二度目の変身
日曜日、午前7時59分50秒。
この世で最も無慈悲なカウントダウンが、枕元の目覚まし時計からチクタクと響いていた。
「……いやだ。今週こそ、絶対に布団から出ないぞ……!」
私はボロアパートの煎餅布団を頭からすっぽり被り、畳を爪先で掴んで必死に抵抗していた。
だが、胸元から這い出てきた白い毛玉――マニは、真ん丸な瞳で容赦なく告げる。
「無駄ですよ、冲奈様。龍脈マナ充填率は100%。五、四、三、二、一――空間転送、執行でございます」
「ぎゃあああああ待ってぇぇぇぇぇっ!!」
――カチィィィン!!
視界が桜色の光で埋め尽くされ、重力がふっと消失した。
◇
――ヒュオオオオッ、ドサッ!!
「いったぁぁぁぁぁいっ!?」
硬いコンクリートに派手にお尻を打ち付けた。
吹き抜ける冷たい朝風、立ち並ぶ高層ビル群。
ここは――アトラス第1区、巨大商業ビルの屋上ヘリポート広場だ。
パジャマ代わりのヨレヨレTシャツにジャージ姿でへたり込む私の眼前で、パチパチとアスファルトを焦がす不吉な火花が散っていた。
「……ハッ! 待ちくたびれたぜ、光の小娘ェ!」
黒煙を割り、ゆらりと立ち上がったのは一人の男だった。
ボサボサの赤い長髪をなびかせ、擦り切れた耐火ライダースジャケットを素肌に羽織った青年。両腕には無骨な鉄鋲のナックルガード。口元から鋭い牙を覗かせ、瞳は獲物を狙う肉食獣のように爛々と黄金色に輝いている。
常世結社ネクロテイルの幹部――ガロだ。
「シデンがヘマ打って退けられたって聞いて見に来てやりゃあ、随分と貧相なツラじゃねえか。だが……その太ももの羽ペンが放つマナの圧、フェイクじゃねえな」
ガロが両拳を打ち鳴らすと、バチィィッ! と空気中の酸素が弾け、凄まじい熱波が吹き荒れた。
熱い。肌がチリチリと焼けるような、本物の殺気だ。
その頭上へ、ブゥゥゥン……! とけたたましい飛行音を響かせ、十機以上の『HERMES Live』報道ドローンカメラが雪崩れ込んできた!
『うおおおお! また日曜朝に怪異テロ発生!?』
『第1区の屋上だ! なんだあいつ、炎系のテロリストか!?』
『待って、またパジャマの女の子が地面に落っこちてるwww』
『先週の噴水広場と同じ子じゃん! 逃げてぇぇぇ!!』
世間では、敵の組織名も、私たちの事情も何も知られていない。
突如として都市を襲う謎のテロリストと、そこに巻き込まれた謎の少女――ネットの目にはそう映っているのだ。
「ひ、人違いですぅぅぅっ!」
私が叫んで顔を隠そうとした瞬間、太もものホルダーがカッと熱を帯びた。
『――敵性波長を感知。概念現実化プロトコル【ルミナ・ルナ】を執行します』
「ひゃいっ!?」
シュパッ! と射出された羽ペン型ワンドを、私の右手が目にも留まらぬ速さで鷲掴みにする。
喉が、私の意思とは無関係に、日曜朝の透き通るようなアニメ声で叫び声を上げた。
「――ルミナステール! オープン!!」
カチリ、と外れるキャップ。
ペン先からあふれ出た桜色の光インクが天空へ螺旋を描き、私の体をふわりと中空へ持ち上げる。
ドローンが一斉に超接写ズームを敢行した!
『変身バンクきたあああああ!!』
『今週も作画エグい! ガチの変身ヒロインだ!!』
光の帯が編み上がり、純白と桜色のフリルドレスが実体化。
淡いピンクの超ロングツインテールが重力を無視して広がり、軽やかに着地した手元で羽ペンがくるりと回転、ホルダーへ「カチリ」と収まる。
バシィッ!!
カメラを見据え、指先ピースと完璧なウインク!
「――夜空にひかる、優しい夢の物語! 『夢想神話ルミナ・ルナ』……!」
『ぎゃああああルナたん降臨!!』
『同接250万突破ァァァ!!』
「……ううっ、死にたい(毎週毎週、羞恥心で胃が破裂しそう……!)」
内心で頭を抱える私に対し、ガロはニヤリと凶悪な笑みを吊り上げた。
「ヒハッ! いいぜ、そのふざけた格好でどれだけ動けるか、オレの紅蓮で試してやるよォッ!!」
ドォォォォン!!
ガロが地面を蹴った瞬間、屋上のコンクリートが蜘蛛の巣状に砕け散った。
速い!
時速百キロを超える突進とともに、燃え盛る右ストレートが私の顔面へと迫る!
「ひぎゃああああっ!? 来ないでぇぇぇっ!!」
悲鳴を上げて咄嗟にしゃがみ込んだ。
だが――出力100%のルミナ・ルナの体は、私のパニックを極限の体術へと変換する。
ヒュバッ!!
私の体は重力を置き去りにしたような超低空バックステップで後退。
ガロの燃える拳は空を切り、その余波の火炎竜巻だけでヘリポートの柵をドロドロに融解させた!
「チッ、すばしっこい小娘がッ! ならこれはどうだぁッ!」
ガロが両手を地面に突き立てる。
ゴゴゴゴゴ……ッ! と広場全体のアスファルトが赤熱化し、四方八方から十数本の火柱が檻のように噴き上がった!
逃げ場のない焦熱地獄。
『囲まれた!?』
『火力がガチすぎる、これ避けるの無理だろ!!』
「丸焼きになりな、ルミナ・ルナァッ!」
猛烈な熱風が前髪を焦がしかけた、その時――。
「冲奈様、足元です! 跳んでっ!」
頭の上のマニが叫んだ。
太ももからワンドを抜き放ち、私は無我夢中で空中に向かってペン先を振るった。
キィィィィィン!!
空中に走った桜色のインクが、足場となる三日月の光の階段を瞬時に形成する。
火柱が交差してヘリポートを焼き尽くす寸前、私は光のステップをトントンッ、と駆け上がり、一気に上空三十メートルへと跳躍した!
「なっ……空中機動だと!?」
「い、息が止まるかと思った……! 朝からなんて危ないことするんですか!!」
空中で体勢を立て直し、眼下のガロへ向けてワンドを構える。
ペンのキャップを開き、インクを弾くように一閃!
シュババババッ!!
放たれた数十本の光の羽が、雨あられとなってガロへ降り注いだ。
「オラァッ!!」
ガロは両腕のナックルを交差させ、荒れ狂う火炎の壁を展開して光弾を次々と叩き落とす。
「クソが……ッ! 可愛いツラして、一発一発が戦車砲並みの重さじゃねえか……ッ!」
猛烈な勢いで火炎の壁を払い除け、ガロが大地を蹴って前進してくる。
だが、度重なる光弾の重圧に、その膝はわずかに軋んでいた。
――そして、焦燥に駆られたガロが、大振りの右ストレートを放とうと胸元をガラ空きにした!
(今……っ!)
着地と同時に、私は太ももの羽ペン型ワンドを強く握りしめ、地面を低く滑るように踏み込んだ。
出力100%の超反射が、相手の突進速度と力のベクトルを瞬時に見切る。
ヒュバッ!!
鼻先をかすめる剛腕を紙一重のスライディングで掻い潜り、がら空きになったガロの懐――その鳩尾へ、掌底をドンッ! と真下から突き上げた。
「がはっ……!?」
ガロの呼吸が止まり、両腕のナックルガードがパリンッと砕け散る。
そのまま自らの突進の慣性とカウンターの衝撃に耐えきれず、ガロの巨体がヘリポートのコンクリートへ派手に吹っ飛び、地面をバウンドして膝をついた。
「ぐ、クソッ……体が、動か……ねえ……!?」
煙を上げ、完全に体勢を崩して沈黙する敵幹部。
相手を完全にダウンさせ、生まれた決定的な隙。
「冲奈様、隙ができました! 今です、浄化技のプロトコルを起動してください!」
頭の上のマニが鋭く叫ぶ。
「うんっ……!」
私は大きく後退して距離を取り、両手でワンドを天高く掲げた。
相手を無力化してできた一瞬の静寂の中、全身の魔力が一気にペン先へと吸い上げられていく。
頭上に広がるのは、夜空のキャンバス。
インクが描き出した巨大な桜色の三日月が、私の腕の旋回とともに、みるみるうちに空一面を覆う『真紅がかった桜色の満月』へと満ちていく――。
「きらめく月光は、夢への輝き……!」
チャージ完了の合図とともに、私は両手で満月を前方へ力強く押し出した!
――『フルムーン・ドリーム・ストライィク』ッ!!
「しまっ――ぐあああああああっ!?」
解き放たれた満月がまばゆく崩壊し、圧倒的な月光の奔流となって膝をつくガロを包み込んだ。
黒煙も熱気も、すべてが春のそよ風のような柔らかな光の粒子となって洗い流されていく。
ガロは足元に開いた炎の転移門へ飛び込み、炎の粉とともに撤退していった。
◇
光の粒子となってドレスが消え、私は元のヨレヨレTシャツ姿へと戻った。
その場にへたり込み、地面に手をついて激しく肩で息をする。
「……はぁ、はぁ……死ぬかと思った……本当に死ぬかと思った……!」
「お見事でした、冲奈様。武闘派の敵を相手に隙を作り、見事なフィニッシュでした」
マニがひょこひょこと肩に登り、ふさふさの尻尾で私の頬を撫でてくれる。
上空を見上げると、ドローンカメラがホログラム画面を誇らしげに掲げて去っていくところだった。
『同時接続300万突破!』
『相手を完全に崩してからの必殺技、鳥肌立ったわ!!』
『ルナたん、可愛いのにアクションがガチすぎる!!』
世間では相変わらず「正体不明のすごい魔法少女ライバー」としてバズっている。
……また明日、学校でかりんたちに動画を見せられて悶絶する未来が確定した。
けれど、マニは珍しく真剣な表情を崩さず、私の太ももの羽ペンを見つめていた。
「冲奈様。敵の攻勢は今後さらに激しくなるでしょう。……そして、この調律器もまた、限界が近づいています」
「え……? 限界って……?」
「この力は、本来一人の人間で受け止め切れるものではありません。このワンドが自らを分化させ、力を分け合う『光の継承者』たち……すなわち、あなたの仲間を求めているのです」
マニの言葉に、私は金曜日のファミレスでの光景を思い出した。
紫織先輩が私たちを案じてくれた時、羽ペンの先が放った、あの淡く美しい紫紺の光。
「マニ。仲間って……私の周りにいる、あの子たちのことなの?」
「はい。彼女たちの心が激しく揺れ動き、己の限界を打ち破ろうとした時……このワンドが淡く輝き、新たなテイル・ワンドを紡ぎ出すはずです」
「……そっか」
世間には、あの敵の正体も、ルミナテイルの真実も知られていない。
知られていないからこそ、アカデミーのみんなは明日もいつも通り学校へ行き、笑い合うのだ。
かりん、麗、天女、そして紫織先輩。
(みんな、それぞれ言えない悩みや、背負っているものがあるんだよね……)
私に立派な戦いなんてできないけれど。
もし彼女たちが壁にぶつかって苦しんでいるなら、隣に立って、一緒に頭を抱えて悩んであげたい。
秋晴れの澄んだ青空を見上げながら、私は静かに拳を握りしめた。




