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Ep.37 「長く濃い影の先に」

 抱えるローゼは重たかった。単に死んだからではなく、無機物に戻ってしまったからかもしれない。


「澄嶺、そのまま行くの?」

「当たり前だよ。ローゼを1人にすることなんてできない」


 私の腕が折れようが大した話ではない。私の人生のたった1秒でも、ローゼに見守られていたいのだ。

 もっと早くこの事実に気がついていたら、もっと幸せにできたのかな。


「ジェット……私は、どうすべきだったのでしょうか」

「続けていいよ」

「また結局、なにもできませんでした。私を救ってくれたローゼを、守れませんでした……」

「フィーナ、君は悪くない。断言する──」


 この先の2人の会話は私の耳に入らなかった。もはやローゼが登場しない会話などどうでもいい。それよりも今は、この青髪の女をどうするかが問題であった。


「……」

「ネグレ」


 彼女は項垂れたまま動こうとしない。


「これからは好きに生きるといい。憎しみに囚われることも、私に刺される必要もないんだから」

「……私は、ローゼを殺したんだぞ?」

「私は貴方が嫌い。大嫌い。今、その頭を蹴り飛ばしても構わない。でもそれは私の気持ち、ローゼの気持ちじゃない。ローゼはきっと、ネグレを嫌いじゃない……気がする、から」


 私にローゼの考えていることはわからない。これまでも、これからも。でも想像して、慮ることくらいは私にもできるはずだ。

 私はネグレのためでなく、ローゼのためにネグレを殺さない。


「じゃ、じゃあ改めて……行こうか」


 私たちを引っ張るように京夏が言った。

 フジサワ本社の階段を、1段1段上り始める。


────


 1階は事務室だった。散乱した書類と割れた窓ガラスは、ここの人間の末路を密かに語っている。


「これは……」


 ジェットが驚嘆するほどに、このフロアは広い。ここならどれだけでも寝転べるだろう。


「それでは、手分けして探索しましょうか」

 

 フィーナの声に合わせて私たちは散らばった。ローゼを壁に預けて棚を漁る。トーダイの第1研究室のように、棚の中にはファイリングされた資料がいくつもあった。

 他にも、壊れかけでキィキィ音を鳴らすデスクの上にも少しの手掛かりが。


 目ぼしい情報は2つ。


 1つ目、このフジサワでは人工知能を制御する人工知能を研究していたということ。つまりはアテナだ。


 2つ目、この組織でアテナへの最高権限者が、今崎という人物であること。


「今崎……!」


 私はこの名前に覚えがあった。

 トーダイのサーバールームにログを残していた、あの男である。やはりというべきか、人工知能研究においてかなりのポジションを確保していたらしい。


「みんな! 私は他の階を探してくる。みんなは自由に探索を続けてて。日没くらいにエントランスで集合しよう」


 お待たせ。

 動かないローゼをお姫様抱っこの要領で持ち上げて、事務室を退出する。みんなは下から順に進むだろうし、私は上の……いや、トーダイで何を学んだ。


 エントランスに出て辺りをよく見回してみると、やけに仰々しい扉があった。開けてみると、やはりそこには下へ続く階段。前史の人間というものは、大事なものを地下に隠す修正があるらしい。まるで鼠である。


「ねえ、いつまでついてくるの?」


 背後で響く、私以外の呼吸音。

 なんともまあ面の皮の厚いやつである。どうして殺した相手の恋人につきまとうことができようか。


「ねえ。ネグレ」

「わっ、私は!」


 用意していた答えが全て吹き飛んだように、ネグレの肩が固まる。目線も泳いでいる。

 本当に、何をしに来たんだ。


「私は……逃げた。2人のせいにして、楽になろうとした……だから私は、2人の人生に責任を持ちたいんだよ! 

 頼む……償わせてくれなんて言わない。絶対に邪魔しない。だから、お願いだから……もう一度、苦しむチャンスをくれないか……?」


 都合がいいと思った。結局また逃げてるじゃないか。そう思った。


 不意に、腕が重くなる。


「ローゼ?」


 まるでローゼが私を引き止めるかのように、腕への重みが増していく。普通に考えればこれは、ただの腕の疲れなのだろう。だが今の私は何故か、この重さに別の意味を見出そうとしている。


 教えてよローゼ。ネグレをどうするべき?

 黙ってないでさ、答えてくれてもいいじゃん。


『私は、澄嶺がしたいことをしたいです』


 そっか。それがローゼの答えだったね。いつも言ってたのに、忘れちゃってたよ。


 私の望み、私がしたいこと。

 私が生まれてからずっと、ずっとずっと求めていたもの。


「ネグレ」


 しゃがみ込み、涙を零すネグレと同じ目線の高さになる。人さし指の背でそれを拭うと、彼女は変な顔をした。


「私たち、戻れないかな」


 ネグレの目線が、あちらこちらへ向けられる。


「そんな資格……だって私はローゼを──!」

「うん、ないよ」

「なら──」


 言い出そうとするネグレの口を、右手でそっと塞ぐ。焦った彼女の呼吸がどれだけ激しいかよくわかった。


「本当はね、ネグレを殺したいよ。ローゼにしたのと同じのを何回でも。ただ……」


「私はまたローゼと、京夏と、ネグレと、いろんなことがしたかったんだよ。でも……もうローゼはいない。帰ってこない。だけど、それがローゼの願いだったなら私は叶える責任がある。恋人として、ね」


 逃げようとしていたのは私だったのかもしれない。ローゼを喪った悲しみを、恨みを、ネグレにぶつけていた。


 それは当たり前のことだろうが、私の思いや気持ちなどは二の次だ。

 ローゼのために生きようとしているのだから。


 そのためなら、仇とだって仲直りする覚悟がある。

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