PART.10 『彼は望んでいません』
家に帰ると影山君は非常に疲れた様子で肉を冷蔵庫に入れ始めた。どうにも、あそこまで多くの人の視線を浴びることがなかったらしい。基本いつも周りの人から視線を浴びるが、別に殺意も何もないから無視してるとのこと。やっぱり彼は彼だ…ブレない。
「あ、そう言えばエプロンとかありますか?あっちにいるときはいつもしていたんですけど、焼けちゃって…。」
「あ、そこに私のがあるけど使う?」
「あ、それで大丈夫です!それでお願いします!」
「…あ、って、なんでこんなにはじめに言ってるんだろうね。」
「…確かに、そうですね。とはいえ、僕は普段からこうですし…。」
「そうなんだ…。はい、これ。」
「ありがとうございます。(その内自分で買おう…。)」
私が持って行ったのは黒い男女共用のエプロンで、基本的に背が高い人でも使えるようにできている。まあ、私はそこまで背が高いわけじゃないからって言ったら、周りからは『背が高い』とか言われてちょっと傷ついた。私は背が低い方が魅力あると思ってるの!って、そう言ったら、またいろいろと言われちゃって…。『ああ言えばこう言う』ってこういう時に使うんだね。
で、影山君は今エプロンを手慣れた様子で身に付け、包丁を取り出して残り物の玉ねぎを切っている。小さいブロック状?に切ってボウルに移し、ひき肉もそこに入れている。そして僅かに醤油(減塩)や胡椒なんかを少しずつ入れていき、手ですぐに形を整え、油を引いたフライパンにそれを乗せたところで少し用事が入ってしまった。私は二階の自室でマネージャーとの打ち合わせをすることになった。
ふぅ、結構長くなっちゃったけど、打ち合わせが終わった。ああ、疲れた、と言っていたところで「ご飯できましたよ!」という影山君の声が聞こえた。少し急いで下に降りるとハンバーグが少し多めに盛られているお皿があり、その横には空のお皿と何やらソースが入った三つのお皿があった。大根おろしが入ったお皿と、デミグラスソースらしいソースが入ったお皿、緑色の何かと黒い液体が入ったお皿があった。これは、わさび醤油?
私が「すごく美味しそう!」と素直に感想を言うと少しだけ照れくさそうな顔をしながら、
「初めて振舞う食事ですし、本気で作りました。どうぞ、召し上がれ。」
というので、影山君も食べるんでしょ、と言い返す。自分が食べる用のお皿を用意しているが自身が食べようとしていなかったことにちょっとだけ不信感と『抜けている』という感想を持ち、それぞれが食卓に着く。
「「いただきます。」」
まずは彼がどうやって食べるのかを見た。彼はそのままソースもつけずにハンバーグの味だけを楽しむようだ。でも、空の皿で半分ほどに割ってから食べている。
「うん。ほんのちょっと焦げてるかな、まあ、美味しいくらいに済んでる苦みで助かった。」
少し小さい声で何かを言っていたので、私も味が気になって口に含む。
「ん!美味しい!えっと、これってさっきの肉で作ったの?」
思わず当たり前のことを聞いてしまい、少しだけハッとしながらも彼の反応を見る。彼は親切に答えてくれるものの塩対応に近い反応をしている。
「これが毎日食べられるなんて幸せね~。」
そんな言葉を呟いた。自然と、他意もなく。ただただこの美味しいものが食べられるという時間が永遠に続くように思えた。
しかし、彼の表情はすごく険しく、涙すら溢れそうなほど悲しい目をしていた。
「…そうですね。」
やっとその言葉を口にした後で強引に話を変える。
「あ、このソースは?」
我ながら非常に残念な話題の転換だと思う。けれど、彼はその意図に気付いたのか気付いていないのか、すぐに話を切り替えた。
「右からわさび醤油、ショウガをベースに作ったもの、あとは定番のデミグラスソースですね。」
わさび醤油…。普通はハンバーグには使わない調味料だ。けれど彼は意外にもこのハンバーグに合うと言っている。
ええいままよ!とわさび醤油を付けて口にハンバーグを放り込む。ちなみに四分の一にカットしてある。
その瞬間、意外なことが起きた。
肉汁が溢れるのは先ほどのハンバーグと変わらない。いや、それだけでも凄いのだが、このハンバーグの肉汁にわさび醤油が良い感じのアクセントになっていて、意外にも美味しかったのだ。ツンとしたあのにおいも意外と肉汁とマッチしていた。肉の臭みが綺麗に消えているのもいいかもしれない。
美味しい、と言うと彼は『下ろした方がチューブの奴より美味しい』ということを言い、それにすぐに乗っかったは良いものの『わさびが無い』と言われてしまった。それでも、次のハンバーグの時には買って作ってくれるという約束をしてくれた。
あ、これは食事の後の話になるんだけど、『わさびは下ろした直後に炊き立てご飯に乗せて醤油をかけて食べるのがすごく美味しい』という話を聞き、すごく食べたくなった。
…一応私の名誉のために言っておくと、食いしん坊キャラじゃないから!基本的にはあまり多く食べないから!なんか知らないけれどこのハンバーグすごく美味しいだけだから!…そういえば、確かシェフの弟子入り志願を断ったとかいう話があったと思い出す。家庭料理レベルの調理しかしていないはずなのにそこまで行けるのがおかしいとは思うけど、彼はそういう特性みたいなのがあるっぽい。
そんな感じで夕食は終わり、夕食後は彼が歯ブラシを買い忘れたのでフロスと口濯ぎだけしてもらい寝てもらった。出来たら明日のうちに買わないと…。
そうこうしていると、マネージャーから電話がかかってきた。マネージャーには彼のことを伝えてある。仕事に関わるようなことにはならないと伝えてはあるけど、それでもやっぱり心配だ。どうにも、彼が何かやらかすとは思わないけれど、彼の母親が居場所を特定して来たらもう終わりだ。流石にそんな大胆な殺人事件は起こさないはずだけど…。
この電話は夕食前の用事の続きだ。
「私は彼を芸能界に入れることを推奨します。」
「え、何でですか?」
マネージャーは私が予想していなかったことを言ってきた。反射的に「何で」と言い返してしまう。
「彼は確かに今危険な状況です。でも、あなたの家にいると大スキャンダルになりますよ?それに、芸能事務所も彼の写真はすでに持っています。実は何度かスカウトしようとした人のリストに入っていました。」
「ああ…確かに彼はルックス的にスカウトされるわね…。」
彼自身の顔は比較的整っていて、多芸多才な点は芸能界に必須だろう。多くのスカウトが来ても仕方ない。実際、入れば即戦力になること間違いない。私が見ても『原石』だと分かる逸材だから。
でも…。
「いえ、それは彼が望んでいません。」
知らぬ間にそう答えていた。
その後、スキャンダルを恐れない、自分を曲げない決意を述べるとマネージャーは折れたのか「はぁ」とため息一つ。
「分かりました。ですが、そんなあなたにこう言う仕事が届いています。内容が、『密着、冴島友里宅』となっていて、少なくとも影山君がテレビに映る危険性があります。あなたの家はすでに特定されていますし、このままでは居場所もバレて危険です。」
「分かりました。日時は何時ですか?」
「明日です。」
「…マジですか。」
「マジです。」
「…出来ればあまりツッコんでこない人が来ることを祈りましょう。」
「…私もそうであってほしいです。」
その後、同性同士の他愛ない会話をして通話を切り、明日の密着にどう備えるかよく考えることになった。




