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午前零時の出席簿  作者: セキマツ


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20/23

第二十話「最後の十五分」

午前零時十四分。

時計の秒針が、規則正しく動いていた。

カチ。

カチ。

カチ。

高瀬蓮は、黒板の上に掛けられた時計を見つめていた。

残された時間は、一分もない。

教卓の前には、高瀬真と名乗る教師が立っている。

黒いスーツ。

整えられた髪。

穏やかな表情。

その胸元に付けられた名札の裏には、こう書かれていた。

『記憶保持期限:午前零時十五分』

「先生」

蓮は口を開いた。

「一つ、聞いてもいいですか」

教師は静かにうなずいた。

「もちろんです」

「あなたが俺を忘れたら、俺は消えるんですよね」

「そういう規則です」

「じゃあ、俺があなたを覚えていたら?」

教師の表情が、わずかに変わった。

「……どういう意味ですか」

「人は誰かに覚えられている限り存在する。そう言いましたよね」

「ええ」

「だったら、俺があなたを覚えている限り、あなたも存在できるんじゃないですか?」

教師は黙った。

蓮は続けた。

「あなたが俺を覚えていて、俺があなたを覚えている。それなら、二人とも存在できるはずです」

教室の時計が、一度だけ大きく鳴った。

午前零時十四分三十秒。

教師は、ゆっくりと笑った。

「高瀬くん」

「はい」

「あなたは、今回も同じことを言うんですね」

蓮の表情が固まった。

「……今回も?」

「ええ」

教師は出席簿を閉じた。

「三十七回目のあなたも、まったく同じ質問をしました」

「……」

「その前も、その前も」

教師は教卓の引き出しを開けた。

そこから取り出したのは、一冊の古いノートだった。

表紙には、黒いペンで名前が書かれていた。

『高瀬蓮 観察記録』

「ですが、今回は少し違う」

教師はノートを開いた。

「あなたは、まだ一つの事実に気づいていない」

「何ですか」

教師は蓮を見た。

「あなたが私を覚えていることと、私があなたを覚えていることは、同じではないんです。」

時計の針が進む。

午前零時十四分四十五秒。

「それは……どういう意味ですか」

「簡単なことですよ」

教師は穏やかに言った。

「あなたは、私をいつから知っていますか?」

蓮は答えようとした。

しかし、言葉が出なかった。

いつから。

いつ、真と出会った?

旧校舎に来たときか。

スピーカーから声を聞いたときか。

それとも、もっと前から。

思い出そうとする。

だが、思い出せない。

「……わからない」

教師はうなずいた。

「そうでしょう」

午前零時十四分五十五秒。

「なぜなら、あなたは私を覚えているのではありません」

五十六秒。

「私の名前を、知っているだけなんです」

五十七秒。

蓮の心臓が大きく跳ねた。

五十八秒。

教師が言った。

「名前を知っていることは、記憶とは呼びません」

五十九秒。

「それでは、高瀬くん」

午前零時十五分。

時計が止まった。

教師は微笑んだ。

「さようなら」

1 消えない生徒

何も起こらなかった。

蓮は、自分の手を見た。

指がある。

足がある。

呼吸もできる。

教室も、変わらない。

「……あれ?」

教師は教卓の前に立ったまま、蓮を見つめていた。

しかし、その表情は先ほどとは違っていた。

「……君は?」

蓮は顔を上げた。

「え?」

「どちらのクラスの生徒ですか?」

その声には、何の感情もなかった。

「先生、俺です。高瀬蓮です」

「高瀬……?」

教師は首をかしげた。

「申し訳ありませんが、存じ上げません」

蓮は出席簿を指さした。

「そこに書いてあるでしょう!」

教師は出席簿を開いた。

ページをめくる。

一枚。

二枚。

三枚。

そして、最後のページで手を止めた。

「……おかしいですね」

「何が?」

「本日の在籍者は、零名となっています」

蓮は教卓へ駆け寄った。

出席簿をのぞき込む。

確かに、そこにはこう書かれていた。

『在籍者:0名』

『出席者:0名』

『欠席者:0名』

その下に、赤い文字があった。

『記録番号037 照合不能』

蓮は自分の手を見た。

消えていない。

存在している。

なのに、記録からは消えている。

「……どうして?」

教師は不思議そうに蓮を見た。

「君は、なぜここにいるんですか?」

蓮は答えられなかった。

教師はさらに言った。

「この学校には、もう生徒はいないはずですが」

その瞬間。

教室の後ろから、椅子を引く音がした。

ギィ。

蓮が振り返る。

誰もいない。

だが、一番後ろの席に、何かが置かれていた。

一枚の紙。

蓮は近づいた。

紙には、短い文章が記されていた。

『おめでとう。あなたは初めて、出席せずに存在した。』

その下には、もう一文。

『ただし、これより記録の修復を開始する。』

廊下から、足音が聞こえた。

一人ではない。

何人もいる。

コツ。

コツ。

コツ。

蓮は扉を見つめた。

すりガラスの向こうに、人影が並んでいた。

その数は、三十六。

全員が、教室の中を見ていた。

2 三十六人の高瀬蓮

扉が開いた。

先頭に立っていたのは、制服姿の少年だった。

蓮と同じ顔。

同じ身長。

同じ声。

「……やっと、ここまで来たか」

少年は言った。

蓮は後ずさった。

「誰だよ、お前」

「高瀬蓮」

「……は?」

「記録番号001。最初の高瀬蓮だ」

その後ろに、別の少年が立っていた。

こちらも同じ顔だった。

「002」

さらに後ろ。

「003」

「004」

「005」

次々と、少年たちが教室へ入ってくる。

全員が高瀬蓮。

だが、よく見ると、少しずつ違っていた。

制服のボタンが違う。

髪型が違う。

靴が違う。

そして、表情が違う。

ある少年は無表情だった。

ある少年は、ひどく怯えていた。

またある少年は、何かを必死に思い出そうとしていた。

先頭の少年が言った。

「037。お前、何をした?」

蓮は答えられなかった。

「……何って」

「真の記憶から抜け出しただろ」

「それが、どうしたんだよ」

少年は眉をひそめた。

「やっぱり、何も知らないんだな」

「だから、説明しろよ!」

001は、教卓を見た。

「先生」

教師は顔を上げた。

「はい」

「我々のことは覚えていますか?」

教師は三十六人を見回した。

「……いいえ」

001は静かにうなずいた。

「やはり、修復が始まっている」

蓮は問いかけた。

「修復って何だ?」

001は答えた。

「この学校は、記録の矛盾を放置しない」

「……」

「お前が存在しているのに、出席簿には存在しない。だから、学校は矛盾を修正しようとする」

「どうやって?」

001は、蓮をまっすぐ見た。

「お前が存在しているという事実そのものを、消そうとする。」

その言葉が終わった瞬間。

教室の壁に貼られていた時間割が、白紙になった。

次に、黒板の文字が消えた。

教室の窓の外に見えていた校庭が、真っ暗になった。

そして。

蓮のスマートフォンから、通知音が鳴った。

【記録修復処理】

対象:記録番号037

処理状況:12%

「……始まってる」

001がつぶやいた。

「急げ。時間がない」

3 最初の失敗

三十六人の蓮は、教室の机を動かし始めた。

机を壁際へ寄せ、中央に広い空間を作る。

その間、001は蓮に説明を続けた。

「お前は、どうして真を出席させようとしていた?」

「……真が、出席したいって言ってたから」

「それだけか?」

「それだけって……」

「真が誰なのか、知っていたか?」

蓮は黙った。

001は続けた。

「真が兄だと言われたから信じた。凛が弟だと言われたから信じた。美月が母親だと言われたから信じた」

「……」

「でも、誰も証明していない」

蓮は唇をかんだ。

その通りだった。

自分は、渡された書類を信じてきた。

出席簿。

出生届。

母子健康手帳。

欠席届。

だが、それらは何度も書き換わっていた。

「じゃあ、本当は何なんだよ」

001は答えた。

「真は、最初の欠席者じゃない」

「……え?」

「そもそも、真は生徒じゃなかった」

蓮は教師を見た。

真は教卓の前で、何も知らない様子で出席簿を読んでいる。

001は言った。

「真は、最初の教師だった」

「……それは、さっきわかった」

「違う」

001は首を振った。

「真は、最初から教師として存在していたわけじゃない。」

蓮は眉をひそめた。

「どういうことだ?」

001は、教室の床を指さした。

「ここに、何があったと思う?」

「……教室だろ」

「違う」

001は答えた。

「病室だ」

蓮は目を見開いた。

「病室?」

「そう。この旧校舎は、もともと学校じゃなかった」

001は床にしゃがんだ。

古い木の板を一枚持ち上げる。

その下には、白いタイルがあった。

さらに、床に埋め込まれた金属製のプレート。

そこには、こう刻まれていた。

『第37観察室』

蓮は、その文字を見つめた。

三十七。

また、同じ数字。

001は続けた。

「ここでは、ある研究が行われていた」

「研究?」

「人間の記憶が、どこまで他人の存在を証明できるか」

蓮は顔を上げた。

「……そんなこと、できるのか?」

「できなかった」

001は言った。

「少なくとも、最初は」

その声が、わずかに震えた。

「だから、失敗したんだ」

「何に?」

001は、教師を見た。

「一人の少年を、存在させ続けることに」

4 被験者ゼロ

001はポケットから、小さな録音機を取り出した。

古い機械だった。

表面には、かすれたシールが貼られている。

『観察記録000 再生禁止』

「これを聞けば、少しはわかる」

001が再生ボタンを押した。

ザザッ。

雑音が流れる。

続いて、男性の声が聞こえた。

『記録開始。平成二十年十一月六日、午前零時』

蓮は息を止めた。

自分の出生記録と同じ日付だった。

『被験者番号000。氏名、高瀬真』

教師の名前。

『本日、被験者の存在確認を開始する』

別の声が入った。

女性の声だった。

『先生、本当にこれでいいんですか?』

男性が答える。

『問題ありません。彼を覚えている人間が一人でもいれば、記録は維持されます』

『でも、その人が忘れたら?』

『別の記憶保持者を用意すればいい』

短い沈黙。

そして、女性が尋ねた。

『……その人は、どこから連れてくるんですか?』

男性は、何のためらいもなく答えた。

『作ればいいんですよ』

録音が止まった。

蓮は、001を見た。

「……作る?」

001はうなずいた。

「それが僕たちだ」

「……」

「真を覚えている人間として、記録された存在」

蓮は自分の胸元に手を当てた。

「じゃあ、俺は……」

「人間じゃない、とは言わない」

001はすぐに答えた。

「僕たちは考えるし、覚えるし、選ぶことができる」

「……」

「ただ、僕たちの過去には、誰かが用意した記録が混ざっている」

蓮は言葉を失った。

中学時代。

高校生活。

弓道部。

友人。

家族。

それらは、自分にとって確かに存在した記憶だった。

なのに、その一部が誰かに作られたものかもしれない。

「……じゃあ、俺の人生は何だったんだよ」

001は答えなかった。

代わりに、録音機をもう一度操作した。

今度は、別の声が流れた。

少年の声。

『僕は、ここにいるよ』

真の声だった。

『お願い。誰か、僕を覚えていて』

そのあとに、女性の声。

『大丈夫。私が覚えているから』

蓮は顔を上げた。

聞き覚えがあった。

「……美月?」

001は静かに言った。

「そう」

「美月が、最初の記憶保持者だったのか?」

「違う」

001は首を振った。

「彼女は、最初の記憶保持者を演じていた」

蓮は目を見開いた。

「演じていた?」

「美月もまた、観察記録の一部だったんだ」

5 佐伯美月という名前

記録修復処理、43%。

スマートフォンの表示が変わった。

教室の照明が点滅する。

001は急いで机の中央に、一冊のファイルを置いた。

「蓮。これを見て」

表紙には、こう書かれていた。

『記憶保持者一覧』

蓮はファイルを開いた。

一ページ目。

高瀬蓮。

二ページ目。

高瀬蓮。

三ページ目。

高瀬蓮。

三十七ページまで、同じ名前が続いていた。

しかし、三十八ページ目。

そこには、別の名前が書かれていた。

佐伯美月。

蓮は001を見た。

「美月も、記憶保持者だったのか?」

「そう」

「じゃあ、なんで三十七人のあとなんだ?」

001は答えた。

「美月は、僕たちより後に登録されたから」

「……でも、あいつは真の母親だって」

「それも、記録の一つだ」

蓮はページをめくった。

美月の記録には、奇妙な文章があった。

『記憶保持者038』

『役割:母親』

『対象:高瀬真』

『記憶内容:出生、養育、別離』

『記憶生成日:平成二十年十一月六日』

蓮は息を止めた。

「……生成日?」

「美月には、真を産んだという記憶が与えられた」

「……」

「でも、それは彼女が実際に経験したこととは限らない」

蓮は頭を抱えた。

「じゃあ、あいつは自分が母親だと思い込んでたってことか?」

001は静かに答えた。

「そうかもしれない」

「……」

「でも、彼女が真を大切に思っていたことまで、偽物だとは言えない」

その言葉に、蓮は顔を上げた。

001は続けた。

「作られた記憶でも、そこから生まれた感情は本物かもしれないだろ」

蓮は何も言えなかった。

そのとき。

教室のスピーカーから、女性の声が流れた。

『……蓮』

美月だった。

『聞こえる?』

蓮は天井を見上げた。

「美月!」

『お願い。001の話を、全部信じないで』

001の表情が変わった。

「……美月」

『蓮。そこにいる三十六人を見て』

蓮は周囲を見回した。

三十六人の自分。

全員が、黙って立っている。

『その人たち、本当に三十六人いる?』

蓮は眉をひそめた。

「……何言ってるんだよ」

『数えて』

001が言った。

「蓮、やめろ」

『お願い。数えて』

蓮は、一人ずつ指さした。

一。

二。

三。

四。

五。

六。

七。

八。

九。

十。

……

三十。

三十一。

三十二。

三十三。

三十四。

三十五。

蓮は手を止めた。

「……あれ?」

もう一度、数えた。

三十五人。

最初にいたのは、三十六人だったはずだ。

「……一人、いない」

001はうつむいた。

美月の声が続いた。

『そう。最初から三十六人なんていなかった』

「……どういうことだ?」

『一人だけ、途中で増えたの』

蓮は001を見た。

001は何も言わない。

『蓮。その人に聞いて』

「何を?」

『001は、誰が作ったのかって。』

6 最初の高瀬蓮

教室の空気が変わった。

蓮は001を見つめた。

「……お前は、誰が作ったんだ?」

001は黙っていた。

「答えろよ」

「……」

「お前、最初の高瀬蓮なんだろ?」

001は、ゆっくりと首を振った。

「違う」

蓮は息を止めた。

「……何?」

「僕は、最初の高瀬蓮じゃない」

「じゃあ、誰なんだよ」

001は目を閉じた。

「僕は、最後の高瀬蓮だ」

蓮の頭が真っ白になった。

「……最後?」

「そう」

001は言った。

「君の次に作られるはずだった、記録番号038」

蓮は後ずさった。

「でも、お前は001って……」

「そう名乗っただけだよ」

001は胸元の名札を外した。

その裏には、数字が記されていた。

038

蓮は言葉を失った。

「じゃあ、三十六人は……」

「本物だよ」

038は答えた。

「ただし、僕を除けば三十五人しかいない」

「……一人足りない」

「そう」

038はうなずいた。

「本当の001がいないんだ」

蓮は、周囲を見回した。

残された三十五人の蓮たちは、何も言わなかった。

038は続けた。

「僕は、君が消えたあとに作られる予定だった」

「……」

「でも、君が記憶の外に出たことで、僕だけが先に現れた」

蓮は震える声で尋ねた。

「じゃあ、本当の001はどこにいるんだよ」

038は教卓を指さした。

そこには、真が立っていた。

「……まさか」

「そう」

038は言った。

「最初の高瀬蓮は、真の中にいる。」

蓮は教師を見た。

真は、何も知らないようにこちらを見つめていた。

038は続けた。

「真は最初から、教師だったわけじゃない」

「……」

「真は、最初の蓮の記憶を使って作られた存在なんだ」

蓮は混乱した。

「待てよ。じゃあ、真が先なのか、蓮が先なのか……」

038は答えた。

「それが、この研究の最大の矛盾なんだよ」

教室の時計が、再び動き始めた。

午前零時十六分。

修復処理、68%。

7 記憶の原本

038は、教卓の裏にある小さな扉を開いた。

そこには、階段があった。

地下へ続く、狭い階段。

「蓮。来て」

「どこに?」

「原本を見せる」

蓮は迷った。

だが、ここにいても何も変わらない。

038について階段を下りた。

薄暗い地下室。

壁には古い配線がむき出しになっている。

突き当たりには、鉄製の扉があった。

扉の中央に、文字が刻まれている。

『記憶原本保管室』

038は扉を開けた。

中には、大きな机が一つ。

そして、机の上に、古い出席簿が置かれていた。

表紙には、何も書かれていない。

蓮は近づいた。

「……これが原本?」

「そう」

038はうなずいた。

「今まで見てきた出席簿は、全部これをもとに作られている」

蓮は表紙を開いた。

最初のページ。

そこには、一人の名前が記されていた。

高瀬蓮。

出席番号一番。

蓮はページをめくった。

二ページ目。

同じ名前。

高瀬蓮。

三ページ目。

また同じ名前。

そして、三十七ページ目。

そこには、今の自分の名前があった。

だが、三十八ページ目には、別の名前が書かれていた。

高瀬真。

蓮は眉をひそめた。

「……真が、三十八番目?」

038は答えなかった。

蓮はさらにページをめくった。

三十九ページ目。

佐伯美月。

四十ページ目。

高瀬凛。

そして、四十一ページ目。

そこには、見覚えのない名前があった。

田島修一。

蓮は手を止めた。

「……誰だ、これ」

038の表情が変わった。

「……そのページは」

「知ってるのか?」

「……」

蓮は名前の下を読んだ。

役職:主任研究員

担当:記憶保持実験

備考:全記録の作成責任者

蓮は038を見た。

「この人が、全部作ったのか?」

038は答えなかった。

その代わり、蓮のスマートフォンが鳴った。

【記録修復処理:91%】

残り九%。

蓮は焦った。

「どうすれば止められる?」

038は、出席簿の最後のページを指さした。

「そこに、修復停止の手順がある」

蓮は急いでページをめくった。

最後のページ。

そこには、一つの文章が記されていた。

『記録修復を停止する場合、原本の第一記録を確認すること。』

『第一記録が誤っている場合、全記録を無効とする。』

蓮は顔を上げた。

「第一記録……」

038はうなずいた。

「最初の高瀬蓮が、本当に存在したかどうか」

「それを確認すればいいのか?」

「そう」

蓮は最初のページに戻った。

そこには、こう書かれていた。

出席番号一番 高瀬蓮。

出生年月日:平成二十年十一月六日。

出席確認者:高瀬真。

蓮は、あることに気づいた。

「……待てよ」

「どうした?」

「真が、蓮の出席を確認してる」

「そうだね」

「でも、真は蓮の記憶を使って作られたんだろ?」

038は黙った。

蓮は続けた。

「だったら、蓮が先に存在していなきゃおかしい」

「……」

「なのに、蓮が存在したことを証明しているのは、真だけ」

038は、ゆっくりとうなずいた。

「そう」

「つまり……」

蓮は出席簿を見つめた。

「最初の蓮も、存在を証明できていない。」

その瞬間。

出席簿の文字が、すべて消えた。

8 存在の証明

修復処理、99%。

スマートフォンが震える。

地下室の照明が激しく点滅した。

038が叫んだ。

「蓮! 原本を閉じろ!」

蓮は出席簿を閉じた。

しかし、もう遅かった。

机の上に、赤い文字が浮かび上がる。

『第一記録の矛盾を検出』

『記録修復を中断』

『全記録の再審査を開始』

蓮は息をのんだ。

「……止まった?」

038は首を振った。

「違う」

「……え?」

「もっと悪い」

そのとき。

地下室の扉が、ゆっくりと開いた。

そこに立っていたのは、白衣を着た男性だった。

四十代ほど。

細い眼鏡。

整えられた髪。

そして、胸元には名札。

田島修一。

蓮は身構えた。

「……あなたが、田島さんですか」

男性はうなずいた。

「そうだよ」

「あなたが、俺たちを作ったんですか?」

田島は、しばらく蓮を見つめていた。

そして、静かに言った。

「その質問は、正確ではないね」

「……どういうことですか」

「私は、君たちを作ったわけじゃない」

「でも、記録には……」

田島は机の上の出席簿を指さした。

「私は、ただ記録しただけだよ」

蓮は眉をひそめた。

「何を?」

田島は答えた。

「誰が、誰を覚えていたのか」

「……」

「そして、誰が忘れられたのか」

田島は、出席簿を開いた。

白紙になったページに、一つの名前が浮かび上がる。

高瀬蓮。

「君は、どうして自分が作られた存在だと思う?」

蓮は答えられなかった。

田島は続けた。

「記憶が書き換わるから?」

「……はい」

「出生記録が変わるから?」

「……はい」

「でも、それは君が作られた証拠にはならない」

蓮は顔を上げた。

「……じゃあ、何なんですか」

田島は言った。

「記録が、君に追いついていないだけかもしれない。」

その言葉に、蓮は息を止めた。

田島はさらに続けた。

「君たちが存在するから、記録が作られる。だが、記録が君たちを正しく表せなければ、矛盾が生じる」

「……」

「この学校は、その矛盾を修正するために作られた」

蓮は、出席簿を見つめた。

「じゃあ、真は……」

田島は静かに答えた。

「真も、凛も、美月も、君と同じだよ」

「……同じ?」

「誰かの記憶の中に存在している。でも、それだけではない」

蓮は田島を見た。

「……じゃあ、本当の記録はどこにあるんですか」

田島は、ゆっくりと微笑んだ。

「ようやく、そこに気づいたね」

そして、出席簿の最後のページを開いた。

そこには、一枚の写真が挟まっていた。

古い集合写真。

教室の前に、三十七人の生徒が並んでいる。

その中央には、一人の教師。

蓮は写真を見つめた。

見覚えがあった。

自分が最初に見た、あの教室。

あの三十七人。

だが、写真の中に、高瀬蓮はいなかった。

代わりに、見覚えのある少女がいた。

佐伯美月。

そして、その隣には、高瀬凛。

さらに、最前列には、高瀬真。

三人とも、同じ制服を着ていた。

蓮は震える声で言った。

「……どうして、俺だけいないんですか」

田島は答えなかった。

代わりに、写真の裏を見せた。

そこには、日付が書かれていた。

平成二十年十一月五日。

蓮は息を止めた。

自分が生まれる前日。

田島は静かに言った。

「この写真が撮られた翌日、ある生徒が欠席した」

「……誰が?」

田島は写真の中央を指さした。

教師。

その顔は、ぼやけていた。

「この人だよ」

「……先生?」

「そう」

田島は言った。

「この学校の、最初の担任教師」

蓮は目を凝らした。

ぼやけた顔。

黒いスーツ。

白いシャツ。

そして、胸元の名札。

そこには、薄く文字が残っていた。

高瀬蓮。

蓮は凍りついた。

「……俺?」

田島はうなずいた。

「そう」

「でも、俺は生徒で……」

「今はね」

田島は、静かに言った。

「でも、最初は違った」

蓮は何も言えなかった。

田島は続けた。

「最初の高瀬蓮は、教師だった」

「……」

「そして、ある日突然、学校からいなくなった」

蓮は写真を見つめた。

「……どうして?」

田島は、しばらく黙っていた。

そして、答えた。

「生徒たちが、先生の名前を忘れたからだよ。」

9 午前零時の出席簿

地下室の照明が消えた。

暗闇の中で、出席簿だけが淡く光っている。

田島の声が響いた。

「先生が生徒の出席を取るのは、当たり前のことだ」

「……」

「でも、もし生徒が先生の存在を忘れたら、どうなると思う?」

蓮は答えられなかった。

「その先生は、誰の記憶にも残らなくなる」

田島は続けた。

「だから、この学校では、逆のことを始めた」

「逆……?」

「生徒が、先生の出席を確認するんだ」

蓮は顔を上げた。

「……それが、最初の出席簿?」

「そう」

田島はうなずいた。

「本来、出席簿に書かれるべきだったのは、生徒の名前じゃない」

「……」

「先生の名前だった」

蓮は、ゆっくりと理解し始めた。

真。

凛。

美月。

三十七人の生徒。

全員が、ある一人の教師を覚えていた。

高瀬蓮。

だが、何かが起きた。

生徒たちは教師の名前を忘れた。

その結果、教師は記録から消えた。

そして、記録を修復するために、何度も高瀬蓮という名前が登録された。

「……じゃあ、俺は」

蓮はつぶやいた。

「俺は、最初の先生を戻すために作られた……?」

田島は首を振った。

「違う」

「……え?」

「君は、先生を戻すために作られたんじゃない」

田島は、蓮をまっすぐ見つめた。

「君自身が、その先生なんだ」

蓮は息を止めた。

「……そんな」

「記憶を失い、生徒として登録され、何度も出席を繰り返してきた」

田島は続けた。

「君は、自分が教師だったことを忘れている」

「……」

「だから、毎回、真を出席させようとする」

蓮は頭を抱えた。

真を出席させる。

凛を助ける。

美月を信じる。

すべて、自分が生徒だと思っていたから。

だが、もし自分が教師だったなら。

出席を取る側だったなら。

これまでの出来事は、まったく違う意味になる。

「……じゃあ、真は」

蓮が尋ねた。

「真は、何者なんですか」

田島は答えた。

「最初に、君の名前を忘れた生徒だよ」

その瞬間。

蓮の頭の中に、一つの光景が浮かんだ。

教室。

三十七人の生徒。

教卓に立つ自分。

出席簿を開く。

一人ずつ、名前を呼ぶ。

「佐伯美月」

「はい」

「高瀬凛」

「はい」

そして。

「高瀬真」

返事がない。

もう一度、呼ぶ。

「高瀬真」

少年は顔を上げた。

不思議そうな表情で、こちらを見る。

そして、こう言った。

「先生」

「……何だ?」

「先生って、誰ですか?」

蓮の記憶が、そこで途切れた。

10 最後のページ

蓮は、床に膝をついた。

頭の中で、無数の記憶が重なっていく。

教室。

病室。

出生届。

欠席届。

三十七人の生徒。

そして、真の声。

「僕を忘れないで」

その言葉は、真自身の願いだったのだろうか。

それとも。

自分が、真に向けて言った言葉だったのだろうか。

田島が言った。

「思い出したかい?」

蓮はゆっくりと顔を上げた。

「……少しだけ」

「そうか」

田島はうなずいた。

「なら、最後の確認をしよう」

「最後?」

田島は出席簿を開いた。

白紙になったページに、三十七人の名前が浮かび上がる。

佐伯美月。

高瀬凛。

高瀬真。

そして、見覚えのない三十四人。

全員の名前が並んでいた。

田島は言った。

「先生。出席を取ってください」

蓮は息を止めた。

「……俺が?」

「そうです」

田島は、静かにうなずいた。

「あなたが、担任教師ですから」

蓮は出席簿を見つめた。

三十七人。

一人ずつ、名前を呼ぶ。

それだけで、すべてが終わるのだろうか。

蓮は、最初の名前を読もうとした。

だが。

その瞬間、あることに気づいた。

「……待ってください」

田島が顔を上げる。

「どうしました?」

蓮は出席簿を指さした。

「この出席簿、おかしいです」

「……何が?」

「三十七人の名前がある」

「ええ」

「でも、最初の集合写真には……」

蓮は写真をもう一度見た。

三十七人の生徒。

そして、教師が一人。

合計三十八人。

「……全員いたはずなんです」

田島は黙った。

蓮は続けた。

「でも、この出席簿には三十七人しかいない」

「それは、生徒が三十七人だからでしょう」

「違います」

蓮は首を振った。

「最初の出席簿は、先生の存在を確認するためのものだったんですよね?」

田島は答えなかった。

「だったら、先生の名前も必要なはずです」

沈黙。

蓮は続けた。

「この出席簿には、最初から一人足りない」

田島の表情が変わった。

「……先生」

「その一人は、俺じゃない」

蓮は言った。

「俺は、ここにいる」

田島は一歩後ずさった。

蓮は出席簿の最後のページを開いた。

そこには、何も書かれていなかった。

だが、ページの端に、小さな文字が残っていた。

『出席確認者:未登録』

蓮は息を止めた。

「……そういうことか」

田島は低い声で言った。

「それ以上、考えないでください」

蓮は顔を上げた。

「あなたは、誰なんですか」

田島は答えない。

「あなたは研究員だと言った」

「……」

「でも、最初の出席簿には、研究員の名前なんてない」

蓮はゆっくりと立ち上がった。

「それに、あなたはさっき、俺たちを作っていないと言いましたよね」

「……ええ」

「ただ、記録しただけだと」

「……」

「じゃあ、どうしてあなたは、最初の記録を知っているんですか?」

田島は黙った。

蓮は続けた。

「どうして、誰も覚えていないはずの最初の先生を、あなたは覚えているんですか?」

地下室の時計が、午前零時二十分を指した。

田島は、ゆっくりと眼鏡を外した。

そして、静かに言った。

「……そこまで気づいてしまいましたか」

蓮は身構えた。

田島は微笑んだ。

「では、最後の質問です」

「……何ですか」

「高瀬先生」

田島は、出席簿を閉じた。

「あなたは、三十七人の生徒を覚えていますか?」

蓮は答えられなかった。

田島は続けた。

「名前を見れば、呼べるでしょう」

「……」

「でも、顔を見ずに、一人ずつ思い出せますか?」

蓮は出席簿を見つめた。

佐伯美月。

高瀬凛。

高瀬真。

それ以外の生徒。

思い出せない。

一人も。

田島は、ゆっくりとうなずいた。

「そうでしょう」

そして、言った。

「あなたが生徒たちを忘れたんですよ。」

蓮は目を見開いた。

「……何?」

「生徒たちが先生を忘れたんじゃない」

田島の声が、地下室に響いた。

「先生が、生徒たちを忘れたんです」

蓮は何も言えなかった。

田島は続けた。

「だから、生徒たちは何度も出席しようとした」

「……」

「自分たちがここにいることを、先生に思い出してもらうために」

蓮の頭に、真の声がよみがえった。

『僕を出席させて』

『お願いだから、僕を忘れないで』

あの言葉。

あの必死な声。

真は、最初から自分を覚えてほしかっただけなのか。

蓮は震える声で尋ねた。

「……じゃあ、どうして俺は忘れたんですか」

田島は答えなかった。

代わりに、出席簿の表紙を裏返した。

そこには、古い文字が書かれていた。

『平成二十年十一月六日』

『担任教師 高瀬蓮』

『欠席理由 記憶障害』

蓮は息を止めた。

「……記憶障害?」

田島は静かに言った。

「先生。あなたは、あの日、ある出来事を経験しました」

「……」

「そして、生徒たちの名前を思い出せなくなった」

蓮は顔を上げた。

「……何があったんですか」

田島は、ゆっくりと答えた。

「それは、私が説明することではありません」

「……どうして?」

「あなた自身が、思い出さなければならないからです」

その瞬間。

地下室の壁に、映像が映し出された。

古い教室。

三十七人の生徒。

教卓に立つ教師。

そして、黒板に書かれた一つの文章。

『明日、全員が出席できるとは限らない。』

蓮は息を止めた。

映像の中の教師が、ゆっくりと振り返る。

自分と同じ顔。

その教師は、カメラに向かって言った。

「もし、私がこの日のことを忘れたら」

短い沈黙。

「この映像を見せてください」

教師は、黒板に一つの名前を書いた。

高瀬真。

そして、続けた。

「この子だけは、絶対に欠席扱いにしないでください」

蓮は目を見開いた。

映像の中の教師は、最後にこう言った。

「なぜなら――」

そこで映像が途切れた。

暗闇。

沈黙。

そして、画面に文字が現れた。

『映像記録の後半は、本人の同意がなければ再生できません。』

『再生しますか?』

蓮は、画面を見つめた。

その下に、二つの選択肢が浮かんでいた。

【再生する】

【再生しない】

田島は静かに言った。

「先生」

蓮は振り返った。

「何ですか」

「これを見れば、すべて思い出すかもしれません」

「……」

「ただし、一つだけ約束してください」

「何を?」

田島は、真剣な表情で言った。

「映像に映っている自分の言葉を、すべて真実だと思わないでください。」

蓮は眉をひそめた。

「……どういう意味ですか」

田島は答えた。

「記憶は、嘘をつくことがあります」

「……」

「そして、記録もまた、嘘をつくことがある」

田島は、画面を見つめた。

「でも、一番恐ろしいのは――」

一瞬の沈黙。

「嘘をついている本人が、それを真実だと信じていることです。」

蓮は、再生ボタンに指を伸ばした。

そして、押した。

映像が再開される。

教室。

三十七人の生徒。

黒板。

教師。

その教師は、カメラに向かってこう言った。

「高瀬真を欠席扱いにしてはいけない理由は――」

蓮は息を止めた。

「この子が、唯一の生存者だからです」

映像が止まった。

蓮の頭が真っ白になった。

唯一の生存者。

それは、どういう意味なのか。

そして、画面に最後の文字が現れた。

『平成二十年十一月六日 旧校舎事故記録』

『在籍者三十七名』

『生存確認一名』

『生存者:高瀬真』

蓮は震える声でつぶやいた。

「……じゃあ、他の三十六人は?」

田島は答えなかった。

代わりに、映像の中の教師が、ゆっくりと顔を上げた。

そして、カメラに向かって、静かに言った。

「もし、これを見ている私が、まだ生徒たちを探しているのなら」

短い沈黙。

「お願いがあります」

蓮は画面を見つめた。

教師は続けた。

「出席簿を、最後まで開かないでください。」

映像が暗転する。

そして、最後の一文。

『なぜなら、最後のページには――』

一秒。

二秒。

三秒。

『事故を起こした人物の名前が、記されているからです。』

その瞬間。

蓮の手元にあった出席簿が、ひとりでに開いた。

最後のページ。

そこには、赤い文字で一つの名前が浮かび上がっていた。

高瀬蓮。

第二十話「最後の十五分」――終

第二十一話「事故を起こした教師」へ続く。

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