放課後の寄り道
「チーム第四班、ゲート前へ整列! 実戦演習を開始する!」
教官の鋭い号令が、初級ダンジョン第1層の岩肌に反響する。
周囲を薄暗い迷宮の湿った空気が包み込む中、私――月代冲奈は、貸与されたショートスピアを両手で握りしめ、喉をごくりと鳴らしていた。
今回の授業は、四人一組の固定パーティによる初級ダンジョン踏破演習。
学内ネットワークを通じて『HERMES』のテスト配信も行われており、頭上には数機の小型ドローンカメラがパタパタと浮遊している。
「おっきー、顔強張ってるよ〜! 大丈夫、ウチらが前で全部なぎ倒すからさ!」
隣でかりんが身の丈ほどもある大斧を軽快に肩に担ぎ、ニカッと眩しい八重歯を見せてウインクしてくれた。
「ふふ、私の風水結界もありますからね。冲奈ちゃんは安心して後ろにいてください」
天女もふわりと若草色の髪を揺らし、神木の弓を胸に抱いて微笑んでくれる。
二人とも頼もしすぎる。元・清掃員の小市民としては、この二人の後ろで一生小さくなっていたいところだ。
だが――。
「……坂田さん、天女。気を引き締めなさい」
一番前に立つ麗の背中は、痛々しいほどにピンと張り詰めていた。
昨日の屋上で見せた、タコさんウインナーを食べて柔らかく笑っていた表情はどこへやら。
腰の愛刀【波切】の柄を白くなるほど強く握りしめ、鋭いアクアマリンの瞳で薄暗い迷宮の奥を睨み据えている。
『明日の初級ダンジョン演習、竜宮寺の名に恥じぬ首席の戦果を期待する。失態は許されない』
昨日の昼休み、麗の端末に届いていた父親からのメッセージが、脳裏をよぎった。
名門の跡取り、首席のプレッシャー。
彼女が背負っているものの重さが、その細い肩からひしひしと伝わってくる。
「わたくしが先陣を切り、敵の群れを一息に殲滅しますわ。……誰も、足を引っ張らないでくださいね」
冷たく言い放つと、麗は合図のブザーと同時に、弾丸のような初速でダンジョンの通路へと駆け出した!
「ちょっ、うらっち早すぎ!?」
「麗ちゃん、突出しては陣形が……!」
かりんと天女が慌てて後を追う。
待ち構えていたのは、初級エリアの巡回魔獣――硬質な岩の甲殻を纏った巨大な土蜘蛛『クラッグ・スパイダー』の群れ、およそ十数体。
「竜宮寺流抜刀術――ッ!」
麗の神速の足捌きが、先頭の蜘蛛へ肉薄する。
アカデミートップクラスの冴え渡る太刀筋。
本来なら、一閃のもとに切り伏せて隙を作れるはずだった。
――だが。
「もっと速く……! お父様に、認められるような完璧な一撃を……ッ!」
気負いすぎた麗の意識が、ほんのわずかに前のめりになりすぎた。
重心が崩れ、濡れた洞窟の苔で爪先がツルリと滑る。
「あっ――!?」
ガキィィィン!!
神速の抜刀は甲殻の急所を逸れ、硬い外殻に弾かれて鋭い火花を散らした。
体勢を崩した麗の眼前で、怒り狂った土蜘蛛の鋭利な前脚が、凶悪な唸りを上げて振り下ろされる!
「しまっ……!?」
体勢の立て直しが間に合わない。
麗の顔から血の気が引いた。
「うらっちィッ!」
「麗ちゃん!」
かりんの大斧も、天女の結界も、突出した麗の位置には一瞬届かない!
「危ないぃぃぃっ!!」
考えるより先に、私の体が勝手に動いていた。
パニックのあまり悲鳴を上げながら、両手で抱えていたショートスピアを、目をつぶって滅茶苦茶に前へ突き出しながら派手にすっ転んだのだ。
ズザザザザァッ!!
太ももの羽ペンの力が炸裂し、私の体はありえない低空スライディングを敢行。
転がり込んだ私の頭上が、振り下ろされた蜘蛛の前脚を紙一重でかわす。
そして――すっぽ抜けた私のスピアが、天井から垂れ下がっていた巨大な鍾乳石の根元へ、ドスゥッ! と音速で突き刺さった。
メキメキメキ……ドガァァァン!!
「ギシャアアッ!?」
へし折れた巨大な鍾乳石の塊が、麗に襲いかかろうとしていた土蜘蛛の真上へ直撃!
哀れな蜘蛛は石の下敷きになり、周囲の地面が激しく揺れて敵の群れが一斉に怯んだ。
「い、今だぁぁぁっ!」
かりんの豪快な雷鳴の咆哮とともに、巨大な大斧が横薙ぎに炸裂!
怯んだ土蜘蛛たちを一撃でまとめて薙ぎ払い、吹き飛んだ敵を天女の光の破魔矢が正確無比に射抜いていく。
数分後。
洞窟の中に、静寂が戻っていた。
「……ふぅぅぅ! マジで肝が冷えた〜! おっきー、ナイス鍾乳石落とし! 相変わらず神がかったドジっ子エイムじゃん!」
かりんが汗を拭いながら、サムズアップで笑いかけてくる。
「う、うん……本当に死ぬかと思ったよ……」
地面にペタンと座り込んだまま、私はガタガタと震える膝を押さえていた。
奇跡的に怪我人はゼロ。演習の討伐ノルマも無事に達成だ。
だが――。
「…………」
麗は、地面に転がった土蜘蛛の殻を見つめたまま、一言も発さずに立ち尽くしていた。
握りしめた名刀【波切】の刃が、わずかに小刻みに震えている。
「……申し訳、ありませんでした」
絞り出すような、掠れた声。
「わたくしが、功を焦って突出したせいで……陣形を乱し、皆さんを危険に晒しました。あまつさえ、一番怖がっているはずの月代さんに……命を救っていただくなど……」
唇を強く噛み締め、大粒の涙を堪えるように俯く麗。
その姿は、いつも誇り高く凛としていた「名門のお嬢様」ではなく、ただ失敗に怯え、震えている不器用な一人の少女だった。
◇
「――はいっ! というわけで、反省会会場はこちらで〜す!」
演習終了後の夕暮れ時。
重苦しい空気を引きずったまま駅前まで戻ってきた私たちを、かりんがグイグイと引っ張って連れ込んだのは、赤と黄色の派手な看板が輝く大手ファストフードチェーン店だった。
油の香ばしい匂いと、高校生や家族連れの賑やかなざわめき。
トレーの上に山盛りにされたのは、揚げたてのフレンチフライポテトのメガサイズと、それぞれの紙コップに入った炭酸ジュースだ。
「さ、座った座った! ポテトは揚げたてが命だからね!」
かりんがボックス席の奥へ麗を押し込み、隣に天女が座る。私は麗の正面に腰を下ろした。
「……坂田さん。わたくし、このような油っこいジャンクフードをいただく気分では……」
「いーから食え! 反省する前にまず糖分と油分! これテストに出る常識!」
かりんは聞く耳を持たず、長いポテトを一本ひょいとつまむと、麗の唇の前に無理やり突き出した。
「ほら、あーん!」
「なっ……! は、恥ずかしいですわ、やめなさい……っ!」
「食うまで引っ込めないもんね〜!」
「う、うぅ……っ!」
観念した麗が、赤面しながらちまりとポテトの先をかじる。
カリッ、と小さな音が響いた。
「……ん」
「どーよ?」
「……塩気が効いていて、外はカリカリで、中はホクホクして……悔しいですけれど、とても美味しいですわ……」
「でしょ〜! はい、おっきーもあめりんも食って食って!」
みんなでトレーの真ん中からポテトをつまみ、ケチャップをつけて口に運ぶ。
じゅわっと広がる塩気と油の背徳的な旨味。炭酸のコーラで流し込むと、演習の極度の緊張で強張っていた体が、ふっと解けていくのが分かった。
「ふふ、揚げたてのポテト、とっても温かくて美味しいですねぇ」
天女が穏やかに目を細めながら、麗の紙コップにそっとストローを差してあげる。
しばらく黙々とポテトを食べていた麗だったが、ふと、視線をテーブルの木目へと落とした。
「……ごめんなさい、みんな」
ぽつり、と。
さっきの洞窟での強がりが剥がれ落ちた、素直な言葉が零れ出た。
「わたくし……ずっと、焦っていたのです。この【波切】は、亡き母の形見で……。母が亡くなってから、お父様はわたくしに対して、とても厳しくなられました」
麗は両手を膝の上でぎゅっと握りしめた。
「笑顔を見せてくださることもなくなり、話すことといえば、家柄のこと、成績のこと、探索者としての義務のことばかり……。わたくしが少しでも甘えた態度を見せれば、失望されてしまう。完璧でなければ、お父様に見捨てられてしまうのではないかと……ずっと、怖かったのです」
喉を詰まらせ、俯く麗。
名門の跡取りとしての誇り高いツンとした態度は、自分を守るための、そして父親に認めてもらうための必死の鎧だったのだ。
「うらっち……」
かりんがポテトを置いた。
いつものおちゃらけた態度を引っ込め、真剣な目で麗を見つめている。
「あのね、うらっち。ウチ、難しいことはわかんないけどさ。失敗したからって見捨てるような奴、ウチらのチームには一人もいないよ」
「え……?」
「突出してミスった? 結構じゃん! だってウチら、四人でチーム組んでるっしょ! うらっちがミスったらウチが斧でぶっ叩くし、あめりんが結界張るし、おっきーがパニックで鍾乳石落として助けてくれる!」
かりんはニカッと、眩しい笑顔を浮かべた。
「完璧じゃなくていーんだよ。かっこ悪いところも見せ合って、ケツ拭き合えるのが……『友達』ってやつじゃん?」
「ふふ、そうですよ。麗ちゃんは一人で全部背負いすぎです。もっと私たちに甘えてくれていいんですよ」
天女が優しく、麗の背中をトントンと撫でた。
「坂田さん……天女……」
麗のアクアマリンの瞳に、大粒の涙がじんわりと滲んでいく。
私は、元・清掃員のおっさんとして、大人としての視点でそっと言葉を重ねた。
「……麗ちゃんのお父さんさ。もしかしたら、厳しくすることしか、できないんじゃないかな」
「え……?」
「大切な奥さんを亡くして、一人で麗ちゃんを育てて……。大切だからこそ、危険な迷宮で絶対に死んでほしくなくて、どう接していいか分からなくなってるのかも。不器用な大人って、結構そういうところあるからさ」
前世で色々な大人や現場の人間を見てきたからこそ、なんとなく察せられる部分があった。
突き放しているように見えて、その裏にあるのは過剰なほどの心配と、不器用な愛情なんじゃないか、と。
「お父様が……不器用……?」
麗は目を丸くして、呆然と私を見つめた。
そんな考え方、今まで一度もしたことがなかったのだろう。
「そうだよ! 言葉で言えないならさ、気持ちを行動でぶつけてみればいーじゃん!」
かりんがバンッとテーブルを叩いて立ち上がった。
「決まり! 明日の放課後、『お父さんと仲直り大作戦』決行っしょ! みんなで何か美味いもん作って、お父さんに突撃して本音で話すきっかけ作ろうよ!」
「なっ……!? な、何を馬鹿なことを言っているのですか、坂田さん! お父様にそんな――」
「いーのいーの! 高校生といえば友達と料理! これテストに出る青春の王道だから!」
天女も「ふふ、素敵ですねぇ。家庭科室を借りて、みんなでお弁当やお菓子を作りましょうか」と楽しそうに微笑む。
「あ、あの……で、でもわたくし、料理など一度もしたことが……」
「大丈夫! おっきーが主婦並みに自炊スキル高いから教えてくれるって!」
「えっ、私!? まぁ、簡単なものなら教えられるけど……」
ギャーギャーと騒がしく盛り上がるテーブル。
麗は呆れたように目を白黒させていたけれど、その口元には、さっきまでの張り詰めた冷たさは微塵もなかった。
年相応の、戸惑いながらもどこか嬉しそうな、あたたかい笑顔。
(……青春だなぁ)
コーラをちびちびと飲みながら、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
下水路で孤独に生きていた頃には、想像もできなかった放課後の風景。
ポテトの油と、くだらないおしゃべりと、友達のために一生懸命になれる時間。
まだ、誰も知らない。
明日、その麗の父親の心の隙間を狙って、悪夢の種が牙を剥こうとしていることを――。
けれど今の私たちは、ただ目の前の友達の笑顔を取り戻すために、手探りで小さな一歩を踏み出そうとしていた。




