第16話 思ってたより、格好よかったです
昼前、《陽だまり亭》の裏口に荷馬車が止まった。
「卵、来た!」
リーナが外へ出ると、荷台には藁を敷いた木箱が2つ積まれていた。
「《陽だまり亭》さんですね?」
「はい」
「こちら、2箱です」
受け取った伝票を確認する。
以前より少し安い。
ほんのわずかな差だが、毎日使うものだから馬鹿にならない。
「父さん!」
「聞こえてる」
ベルンが厨房から出てきた。
「割れは?」
「ほとんどないみたい」
「上出来だな」
今回の卵は、王都から南へ戻る荷馬車を使って運ばれてきたものだった。
行きは荷物を積んでいるのに、帰りは空になる馬車が多い。それなら帰り道に農家の卵や野菜を積めば、運ぶ側も農家も得をする。
以前、アルトがそんな話をしていた。
「本当に始まったんだ」
「何が?」
「アルトさんが言ってたやつ」
「ああ。あの商人の話か」
「思ったより早かったなあ」
「商人ってのは早い奴が儲かるんだろ」
「父さん、それ絶対適当に言ってるでしょう」
「俺は料理人だからな」
ベルンが木箱を持ち上げる。
「ほら、そっち頼む」
「はいはい」
◇
午後。
小麦粉と香草を買うため、リーナは王都東側の市場へ向かっていた。
途中で、青い看板が目に入る。
《青麦商会》。
「あ」
店先に、朝見たものと同じ印の荷馬車が止まっている。
「ここなんだ」
並べられた野菜や卵を何となく眺めていると、声をかけられた。
「リーナちゃん?」
「あ、エッダさん」
南通りのパン屋だった。
「買い出し?」
「はい。エッダさんも?」
「卵をね。最近ここ、安定して入るようになったでしょう」
「今朝、うちにも届きました」
「助かるわよ。前は南から運ぶだけで結構かかってたから」
エッダが卵の箱を覗き込む。
「最初に話が出たときは、こんなに早く形になると思わなかったけどね」
「誰がまとめたんですか?」
「さあ。商会の偉い人じゃない?」
そのとき。
「その条件だと、農家側に負担が寄りすぎる」
奥から聞き慣れた声がした。
リーナが振り向く。
「……アルトさん?」
◇
開いた扉の向こうに長い机があった。
そこにアルトがいる。
いつもの窓際ではない。
コーヒーカップもタルトもない。
数人の商人と向かい合い、机いっぱいに帳簿と地図を広げていた。
「復路便だから運賃を下げられるのは分かる。でも集荷場まで農家自身に運ばせたら、小さい農家ほど参加できない」
「各農家を回れば、こちらの費用が増えます」
「全部回らなくていい」
アルトが地図の3か所を指した。
「ここ、ここ、それから南西の村。この3か所に集める」
「荷車を持たない農家もいます」
「近隣で共同搬入すればいい。運んだ農家には手数料を払う」
「手数料を?」
「仕事を頼むんだから当然でしょう」
相手が頷き、書き留める。
「昨日の卵の破損率は?」
「4%です」
「高いな。積み方を変えて2%まで落とせない?」
「試してみます」
「減った分は農家の買い取り価格に戻して」
「承知しました」
「葉物は?」
「傷みが少し」
「積み替えは?」
「2回です」
「1回にしよう。南門の倉庫を通す必要はない」
「ですが、これまでの手順では――」
「必要な手順なら残す。必要ないなら変える」
声を荒らげない。
相手の話を遮りもしない。
けれど、迷わない。
数字を聞いて、地図を見て、すぐに答えを出していく。
リーナは黙って見ていた。
知っているアルトとは、少し違った。
午後2時頃に現れる人。
いつものコーヒーを飲んで、タルトが売り切れていると分かりやすく残念そうな顔をする人。
店が忙しければ皿を運ぼうとするし、リーナにからかわれると困ったように笑う。
その人が今は、何人もの商人の真ん中にいる。
しかも誰も、アルトの言葉を軽く扱っていない。
「アルトさん、ちゃんと仕事してる……」
思わず漏れた。
「知り合いなの?」
エッダが聞く。
「うちの常連さんです」
「へえ」
「商人なのは知ってたんですけど」
またアルトを見る。
ちょうど誰かが差し出した帳簿へ目を落とし、数字を指で追っているところだった。
少し考えて。
「ここ。運賃じゃなくて保管料が膨らんでる」
すぐに見つけた。
リーナは瞬きをする。
「……格好いい」
「何?」
「何でもないです」
今のは聞かれたくなかった。
◇
「では、この条件で1か月試そう」
アルトが帳簿を閉じた。
「問題が出たら数字を集めて。感覚だけで直すと別のところが詰まるから」
「承知しました」
「農家への支払いは今まで通り3日以内。こちらの都合で遅らせないで」
話が終わる。
商人たちが席を立った。
アルトも書類をまとめ――そこで店先のリーナに気づいた。
「……リーナ?」
さっきまでの顔が、少しだけ柔らかくなった。
それを見て、リーナは妙な気分になった。
「こんにちは」
「何してるの?」
「買い出しです。通りかかったら声が聞こえて」
「ああ」
「聞いてました」
「どのくらい?」
「ちょっとだけ」
「そっか」
「卵、今日届きましたよ」
「どうだった?」
「前より安かったです。割れてるのもほとんどなくて」
「ならよかった」
「あれ、アルトさんがやったんですね」
「俺だけじゃないよ」
「でも、最初に言ってたでしょう? 空で戻る馬車を使えばいいって」
「きっかけはね」
「すごい」
「大げさだよ」
「大げさじゃないです」
あの日、《陽だまり亭》でしていた話が、本当にたくさんの人を動かしている。
リーナはもう一度、机の上の帳簿を見る。
「私が知ってるアルトさんと、ちょっと違いました」
「どんなの知ってるの?」
「毎日コーヒー飲んでる人」
「それも俺だけど」
「タルトがないと残念そうにする人」
「……それも俺だね」
「暇そうな人」
「仕事してるって何回も言ったよね」
「今日やっと信じました」
「遅いな」
リーナが笑う。
アルトも笑った。
いつものアルトだった。
なのに、さっきの姿を見たあとだと少し違って見える。
◇
「リーナさん」
後ろからセドリックがやってきた。
「あ。アルトさんのお友達」
「……はい。こんにちは」
「こんにちは」
セドリックはアルトへ書類を差し出した。
「次の方が到着しております」
「何分早い?」
「20分ほど」
「待ってもらって」
「承知しました」
リーナが2人を見る。
「お友達なのに、仕事も一緒なんですね」
「まあ、長い付き合いだから」
「大変ですね」
セドリックがリーナを見る。
「何がでしょう」
「アルトさん、仕事のとき細かそうだから」
「細かいというより、速いですね」
「速い?」
「こちらが1つ説明している間に、3つ先まで決められますので」
「へえ……」
「セドリック」
「事実です」
リーナはアルトを見る。
さっきまで商人たちを相手にしていた横顔を思い出す。
「やっぱり格好いいかも」
口から出た。
アルトが止まった。
「あ」
「今、何て?」
「何でもないです」
「聞こえたけど」
「じゃあ忘れてください」
「無理だと思う」
リーナは少し迷った。
別に、悪いことを言ったわけではない。
「……思ってたより、格好よかったです」
アルトが黙った。
格好いい。
俺が。
リーナに。
格好いい。
……思ってたより、は要るのか?
「アルトさん?」
「ちょっと待って」
「何をです?」
何を待ってほしいのか、自分でも分からない。
仕事なら、この程度で言葉に詰まることはない。
数千万の取引でも、相手が誰でも。
なのに今は、次に何を言えばいいのか分からなかった。
「……ありがとう」
ようやく出た。
リーナが笑う。
「でも普段はやっぱり暇そうです」
「台無しだな」
「そっちの方が見慣れてるので」
「じゃあ明日も暇そうにしてるよ」
「仕事してください」
「してから行く」
隣でセドリックが黙っている。
アルトはそちらを見なかった。
◇
「あ、そうだ」
帰りかけたリーナが振り返った。
「明後日ですよね」
「うん」
何のことか聞き返す必要はなかった。
「市場と川沿い。午後からで大丈夫ですか?」
「大丈夫」
「じゃあ店の前で」
「迎えに行くよ」
「分かりました」
リーナが笑う。
「楽しみにしてます」
「俺も」
「じゃあ、また明日」
「また明日」
リーナが出ていく。
扉が閉まった。
少しして、セドリックが口を開いた。
「アルト様」
「何?」
「先ほどの方をお待たせしております」
「分かってる」
「では」
「行こう」
アルトが歩き出す。
「それと」
「はい」
「何も言わないで」
「まだ何も申し上げておりません」
「顔に出てる」
「失礼いたしました」
まったく反省していない顔だった。
◇
次の相手は、王都でも大きな商会の代表だった。
「価格をあと3%上げていただければ、来季の供給量を保証できます」
「必要ありません」
アルトは資料を見る。
「現状の供給量で足りています」
「しかし冬場には需要が――」
「増える。ただ今年は西部からの流入も増える。そちらだけに3%上乗せする理由がない」
「では1%なら?」
「数量保証を2年つけるなら」
相手が少し考えた。
「……分かりました」
「では、それで」
次の資料へ進む。
判断はいつも通りだった。
数字を見れば、答えは出る。
それでも書類をめくる指が、一度だけ止まった。
『思ってたより、格好よかったです』
「……」
もう一回言ってほしい。
そう思ってしまった。
さすがに、それは言えない。
「アルト様?」
「何でもない。次」
それで終わりにした。
◇
その頃。
《陽だまり亭》へ戻ったリーナは、買ってきた小麦粉を棚へ入れていた。
「父さん」
「何だ?」
「アルトさんって、ちゃんと商人なんだね」
「今さら何言ってる」
「知ってたけど。思ってたのと違った」
「毎日暇人扱いしてるからだろ」
「だって毎日来るし」
「仕事できる奴ほど時間作るの上手いんじゃないか?」
「そういうもの?」
「知らん」
「適当」
香草を取り出す。
棚へ入れようとして、手が止まった。
帳簿を見ていた横顔。
迷わず指示を出す声。
相手の商人たちが真剣に聞いていたこと。
それから、自分を見つけた途端に少し柔らかくなった顔。
「……格好よかったな」
「何が?」
「何でもない」
「そうか」
ベルンはそれ以上聞かなかった。
リーナは香草を棚へしまう。
明後日。
あのアルトと2人で出かける。
祭りの日にも一緒に歩いた。
この前だって、自分から誘った。
なのに今日は、なぜか少し違う。
リーナは自分の服を思い浮かべた。
祭りの日に着たものでは大げさだ。
普段着では、少しつまらない気がする。
「……何着よう」
「何か言ったか?」
「何でもないって」
棚を閉める。
明後日が楽しみなのは、前からだった。
ただ。
今は少しだけ、楽しみの意味が変わっていた。
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