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午前零時の出席簿  作者: セキマツ


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21/23

第二十一話「事故を起こした教師」

出席簿の最後のページには、一つの名前が記されていた。

高瀬蓮。

赤い文字だった。

蓮は、その名前を見つめたまま動けなかった。

旧校舎事故。

在籍者三十七名。

生存確認一名。

生存者、高瀬真。

そして、事故を起こした人物――高瀬蓮。

「……俺が?」

声が、地下室の壁に反響した。

目の前に立つ田島修一は、何も答えなかった。

「俺が、事故を起こしたんですか?」

田島は静かに眼鏡をかけ直した。

「記録には、そう書かれています」

「記録には?」

「ええ」

「じゃあ、本当は違うんですか?」

田島は答えなかった。

代わりに、出席簿の最後のページを指さした。

「高瀬先生。その名前の下を見てください」

蓮は視線を落とした。

名前の下には、細い線で囲まれた欄があった。

事故関係者氏名:高瀬蓮

事故発生日時:平成二十年十一月六日 午前零時

事故発生場所:旧校舎三階・第37観察室

事故原因:出席確認の中断

そして、その下。

責任区分:未確定

蓮は息を止めた。

「……未確定?」

田島はうなずいた。

「事故を起こした人物と、事故の責任を負う人物は、必ずしも同じではありません」

「どういう意味ですか」

「それを知るには、事故当日の記録を確認する必要があります」

田島は机の引き出しから、一本の鍵を取り出した。

小さな銀色の鍵だった。

そこには数字が刻まれている。

036

蓮は眉をひそめた。

「……三十六?」

「そうです」

「三十七じゃないんですか?」

田島は蓮を見た。

「なぜ、三十七だと思ったんですか?」

蓮は答えられなかった。

なぜだろう。

三十七。

その数字は、ずっと自分の周囲にあった。

在籍三十七名。

記録番号037。

第37観察室。

そして、三十七人の高瀬蓮。

だから、当然のように三十七だと思っていた。

田島は言った。

「先生。あなたは、これまで一度も疑問に思わなかったんですか?」

「……何を?」

「三十七という数字が、あまりにも頻繁に現れることを」

蓮は顔を上げた。

「それは……」

「偶然ではありません」

田島は鍵を差し出した。

「この学校では、ある一つの数字だけが、意図的に繰り返されています」

「……三十七」

「ええ」

田島は静かに言った。

「ですが、本当に重要なのは三十七ではありません」

蓮は鍵を受け取った。

田島は続けた。

「三十七番目が存在するために、何が三十六番目で終わったのか。」

その瞬間、地下室の奥で扉の開く音がした。

1 存在しない教室

地下室の壁に、いつの間にか新しい扉が現れていた。

先ほどまで、そこには何もなかった。

古いコンクリートの壁。

配管。

非常灯。

それだけだったはずだ。

だが今、目の前には木製の扉がある。

扉の上には、小さなプレート。

『第36教室』

蓮は田島を振り返った。

「……この部屋、さっきまでありませんでしたよね」

「ありましたよ」

「いや、なかった」

「そう思うのであれば、それが今のあなたの記憶なのでしょう」

蓮は不快そうに眉をひそめた。

「また、それですか」

「何がです?」

「記憶が違うとか、記録が書き換わるとか。もう、何を信じればいいのかわからないんですよ」

田島は黙った。

蓮は続けた。

「俺はずっと、真を助けようとしてきた。凛も、美月も、みんな何か知ってるみたいに話す。でも、誰も最後まで説明しない」

「……」

「あなたも同じです」

田島は、少しだけ目を伏せた。

「そうですね」

その返答は、蓮の予想と違っていた。

「……え?」

「あなたの言う通りです」

田島は静かに言った。

「私は、あなたにすべてを説明していません」

「どうしてですか?」

「説明できないからです」

「……」

「正確には、説明しても、あなたが信じられる保証がない」

蓮は黙った。

田島は続けた。

「ですから、今回は自分の目で確かめてください」

蓮は手元の鍵を見た。

036。

第36教室。

鍵穴に差し込む。

カチリ。

扉が開いた。

その向こうには、教室があった。

机が三十六個。

椅子が三十六脚。

黒板。

教卓。

壁時計。

どこにでもある、普通の教室だった。

ただし、一つだけおかしなところがあった。

すべての机に、白い紙が置かれていた。

蓮は一番手前の机に近づいた。

紙には、こう書かれていた。

『出席確認票』

氏名:佐伯美月

出席番号:1

確認者:高瀬蓮

蓮は隣の机を見る。

氏名:高瀬凛

出席番号:2

さらに隣。

氏名:高瀬真

出席番号:3

蓮は教室を見回した。

三十六個の机。

三十六人の名前。

だが、ここにいるはずの三十七人目がいない。

「……三十七番目は?」

田島が答えた。

「その教室には、ありません」

「どうして?」

「三十七番目は、教室の外にいるからです」

蓮は扉の方を振り返った。

そこには、誰もいなかった。

「……どこに?」

田島は、蓮を見つめた。

「あなたですよ」

蓮は息を止めた。

「……俺?」

「そうです」

田島は言った。

「この教室にいた三十六人と、それを確認する一人」

「……」

「それが、最初の三十七人です」

蓮は机の上の紙を見た。

三十六人の生徒。

一人の教師。

合計三十七人。

だが、前回見た集合写真には、三十七人の生徒と一人の教師がいた。

合計三十八人。

「……待ってください」

蓮は言った。

「写真には三十八人いたはずです」

田島はうなずいた。

「ええ」

「じゃあ、一人多いじゃないですか」

「そうですね」

「……それが、事故の原因なんですか?」

田島は、初めて表情を変えた。

「……なぜ、そう思ったんですか」

蓮は答えた。

「この学校は、存在が重複すると、誰かを消そうとする」

「……」

「だったら、三十七人しかいないはずの場所に三十八人いたら、何か起こるんじゃないですか?」

田島は、ゆっくりとうなずいた。

「その考え方は、間違っていません」

蓮は息を止めた。

田島は続けた。

「ただし、もう一つ考えてください」

「……何を?」

「三十八人目は、どこから来たのでしょうか」

2 三十八人目

教室の時計は、午前零時二十三分を指していた。

蓮は三十六枚の出席確認票を、一枚ずつ調べ始めた。

佐伯美月。

高瀬凛。

高瀬真。

そのほかの生徒たち。

全員に、出席番号が割り振られている。

一番から三十六番まで。

欠番はない。

重複もない。

「……全員いる」

蓮がつぶやいた。

「そうですね」

「じゃあ、写真に写っていた三十七人目は、誰なんですか?」

田島は教卓を指さした。

そこには、古い写真立てが置かれていた。

蓮は写真を取り出した。

例の集合写真。

三十七人の生徒と、一人の教師。

蓮は、写真と出席確認票を見比べた。

一番、佐伯美月。

二番、高瀬凛。

三番、高瀬真。

四番。

五番。

六番。

一人ずつ確認していく。

三十四番。

三十五番。

三十六番。

全員、写真に写っている。

残る一人。

蓮は写真を見つめた。

最後列の右端。

窓際に立っている、小柄な生徒。

顔は、少しだけぼやけていた。

「……こいつか」

田島は答えなかった。

蓮は写真を裏返した。

そこには、鉛筆で一つの名前が書かれていた。

高瀬蓮。

蓮は動きを止めた。

「……俺?」

写真の中央には教師がいる。

その教師も、高瀬蓮。

そして、最後列の右端にも、高瀬蓮。

同じ名前が二人。

「……そういうことか」

蓮はつぶやいた。

「教師の俺と、生徒の俺が、同時に存在していた」

田島はうなずいた。

「その通りです」

「じゃあ、事故は……」

「まだ結論を出すのは早いですよ」

田島は写真を指さした。

「その生徒を、よく見てください」

蓮は写真に顔を近づけた。

最後列の右端。

ぼやけた顔。

制服。

胸元の名札。

そこには、確かに高瀬蓮と書かれていた。

しかし、よく見ると、名札の下に小さな数字があった。

037

「……記録番号」

蓮はつぶやいた。

田島は言った。

「では、教師の方は?」

蓮は写真中央の教師を見る。

胸元の名札。

高瀬蓮。

その下に、数字がある。

000

蓮は息を止めた。

「……ゼロ?」

「ええ」

田島は静かに答えた。

「教師は、記録番号000」

「……」

「生徒は、記録番号037」

蓮は写真を見つめた。

「じゃあ、最初の蓮は教師で、三十七番目の蓮が生徒だった……」

「そういう記録です」

蓮は顔を上げた。

「でも、さっき俺自身が教師だって……」

田島は静かに言った。

「そうです」

「……矛盾してるじゃないですか」

「ええ」

田島はうなずいた。

「それが、今回の事故の核心です」

3 事故当日の録音

田島は教卓の引き出しから、一本の録音テープを取り出した。

ラベルには、こう書かれていた。

『平成20年11月6日 出席確認記録』

「これは、事故当日の音声です」

蓮は息を止めた。

「……聞けるんですか?」

「ええ」

田島は教卓の上に置かれた古い再生機に、テープを入れた。

カチッ。

雑音。

そして、男性の声。

『それでは、出席を取ります』

蓮は、すぐに気づいた。

自分の声だった。

ただし、今の自分より少し低い。

落ち着いた声。

教師としての高瀬蓮。

『佐伯美月』

『はい』

『高瀬凛』

『はい』

『高瀬真』

『はい』

次々と、名前が呼ばれていく。

蓮は目を閉じた。

教室の風景が、頭の中に浮かんでくる。

三十六人の生徒。

教卓に立つ教師。

出席簿。

窓から差し込む、朝の光。

だが、録音の日付は午前零時だった。

なぜ、朝の光が見えるのだろう。

蓮は目を開けた。

録音は続いていた。

『三十五番』

『はい』

『三十六番』

『はい』

そして、教師の声が止まった。

数秒の沈黙。

次に、聞こえたのは、困惑した声だった。

『……あれ?』

紙をめくる音。

『おかしいな』

生徒の誰かが尋ねた。

『先生、どうしたんですか?』

教師が答える。

『出席簿に、もう一人名前がある』

蓮は息を止めた。

『三十七番』

短い沈黙。

そして、教師が名前を読んだ。

『高瀬蓮』

教室が静まり返る。

数秒後。

最後列から、少年の声がした。

『はい』

蓮は全身が冷たくなるのを感じた。

自分の声だった。

今の自分と、まったく同じ声。

教師が尋ねる。

『……君は、誰だ?』

少年が答えた。

『高瀬蓮です』

『いや、そうじゃなくて』

教師は戸惑っていた。

『どうして、私と同じ名前なんだ?』

少年は、少しだけ笑った。

『だって、先生』

そして、こう言った。

『僕が本物の高瀬蓮だからです。』

録音が途切れた。

4 偽物の教師

蓮は、しばらく動けなかった。

自分と同じ名前。

自分と同じ声。

そして、自分を本物だと主張する少年。

田島は静かに録音機を止めた。

「……どう思いますか?」

蓮は答えられなかった。

「教師が本物で、生徒が偽物だったのか」

田島は続けた。

「それとも、生徒が本物で、教師が偽物だったのか」

蓮は顔を上げた。

「……わかりません」

「そうでしょうね」

田島はうなずいた。

「当時の研究員たちも、同じ結論でした」

「……研究員?」

「ええ」

「じゃあ、これは実験だったんですか?」

田島は少し考えてから答えた。

「実験として始まったものではありません」

「……?」

「ですが、事故のあと、研究対象になりました」

蓮は眉をひそめた。

「事故のあと?」

田島は、教室の壁に掛けられた時計を見た。

「先生。あなたは、事故が何だったのか、まだ知りませんね」

「……はい」

「では、続きを聞きましょう」

田島は録音機を操作した。

再び、雑音が流れる。

そして、教師の声。

『君が本物だと言うなら、私は何なんだ?』

少年が答える。

『先生は、先生ですよ』

『そういう意味じゃない』

『わかってます』

少年は静かに言った。

『でも、先生は僕のことを覚えてないでしょう?』

教師は答えない。

少年は続けた。

『僕は先生のことを覚えてます』

『……』

『だから、僕が本物なんです』

教師の声が震えた。

『何を言ってるんだ?』

少年は答えた。

『先生は、誰かに覚えてもらわないと存在できない』

『……』

『でも、僕は違う』

短い沈黙。

そして。

『僕は、誰にも覚えられていなくても存在できるんです。』

蓮は目を見開いた。

それは、前回の自分と同じだった。

真が自分を忘れても、消えなかった。

出席簿から名前が消えても、存在していた。

蓮は録音機を見つめた。

「……俺は、最初から」

田島が言った。

「そうです」

「……最初から、記憶に依存しない存在だった?」

「その可能性があります」

蓮は顔を上げた。

「じゃあ、教師の方が……」

田島はうなずいた。

「記憶によって維持される存在だったのかもしれません」

蓮は息を止めた。

それなら、話が逆になる。

教師が本物で、生徒が偽物。

そう思っていた。

だが、実際には。

生徒が本物で、教師が記録によって作られた存在だった可能性がある。

「……じゃあ、事故を起こしたのは」

蓮がつぶやく。

田島は答えなかった。

録音が続く。

5 最後の返事

『先生』

少年の声。

『もう、出席を取らなくていいんです』

教師が答える。

『どういう意味だ?』

『だって、みんな出席してるでしょう?』

『……』

『誰も欠席してない』

教師は黙った。

少年は続けた。

『だから、もう終わりにしましょう』

その瞬間。

教室のどこかで、椅子が倒れる音がした。

ガタン。

生徒の声。

『先生?』

別の生徒。

『なんか、おかしくない?』

教師が言った。

『どうした?』

『先生の顔が……』

録音に雑音が混じり始めた。

ザザッ。

ザザザッ。

『先生、顔が見えない』

蓮は息を止めた。

教師が慌てた声で言う。

『落ち着いて。全員、席に座って』

しかし、生徒たちの声は止まらない。

『先生、名前なんだっけ?』

『え?』

『先生の名前、なんだっけ?』

『わかんない』

『私も』

『先生って、誰?』

蓮は、録音機を見つめた。

教師の名前が忘れられていく。

一人。

また一人。

そして。

教師の声が、かすれ始めた。

『待ってくれ』

『……』

『私は、ここにいる』

だが、生徒たちは答えない。

『お願いだ』

教師は必死だった。

『誰か、私の名前を呼んでくれ』

そのとき。

少年の声がした。

『高瀬蓮』

教師の声が止まった。

『先生の名前は、高瀬蓮です』

短い沈黙。

そして、教師が安堵したように言った。

『……ありがとう』

少年は答えた。

『でも、先生』

『……何だ?』

『僕と同じ名前じゃ、困るんです』

蓮の背中に冷たいものが走った。

少年は続けた。

『だから、先生には別の名前をあげます』

教師が尋ねる。

『……別の名前?』

少年は静かに答えた。

『はい』

そして、こう言った。

『高瀬真。』

録音が止まった。

6 名前を奪った少年

蓮は、何も言えなかった。

高瀬真。

それは、教師に与えられた名前だった。

生徒として出席していたはずの真。

自分の兄だと名乗っていた真。

最初の欠席者だと言われていた真。

そして、教師として現れた真。

すべてが、一つにつながり始めていた。

「……じゃあ、真は」

蓮はつぶやいた。

「最初から、俺だった?」

田島は首を振った。

「正確には、あなたと同じ名前を持っていた存在です」

「……」

「ですが、名前を変えられたことで、別の記録になった」

蓮は頭を抱えた。

「……じゃあ、どうして真は自分を欠席者だと思ってたんですか?」

田島は答えた。

「名前を失ったからです」

「……?」

「出席簿に記載されていたのは、高瀬蓮という名前でした」

蓮は息を止めた。

「……あ」

「教師が高瀬真になった瞬間、その名前は出席簿から消えた」

「……」

「そして、名前が消えた教師は、欠席者として扱われるようになった」

蓮は顔を上げた。

「だから、真は出席したがってた……」

田島はうなずいた。

「そうです」

蓮は、教室の黒板を見つめた。

だが、まだ一つわからないことがあった。

「……じゃあ、事故って何だったんですか?」

田島は黙った。

「名前が変わっただけなら、どうして三十六人の生徒が……」

田島は、ゆっくりと録音機を指さした。

「まだ、続きがあります」

蓮は再生ボタンを押した。

雑音。

そして、少年の声。

『これで、先生は高瀬真です』

教師が答える。

『……そうか』

『はい』

『では、君は?』

少年が言った。

『僕は高瀬蓮です』

『……』

『これで、同じ名前じゃなくなりました』

教師はしばらく黙っていた。

そして、静かに言った。

『ありがとう』

少年は答えた。

『どういたしまして』

ここまでは、穏やかな会話だった。

だが。

次の瞬間、教師がこう言った。

『それでは、もう一度出席を取ります』

少年の声が変わった。

『……え?』

『名前が変わったからね。確認し直さないと』

『先生、待って』

『佐伯美月』

返事がない。

『佐伯美月?』

沈黙。

『……おかしいな』

教師は次の名前を呼んだ。

『高瀬凛』

返事がない。

『高瀬真』

そこで、教師の声が止まった。

『……あれ?』

少年が言った。

『先生、やめて』

『どうして?』

『もう、出席を取らないで』

教師は答えた。

『でも、確認しないと』

少年の声が震えた。

『先生、お願いだから』

そして。

『二回目の出席を取ったら、みんな消えちゃう。』

録音が途切れた。

7 二度目の出席確認

蓮は、ゆっくりと顔を上げた。

「……二回目?」

田島はうなずいた。

「そうです」

「どうして、二回目だと消えるんですか?」

田島は答えた。

「出席簿の規則です」

「……」

「この学校では、一度確認された存在を、同じ日付でもう一度確認してはいけない」

蓮は眉をひそめた。

「なんでですか?」

田島は、教卓の上の出席確認票を一枚取り上げた。

「一回目の確認では、その人物が存在することを記録します」

「……はい」

「ですが、二回目の確認では、最初の記録と照合します」

「……」

「もし、名前や役割が変わっていた場合」

田島は静かに言った。

「学校は、どちらか一方を誤った記録として処理する」

蓮は息を止めた。

「……じゃあ、真が名前を変えたことで」

「そうです」

田島はうなずいた。

「一回目と二回目の出席簿が、一致しなくなった」

「……」

「その矛盾を修正しようとして、学校はすべての記録を再照合した」

蓮は、録音機を見つめた。

「それで、三十六人が……」

田島は答えた。

「事故記録では、存在を確認できなくなったとされています」

蓮は顔を上げた。

「……存在を確認できなくなった?」

「ええ」

「それって、亡くなったってことですか?」

田島は、少しだけ間を置いた。

「事故報告書には、生存確認一名とあります。ただ、残りの生徒がどうなったのか、完全な記録は残されていません」

蓮は黙った。

田島は続けた。

「ですから、今も彼らを探しているんです」

「……誰が?」

「高瀬真が」

蓮は息を止めた。

田島は言った。

「真は、事故のあとも出席を取り続けていました」

「……」

「生徒たちが戻ってくることを信じて」

蓮の頭に、真の声がよみがえった。

『僕を出席させて』

『お願いだから、僕を忘れないで』

だが、あの言葉は本当に真のものだったのだろうか。

それとも、真が誰かに言わせていたのだろうか。

蓮は田島を見た。

「……でも、おかしくないですか」

「何がです?」

「真は、最初から出席していたんですよね」

「……」

「それなのに、どうして自分を出席させろって言ってたんですか?」

田島は答えなかった。

蓮は続けた。

「真は、俺に何かをさせようとしていたんじゃないですか?」

田島は、ゆっくりと目を閉じた。

「……そうかもしれません」

「……」

「ですが、それを確かめるには、もう一つの記録が必要です」

「もう一つ?」

田島は教室の窓を指さした。

「外を見てください」

8 窓の向こうの学校

蓮は窓に近づいた。

そこには、夜の校庭が広がっているはずだった。

だが、違った。

窓の向こうには、別の教室があった。

まったく同じ机。

同じ椅子。

同じ黒板。

そして、三十六人の生徒。

全員が席に座っていた。

蓮は息を止めた。

「……あれ?」

窓の向こうの教室では、一人の教師が出席を取っていた。

黒いスーツ。

白いシャツ。

胸元の名札。

高瀬真。

蓮は窓に手をついた。

「……真?」

教師は出席簿を開いた。

一人ずつ名前を呼んでいる。

「佐伯美月」

「はい」

「高瀬凛」

「はい」

生徒たちが返事をする。

蓮は目を見開いた。

「……生きてる」

田島が言った。

「少なくとも、あちらの教室では出席しています」

「じゃあ、助けられるんじゃ……」

蓮は窓を開けようとした。

だが、開かない。

ガラスを押しても、びくともしなかった。

田島は言った。

「先生。あちらの教室に入るには、条件があります」

「何ですか?」

「あなた自身が、出席簿に名前を登録することです」

蓮は振り返った。

「……俺が?」

「そうです」

「でも、俺は教師だったんですよね」

「ええ」

「教師が、生徒として出席するんですか?」

田島はうなずいた。

「それが、最初の事故を繰り返さないための方法です」

蓮は考えた。

教師として出席を取れば、二回目の確認が起こる。

だから、生徒として出席する。

そうすれば、真が教師として出席を取ることができる。

「……なるほど」

蓮はうなずきかけた。

だが、その瞬間。

窓の向こうの教室で、異変が起きた。

真が出席簿を閉じた。

そして、黒板に文字を書き始めた。

『本日の欠席者』

その下に、一つの名前。

高瀬蓮。

蓮は息を止めた。

「……俺?」

真は黒板の前に立ち、静かに言った。

「今日も、高瀬蓮くんは欠席です」

生徒たちは、誰も反応しない。

真は続けた。

「ですが、心配はいりません」

そして、ゆっくりと窓の方を見た。

蓮と、目が合った。

真は微笑んだ。

「もうすぐ、戻ってきますから」

蓮の背中に冷たいものが走った。

真は、こちらを見ていた。

窓の向こうにいる蓮を、確かに認識していた。

それなのに、欠席扱いにしている。

蓮はつぶやいた。

「……なんで?」

田島は答えなかった。

真は、ゆっくりと黒板に新しい文字を書いた。

『転入予定者:高瀬蓮』

『受入条件:本人の同意』

蓮は、田島を振り返った。

「……これ、どういうことですか」

田島は静かに答えた。

「真は、あなたを迎えようとしているんです」

「……」

「もう一度、生徒として」

蓮は窓の向こうを見た。

真は、優しく微笑んでいた。

だが、その笑顔を見た瞬間、蓮はあることに気づいた。

「……待てよ」

田島が顔を上げる。

「どうしました?」

蓮は窓を指さした。

「真の後ろ」

「……?」

「黒板の右端」

田島は目を凝らした。

そこには、小さな文字が書かれていた。

『第39回出席確認』

蓮は息を止めた。

三十八回目が、最後の選択だったはずだ。

なのに、三十九回目。

「……また、繰り返すつもりなのか」

真は窓の向こうで、静かに笑っていた。

9 真の目的

蓮は、田島を見た。

「……真は、何をしたいんですか」

田島は黙った。

「生徒たちを助けたいんじゃないんですか?」

「……」

「だったら、なんで俺を何度も生徒に戻すんですか?」

田島は、ゆっくりと息を吐いた。

「……先生」

「はい」

「真の目的は、生徒たちを助けることではないのかもしれません」

蓮は息を止めた。

「……どういう意味ですか」

田島は窓の向こうを見た。

「真は、最初の事故で一つのことを学びました」

「……何を?」

「名前を変えれば、存在の記録も変えられる」

蓮は黙った。

田島は続けた。

「そして、出席を取り直せば、記録そのものを書き換えられる」

「……」

「つまり、真はこの学校の仕組みを利用できるようになった」

蓮は顔を上げた。

「……何のために?」

田島は答えた。

「自分が、最初から教師だったことにするためです」

蓮は目を見開いた。

「……え?」

「真は、もともと教師ではありませんでした」

「……」

「ですが、名前を変え、出席を取り直し、記録を繰り返すことで、自分を教師として登録し続けてきた」

蓮は、窓の向こうの真を見た。

「……じゃあ、俺は」

「あなたは、元の教師として戻ってくる可能性がある」

田島は続けた。

「だから、真にとって、あなたは都合の悪い存在なんです」

蓮は息を止めた。

「……だから、俺を生徒に?」

「そう考えれば、説明がつきます」

蓮は頭を抱えた。

真は、助けを求めていた。

何度も。

必死に。

だが、その目的が自分を救うことではなく、教師としての立場を守ることだったとしたら。

「……じゃあ、俺はずっと」

蓮はつぶやいた。

「真に利用されてたのか?」

田島は答えなかった。

そのとき。

窓の向こうで、真が口を開いた。

「蓮」

声が聞こえた。

ガラス越しなのに、はっきりと。

「その人の話を信じちゃだめだよ」

蓮は顔を上げた。

「……真?」

真は微笑んだ。

「田島さんは、全部知ってるわけじゃない」

田島の表情が変わった。

「……真」

真は続けた。

「蓮。僕がどうして教師になったのか、知りたい?」

蓮は黙った。

真は、ゆっくりと黒板に文字を書いた。

『教師資格:高瀬蓮から譲渡』

蓮は目を見開いた。

「……譲渡?」

真はうなずいた。

「そう」

「……俺が?」

「うん」

真は静かに言った。

「蓮が、自分から僕に教師の役割を渡したんだ」

蓮は田島を見た。

田島は、何も言わなかった。

真は続けた。

「蓮は、みんなを助けるために教師をやめた」

「……」

「そして、僕に出席を取ってほしいって頼んだ」

蓮は息を止めた。

「……じゃあ、なんで俺は覚えてないんだ?」

真は、少しだけ悲しそうな顔をした。

「それはね」

短い沈黙。

「蓮が、自分の記憶を消してほしいって頼んだからだよ。」

10 教師を辞めた理由

真は、窓の向こうで一枚の書類を掲げた。

そこには、こう書かれていた。

『役職譲渡申請書』

譲渡者:高瀬蓮

譲受者:高瀬真

申請理由:生徒の存在確認を継続するため

付帯条件:譲渡者の記憶初期化

蓮は、書類を見つめた。

「……俺が、こんなものに署名したのか?」

真はうなずいた。

「そうだよ」

「どうして?」

真は答えた。

「蓮が、あることを知ってしまったから」

「……あること?」

「うん」

真は黒板に文字を書いた。

『第37観察室 事故原因調査』

その下に、一つの文章。

『事故原因:担任教師による出席確認の拒否』

蓮は眉をひそめた。

「……拒否?」

真は言った。

「蓮は、ある生徒の名前を呼ばなかった」

「……」

「だから、その生徒は出席できなかった」

蓮は息を止めた。

「……誰の名前を?」

真は、ゆっくりと答えた。

「僕だよ」

蓮は目を見開いた。

「……真?」

「そう」

真は続けた。

「蓮は、僕の名前を呼ばなかった」

「……」

「僕が、出席してはいけない存在だったから」

蓮は、窓に手をついた。

「……どういうことだよ」

真は、少しだけ笑った。

「それを思い出してほしいんだ」

「……」

「だから、何度も出席を繰り返してる」

蓮は田島を振り返った。

「……本当なんですか?」

田島は、しばらく黙っていた。

そして、静かに言った。

「……一部は、事実です」

蓮は息を止めた。

「……一部?」

「はい」

田島は続けた。

「高瀬先生が、ある生徒の出席確認を拒否したことは、記録に残っています」

「……」

「ですが、その生徒が高瀬真だったかどうかは、確認できません」

真の表情が変わった。

「……田島さん」

田島は、真を見た。

「なぜなら、その生徒の名前は、最初から出席簿に記載されていなかったからです」

蓮は目を見開いた。

「……え?」

田島は続けた。

「先生が名前を呼ばなかったのではありません」

「……」

「呼ぶべき名前が、最初から存在しなかったんです。」

窓の向こうで、真が黙った。

蓮は、田島を見つめた。

「……じゃあ、その生徒は誰なんですか?」

田島は、ゆっくりと教卓の引き出しを開けた。

そこから、一枚の古い紙を取り出した。

白紙だった。

ただし、右上に数字がある。

000

蓮は息を止めた。

田島は言った。

「これが、最初の出席確認票です」

「……名前がない」

「そうです」

「……どうして?」

田島は答えた。

「その生徒には、名前がなかったからです」

蓮は、窓の向こうの真を見た。

真は、何も言わなかった。

田島は続けた。

「名前のない生徒は、出席できません」

「……」

「ですが、ある教師が、その生徒に名前を与えようとした」

蓮は息を止めた。

「……俺が?」

田島はうなずいた。

「そうです」

「……何という名前を?」

田島は答えた。

「高瀬蓮」

蓮は動きを止めた。

田島は続けた。

「先生は、自分の名前を、その生徒に与えたんです」

「……」

「そして、自分は別の名前で存在しようとした」

蓮は、ゆっくりと窓の向こうを見た。

真。

教師。

自分と同じ顔。

同じ声。

だが、名前が違う。

「……じゃあ」

蓮はつぶやいた。

「俺が、名前をもらった側なのか?」

田島は、静かにうなずいた。

「その可能性があります」

蓮は言葉を失った。

自分が本物だと思っていた。

教師が偽物だと思っていた。

だが、もし自分が名前をもらった生徒だったなら。

最初の教師は、真だったのかもしれない。

そして、自分は――

「……名前のない生徒」

蓮はつぶやいた。

その瞬間。

窓の向こうで、真が笑った。

「やっと、思い出した?」

蓮は顔を上げた。

真は、静かに言った。

「そうだよ、蓮」

「……」

「君は、最初から高瀬蓮じゃなかった」

蓮の心臓が大きく跳ねた。

真は続けた。

「君には、本当の名前がある」

「……本当の名前?」

「うん」

真は黒板に、ゆっくりと文字を書き始めた。

一文字目。

佐

二文字目。

伯

蓮は息を止めた。

「……佐伯?」

真は、最後の二文字を書いた。

美月

黒板には、四文字の名前が並んでいた。

佐伯美月。

蓮は、動けなくなった。

「……何?」

真は、静かに微笑んだ。

「君の本当の名前だよ」

蓮は首を振った。

「……そんなわけないだろ」

「どうして?」

「美月は、別にいる」

真は答えた。

「そうだね」

「……」

「でも、蓮」

真は、ゆっくりと首をかしげた。

「君は、美月が自分とは別の人間だって、どうやって証明するの?」

蓮は、何も答えられなかった。

その瞬間。

教室の壁に掛けられた鏡が、ひとりでに割れた。

蓮は反射的に振り返った。

鏡の中。

そこに映っていたのは、自分ではなかった。

制服姿の少女。

佐伯美月。

少女は、鏡の向こうから蓮を見つめていた。

そして、静かに言った。

「……やっと、気づいたんだね」

蓮は震える声で尋ねた。

「……お前、誰だよ」

少女は微笑んだ。

「私?」

短い沈黙。

「私は、あなたが忘れた名前」

そして、こう続けた。

「高瀬蓮っていう名前をもらう前の、あなた自身だよ。」

蓮は、鏡の前で立ち尽くした。

その背後で、田島が小さくつぶやいた。

「……まずい」

蓮は振り返った。

「何がですか?」

田島は、震える手で出席簿を開いていた。

最後のページ。

そこには、さっきまでなかった文字が浮かび上がっていた。

『記録番号000 本人確認完了』

『旧氏名:佐伯美月』

『現氏名:高瀬蓮』

『記憶復元率:100%』

蓮は息を止めた。

「……復元?」

田島は、ゆっくりと顔を上げた。

「先生……いえ」

そして、言った。

「佐伯さん」

蓮の背中に冷たいものが走った。

田島は続けた。

「あなたは、まだ一つだけ思い出していません」

「……何を?」

田島は、出席簿を閉じた。

「あの日、あなたが本当に欠席させたかった人物のことです。」

その瞬間。

地下室の照明が、すべて消えた。

暗闇の中で、校内放送が流れ始めた。

『午前零時になりました』

『これより、第二回出席確認を開始します』

蓮は、時計を見た。

午前零時二十七分。

日付は変わっていない。

なのに、放送は午前零時を告げている。

『出席番号一番』

短い沈黙。

『佐伯美月』

蓮は、何も答えなかった。

すると、鏡の向こうから声がした。

「はい」

少女の声。

美月の声。

そして、放送が続いた。

『出席番号二番』

『高瀬蓮』

蓮は息を止めた。

返事をするべきなのか。

それとも、黙っているべきなのか。

そのとき。

窓の向こうから、真の声が聞こえた。

「蓮」

「……」

「絶対に返事をしないで」

蓮は顔を上げた。

真は、今まで見たことのないほど真剣な表情をしていた。

「その名前に返事をしたら」

短い沈黙。

「今度こそ、君が事故を起こしたことになる。」

放送が、もう一度名前を呼んだ。

『高瀬蓮』

蓮は、唇をかんだ。

そして――

教室のどこかから、声がした。

「はい」

蓮の声だった。

だが、蓮は返事をしていない。

誰かが、自分の代わりに答えた。

窓の向こうで、真の顔から血の気が引いた。

「……嘘だろ」

田島も、動けなくなっていた。

そして、暗闇の中から、一人の少年が現れた。

高瀬蓮。

同じ顔。

同じ制服。

同じ声。

少年は、蓮を見つめて笑った。

「やっと、僕の出席が認められた」

蓮は震える声で尋ねた。

「……お前、誰だよ」

少年は、ゆっくりと答えた。

「僕?」

そして、こう言った。

「君が、最初に欠席させた高瀬蓮だよ。」

第二十一話「事故を起こした教師」――終

第二十二話「二人目の高瀬蓮」へ続く。

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