第8話 誰が決める
排水管の中には、湿った土と錆の匂いがこもっていた。
人間十人が入るには狭い。
誰かの膝が誰かの背中に当たり、息を吐くたび他人の熱が近い。
それでも外よりはましだった。
ロボットはしばらく入口付近にいた。
やがて。
音が離れた。
誰も追いかけようとは言わなかった。
一時間ほどして外へ出た頃には、空が白み始めていた。
眠れた者はいない。
夜を一つ越えただけなのに、全員の顔が少し老けて見えた。
「戻るの?」
莉子が聞いた。
小屋の方角。
榊原は首を振った。
「しばらく避ける」
「食料は?」
航平。
「持てる分は持ってきた」
朱里がバッグを見せる。
すべてではない。
水も食料も、小屋に残したままだ。
「取りに戻らないと」
三崎。
「今は危険だ」
「いつなら危険じゃないんだよ」
榊原は答えなかった。
三崎が笑う。
「結局、お前が決めるのか?」
空気が止まる。
榊原が見る。
「何の話だ」
「さっきから全部だよ。移動する。止まる。逃げる。お前が決めてる」
「嫌なら従う必要はない」
「そういう言い方が一番ずるいんだよ」
航平が小さく、
「めんどくせえ」
と呟いた。
三崎が睨む。
「お前は黙ってろ」
「何でだよ」
「ナイフ持って一番偉そうにしてる奴に言われたくない」
「欲しいなら貸してやろうか?」
「やめろ」
蒼真が言った。
二人がこちらを見る。
自分でも意外だった。
「今、やる話じゃない」
「じゃあいつやる」
三崎。
「誰が決めるんだ。食料も。武器も。逃げる方向も」
誰も答えない。
必要な話だった。
だから厄介だった。
大庭が地面に座り込んだ。
「なら決めなきゃいい」
「は?」
「一人に決めさせるから揉めるんだろ」
大庭はポケットから保存食を出した。
「腹減ったときに食う。危ないと思った奴が言う。詳しい奴が詳しいことを決める。それでいいだろ」
「それでまとまるか?」
「さあ」
大庭は袋を開けた。
「会社じゃないんだから、役職決めても給料出んぞ」
航平が吹き出した。
少しだけ。
空気が緩む。
榊原も否定しなかった。
結局。
誰かをリーダーにはしなかった。
機械については大庭と朱里。
周辺確認は榊原と蒼真。
怪我や体調は澪。
物資は複数人で確認。
ただし最終決定権は誰にも持たせない。
中途半端だった。
でも、人間十人が一晩で作るルールなんて、その程度でいい気もした。
沙耶は歩けなかった。
澪は、
「今日は動かさない方がいい」
と言った。
彼らは排水管から少し離れた林の窪地で休むことにした。
蒼真は木の幹にもたれた。
目を閉じる。
眠りたい。
でも、眠ろうとすると銃声を思い出す。
白いシャツの男が倒れる。
何度も。
記憶というものは、見たときより鮮明になることがある。
「寝ないの?」
隣。
航平だった。
「お前も」
「無理」
航平は草をちぎった。
「昨日の人さ」
蒼真は答えなかった。
「夢に出そう」
「寝てないのに?」
「だから出そうって話」
少し笑った。
航平はしばらく黙った。
「俺、あの人が撃たれたとき吐いたじゃん」
「ああ」
「恥ずいな」
「普通だろ」
「お前吐いてないじゃん」
「吐く余裕なかっただけ」
航平はまた草をちぎる。
「こういうとき、普通って何なんだろうな」
蒼真には分からなかった。
たぶん、誰にも。
少し離れた場所。
澪が沙耶の包帯を替えている。
血は止まっているように見えた。
そのあと澪は莉子の手の擦り傷を見て。
航平の膝を見て。
朱里の腕の傷まで見た。
「雨宮さん」
大庭が声をかける。
「お前さん、自分のは?」
澪が止まる。
「私?」
「左腕」
全員ではなかったが、何人かが見る。
澪の袖。
肘のあたり。
黒く濡れている。
血だった。
「いつ」
蒼真が立ち上がる。
「大したことないです」
「見せろ」
「本当に」
「見せて」
少し強く言った。
澪が困った顔をした。
袖を上げる。
切り傷。
思ったより深い。
「いつ怪我した」
「昨日」
「何で言わない」
「他の人の方が」
「そういう話じゃないだろ」
蒼真の声が強くなった。
澪が黙る。
怒るつもりではなかった。
でも。
沙耶を支えながら走って。
他人の傷ばかり見て。
自分の血は隠している。
それが妙に腹立たしかった。
「悪化したら、今度は誰かがお前を運ぶんだぞ」
澪の顔が少し変わる。
「……すみません」
その言い方を聞いて、今度は言いすぎたと思った。
人間は面倒だ。
心配して怒る。
怒ってから後悔する。
蒼真はそれ以上言えなかった。
澪は自分で傷を処置した。
その様子を、黒瀬だけが少し遠くから見ていた。
「黒瀬さん」
朱里が声をかけた。
「何」
「昨日のロボット」
黒瀬は彼女を見る。
「近くで見たんですよね」
「一度だけ」
「沙耶さんを置いて逃げたとき?」
朱里の聞き方は悪意がない分、刺さった。
黒瀬の目がわずかに細くなる。
「そうだ」
「何か気づかなかった?」
「何を」
「動きとか、音とか」
黒瀬は考えた。
「……右」
「右?」
「右へ曲がるときだけ少し遅かった」
蒼真が振り向く。
大庭も。
「本当か」
大庭。
「たぶん」
「どのくらい」
「知らない。ほんの少し」
蒼真は最初のロボットを思い出す。
上半身の旋回。
大庭も遅いと言っていた。
「キャタピラー?」
朱里。
「いや、本体ごと右へ方向を変えるとき」
大庭が顎を撫でる。
「左右で駆動に差があるか」
「故障?」
莉子。
「かもしれん」
「だったら」
航平が立ち上がる。
「壊せるんじゃね?」
誰もすぐには乗らなかった。
けれど。
昨日まで。
ロボットはただ逃げるしかないものだった。
初めて。
そこに、
弱点かもしれないもの
が生まれた。




