知識の吸収② 同郷の残滓
――さっきの受付の人が、何やら俺の横から本を覗き込んできた。
そのせいで、女性の横顔がすぐ近くに迫る。そして鼻をくすぐるような甘い香りが仄かに漂ってきて……年甲斐もなくドキドキとしてしまうのは仕方ないことだろう。何せ女性の顔は恐ろしく整っており、思わず見惚れてしまうほどの魅力を振りまいているからな。
「……へぇ、大進行の歴史書を読んでるなんて物好きねぇ。それを好き好んで自分から読む人なんてそうそう居ないわよ? 」
「――ハッ! そうなんですか……ってあれ? さっきの受付の方ですよね。仕事は大丈夫なんですか?」
「えぇ、司書補にさっき預けてきたわ。ご心配なさらずとも結構よ」
「司書……補? たしか司書の仕事の補助をする役職でしたっけ?」
「まぁ、そうなるわね。ちなみに私はこの図書館の司書を務めているわ」
「へぇ、司書を……って司書? じゃあ何でさっき受付をやってたんですか?」
「書類の仕事も片付いて暇だったのよ。それに……図書館に来る人がほとんど居ないのよねぇ」
そう言う司書の女性はいかにも「困ったものだわ」と言いたげな表情をしている。一応仕事が片付いたと言っていたし、暇になってしまう気持ちはわかる。……だが、正直仕事が暇だからって受付に入るのはどうかと思うな。
まぁ、俺がとやかく言う話ではないし別にいいか。それよりも気になるのは図書館に来る人が少ないっていう話だ。この大きさでは書籍数も相当なものだろうに、何故司書がぼやく程に来る人数が少ないのだろうか?
……そう思っている俺に気付いているかのように、彼女は話し始める。
「そもそも本を読みに来ても、学者や他国から来た人間ばかりなのよねぇ……」
「へぇ……それじゃあ自国の人はあまり来ないんですか?」
「えぇ、学園とかに入った人間や他の富裕層以外は……文盲率が高いのよ。商業に携わる人間に関しては文盲では生計を立てられないから別としてね」
「――文盲ですか。それはまた難儀ですね……」
「本当に嘆かわしいことだわ……本を読むことで得られる知識は一生物なのに手に入らないのは実に大きな損失よ? あなたも勿体無いとは思わないかしら?」
――そうだな。本を読むことで色々な知識が取り込まれて、良くも悪くも人格が左右されるほどの影響をもたらすこともある。それほどまでに本というのは人にとって重大なものだ。それに触れる機会がないのは……あぁ、本当に勿体無い。
「……えぇ。私もその通りだと思いますよ。本が読めないだけで、見る世界が変わってしまいますからね」
「分かってるじゃない! ――私、貴方のこと気に入ったわ。私は"レクテューレ"よ。貴方の名前を教えてもらえるかしら?」
「え? あぁ、シアといいます」
「シア、ね。教えてくれてありがとう。……そういえば、今日は大進行のことを調べに来たのかしら? 他に調べることはある?」
「あー……変な話ですけど、常識を勉強しに来ました」
「常識?」
「えぇ、大進行、言語、地理、後は魔獣とか魔族に関してですかね?」
「……やっぱりあの子に似てるわ」
「あの子? ……誰に似ているんですか?」
「ずっと前……そう、ずっと前に会った子も貴方と同じで地理やら言語、魔獣について知りたいって言っていたのよ。――かれこれ230年くらい前だったかしら?」
「にひゃ?!」
……今彼女はなんて言った? 230年前とかって聞こえたんだが。
思わず声が上ずってしまったのを誰が責められようか。だって200年だぞ、信じられるわけがないだろう? だから、俺の顔が驚愕に彩られているのも不可抗力だ。
「は? 200って……え? 」
「ふふっ、その反応も懐かしいわぁ……あの子は私の歳を聞いてその反応をしてたわねぇ」
「そりゃあ200年と聞けば誰だって驚きますよ……って"歳"? ……ということは現時点で200年以上は生きているって言うことですよね?」
「えぇ、私達の種族は寿命がすごく長いのよ。さすがに"エルフ"って名前くらいは聞いたことがあるでしょう?」
「エルフ? ……私の知る限り、森のなかに住んでいる種族で耳が特徴的な種族だと」
「うーん……当たらずも遠からずって感じ。そうねぇ……耳が特徴的っていうのは、まぁその通り。人間と少し形が違うのは確かよ」
――そう言いながらレクテューレは自分の髪をかき分け、耳を見せてくれた。
その動作がやけに色っぽく見えるのは何故だろう? もしかするとそう感じるような魔法が行使され ……いやいや、それよりも耳の形を確かめなければいけないな
確かに少々尖っており人間とは異なった形をしているが、それほど長いというわけではないようだ。少し尖っている程度で、ぱっと見そこまで気にならないな。
……元の世界でもエルフというものは聞いたことがある。確かアジアではとにかく長い耳で、西洋では尖っている程度でそこまで長くない……みたいに認識が異なるんだったか?
「確認できたかしら? あとは住んでいる所が森っていうのは別に間違いじゃないわ。私みたいに外に出てくる人間もいるからその限りではないっていうだけね」
「なるほど。教えてくださりありがとうございます」
「まぁ、本が読みたくて外に出てきたのは私くらいだと思うわ。私の仲間はあまり本を読まなくてねぇ……話が合わなかったのよ。――皆は今どうしているのかしら?」
レクテューレはぼやくように……そして懐かしむようにそう口にした。その寿命の長さからして仲間たちと別れたのは随分前なのだろう。懐かしむ気持ちもわかる、俺も永遠の別れを……まぁ、今思っても仕方ないか。
それより気になるのはレクテューレの年齢だが……
「えっと、それじゃあ今のご年齢……いや、やっぱり何でもないです」
「ふふっ、女性の歳を聞かないのは良いことよ?」
「あ、あはは。一瞬聞きたくなりましたが、流石に失礼かと思って。……ちなみに、その子の名前とかって教えては……貰えませんよね?」
「……良いわ、教えてあげる。これも何かの縁だと思うわ。――そうね、このことは他言無用よ? 言ったところで誰かはわからないだろうけど」
「わかりました。他人に言わないことを誓います」
「なら良いわ、教えてあげる。その子の名前は、
――『サクラ』よ。可愛らしい女の子だったわ」
――サクラ……「桜」? もしかして転生者か?!
「――サクラさん、ですか?」
「えぇ、なんだか随分と大人びた子だったわ……まぁ私の年を聞いた時の反応は歳相応だったけど」
「へぇ。でも200年前ってことは――もう亡くなってますよね?」
「えぇ……サクラは人族だったし多分亡くなったんじゃないかしら。何故、仲良くなった人っていうのは直ぐに居なくなってしまうのかしらね?これだから長寿っていうのは嬉しくないのよ、まったく……」
……流石に200年以上生きることなんて不可能だろうな。
人間の平均寿命は80年位だし、長く生きても100年くらいだ。
もちろん元の世界の話だから此方とは違うだろうが、医療技術を考えるとそれよりも短いと思う。魔法があるから怪我などでは死ぬ可能性が低くなるとは思うが、金銭面から考えても確実とはいえない。そもそも怪我をしてから治療院へたどり着けるかという問題もあるしな。
それにしても、さっきのレクテューレの言葉は何か引っかかる。
別にさっきの発言に関しておかしな部分はなかったと思うが俺は何で気になってるんだろうか? 別に人族だっていうのはおかしくないし、亡くなったかもしれないっていうのもおかしく――ん?「かもしれない」って言ったのか。
――あぁ、そこに引っ掛かったんだ。
だって「多分亡くなったんじゃないか」って言うのは表現としておかしくないか? そもそも200年も生きているわけ無いだろ。人族なんだから既に亡くなっているはずだ。
「多分、なんですか? 200年も経ったのなら普通は亡くなってるんじゃ」
「うーん……初めて会った時から10年位はよく会ってたんだけど、その本に書いてある200年前の大進行の時に会った以来姿を見ていないのよねぇ……私も大進行の後、個人的に探してはみたのよ? それも必死にね」
「そうなんですか……」
「まぁ、もう亡くなっているんでしょうね。仕事しながら、せめて居なくなる前に一方的でもいいから別れの挨拶くらいして、なんて思ってたけど」
「……レクテューレさんはその時からこの図書館に司書として勤務していたんですか?」
「えぇそうよ。……まぁ、最後に会った場所は図書館じゃなくて戦場だったわ。私も一応大進行の戦線に参加していたの、ギルド員側でね」
――戦場で会った?
ということはサクラさんもギルドに登録しているということだろう。だが、レクテューレは戦闘ができるのか? レクテューレはエルフ……使うのは魔法か?
……そんなことを思っているのが、顔に出てしまったらしい。
「あら、私だって一応戦えるのよ? 本の中には魔法書なんてものもあるしエルフは元より魔法に長けているから、魔法を使った戦闘は得意分野なわけ」
「なるほど、だから前線で戦闘を……」
「納得できた? ……それで、私も魔獣を殲滅しながら歩いていたんだけど――辺りに魔物の亡骸が散乱する中、サクラが立っているのを見かけたのよ」
「へぇ……」
「少し話をして、お互い討伐に向かうために別れたわ。それで、去り際にサクラがなにか言ったんだけど……私にはわからない言語だった」
「わからない言語?」
「えぇ。種族ごとに固有言語があるから色々な言語を覚えたけれども、サクラが去り際に発した言語は、本で見たことも無かった。それ以前にも時々サクラが話してはいたけど私には理解できていなかったのよ」
「……ちなみにどんな感じに発音していたか覚えてますか?」
「えっと、少し曖昧だけど……んんっ、『さ』『よ』、『なら』……かしら。言語っていうのは聴くだけだと、単語の切れる部分がわからなくて苦労するわ」
――やっぱりサクラは日本人だったんだな。
それにしても、日本語を聞くと違和感があるのはなんか変な気分だ。恐らくレクテューレには「さよなら」っていう「音声」は聞こえているけれどもその意味が理解できていないのだろう。
――そういえば確か貰った能力で意識的に日本語を発音できるんだっけか?
どうせならここで確かめてみよう。レクテューレになら日本語が話せることを知られても別に良い。分かったところで何か問題があるわけじゃないだろうしな。それに、このことはレクテューレに伝えないといけないと思う。
「なるほど。……コホン、『さよならって言ったんですか』?」
「――?! 『さよなら』は聞こえたけどその後は何?! もしかしてその言語をシアは喋れるの? その言語は何?!」
「うおっ?! ちょっと落ち着いて!」
「落ち着いて居られるわけがないわ。知らない言語よ?! それに、色々な本を読んできた研究者としての探究心が――
……いや、サクラが残した最後の言葉、その意味を知れるのよ」
――やっぱり、別れの挨拶は……レクテューレには伝わってないんだな。
だったらそれを伝えるのは俺の役目だ。レクテューレは別れの挨拶が出来ていないといったが、サクラは一方的にだがそれをしている。
だって「また後で」とか「もう一度会おう」じゃなく、はっきりとサクラは「さよなら」と言ったんだ。
「……えっと、「一方的でも良いから別れの言葉を言って欲しかった」とレクテューレさんはさっき言っていましたよね。間違いはありませんか?」
「えぇ。せめて、もう別れるってことが分かれば気楽じゃない?」
「なら本当に――そう、本当に一方的ですけどその願いは叶ってるんですよ」
「――?! まさか……そんな。も、もしかして『さよなら』の意味は?」
……レクテューレの声は、震えていた。
そうだよな。せめて別れの言葉が欲しい……そう思っていた上、必死に探し回ってたんだ。それが、最後に会ったあの時にもう叶っているんだと知ったらこうなるのも理解できる。だからこそ俺は、レクテューレに伝えねばならない。
「えぇ、思っている通りですよ。『さよなら』は別れの言葉。少し砕けた言い方ですけど……「二度と会えない」という意味があります」
少しの間、レクテューレは固まっていた。何かを飲み込むように、そしてそれを無理やり納得するように頷いた後、俺にこう問いかけた。
「――ねぇ、シア。ちょっと私の話を聞いてくれる?」
「えぇ、聞かせて頂きます」
「……サクラは一番の友達と言っても過言ではなかった人よ。 私の研究を手伝ってくれたり、一緒に……食事だって行ったわ」
「はい」
「それに、少ないけど仕事が休みの時は一緒にギルドで依頼を受けたり……休みじゃない日はいつも図書館で話してた」
「……はい」
「それに、前に約束したのよ。私は寿命が長いから、二人が別れるとき……そう、もう会えなくなる時は教えてねって。待つ方は……辛いからって」
――そうだな。残される側、待っている側は辛い。
もしかしたら、ひょっこり帰ってくるんじゃないか? なんて考えが頭によぎって、それが叶わないとまた気付いた時、ひどくつらい気持ちになる。そして、それを何度も繰り返してしまう……そういうもんだ、待つ側っていうのは。
「せめて……せめて別れの言葉くらい、私の分かる言葉にしてよ
――っ、まったくサクラは、気が、利かないんだから!」
レクテューレの……いや、サクラの親友の双眸からは静かに涙が流れ落ちていた。




