第13話 探していた人
王都の秋祭りは、昼を過ぎる頃には大通りを埋め尽くしていた。
赤や黄色の布飾りが建物の間を渡り、露店から焼いた肉と甘い菓子の匂いが流れてくる。広場では楽師が笛を吹き、その周りを子どもたちが走り回っていた。
「すごい人……」
リーナは人波の向こうを見た。
「毎年こんなに多かったっけ」
「去年も同じくらいだったぞ」
隣を歩くベルンが答える。
「去年は店開けてたでしょう」
「ああ、そうだった」
「ほとんど見られなかったもん」
今年の《陽だまり亭》は昼までで営業を終えた。
せっかくの祭りなのだから午後くらい休もう、と言い出したのはベルンだった。
リーナも今日はエプロンを外している。
淡い若草色のワンピースに、生成りの薄い上着。いつも後ろでまとめている栗色の髪も、今日は半分だけ編んで下ろしていた。
「じゃあ俺は向こう見てくる」
「え、一緒に回らないの?」
「お前と祭りを回る歳でもないだろ」
「何それ」
「夕方には広場に戻る」
「分かった」
ベルンは手を振って人混みへ消えた。
リーナは1人で歩き出す。
露店を見る。
焼き菓子を見る。
雑貨を見る。
少し進む。
また人波を見る。
「……いないか」
小さく呟いてから、自分で首を傾げた。
誰を探しているんだろう。
昨日。
アルトには言った。
『明日、祭り行くんです』
『俺も少し顔を出すよ』
『じゃあ、会うかもしれませんね』
待ち合わせをしたわけではない。
王都の大きな祭りだ。
これだけ人がいれば、偶然会う方が難しい。
なのに気づけば、背の高い黒髪を探していた。
「何してるんだろ、私」
リーナは苦笑して、露店へ目を戻した。
◇
その頃。
「アルト様、こちらです」
「分かってる」
アルトは中央広場近くの商業組合の建物から出てきた。
祭りの日でも仕事はある。
むしろ人と物が大きく動く日だからこそ、確認すべきことも多い。
「次は午後4時から、南部商会との会合です」
「場所は?」
「商業院の第2会議室です」
「それまで1時間半か」
「はい」
セドリックが予定表を見る。
「何か追加で確認されますか?」
「いや」
アルトは大通りを見る。
人が多い。
かなり多い。
「では、早めに商業院へ――」
「祭り見てくる」
「……はい?」
「1時間半あるんだろ」
「ございますが」
「なら問題ない」
「それは問題ございませんが」
セドリックはアルトの視線を追った。
「リーナさんですか?」
アルトが黙る。
「昨日、祭りへ行くとおっしゃっていたのでしょう」
「……よく覚えてるね」
「アルト様が昨日から3回ほど時間を確認されていますので」
「そんなに聞いた?」
「はい」
「そう」
アルトは歩き出した。
「1時間後に戻る」
「承知しました」
セドリックは追わなかった。
◇
会えるとは思っていなかった。
アルト自身、そう考えていた。
祭りには何千人も来ている。
場所も決めていない。
時間も決めていない。
見つけられる可能性は低い。
だから別に、会えなくても仕方ない。
そう思いながら、もう3本目の通りを歩いていた。
黒髪ではない。
違う。
背丈も違う。
あれも違う。
自分でも何をしているのか分かっている。
探している。
普通に。
「……広すぎるな」
仕事なら、こういう探し方はしない。
情報を集めて場所を絞る。
人を配置する。
最短で見つける。
けれどリーナを人に探させるのは何か違う気がした。
だから自分で歩いている。
非効率だ。
かなり。
それでも歩く。
広場へ続く角を曲がった。
そこで。
見つけた。
露店の前に立つ、小柄な女性。
栗色の髪。
けれど、いつもと違う。
髪を下ろしている。
エプロンもない。
淡い若草色の服。
横顔が見える。
アルトは足を止めた。
可愛い。
まず、それが出た。
次が出てこない。
可愛い。
それだけ。
商談なら、相手が席につくまでに条件を3つは整理できる。
数字を見れば利益も危険も拾える。
なのに今は、
可愛い。
の次が何もない。
「……何してるんだ、俺」
小さく呟く。
そのとき、リーナが振り返った。
目が合う。
「あ」
リーナの表情が変わった。
「アルトさん!」
笑った。
アルトはさらに困った。
服だけでも十分だったのに。
その顔で笑われるとは思っていなかった。
◇
「本当に会いましたね」
リーナが人混みを抜けてくる。
「うん」
「すごい偶然」
「そうだね」
「アルトさんも今来たところですか?」
「いや」
3本の通りを探した。
とは言えなかった。
「少し前から」
「そうなんですね」
リーナが笑う。
「どうしました?」
「何が?」
「さっきから私の顔見てます」
「……ごめん」
「何かついてます?」
「違う」
「じゃあ何です?」
アルトは一度だけ視線を逸らした。
言っていいのか。
いや。
これは別に失礼ではない。
たぶん。
「今日、いつもと違うね」
「店じゃないですから」
「髪も」
「ああ。変ですか?」
「違う」
今度はすぐに答えた。
「可愛い」
リーナが止まった。
アルトも止まった。
言った。
思ったことをそのまま。
「……ありがとうございます」
リーナが髪へ触れる。
少しだけ頬が赤い。
アルトはそれを見て、言わなければよかったとは思わなかった。
むしろ。
言ってよかった。
かなり。
「アルトさん」
「うん?」
「そっちも、いつもとちょっと違いますね」
「俺?」
「店にいるときより、ちゃんとして見えます」
「普段は?」
「暇そうです」
「ひどいな」
「ふふ」
いつものリーナだった。
それで少し落ち着いた。
◇
「これ、美味しそう」
リーナが足を止めた。
露店では、薄く焼いた生地に蜂蜜と砕いた木の実をかけている。
「食べる?」
「ちょっと気になります」
「じゃあ買おうか」
「私、自分で払いますよ」
「分かってる」
「え?」
「俺も食べるから」
「ああ」
2つ買う。
リーナが一口食べた。
「美味しい」
「甘いね」
「アルトさん、甘いの大丈夫でしょう?」
「好きだよ」
「知ってます。タルト毎日食べてますから」
「毎日ではない」
「ほぼ毎日です」
歩きながら食べる。
途中、子どもが走ってきた。
「危ない」
アルトがリーナの肩へ軽く手を添え、道の端へ寄せる。
「あ」
「ごめん」
すぐに手を離した。
「いえ」
リーナは何でもないように答えた。
アルトも何でもない顔をした。
ただ。
触れた。
肩。
ほんの一瞬。
服の上から。
それだけだ。
人混みだから避けただけ。
何もおかしくない。
「アルトさん?」
「何?」
「そっち行きます?」
「ああ。うん」
危ない。
何が危ないのかは、もう少し分かってきた。
◇
広場の端まで来たところで、リーナが言った。
「私、さっきアルトさん探してたんですよ」
アルトの足が止まった。
「……俺を?」
「はい」
「どうして?」
「どうしてって」
リーナは少し考える。
「昨日、来るって言ってたから」
「祭りに?」
「はい」
「それで探してた?」
「せっかくなら会えるかなって」
アルトは何も言わなかった。
「アルトさん?」
「……そっか」
リーナも。
自分を探していた。
会えるかもしれないと思って。
人混みの中で。
それは、かなり嬉しい。
いや。
かなりでは足りない。
「どうしたんです?」
「俺も探してた」
「え?」
「リーナを」
今度はリーナが黙った。
「本当に?」
「うん」
「偶然会ったんじゃないんですか?」
「3本くらい通り歩いた」
「そんなに?」
「思ったより人が多かったから」
リーナが笑った。
「じゃあ、お互い探してたんですね」
「そうみたい」
「何か面白い」
「そう?」
「だって、待ち合わせもしてないのに」
リーナが前を向く。
けれど少し嬉しそうだった。
アルトも前を向いた。
会いたかった。
自分だけではなかった。
その事実が、さっきから頭の中で何度も回っている。
◇
夕方が近づくと、広場の周囲に吊られた灯籠へ火が入った。
赤。
橙。
淡い黄色。
夕暮れの空の下で、小さな光が通りを埋めていく。
「きれい」
リーナが立ち止まった。
「去年見られなかったんです」
「店だったから?」
「はい。音だけ聞いてました」
リーナは灯籠を見上げる。
アルトは少しだけ横を見る。
灯りが、リーナの横顔に当たっている。
また可愛いと思った。
今日は何回思うんだろう。
「アルトさんも見てます?」
「見てる」
「灯籠ですよ?」
「……見てるよ」
「今、私見てませんでした?」
「見てた」
「認めるんですね」
「嘘ついても仕方ないから」
リーナが少し困ったように笑う。
「今日、変ですよ」
「そうかも」
「お祭りだから?」
「たぶん違う」
「じゃあ何です?」
「分からない」
これは本当に分からないことにしておいた。
◇
「そろそろ戻らないと」
アルトが時計を見る。
「仕事ですか?」
「うん。4時から」
「え」
リーナが驚く。
「仕事の途中だったんですか?」
「空き時間」
「だったらこんなに歩いててよかったんですか?」
「時間には間に合うよ」
「でも」
「リーナ」
「はい?」
「会えてよかった」
リーナが黙る。
「だから大丈夫」
「……そういう言い方、ずるいですね」
「何が?」
「何でもないです」
リーナは鞄から小さな布を取り出した。
「これ、使います?」
「何?」
「少し汗かいてます」
「ああ」
歩き回ったからだ。
「ありがとう」
受け取る。
白い布に、小さな草花の刺繍が入っている。
「洗って返すよ」
「別にそのままでいいですよ」
「返す」
「じゃあ、また店で」
「うん」
また店で。
その言葉も、今日は妙に嬉しかった。
◇
「アルト様」
商業院へ戻ると、セドリックが待っていた。
「2分前です」
「間に合ったでしょう」
「間に合っております」
アルトは会議室へ入る。
机には南部商会の代表が3人。
資料を開く。
「では始めましょう」
話が始まれば、頭はすぐに切り替わった。
「この条件では受けられません」
「しかし、輸送費が昨年より――」
「上がったのは北側だけです。南路は逆に下がっている」
「ですが」
「数字はこちらで確認しています」
資料を1枚めくる。
「契約期間を3年に延ばすなら、単価は据え置く。1年契約なら4%下げる。それ以上はありません」
相手が黙る。
数秒後。
「……3年でお願いします」
「分かりました」
決まる。
次。
倉庫契約。
輸送枠。
支払い条件。
判断に迷いはなかった。
「以上です」
相手が退室する。
扉が閉まった。
「予定より17分早く終わりました」
セドリックが資料をまとめる。
「うん」
アルトは椅子にもたれた。
そこで。
『私、さっきアルトさん探してたんですよ』
戻ってきた。
アルトは天井を見る。
探してた。
リーナが。
自分を。
「……アルト様?」
「何でもない」
「本日それを聞くのは2回目です」
「そう?」
「はい」
アルトはポケットへ手を入れた。
借りたハンカチに触れる。
肩に触れた。
可愛かった。
探してくれていた。
ハンカチを借りた。
今日だけで多い。
「次の予定は?」
「午後5時半から会食です」
「あと1時間か」
「はい」
アルトは頷いた。
仕事なら、1時間あればかなりのことができる。
契約書を確認して、2つか3つ案件を処理して、明日の指示まで出せる。
なのに。
『お互い探してたんですね』
また出てきた。
「……セドリック」
「はい」
「仕事しよう」
「そのつもりですが」
「そうだね」
アルトは資料を開いた。
数秒で仕事へ戻る。
けれどその日の夕方。
数字の合間に何度も浮かんだのは、契約条件ではなかった。
若草色の服。
下ろした栗色の髪。
灯籠の光。
そして、人混みの中で自分を見つけた瞬間の笑顔。
可愛かった。
結局、その次に出てくる言葉は最後まで見つからなかった。




