↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
午前零時の出席簿  作者: セキマツ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/23

第十話「三十七番の席」


1 出席者、一名

午前零時。

校舎のすべての時計が、同時に動きを止めた。

高瀬蓮は、地下書庫の床に立っていた。

隣には佐伯直人がいる。

少し離れたところに、宮下美緒がいた。

そして、階段の上には黒田修一が立っていた。

四人とも、確かにそこにいる。

それなのに。

机の上に置かれた出席簿には、たった一つの名前しか残っていなかった。

三十七番 高瀬蓮

「……どういうことだよ」

佐伯が出席簿を手に取った。

何度めくっても、結果は同じだった。

三十二番から三十六番までの欄は、最初から存在しなかったかのように白紙になっている。

宮下が、出席簿を覗き込んだ。

「違う」

「何が?」

「名前が消えたんじゃない」

彼女は白紙になった欄を指先でなぞった。

「最初から、ここに名前がなかったことになってる」

「それが消えたってことじゃないのか?」

「違うよ、佐伯君」

宮下は首を横に振った。

「消されたなら、消された跡が残る。でも、これは違う。記録そのものが、最初から別の形だったことになってる」

高瀬は、三十七番の名前を見つめた。

自分の名前。

けれど、その名前を見ていると、妙な感覚に襲われた。

自分の名前を読んでいるはずなのに、他人の名前を読んでいるようだった。

「黒田先生」

高瀬は階段の上を見上げた。

「三十七番って、何なんですか」

黒田はすぐには答えなかった。

ただ、階段の壁に掛けられた時計を見ていた。

針は午前零時で止まっている。

「高瀬」

「はい」

「君は、自分が何人目だと思っている?」

「八人目です」

「それは記録に書かれていたからか?」

「……そうです」

「では、記録が間違っていたら?」

高瀬は黙った。

黒田はゆっくりと階段を下りてきた。

「八人目という数字は、君が八回作られたという意味ではない」

「じゃあ、何なんですか」

「八回、出席したという意味だ」

佐伯が顔を上げた。

「出席?」

「そうだ」

黒田は出席簿を閉じた。

「この学校で、出席するということは何を意味すると思う?」

「学校に来ることじゃないんですか」

「違う」

黒田は即答した。

「ここでは、誰かが君を君だと認めることだ。先生が出席を取る。友人が君の名前を呼ぶ。写真に君が写る。記録に君の名前が残る。それらが揃って、初めて君は出席したことになる」

「……じゃあ、今の俺たちは?」

佐伯の声がかすれた。

「全員、ここにいるのに」

黒田は佐伯を見た。

「君は、誰だ?」

「は?」

「名前ではなく、君自身のことを聞いている」

佐伯は答えようとした。

しかし、口を開いたまま動けなくなった。

自分が誰なのか。

そんなもの、考えたこともなかった。

佐伯直人。

その名前があって、顔があって、記憶がある。

友達と過ごした時間も、部活動のことも、昨日食べた昼食も覚えている。

だが、それらは本当に自分のものなのか。

七年前の記録には、こう書かれていた。

名前は固定されない。

人間だけが残る。

ならば。

名前を失った人間は、何をもって自分を自分だと証明できるのだろう。

「……俺は、佐伯直人だ」

佐伯は絞り出すように言った。

黒田は何も言わなかった。

代わりに、宮下が尋ねた。

「じゃあ、どうしてあなたは、七年前の自分の顔を覚えていないの?」

佐伯の表情が凍りついた。

「……何?」

「写真に写っていた三十四番。あれは、あなたなんでしょう?」

「そうだって、俺は言った」

「顔が違うのに?」

「……」

「それでも自分だと思った。どうして?」

佐伯は、何も答えられなかった。

そのとき。

地下書庫の奥で、椅子を引く音がした。

ギィ、と。

四人が同時に振り向いた。

書庫の一番奥。

壁際に並んだ古い机の一つに、誰かが座っていた。

制服姿の男子生徒。

顔は見えない。

俯いているからではない。

そこにあるはずの顔が、暗闇に溶けていた。

男子生徒は机に両手を置き、静かに言った。

「出席を取ります」

声は、高瀬のものだった。

「三十二番」

返事はない。

「三十三番」

返事はない。

「三十四番」

返事はない。

「三十五番」

返事はない。

「三十六番」

返事はない。

そして。

「三十七番」

高瀬の喉が、ひとりでに震えた。

返事をしてはいけない。

そう思った。

理由は分からない。

ただ、返事をすれば何かが終わる。

そんな確信があった。

「三十七番」

もう一度。

男子生徒が顔を上げた。

顔のない頭部が、高瀬の方を向いた。

「高瀬蓮」

その声を聞いた瞬間、高瀬の脳裏に一つの光景がよみがえった。

七年前。

教室。

午後十二時十六分。

黒板に書かれた文字。

そして、机に座って泣いている少年。

その少年が、顔のない男子生徒と同じ声で言った。

――もう、俺の名前を呼ばないで。

高瀬は、思わず一歩後ずさった。

男子生徒は、もう一度呼んだ。

「三十七番。高瀬蓮」

今度は、別の声が答えた。

「はい」

高瀬の背後からだった。

振り向く。

誰もいない。

それなのに、返事だけが確かに聞こえた。

「出席を確認しました」

顔のない男子生徒は、満足そうに頷いた。

「これで、全員揃いました」

その瞬間、地下書庫の照明が消えた。

暗闇の中で、誰かが高瀬の耳元に囁いた。

「やっと、戻れたね」

その声は。

高瀬自身の声だった。

2 空席

照明が戻ったとき、顔のない男子生徒はいなくなっていた。

机も椅子も、元の位置にある。

まるで何も起きなかったかのようだった。

ただ、一つだけ変化があった。

地下書庫の壁に、扉が現れていた。

これまで何度も調べたはずの壁。

そこには扉などなかった。

古い木製の扉。

表面には、金属製のプレートが取り付けられている。

三年二組

「……教室?」

佐伯が呟いた。

宮下は扉に近づかなかった。

むしろ、後ずさっていた。

「入っちゃ駄目」

「どうして?」

「ここは、七年前の教室だから」

「だったら、むしろ入るべきだろ。全部の始まりが分かるかもしれない」

「違うの」

宮下は強く首を振った。

「ここは七年前の教室じゃない」

彼女は扉のプレートを見つめた。

「七年前の教室を、今ここに作ったの」

高瀬は、その言葉の意味を考えた。

記憶の再構成。

名前の交換。

存在の消去。

この学校では、過去そのものが書き換えられているわけではないのかもしれない。

過去を覚えている人間の記憶を変え、記録を変え、周囲の認識を変える。

そうすることで、過去が別の形で存在していたことにする。

もし、教室まで同じ方法で再現できるのなら。

扉の向こうにあるのは、七年前の教室そのものではない。

誰かの記憶を材料に作られた、七年前の教室なのだ。

「誰が作ったんですか」

高瀬が尋ねると、黒田が答えた。

「君だ」

「俺?」

「正確には、君の前にいた誰かだ」

黒田は扉を見つめた。

「この学校は、記憶を保存するために教室を作る。失われた人間を保存するために、記録を作る。そして、記録からこぼれ落ちたものを、次の人間に引き継がせる」

「そんなことをして、何になるんですか」

「出席者を減らさないためだ」

高瀬は、九話の終わりに聞いた言葉を思い出した。

学校は、一人の人間を、永遠に出席させるための学校。

だが、それなら疑問が残る。

「一人の人間を永遠に出席させるなら、どうして何人も高瀬蓮がいるんですか」

黒田は答えた。

「一人を残すためには、一人を消さなければならなかったからだ」

「……」

「ところが、最初の計画は失敗した」

「一人ではなく、二人が残った」

宮下が、誰にともなく呟いた。

七年前の記録。

十二時三十九分。

成功。ただし、予定とは違う。

一人ではなく、二人が残った。

高瀬は扉を見た。

「二人って、誰ですか」

黒田は答えなかった。

宮下も答えなかった。

佐伯だけが、扉に近づいていった。

「開けるぞ」

「佐伯、待って」

高瀬が止めた。

佐伯は振り返った。

「ここまで来て、また何も見ないまま帰るのか?」

「そういう意味じゃない」

「じゃあ、どういう意味だよ」

佐伯は苦笑した。

「俺はもう、自分が誰なのか分からない。七年前の俺が今の俺なのか。今の俺が誰かの記憶を引き継いだだけなのか。それすら分からない」

彼は扉の取っ手に手をかけた。

「だから、せめて自分が何をしたのかくらいは知りたい」

高瀬は、彼の手を止められなかった。

扉が開いた。

中には、教室があった。

黒板。

机。

椅子。

窓際のカーテン。

何もかもが古びている。

壁の時計は十二時十六分を指していた。

そして、教室の中央に置かれた机の上には、一冊の出席簿があった。

佐伯が近づく。

「……三年二組」

出席簿を開いた。

一ページ目。

三十二番から三十七番までの欄がある。

三十二番 ――――

三十三番 宮下美緒

三十四番 佐伯直人

三十五番 高瀬蓮

三十六番 宮下美緒

三十七番 高瀬蓮

佐伯が息を呑んだ。

「三十六番も、宮下なのか?」

宮下は、何も言わなかった。

高瀬は、三十七番の欄を見つめた。

その名前の横には、赤い文字で一言だけ書かれていた。

本人確認済み

三十五番の欄には、別の文字がある。

本人確認不能

「これ……」

高瀬が指を伸ばす。

すると、文字がゆっくりと変化した。

三十五番。

高瀬蓮。

その名前が、紙の上から浮かび上がるように薄れていく。

代わりに、別の文字が現れた。

黒田修一

「……黒田先生?」

高瀬が顔を上げた。

黒田は教室の入口に立っていた。

その顔から、初めて余裕が消えていた。

「閉じろ」

「え?」

「今すぐ、その出席簿を閉じろ!」

黒田が叫んだ。

同時に、教室のスピーカーが鳴った。

ザーッ、という雑音。

そして、女の声。

「出席を取ります」

宮下が顔を上げた。

「この声……」

高瀬も知っていた。

何度も聞いたことがある。

校内放送の声。

しかし、いつもの放送とは違っていた。

声が震えている。

泣きながら、それでも淡々と名前を読み上げているようだった。

「三十二番」

沈黙。

「三十三番、宮下美緒」

「はい」

宮下が返事をした。

その瞬間、教室の窓ガラスに彼女の姿が三つ映った。

今の宮下。

少し幼い宮下。

そして、制服の違う宮下。

三人は、全く同じタイミングで口を開いた。

「はい」

「三十四番、佐伯直人」

「はい」

佐伯の声が、三重に響いた。

教室の後方からも。

窓の向こうからも。

そして、出席簿の中からも。

「三十五番、高瀬蓮」

高瀬は返事をしなかった。

「三十五番、高瀬蓮」

黒田が叫んだ。

「答えるな!」

だが、その声より早く。

教室の奥から返事が聞こえた。

「はい」

そこに、少年が立っていた。

三十五番の名札。

高瀬と同じ顔。

ただし、その目だけが違った。

少年は、高瀬を見て微笑んだ。

「三十六番、宮下美緒」

「はい」

今度は、教室の窓際から声がした。

誰も立っていない席。

その椅子に、誰かが座っている。

顔は見えない。

「三十七番、高瀬蓮」

沈黙。

放送の女が、息を吸った。

「……三十七番」

高瀬の足元で、出席簿がひとりでに閉じた。

そして。

「高瀬蓮」

高瀬は、自分の意思とは関係なく答えていた。

「はい」

その瞬間。

教室の時計が動き出した。

十二時十六分。

十二時十七分。

十二時十八分。

時計の針が進むたび、教室の景色が変わっていく。

机が一つずつ消える。

窓が消える。

黒板が白くなる。

壁の時計だけが、動き続けている。

そして、最後に残ったもの。

六つの机。

六つの椅子。

そのうち五つには、誰かが座っていた。

三十六番の席だけが、空いていた。

宮下が、震える声で言った。

「……違う」

彼女は空席を見つめた。

「ここに座っていたのは、私じゃない」

3 七年前の約束

教室が消えたあとも、六つの机と椅子だけは残っていた。

地下書庫の中央に、整然と並んでいる。

三十二番。

三十三番。

三十四番。

三十五番。

三十六番。

三十七番。

それぞれの机には、番号が刻まれていた。

しかし、三十六番の机だけ、天板に傷があった。

誰かが何度も、何かを削り取ろうとした跡。

高瀬は、その傷に指を触れた。

すると、頭の奥で声がした。

――約束しただろ。

知らない声ではなかった。

自分の声だった。

――午前零時になったら、全部忘れる。

――君も忘れてくれ。

――そうすれば、誰も君を見つけられない。

高瀬は手を引いた。

「今の……」

「聞こえた?」

宮下が尋ねた。

高瀬は頷いた。

「誰の記憶なんだ?」

「あなたの」

「俺の記憶は、信用できないんだろ」

「そうだよ」

宮下は、まっすぐに高瀬を見た。

「でも、あなたの記憶が全部嘘だとは言っていない」

彼女は三十六番の机に近づいた。

「この傷、覚えてる?」

「いや」

「私は覚えてる」

宮下は、机の天板をなぞった。

「七年前、私はここに座っていた。三十三番の席じゃない。三十六番の席に」

佐伯が振り向いた。

「でも、記録では三十三番だ」

「そう。記録ではね」

「じゃあ、三十三番の宮下は誰なんだ?」

「私だよ」

「……は?」

「三十三番も、三十六番も、どちらも私。だけど、同じ私ではない」

宮下は、苦しそうに笑った。

「少なくとも、私の記憶ではそうなっている」

高瀬は、古い写真のことを思い出した。

三十三番と三十六番。

どちらにも宮下美緒という名前があった。

そして、現在の宮下は三人目。

「三人目って、そういうことなのか?」

「たぶんね」

「たぶん?」

「私も、全部は覚えていないから」

宮下は目を伏せた。

「七年前の私は、二人いた。一人は三十三番として残り、もう一人は三十六番として消えるはずだった」

「はずだった?」

「でも、消えなかった」

彼女は高瀬を見た。

「あなたが、私を消したから」

高瀬の背筋が冷えた。

第七話で見た窓の文字。

私を消したのは、あなた。

あのときは、誰が書いたのか分からなかった。

今なら、意味が分かる気がした。

「俺が、宮下を消した?」

「正確には、三十六番の私を」

「何のために?」

宮下は答えなかった。

代わりに、三十六番の机の引き出しを開けた。

中には、折り畳まれた紙が入っていた。

紙の端は黄色く変色している。

広げると、子供の文字でこう書かれていた。

『約束』

『一人だけ残す』

『残った人は、全部忘れる』

『忘れた人の名前を、みんなで呼ぶ』

『午前零時になったら、もう一度出席を取る』

最後に、名前が二つ書かれていた。

高瀬蓮

宮下美緒

どちらの名前にも、同じ筆跡で線が引かれている。

その下には、別の名前があった。

佐伯直人。

さらに、その下。

黒田修一。

四つの名前が、輪になるように矢印で結ばれていた。

そして、紙の一番下に。

約束を破った人は、三十七番になる。

「三十七番……」

高瀬が呟いた。

黒田が、静かに言った。

「それを見つけたか」

「先生、これを書いたのは誰ですか」

「分からない」

「嘘だ」

「本当に分からない」

黒田は、四つの名前を見つめた。

「私が覚えているのは、これを書いた人間が、最後にこう言ったことだけだ」

「何て?」

黒田は一度、目を閉じた。

「『先生も、約束を守ってください』」

その言葉を聞いた瞬間、黒田の表情が変わった。

何かを思い出したようだった。

だが、次の瞬間には、再び無表情に戻っていた。

高瀬はそれを見逃さなかった。

「先生。あなたも、記憶を消されているんですか?」

黒田は答えない。

「あなたは、本当に黒田修一なんですか?」

沈黙。

「三十五番の記録に、あなたの名前が出てきました」

黒田の指先が、わずかに震えた。

「……そうか」

彼は、それだけ言った。

「やはり、そこまで戻ったか」

「何がですか」

「君たちは、まだ知らなくていい」

「もう、その言い方はやめてください!」

高瀬の声が書庫に響いた。

「俺たちの名前が消えて、記憶が変わって、誰が誰なのかも分からない。先生は何か知っているのに、いつも肝心なところで黙る。知らなくていいって、じゃあ俺たちは、いつになったら自分が誰なのか分かるんですか!」

黒田は、しばらく高瀬を見つめていた。

そして、静かに言った。

「君が知りたいのは、自分の名前か?」

「……」

「それとも、自分が何をしたのか?」

高瀬は答えられなかった。

黒田は続けた。

「その二つは、同じではない」

「どういう意味ですか」

「君は、自分が誰かを消したと思っている。だが、本当にそうなのか?」

高瀬の胸が締めつけられた。

黒田は、三十六番の机を見た。

「消された人間が、必ずしも被害者とは限らない」

その言葉だけを残して、黒田は地下書庫を出ていった。

足音が遠ざかる。

佐伯が小さく言った。

「……あの人、何を隠してるんだ?」

宮下は答えなかった。

彼女は、先ほどの紙を裏返していた。

裏面には、もう一つの文章が書かれていた。

表の文字よりも、さらに幼い筆跡。

『約束を守るためには、四人必要』

『一人が忘れる』

『一人が覚える』

『一人が消す』

『一人が見届ける』

そして、その下に。

見届ける人は、最後まで名前を持ってはいけない。

宮下の顔から、血の気が引いた。

「……これ」

「何?」

高瀬が覗き込む。

宮下は紙を握りしめた。

「これを書いた人、分かったかもしれない」

「誰なんだ?」

宮下は、ゆっくりと顔を上げた。

「三十七番」

4 午前零時の電話

地下書庫を出たとき、廊下の時計は午前零時を過ぎていた。

しかし、時間の感覚がない。

窓の外は暗く、校庭には誰もいない。

校舎の中にも、人の気配はなかった。

「三十七番が書いたって、どういうことだよ」

佐伯が尋ねた。

宮下は答えなかった。

高瀬も、考え続けていた。

三十七番。

出席簿に最後に残った名前。

八人目の高瀬蓮。

そして、約束を破った人間がなる番号。

もし三十七番が最初から存在していたなら。

三十七番は、誰だったのか。

もし三十七番が後から作られた番号なら。

誰が、その席を必要としたのか。

高瀬のスマートフォンが震えた。

画面には、着信が表示されていた。

高瀬蓮

自分の名前だった。

「……またか」

高瀬は通話に出た。

「もしもし」

『やっと出た』

聞き覚えのある声。

電話の向こうの高瀬は、少し笑っていた。

『今、どこにいる?』

「学校だ」

『地下書庫から出たところ?』

高瀬は足を止めた。

「……お前、誰だ」

『それ、何回目だろうね』

電話の向こうで、短い笑い声がした。

『俺は、最初の高瀬蓮だよ』

高瀬は何も言わなかった。

『君は三十七番を見た?』

「……見た」

『じゃあ、もうすぐ思い出す』

「何を?」

『君が、どうして作られたのか』

高瀬は、電話を握る手に力を込めた。

「お前は、本当に生きているのか?」

電話の向こうが静かになった。

やがて、声が返ってきた。

『それを決めるのは、君だよ』

「ふざけるな」

『君が俺を覚えていれば、俺は存在する。君が俺を忘れれば、俺は消える。簡単な話だろ?』

「……」

『だから、約束したんだ』

「誰と?」

『宮下と』

高瀬は、隣にいる宮下を見た。

彼女は、電話の声が聞こえているのか、じっと高瀬を見つめていた。

『午前零時になったら、俺のことを忘れる。そうすれば、あの子は残れる』

「……お前は、何をしたんだ」

『俺は、約束を守った』

「じゃあ、三十七番は何なんだ」

電話の向こうで、息を呑む音がした。

初めて、相手が動揺した。

『……誰から聞いた?』

「出席簿に書いてあった」

『そうか』

長い沈黙。

そして、最初の高瀬は、ひどく静かな声で言った。

『三十七番を見たなら、もう学校を出るな』

「どうして?」

『学校の外に出たら、君は君じゃなくなる』

「どういう意味だ!」

『もう一つ、約束があるんだ』

電話の向こうで、何かが倒れる音がした。

続いて、遠くから誰かが叫んだ。

『――高瀬、逃げろ!』

それは、黒田の声だった。

通話が途切れた。

画面には、通話時間が表示されている。

22分47秒

高瀬は、息を止めた。

これまで何度も見た数字。

記憶が欠けた時間。

午前零時までの残り時間。

そして今、電話をしていた時間。

すべてが、同じ数字だった。

二十二分四十七秒。

高瀬は履歴を開いた。

発信者は、高瀬蓮。

着信時刻は、午前零時。

通話終了時刻は、午前零時。

時間が進んでいない。

二十二分四十七秒も話したはずなのに。

時計は、最初から動いていなかった。

「……宮下」

高瀬は顔を上げた。

「今、何時?」

宮下は自分のスマートフォンを確認した。

「午前零時」

佐伯も時計を見た。

「俺のも零時だ」

高瀬は、廊下の壁時計を見た。

やはり、午前零時。

「じゃあ、俺たちは……」

「二十二分四十七秒の中にいる」

宮下が言った。

「ずっと前から」

そのとき、校内放送が鳴った。

ザーッ。

聞き慣れた雑音。

そして、女の声。

『出席を取ります』

高瀬は、天井のスピーカーを見上げた。

『三十二番』

返事はない。

『三十三番、宮下美緒』

「はい」

宮下が答えた。

『三十四番、佐伯直人』

「はい」

佐伯が答えた。

『三十五番、高瀬蓮』

沈黙。

『三十六番、宮下美緒』

沈黙。

『三十七番、高瀬蓮』

高瀬は返事をしなかった。

放送の女は、しばらく黙っていた。

やがて、声が低くなった。

『……欠席』

高瀬のスマートフォンが震えた。

新しいメッセージが届いている。

送り主は、登録されていない番号。

本文は一行だけだった。

「違う。欠席しているのは、三十七番じゃない。」

続いて、もう一通。

「三十七番は、出席を取っている側だ。」

高瀬は、ゆっくりと廊下の奥を見た。

そこには、誰もいないはずだった。

だが、廊下の突き当たり。

三年二組の教室の前に、一人の男子生徒が立っていた。

制服の胸元には、番号札。

三十七番。

男子生徒は、こちらを向いた。

その顔は。

高瀬の顔ではなかった。

佐伯の顔でも、黒田の顔でもない。

宮下の顔でもない。

そこにあったのは、七年前の集合写真で、三十二番の席だけ黒く塗りつぶされていた少年の顔だった。

少年は、口を動かした。

声は聞こえない。

けれど、高瀬には分かった。

少年は、こう言っていた。

「今度は、君が見届ける番だ」

その直後。

教室の扉が、内側からゆっくりと開いた。

中から聞こえてきたのは、何十人もの生徒の声。

全員が、同じ名前を呼んでいた。

「高瀬蓮」

「高瀬蓮」

「高瀬蓮」

「高瀬蓮」

その声の中に、一つだけ違う声が混ざっていた。

それは、高瀬が七年前からずっと忘れていたはずの声だった。

『――先生、三十七番が来ていません』

高瀬の目の前で、廊下の時計が動き始めた。

午前零時。

午前零時。

午前零時。

針は進まず、同じ時刻を繰り返す。

そして、スマートフォンの画面に最後の通知が表示された。

第八日目

出席者――一名

欠席者――三十六名

その下に、小さな文字でこう記されていた。

「出席者の名前を入力してください」

高瀬は、画面を見つめた。

名前を入力する欄は、一つだけ。

その下には、三つの選択肢があった。

高瀬蓮

黒田修一

?????

高瀬が指を伸ばすより先に、画面の文字が変わった。

三つの選択肢が消える。

代わりに、見覚えのない名前が浮かび上がった。

宮下美緒

その下に、小さな注意書き。

「この名前を選択すると、現在の宮下美緒は出席者として確定します」

さらに、その下。

「ただし、残りの二人は欠席となります」

高瀬は、顔を上げた。

宮下が、すぐ目の前に立っていた。

彼女は泣いていなかった。

ただ、静かに言った。

「……お願い」

高瀬の指先が止まった。

「私を、もう一度消して」

その瞬間、廊下の奥で、三十七番の少年が笑った。

そして、校内放送が告げた。

『第八日目、最終出席確認を開始します』

『確認対象――高瀬蓮』

『確認対象――宮下美緒』

『確認対象――佐伯直人』

『確認対象――黒田修一』

『なお、今回の出席確認において、本人による回答は認められません』

放送が終わる。

教室の扉が閉じた。

そして、高瀬のスマートフォンに、もう一通だけメッセージが届いた。

送り主は、最初の高瀬蓮。

本文は、たった一言だった。

「今度こそ、俺を選んでくれ」

高瀬は画面を見つめた。

宮下の名前。

最初の高瀬蓮。

三十七番。

三つの名前が、頭の中で重なっていく。

そして、ようやく気づいた。

この学校で、出席を取っているのは先生ではない。

出席を取っているのは、名前でもない。

ましてや、記録でもない。

出席を取っているのは、誰かを忘れた人間自身なのだ。

高瀬の指が、画面に触れた。

選択された名前は――

表示されなかった。

画面が真っ黒になったからだ。

その黒い画面に、一つだけ文字が浮かんだ。

「不正解」

直後、校舎のすべての窓に、同じ文字が映し出された。

「高瀬蓮は、まだ一度も出席していない」


第十話・終

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。