第15話 マチルダの防衛バリア、物理的に騎士団を弾き返す
「賢明な判断だ。歓迎するよ」
アルドがそう言い、騎士たちを招き入れるために結界を一部解除しようと魔力を練り上げた、まさにその瞬間だった。
シルヴィアの背後に控える20名の騎士たち。その全員が、彼女のように冷静で理知的なわけではなかった。中には、ジルク大臣の息がかかった狂信的な派閥の者たちが数名混ざっていたのだ。
彼らにとって、アルドは王都の威信を傷つけた大逆人であり、こんな辺境で余裕の笑みを浮かべていること自体が許しがたい侮辱だった。
「副団長! 騙されてはなりません! 奴の言葉は我々を油断させるための罠です!」
シルヴィアが武装解除を命じ、馬へ武器を置きに行こうとするフリをしていた一人の若い騎士が、血走った目で叫んだ。彼は隠し持っていた短杖を素早く引き抜き、結界の向こう側にいるアルドへと向けた。
「やめろ! 命令違反だぞ!」
シルヴィアの制止の声も虚しく、若い騎士の短杖から高圧縮された炎の球が放たれた。それは王都の標準的な攻撃魔法の数倍の威力を持った、明確な殺意の塊だった。
「アルドさん!」
背後でリーリャが悲鳴を上げる。
だが、アルドは腕を組んだまま、避ける素振りすら見せなかった。彼の横では、マチルダのシステムがすでに脅威を感知し、自動防衛プロセスを完了させていた。
炎の球がアルドの顔面を捉える直前。
解除されかかっていた空間の歪みが瞬時に強固なものへと戻り、青白い六角形の幾何学模様が空中に分厚く浮かび上がった。マチルダが展開している絶対防衛の結界である。
――ドンッ!!
炎の球は結界に激突した瞬間、あっけなく霧散した。熱も、爆風も、アルドの衣服の裾すら揺らすことはない。
それだけではない。結界は攻撃のエネルギーを完全に吸収し、即座に「物理的な衝撃波」として撃ち手へと反射したのだ。
「ぐわぁっ!?」
魔法を放った若い騎士は、目に見えない巨大なハンマーで殴られたかのように宙を舞い、数メートル後方の荒野に激しく叩きつけられて気を失った。
『警告。敵対的魔力反応を感知。対象の排除プロセスに移行しますか、マスター?』
マチルダの冷徹なシステム音声が響き、二門の対消滅砲が再び不気味な駆動音を立てて騎士団全体にロックオンの赤い照準を合わせた。
「待て、マチルダ。威嚇だけでいい」
アルドが静かに命じると、砲口の光がスッと収まった。
「な、なんだ今の魔法防壁は……!?」
シルヴィアは驚愕に目を見開いていた。近衛騎士団の全力の攻撃魔法を無詠唱で完全に無効化し、あろうことか物理的な反撃まで自動で行う結界など、王都の最高峰の魔導技術を集めても絶対に不可能だ。
この男は、一体どれほどの技術を隠し持っているというのか。
「言ったはずだぞ。妙な真似をすれば、後ろの鉄の塊が黙っていないと」
アルドが冷ややかに言い放つと、シルヴィアは弾かれたように姿勢を正し、部下たちに向かって声を張り上げた。
「全員、今すぐ剣と杖を地面に置け! 馬に置きに行く隙すら与えん! 次に私の命令に背いた者は、大逆罪として私がこの場で斬り捨てる!」
副団長の凄まじい気迫に押され、騎士たちは次々と武装を解き、砂埃の舞う地面に武器を投げ捨てた。
シルヴィアは深く深呼吸をすると、アルドに向かって真っ直ぐに歩み出た。
「アルド・アークライト殿。部下の不調法、心より詫びよう。だが、私には王都の真実を確かめる義務がある。部下たちは丸腰で外に待機させる。私一人で、単身その結界内に入らせてもらいたい。……武器は置いていく」
彼女は腰に帯びていた愛剣を外し、その場に置いた。
いかなる時も剣を手放さない近衛騎士にとって、それは最大の譲歩であり、これ以上敵対する意思はないという覚悟の表れだった。
「……いいだろう。あんたのその真っ直ぐなところは、昔から嫌いじゃない。入ってこい」
アルドが今度こそ結界を一部解除し、シルヴィアだけを内側へと招き入れた。
一歩、結界の内側に足を踏み入れた瞬間。
シルヴィアは、外の過酷な環境から完全に切り離された、信じられないほど穏やかな空気に全身を包まれた。
肌を刺すような乾燥した風はピタリと止み、澄み切った清浄な空気が肺を満たす。足元には見たこともないほど柔らかく豊かな黒土が広がり、温泉の微かな硫黄の香りと、どこか懐かしい木の温もりが漂ってくる。
(なんと満ち足りた空間なのだ。これが本当に、あの死の大地の一角だというのか……?)
呆然と立ち尽くすシルヴィアの前に、リーリャが冷たい水滴のついたグラスを乗せたお盆を持ってやってきた。
「あの、長旅でお疲れですよね。冷たいハニーレモネードです。どうぞ」
「あ、ああ……かたじけない」
シルヴィアは震える手でグラスを受け取り、一口飲んだ。
強烈なレモンの酸味と蜂蜜の優しい甘さ、そして微炭酸の爽快感が、疲労と緊張でカラカラに乾いていた喉と心を、一瞬にして潤していく。
「……美味しい」
厳格な騎士の顔が崩れ、年相応の女性の柔らかな表情が浮かんだ。足元では子犬のレオが、ぽてぽてと近づいてきて彼女のブーツの匂いを嗅ぎ、嬉しそうに小さな前足を乗せて挨拶をしてくる。
「王都のインフラが崩壊したのは、俺のせいじゃない。後任の魔導師が俺の残したマニュアルを無視して、魔力を暴走させた結果だ」
アルドは肩をすくめて言った。
「俺はここで、静かにスローライフを送っているだけだ。国家反逆なんて面倒なことを企てる気は、微塵もない」
シルヴィアはグラスを両手で包み込みながら、深く頷いた。
「ええ。この美しく平和な場所を見れば、貴殿にそんな野心がないことなど一目でわかります。……ジルク大臣の言葉を少しでも信じた私が愚かでした」
誤解が解け、和やかな空気が流れ始めた、その時だった。
「せーんーぱーい!!」
ログハウスの奥から、ララがドタドタと足音を立てて駆け寄ってきた。
彼女はシルヴィアの存在など意に介さず、アルドの太い腕にガシッと抱きついた。
「ララ? お前、図面の清書はどうした」
「もう終わらせましたよ! それより先輩、今日は午後から、リゾートの新しい景勝地を探すために、二人で視察に行く約束でしたよね! デートですよ、デート!」
「デートって……ただの周辺の地形調査だろうが」
「私にとっては立派なデートです! さあ、騎士様のおもてなしはリーリャちゃんとドワーフさんたちに任せて、私たちは行きましょう!」
ララは有無を言わさぬ力でアルドの腕を引っ張る。
しかしアルドは、大きくため息をついてその場から動かなかった。
「おい、ちょっと待て。いくら誤解が解けたとはいえ、国家反逆罪で俺を捕縛しにきた騎士団の副団長を、リーリャたち非戦闘員のそばに放置して俺が出かけるわけにはいかないだろうが」
アルドのその言葉には、家長として「家族」を守るための冷徹なまでの警戒心が宿っていた。
そのアルドの懸念を察し、シルヴィアはスッと居住まいを正した。
「アルド殿の仰る通りだ。ならば、私もその視察に同行させてはもらえないだろうか。貴殿の領地がどのような場所か、より深く知るための調査として。……もちろん、丸腰のままで構わない」
シルヴィアの申し出に、アルドは少しだけ考え込み、やがて頷いた。
「……まあ、俺の目の届くところにいてくれるなら、その方が安心だ。一緒に行くか」
「ええー!? 私と先輩の水入らずのデートだったのに!」
ララが不満げに頬を膨らませたが、アルドに頭をポンポンと撫でられると、あっさりと「まあ、先輩がそう言うなら仕方ないですね!」と機嫌を直した。
かくして、アルド、ララ、そして近衛騎士団副団長シルヴィアという奇妙な三人組は、拠点周辺の地形調査へと向かうことになったのだった。
★★★★★★★★★★★
アークライト温泉リゾートの敷地から少し離れた、緑豊かな小高い丘の上。
マチルダの土壌改良の手が入ったその場所は、見渡す限りの草原に色とりどりの小さな花が咲き乱れていた。遠くには、温泉の源泉から引かれた余剰な湯が、小さな川となってキラキラと輝きながら流れている。
「わぁ……! 先輩、ここすごく景色がいいですね! コテージの窓からこの景色が見えるようにすれば、セレブたちも大喜び間違いなしですよ!」
ララは満面の笑みで丘の上を駆け回り、両手を広げて深呼吸をした。
「そうだな。お前の営業計画通りに進めるなら、この辺りもきちんと整地して、散歩道でも作るか」
アルドは丘の斜面に腰を下ろし、心地よい風に吹かれながらララの姿を見つめた。
王都時代、地下の薄暗い管理室で、いつも大量の書類と格闘して目を赤くしていた彼女の姿を思い出す。今、太陽の光を浴びて無邪気に笑うララは、別人のように活き活きとしていた。
「ララ。お前、本当にここで良かったのか?」
アルドの突然の問いかけに、ララは小走りで戻ってくると、彼の隣にちょこんと座った。
「どういう意味ですか?」
「お前は一応、貴族の娘だろう。没落寸前とはいえ、魔法省で真面目に働いていれば、いつかまともな結婚相手を見つけて、安定した暮らしができたかもしれない。こんな何もない辺境に来ることはなかったんじゃないかと思ってな」
アルドの言葉に、ララは少しだけ口を尖らせた。
「先輩。私が王都でどんな扱いを受けていたか、知ってるくせに。大雑把な火球しか撃てない貴族たちから『魔力なしの役立たず』って見下されて、毎日雑用ばかり押し付けられて……。私を『優秀な助手』として扱ってくれたのは、先輩だけだったんですよ」
ララは膝を抱え、遠くの景色を見つめながら続けた。
少し離れた場所で、シルヴィアも静かに二人の会話に耳を傾けている。
「先輩が作るインフラは、派手な魔法なんかよりずっと凄くて、ずっと人々の暮らしを支えていました。私は、そんな先輩の仕事に憧れていたんです。だから、先輩が追放された時、私の居場所も王都からなくなりました」
彼女はそこで言葉を区切り、アルドの顔を真っ直ぐに見上げた。
その瞳には、かつての「助手」としての尊敬だけでなく、一人の女性としての淡く、しかし確かな熱が宿っていた。
「ここには、私の居場所があります。先輩がいて、リーリャちゃんがいて、マチルダママや職人さんたちがいて。毎日美味しいご飯を食べて、新しいリゾートを作る目標がある。……私、今が一番幸せです」
ララの迷いのない言葉に、アルドは少しだけ目を丸くし、やがて優しく微笑んだ。
「そうか。お前がそう言ってくれるなら、俺も嬉しいよ。これからも、俺の一番弟子として、頼りにしてるぞ」
「一番弟子であり、最強の営業マンであり、そして……いずれは一番のパートナーにも、なってみせますからね!」
ララはえへへと笑い、アルドの肩にそっと頭を乗せた。
「おいおい、調子に乗るなよ」
アルドは呆れたように言いながらも、彼女を突き放すことはしなかった。
そのやり取りを少し離れて見ていたシルヴィアの胸の奥に、チクリとした奇妙な痛みが走った。
王都で誰にも評価されず、ただ黙々と人々の生活を支え続けていたアルド。彼の不器用で誠実な背中を、自分もまた密かに尊敬していたはずだった。だが、すべてを捨ててまで彼を追いかけてきたララのような真っ直ぐな行動力を、自分は持っていなかった。
(……私はいったい、何に胸をざわつかせているのだ)
シルヴィアは自分の中に芽生えた無自覚な感情を振り払うように、小さく首を振った。
心地よい風が吹き抜け、花々の香りが三人包み込む。
騎士団の襲来という思わぬ騒動はあったものの、辺境での慌ただしくも温かい日常は、こうして静かに過ぎていくのだった。
「さて、そろそろ戻るか。残してきた連中が、ドワーフたちの宴会に巻き込まれていないか心配だ」
「あはは! 確かに、今頃ガズさんたちにビールもどきを飲まされてるかもしれませんね!」
アルドが立ち上がり、ララが笑い声を上げる。
「シルヴィア副団長も、戻ってゆっくり風呂にでも入っていくといい。長旅の疲れが吹き飛ぶぞ」
アルドの飾らない大人の余裕に、シルヴィアは思わず顔を赤らめ、「し、失礼する……」とだけ答えて俯いた。
開拓地に吹き込む新たな風は、アルドの日常をさらに彩り豊かにしていく。温泉リゾートの完成に向けて、彼らの歩みは止まらない。




