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『大陸一の大富豪は、今日も好きな女の子の店で暇人扱いされています。  作者: オレンジペコ


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第24話 私も、好きです

「……じゃあ」


 アルトが戻ってきた。


 さっきまで座っていた窓際の椅子へ、もう一度座る。


「コーヒー、もう1杯いります?」


「いらない」


「じゃあ何します?」


「何もしなくていい」


「え?」


「もう少しいていいって言われただけで十分」


 アルトは本気で嬉しかった。


 帰るつもりだった。


 告白できただけでも十分で、返事はいつまででも待つつもりだった。


 それなのに、リーナが引き留めてくれた。


 もう少し一緒にいたいと思ってくれた。


 それだけで今日はもう充分だ。


 たぶん明日も思い出す。


 来週も覚えている。


 アルトがそんなことを考えていると、リーナが向かいの椅子へ座った。


「アルトさん」


「うん?」


「さっきの返事なんですけど」


 アルトの笑顔が止まった。


「……今?」


「今です」


 待ってほしい。


 そういうつもりで引き留めたのか。


「ちょっと待って」


「嫌です」


「リーナ」


「何ですか?」


「心の準備が」


「告白したの、アルトさんですよね?」


「そうだけど」


「じゃあ聞いてください」


「……はい」


 背筋を伸ばした。


 何をしているんだろう、と自分でも思う。


 西部港の契約を決めるときですら、こんな座り方はしない。


「私、《黄金公》だって知ったとき、びっくりしました」


「うん」


「今まで何も知らなかったから。遠い人みたいに見えたんです」


 アルトの指先に力が入る。


「でも、次の日も店に来ましたよね」


「……うん」


「いつもの席に座って、いつものコーヒー飲んで。緊張して、砂糖いらないのに砂糖くださいって言って」


「それは忘れてほしい」


「嫌です」


「そう……」


 そこは残るらしい。


「それに、私が作ったタルトであんなに喜んで」


「それも?」


「覚えてます」


 アルトは目を逸らした。


 忘れてほしい。


 でも、リーナが自分のことを覚えているのは嬉しい。


 どっちなんだ。


「だから分かったんです」


 アルトはリーナを見る。


「私が知らなかったことがたくさんあっても、今まで見てたアルトさんが嘘になるわけじゃないんだなって」


「……うん」


「仕事してるアルトさんは格好いいです」


 また来た。


 不意打ちだった。


 アルトは一瞬、何も考えられなくなった。


「……ありがとう」


「でも、私が好きになったのは、そっちだけじゃなくて」


 好き。


 今、好きと言った。


 まだ返事は聞いていない。


 落ち着け。


「毎日店に来るアルトさんです」


 アルトは動かなかった。


「忙しくても約束したら来てくれて、私が困ってたら手伝ってくれて。一緒に歩いたら楽しくて」


 心臓がうるさい。


「来ないと気になるし、来るって分かったら待ってるし。美味しいものができたら、食べてもらいたいって思います」


 アルトはもう相槌すら打てなかった。


 期待するな。


 いや、ここまで言われて期待するなという方が無理だ。


 でも、まだ聞いていない。


「だから」


 リーナが一度、息を吸った。


「私も、アルトさんが好きです」


 聞こえた。


 聞き間違いではない。


 リーナが、自分を好きだと言った。


 アルトは頭の中でもう一度、その言葉を繰り返した。


 好き。


 俺を。


 リーナが。


「……アルトさん?」


「ちょっと待って」


「また?」


「今度は本当に待って」


 西部港の倉庫なら数秒で決められる。


 何十万枚の金貨が動く契約書でも、条件を見れば判断できる。


 でも、これは無理だった。


 何を言えばいい。


 ありがとう。


 違う。


 嬉しい。


 足りない。


 抱きしめたい。


 それは駄目だ。聞いていない。


 アルトは片手で顔を覆った。


「大丈夫ですか?」


「たぶん」


「顔、赤いですよ」


「見ないで」


「目の前にいるのに?」


「今だけ」


 心臓がうるさい。


 落ち着け。


 無理だった。


「……本当に?」


 結局、出てきたのはそれだった。


「何がです?」


「俺のこと」


「好きです」


 2回目。


 アルトはまた固まった。


 駄目だ。


 1回目より嬉しい。


「もう1回」


「嫌です」


「どうして」


「恥ずかしいからです」


 リーナの頬も赤い。


 自分のせいだ。


 それがまた嬉しい。


「……どうしよう」


「何がです?」


「すごく嬉しい」


「それはよかったです」


「リーナが俺を好きなんだ」


「何回確認するんですか」


「まだあんまり信じられない」


「じゃあ、やめます?」


「絶対嫌だ」


 考えるより先に出た。


 リーナが吹き出す。


 その笑顔を見て、アルトはようやく少し息を吐いた。


     ◇


「それで」


 リーナが言った。


「これからどうするんですか?」


「……何を?」


「私たち」


「俺たち?」


「付き合う、でいいんですよね?」


 アルトは止まった。


「いいの?」


「今、何の話してたんですか」


「いや、そうなんだけど」


「嫌なんですか?」


「そんなわけない」


「じゃあ決まりです」


「……うん」


 付き合う。


 リーナと。


 恋人。


 アルトは頭の中で並べてみた。


 どれも妙に現実味がない。


「リーナ」


「はい?」


「俺たち、恋人?」


「そうですよ」


「そっか」


 恋人。


 今度は少し実感が湧いた。


 まずい。


 また顔が緩む。


「アルトさん」


「何?」


「にやにやしてます」


「ごめん」


「別に謝らなくても」


「止められない」


 リーナが笑った。


 恋人が笑った。


 自分を見て。


 アルトはまた口元を押さえた。


「……今日、仕事なくてよかった」


「そんなにですか?」


「今の俺に大きい金額を任せない方がいいと思う」


「《黄金公》なのに?」


「今日は休業」


 リーナが声を上げて笑った。


 アルトも笑う。


 何でもいい。


 もう今日は格好がつかなくてもいい気がしてきた。


     ◇


 それから2人は、しばらく話した。


 恋人になったからといって、急に何を話せばいいのか分からない。


「明日、何時に来ます?」


「いつもの時間」


「仕事は?」


「午前中に終わらせる」


「無理しないでくださいね」


「うん」


「本当に?」


「本当に」


 昨日までと同じ会話だった。


 なのに、リーナは自分の恋人だ。


 その事実を思い出すたびに嬉しくなる。


「……アルトさん」


「何?」


「また嬉しそう」


「仕方ないでしょう」


「そんなに変わります?」


「変わるよ」


「何が?」


「リーナが俺のこと好きなんだって知ってる」


「もう言わなくていいです」


「それで、恋人」


「アルトさん」


「うん」


「恥ずかしいです」


「ごめん」


 リーナが頬を押さえる。


 可愛い。


 アルトはそう思って、すぐにコーヒーのカップへ視線を落とした。


 危ない。


 口に出すところだった。


「今、何か言おうとしました?」


「何も」


「怪しい」


「本当に何も」


 今「可愛い」と言ったらどうなるんだろう。


 もっと赤くなるのだろうか。


 見たい。


 いや、やめよう。


 今日はもう十分だ。


 アルトは残っていないコーヒーを飲もうとして、空のカップを傾けた。


「……空ですよ」


「知ってる」


「今、飲もうとしましたよね?」


「してない」


「しました」


「……した」


 リーナが笑う。


 もう駄目だった。


     ◇


「そろそろ帰るよ」


 アルトが時計を見た。


 かなり遅くなっている。


「はい」


「今日はありがとう」


「何のお礼ですか?」


 多すぎて分からない。


「……全部」


「何です、それ」


 リーナが笑った。


「外まで行きます」


「いいの?」


「馬車までです」


 店を出る。


 夜の空気は少し冷たかった。


 迎えの馬車は少し離れたところに止まっている。


 セドリックもいたが、こちらへ来る気配はない。


 リーナがアルトの右手を見る。


 その視線に気づいた。


「アルトさん」


「うん?」


「……手」


「手?」


 リーナが自分の右手を少し差し出した。


「帰るまで」


 アルトはその手を見た。


 次にリーナを見る。


 もう一度、手を見る。


 待て。


 これは。


 リーナから?


「嫌ならいいですけど」


「嫌じゃない」


 即答した。


「全然嫌じゃない」


「じゃあ」


 手を伸ばしかけて止める。


「……つないでいい?」


 リーナが少し笑った。


「はい」


 触れる。


 小さくて、温かい。


 前にもつないだ。


 市場で一度。


 だから大丈夫。


 そう思った直後、リーナの指が動いた。


 自分の指の間へ入ってくる。


 絡んだ。


 アルトの足が止まった。


 これは前と違う。


「……どうしました?」


「いや」


 恋人つなぎ。


 たぶん、これはそういうやつだ。


 恋人だから?


 そうなのか。


 恋人になると、リーナからこれをしてくれるのか。


 いや、毎回とは限らない。


 期待するな。


 でも嬉しい。


「嫌でした?」


「逆」


 握る強さはこれでいいのか。


 強すぎないか。


 弱すぎたら離れる。


 手汗は大丈夫か。


 急に気になってきた。


「アルトさん?」


「ちょっと待って」


「またですか?」


「これは聞いてない」


「手をつなぐって言いましたよ」


「前と違う」


「恋人なので」


 アルトは黙った。


 恋人なので。


 すごい言葉だ。


「……今、ものすごく嬉しい」


「知ってます」


「分かる?」


「顔に出てます」


 リーナが歩き出す。


 アルトも隣を歩く。


 馬車まで、あと20歩ほど。


 短い。


 近くに止めすぎだ。


 セドリックはなぜ今日はこんなに近くへ馬車を置いたんだ。


 あと10歩。


 リーナの手は離れない。


 あと5歩。


 もう着く。


 もっと遠くでよかった。


「アルト様」


 セドリックが一礼した。


「……近い」


「何がでしょうか」


「何でもない」


 リーナが隣で笑っていた。


     ◇


 馬車の前で手を離す。


 手のひらが急に軽くなった。


 アルトは右手を握りそうになって、やめた。


 見られたらまた笑われる。


「じゃあ、また明日」


「はい」


「いつもの時間に行く」


「分かってます」


「絶対行く」


「仕事はちゃんとしてください」


「はい」


 馬車へ向かう。


「アルト」


 足が止まった。


 今。


 アルト?


 振り返る。


 リーナも、自分で言ってから気づいたらしい。


 顔が赤い。


「……今」


「何でもないです」


「もう1回」


「嫌です」


「お願い」


「嫌です」


「リーナ」


「おやすみなさい!」


 リーナが店へ逃げていく。


 扉が閉まった。


 アルトは動けなかった。


 アルト。


 さんがなかった。


 初めてだった。


「アルト様」


 セドリックの声がする。


「ちょっと待って」


「先ほどから待っております」


「もう少し」


「……承知しました」


 アルトは口元を押さえた。


 リーナが自分を好きだと言った。


 恋人になった。


 リーナから手をつないでくれた。


 指まで絡めた。


 最後に、アルトと呼ばれた。


 今日は多すぎる。


 処理できない。


「……セドリック」


「はい」


「明日の午前、予定どれくらいある?」


「7件ございます」


「全部ちゃんと終わらせる」


「当然でございます」


「2時までに」


 セドリックがアルトを見る。


「《陽だまり亭》ですか」


「うん」


 アルトはまだ少し熱い右手を握った。


「恋人に会いに行く」


 口にした。


 また嬉しくなった。


「……恋人」


「アルト様」


「何?」


「馬車へお乗りください」


「うん」


 乗り込んでからも、アルトの口元はしばらく戻らなかった。

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