り抜かれた。
「──っ!!」
攻撃が直撃してしまった。
身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「が……は……っ……」
呼吸ができない。
腕も、足も、感覚が鈍い。
(……立て……)
身体が動かない。
視界の端で、カイルが戦っているが押されている。
(このままじゃ……)
そのとき。
『……レイン』
ルミナスの声が、すぐ近くにあった。
『もう……一人じゃ無理』
その声は、静かだった。
責めるでもなく、ただ事実を告げる声だ。
「……ああ……」
レインは、かすれた声で答える。
「分かってる……」
血が流れ、意識が遠のく。
「でも……助けたいんだ」
精霊を見つめる。
苦しそうに歪む存在を。
「……あいつも……さっきの奴らも……」
ルミナスが、静かに揺れた。
『……消えてた』
「……ああ」
『……あれ、助かってるのかな』
レインは答えられない。
「……分からない」
正直に言った。
「でも……」
ゆっくりと息を吸う。
「苦しんだままよりは……終わらせてやりたい」
ルミナスの光が、少しだけ強くなる。
『……優しいね』
「違う」
レインは首を振る。
「見たくないだけだ」
苦しむ姿を。
それを放置する自分を。
ルミナスは、しばらく黙っていた。
『……ねえ、レイン。私と……つながる?』
空気が変わった。
「……つながる?」
『うん』
ルミナスが、ゆっくりと近づく。
『力、貸す。でも……ただ貸すだけじゃ足りない』
ルミナスの光が、優しく揺れる。
『ちゃんと、結ぶの』
レインの心臓が強く鳴る。
「……契約、か」
『うん』
ルミナスは頷いた。
だが、その表情は少しだけ不安そうだった。
『でもね……これ、軽くないよ』
「……どうなる?」
『私とあなた、少し混ざる。痛いかもしれないし……怖いかもしれない』
「……」
レインは、精霊を見る。
苦しむ存在。
崩れかけた森。
(迷う理由はない)
「……やる」
レインは意思を込めて言う。
ルミナスの光が、わずかに震える。
『……ほんとに?』
「やるって言っただろ」
ルミナスは、少しだけ笑った気がした。
『……じゃあ、ちゃんと約束して』
空気が静まる。
黒い霧すら、わずかに遠のく。
ルミナスが、レインの前に浮かぶ。
『私の光を、無駄にしないこと』
「……ああ」
「壊すためじゃなくて……救うために使うこと」
レインは、一瞬だけ目を閉じる。母の顔を思い出す。そして決意する。
「約束する」
ルミナスが、ゆっくりと手を伸ばす。
小さな光の手。
『名前、呼んで』
「……ルミナス」
その瞬間、光が弾けた。
世界が白に染まる。
静かな場所だった。
音がない。
重さもない。
ただ、光だけが広がっている。
レインは、その中に立っていた。
「……ここは」
『中だよ』
ルミナスの声がした。
振り向くと、そこにルミナスがいた。
さっきよりもはっきりとした姿だ。
『レインの中』
不思議な感覚だった。
境界が曖昧になる。
『……怖い?』
ルミナスが聞く。
「……少しな」
レインは正直に答えた。
ルミナスは、少しだけ嬉しそうに笑った。
『よかった』
「なんでだよ」
『怖いのに、逃げないから』
レインは苦笑する。
「逃げる暇がないだけだ」
ルミナスが一歩近づく。
光が重なる。
『じゃあ、最後にもう一つ』
真っ直ぐに見つめてくる。
『信じてくれる?』
「……何を」
『私を』
ルミナスへの警戒心などとうに無くなっていた。迷いはなかった。ただルミナスへの信頼がそこにはあった。
「最初からそのつもりだ」
ルミナスの光が、大きく揺れた。
『……うん。じゃあ一緒に行こう』
光が、重なる。
溶けるように。
境界が消える。
「──っ!!」
レインが目を開ける。
空気が変わっていた。
軽い。
黒い霧が、明確に押し返されている。
身体に、光が流れている。
「……成功、か」
レインはが呟き、立ち上がる。
さっきまでとは違う。
「行ける……!」
腐食した精霊が咆哮する。
「終わらせるぞ」
光を纏った剣を構える。
戦いは、最終局面へ向かう。




