第1章「百足の檻、美貌の餌」
牢獄の鉄格子が、耳を劈く不快な軋み音を立てて乱暴に開いた。
地下の淀んだ空気が揺れる。
入ってきたのは盗賊的の頭だ。大柄な体躯からは、安酒の悪臭と、ズボンの股布にこびりついた乾いた精液の生臭さが放たれ、鼻腔を容赦なく刺す。
男は内臓を抉り取られた商人の死体を引きずっていた。
死体のぬるい内臓が石床を滑り、泥と不潔な排泄物の混じった床を赤く濡らしながら、私の目の前まで転がってくる。
在りし日の地球で、私は男だった。美しい女を執拗に追い求める、傲慢な男だった。
それがどうだ。因果応報か。今の私は、この銀髪と紫水晶の瞳を持つ少女の頭蓋に閉じ込められ、泥の底で最も汚らわしい怪物へと成り果てている。
「おい、飯だぞ。出来損ないの化け物め」
頭は下劣な笑みを浮かべ、まだ温かい死体を私に向かって蹴り飛ばした。
死体の重みが私の人間の胸に強く衝突する。
その生々しい血の匂いが、下半身の呪いを一瞬で覚醒させた。
臍の下から、狂気の羽音が響き渡る。
闇の中から、黒く硬い四十本の節足が、カチカチと狂ったような音を立てて石床を掻きむしった。
巨大な大百足の身体が、私の人間の上半身を激しく揺さぶりながら、死肉へと突進する。
私の美しい銀髪が、死体の脂と胃液、側溝の泥の中に容赦なく巻き込まれていく。
臍の下にある虫の顎が大きく開き、緑色の消化液を吐き出した。ジュクジュクと音を立てて、死体の衣服が溶け始める。
(やめろ! 頼むから喰うな! 私は人間だ!)
脳の奥底で、私は狂ったように叫び、自分の頭蓋骨の内側を掻きむしっていた。
だが、この欠陥だらけの身体は、人間の手の指をただ不格好に震えさせるだけだ。麻痺した身体は私の命令を完全に拒絶している。
死体を押し退けることも、逃げることもできない。
乾ききった舌 es 上顎に張り付き、桃色の唇からは、ただ淀んだ唾液と、幼児のような知性のない言葉が漏れるだけだった。
「あ……ば……」
松明を持った痩せ型の盗賊が、甲高い笑い声を地下室に響かせた。
男は泥だらけの手で私の銀髪を乱暴に掴み、頭皮が引きちぎれるほどの力で私の顔を後ろへと反らせた。
無理やり、自分の醜悪な捕食行為を見せつけられる。
「頭、見てくださいよこいつ!」
痩せ型の男は笑いながら、松明の炎を私の頬に近づけた。皮膚が焦げる熱さで、私の目から涙が滲む。
「顔は高貴な聖女様みたいなくせに、下半身を見てみろ! 虫の足が死体の肺を貫いてやがる! 肉の弾ける音が聞こえますよ! 狂ってやがる!」
「ただの獣だと言っただろう」
頭は酒瓶を煽り、私の黒い甲殻の足を力任せに踏みつけた。甲殻が砕ける鈍い音が響き、中から腐臭を放つ灰色の体液が溢れ出す。
「残さず全部 呑み込ませろ。拒むなら頭を踏みつぶせ。ここに痕跡を残すな」
バキバキ、グチャリ。
私の虫の顎は、脳内の悲鳴を無視して、商人の肋骨を噛み砕いた。
腹部の鋏が容赦なく生肉を引き裂き、胸骨を粉砕し、黒い血の塊を貪欲に吸い尽くしていく。
痩せ型の男は、私の声にならない涙を嘲笑い、私の人間の顔を、死体の切り裂かれた首元へと力任せに押し付けた。
冷たい死体の脂と血が頬にへばりつき、紫水晶の瞳に染み込んでいく。
「さあ、床を綺麗に掃除しろ、このクズが!」
男は私の頬を平手打ちした。唇が切れ、私は上の人間の口で自分の血の味を覚知する。
その間も、下のおぞましい口は肉を引き裂き続けていた。
「急がねえならもっと痛めつけろ!」
入り口から頭の酔い浸った笑い声が響く。
「見ろよ、ガタガタ震えてやがる! そんな美しい顔が、あんな生ゴミみたいな虫に繋がってるなんてな。早く喰え、家畜め」
「喰え、この雌犬が! 喰え!」
痩せ型の男は、私の一方の間の人間の手を湿った石床に踏みつけ、細い指を泥の中に押し潰した。
その間にも、私の下半身は商人の内臓を凄惨な音を立てて引きちぎり、咀嚼していく。
ここで、私の本当の精神の崩壊が始まった。
これほどの地獄を目の当たりにしながら、胃の奥からの嘔吐感が消え去っていく。
噛み締めるたびに、おぞましい生物的な充足感が私の脊髄を駆け上がるのを感じていた。
男としての精神が粉々に砕けていく。自分の思考と、怪物の飢餓を切り離すことができない。
人間の肉の塊が、熱く、生温かく、血の塊とともに私の虫の体内へと流れ落ち、内臓を嫌悪すべき満足感で満たしていく。
私はついに、抵抗することをやめた。
意識を保つ苦痛から逃れるため、私は自らこの身体の痴愚と狂気の中へと沈み込むことを選んだ。
虫の本能に身を委ね、泥の中に溺れていく。下の口にある腐敗と、鉄と、死肉の味を、快楽として受け入れ始めていた。
血と唾液に塗れた人間の唇から、不意に、幼児のような、愚かで、狂気に満ちた笑い声が漏れた。
私自身が拒絶したはずの、完全な発狂の音だった。
「あ……ガ……はは……う……」
痩せ型の男は私の髪を放し、嫌悪と蔑みを剥き出しにして一歩退いた。
「行きましょう、頭。完全に狂っちまった。内臓を貪りながら笑ってやがる。見てて吐き気がしてきた」
「言ったろう、こいつの脳みそは最初から壊れてるんだ」
頭は私の銀髪に向かって汚い痰を吐き捨てた。
「暗闇の中で、残りの骨まで全部喰い尽くさせろ。格子の錠は厳重に閉めておけよ」
二人の盗賊は背を向け、牢獄から出て行った。
鉄の扉が乱暴な音を立てて閉まり、天井から煤と埃が舞い落ちる。鎖の擦れ合う音が響き、地下の通路へと遠ざかる足音がやがて完全に消えた。
完全な暗闇が戻ってくる。
天井の隙間から差し込むかすかな月光だけが、血溜まりと、汚れ果てた私の銀髪を照らしていた。
静寂の中で、私の百足の半分が死体の骨を噛み砕き、軟骨を破裂させる、湿った、粘り気のある、絶え間ない音だけが響き渡る。
私の紫の瞳は、暗闇の中でただ一点を見つめていた。
完全に狂い果てた意識の深淵で、自分が完全に「人を喰らう怪物」へとなり果てたことを自覚しながら。




