13カイルとの出会い
黒い霧の奥は、外とは完全に別の世界だった。
空気が重い。息を吸うたびに、胸の奥にざらついた何かが沈殿していくような感覚。足元の土は腐り、木々は黒く死にかけている。
『……大丈夫?』
隣で揺れる光が、小さく問いかけてくる。
「……ああ。さっきよりはな」
レインは短く答えた。
それは強がりではなかった。ルミナスがいる周囲だけ、霧がわずかに薄れている。
完全に消えているわけじゃない。だが確かに、身体が軽かった。
『少しだけ、きれいにしてる』
ルミナスがぽつりと言う。
『全部は無理だけど……これ、嫌い』
その声には、はっきりとした拒絶があった。
「……ありがとう」
レインはそう言って、前を見た。
この先に、原因がある。その確信だけはあった。
しばらく進んだときだった。
『……止まって』
ルミナスの声が鋭くなる。
レインは即座に足を止めた。
次の瞬間──木の影から何かが飛び出してきた。
「──来る!」
獣の形をしている。だが原型はほとんど留めていない。
全身が歪んでいる。肉が膨張し、裂け、そこから黒い靄のようなものが漏れ出していた。目は濁り、焦点が合っていない。
「……っ」
レインの喉がわずかに鳴る。
オークとは比べものにならない。
「グォォォォオオオ!!」
咆哮と同時に、地面が砕けた。
速い。
「っ!」
横に跳ぶ。直後、さっきまで立っていた場所が抉り飛ばされた。
構え直す間もなく、二撃目が来る。
レインは剣で受ける。
「ぐっ……!」
重い。腕が痺れる。
(力も桁違いだ……!)
弾かれるように距離を取る。
『レイン!』
「ああ!」
息を整える暇もない。
(やるしかない)
足に風を集める。懐へ踏み込む。
振り上げる腕の内側へ滑り込み、斬る。
「っ……!」
手応えが浅い。
肉が硬い。だが、それだけじゃない。
(再生してる……!?)
裂けたはずの傷口が、黒い靄と共に蠢き、塞がっていく。
「……厄介だな」
距離を取る。
そのときだった。
『……そこ』
ルミナスの声だ。
『胸の奥……光、ない』
「……!」
レインの目が細くなる。
(核……!)
さっきのオークと同じだ。
「ありがとう、ルミナス!」
『うん!』
方針は決まった。
あとは核を壊すだけだ。
真正面から再び踏み込む。
「グォォ!!」
振り下ろされる腕を躱さず、剣で受ける。
「っ……!」
衝撃が全身を揺らす。
だが攻撃は止めた。
「……そこだ!」
弾くように軌道を逸らし、そのまま懐へ潜り込む。
ゼロ距離で胸部へ、全力で剣を突き込む。
「はぁぁぁっ!!」
鈍い手応えがあった。
「グギャアアアアアッ!!」
化け物が絶叫した。
黒い肉が大きく裂ける。
奥に、確かにそれがあった。
黒く濁った、歪な核だ。
「終わりだ!」
風を纏わせる。
一気に振り抜いた。
核が砕ける。
「……!」
化け物の動きが止まる。
全身が軋み、ひび割れるように、崩れ始める。
「グ……ォ……」
声にならない音を漏らしながら、
身体が、少しずつ崩れていく。
砂のように。灰のように。
形を保てなくなった肉が、ぼろぼろと剥がれ落ちていく。
「……」
レインは剣を下ろした。
完全に崩壊するまで、目を離さない。
やがてそこには、何も残らなかった。
ただ、黒い灰だけが地面に散っていた。
「……終わった」
小さく呟くが安堵はなかった。
むしろ逆だった。
(こんなものが……普通に出てくるのか……)
明らかに異常だ。
そのとき。
『……人、いる』
ルミナスが言った。
「……人?」
レインは顔を上げる。
気配を探る。
確かにいた。
それも、一人じゃない。
複数。
(……戦ってる?)
音が聞こえる。
金属がぶつかる音と獣の低い唸り声。
「行くぞ」
『うん』
レインは迷わず駆け出した。
木々をぬけた先、視界が開けた。
レインは目の前の光景に目を見開いた。
「……なんだ、これ」
中央に石造りの祭壇があった。
だがそれは朽ちていた。
崩れかけた柱。ひび割れた床。長く忘れられていた場所。
その周囲に、無数の獣がいた。
黒く染まり、歪んだ身体。理性を失った目。
灰に侵された存在だった。
そして、その中心で一人の男が戦っていた。
手には短剣と長剣を持ち長剣をメインにして戦っていた。
鋭い一閃。
一体の獣の首が飛ぶ。
だが次の瞬間、別の個体が横から飛びかかる。
男は振り返りもせず、短剣で受け流し蹴りで距離を取る。
「……ちっ、数が多いな」
低く吐き捨てた。
無駄のない動き。鋭い剣筋。
冷静な判断。
一体、また一体と確実に仕留めていく。
(強い……)
だが数が多すぎる。
(囲まれてる……!)
それでも男は止まらない。
斬る。躱す。また斬る。
ただ淡々と獣を処理する。
感情がないような戦い方だった。
そのとき、一体の個体が横から飛びかかる。
男はそれを躱すが、別の個体が迫る。
間に合わない。
「……危ない!」
その瞬間、レインは地面を蹴った。
「チッ……!」
「はぁっ!!」
風を纏った一閃。
一体を斬り飛ばす。
「……何だ」
灰色の髪が無造作に揺れる。
手入れされているようで、どこか放置されたような長さ。
その下にあるくすんだ青い瞳がレインを見据える。
感情よりも先に状況を測る、冷えた視線だった。
だがすぐに視線を戻す。
「……邪魔するな」
低い声だった。
「助けたつもりなんだけどな!」
レインは吐き捨てるように言う。
「必要ない」
冷たい声だった。
「そいつらは全部、俺が処理する」
その言葉に、レインの眉が動く。
「一人で全部やるつもりか?」
「それが仕事だ」
淡々とした返答だったがどこか、引っかかる。
ほんの一瞬だけ、言葉に引っかかりがあった。
レインはそれを感じ取るが、何も言わない。
(仕事……?)
その言葉が、妙に空虚に聞こえた。
そのとき。
『……また来る』
ルミナスが言う。
レインは前を向く。
新たな化け物たちが、こちらへ向かってきていた。
「……話は後だな」
剣を構える。
隣の男も、無言で構えた。
視線は交わらない。
だが今は戦うしかないことを互いに、理解していた。
背後から獣が飛びかかる。
「後ろ!」
レインが叫ぶ。
男は反射的に身体をひねる。紙一重で回避し、そのまま振り向きざまに首を断った。
「……」
レインは男の隣に立つ。
背中合わせの形。
「残りは?」
「十二」
(正確だな……)
「いけるか」
「無理ならとっくに逃げている」
「……なら問題ないな」
レインは剣を構える。
「いくぞ」
「ああ」
同時に踏み込んだ。
──戦いが加速する。
ルミナスの光が広がる。
黒い霧が揺らぐ。
『レイン、右!』
「分かってる!」
振り向きざまに斬る。
一体、崩れる。
その横で、男は迷いなく急所を貫く。
動きに一切の躊躇がない。
(……迷わないな)
残り三体が咆哮し、突進してくる。
レインが前に出る。
「下がれ」
男の剣が一直線に振り抜かれた。
深く、正確に三体を同時に斬る。
獣の動きが止まる。
そして崩れた。
黒い身体が、砂のように崩壊していく。
「……終わったな」
レインは息を吐く。
男は剣を収めながら言った。
「まだだ」
視線は、祭壇の奥へ向いている。
レインもそちらを見る。
濃い霧が渦を巻いている。
「……中心か」
「だろうな」
そして、男が振り返る。
「カイルだ」
男が名乗った。
「レイン」
互いに名を交わす。
カイルはレインをじっと見る。
「……こんな場所まで来るとはな」
その目は冷静だった。
「目的は?」
「異変の原因を探す」
レインは答える。
カイルはわずかに間を置き言う。
「同じだろ」
「違う」
即座に否定された。
空気が少し張り詰める。
「お前は助けるつもりで来てる」
カイルの視線が鋭くなる。
「顔に出てる」
「……そうかもな」
レインは否定しない。
「やめておけ」
カイルが言う。
「ここにいる連中はもう戻らない」
その言葉は、妙に重かった。
ただの知識じゃない。
(経験……?)
「戻る可能性があるなら試すべきだ」
「無駄だ」
カイルの声が少しだけ強くなる。
「そうやって迷ったやつから死ぬ」
風もないのに、空気が揺れる。
ルミナスが、わずかに不安そうに光る。
「……それでも」
レインは目を逸らさない。
「全部を見たわけじゃない」
カイルの眉が、ほんのわずかに動く。
「……戻った例を、俺は知らない」
低い声だった。
その一言に、重い何かが乗っていた。
「だから斬る」
迷いはない。
だが完全に無感情でもなかった。
ほんのわずかに、押し殺したものが滲んでいる。
「……俺は斬らない」
レインは短く、はっきりと言った。
カイルは数秒だけ沈黙し言う。
「……好きにしろ」
それ以上は踏み込まなかった。
価値観は交わらない。
だが敵でもない。
「一人で行くのか」
レインが聞く。
「ああ」
「なら」
一瞬だけ間を置く。
「一緒に行かないか」
カイルの目が細くなる。
「……正気か?」
「合理的だろ。数が増えれば生存率も上がる」
カイルはしばらく考え言う。
「……足は引っ張るな」
「お互い様だ」
共闘が決まった。
ルミナスがカイルの周りをぐるぐる回っていたそのとき。
「……?」
カイルが眉をひそめる。
「今、何か……」
胸に手を当てる。
だがすぐに首を振る。
「……気のせいか」
レインは何も言わない。
「行くぞ」
カイルが先に進む。
レインも続く。
朽ちた祭壇の奥へ。
その先にいるのは原因に最も近い存在だった。




