孤高の生徒会長
月曜日の朝。
私は教室の机にぐったりと突っ伏しながら、引きつった笑みを浮かべるのが精一杯だった。
机の周りには、スマホの画面を覗き込んで大騒ぎしているクラスメイトたち。画面の奥では、昨日の中央公園で桜色のフリルドレスを着てウインクを決める『ルミナ・ルナ』――つまり私本人の姿が、全世界へ向けて高画質でエンドレスリピート再生されていた。
「何回見てもマジ神作画すぎっしょ! このツインテールのふわっと感、絶対CGじゃなくてガチ魔法のエフェクトじゃん!」
かりんが興奮気味にサイドテールを揺らし、画面を指で連打する。
「しかも敵幹部の攻撃を完全反射した上に、一撃で公園中の水を浄化して青空に戻す圧倒的な魔力量……。身元不明の野良ライバーにしてはあまりに不自然ですわ。他国の特務機関、あるいはアトラスの秘匿戦力という線も捨てきれませんわね」
麗が腕を組み、顎に指を当てて至って真面目に戦闘分析を繰り広げている。
「ふふ、でもこの方、見ているだけで心がぽかぽかしてきますねぇ。冲奈ちゃん、顔色が土気色ですけれど……本当に大丈夫ですか?」
天女が心配そうにのほほんとハーブティーの水筒を差し出してくれる。
「う、うん……大丈夫……ちょっと、日曜の朝に嫌な夢を見て寝不足なだけで……」
夢であってほしかった。
三十五歳のおっさんが女児向けアニメの主人公に変身させられ、全世界に配信されて同接百万人を突破した現実から、今すぐログアウトしたい。
マニの言う『神話迷彩』による認知阻害のおかげで素顔はバレていないが、目の前で親友たちに自分の変身シーンを熱烈な語られるのは、拷問以外の何物でもない。
「それにしてもさー、このルナたんの太ももについてる羽ペン! おっきーがいつも制服の下に着けてるやつと、ちょっと似てない?」
「ぶふっ!?」
かりんの何気ない一言に、気管へハーブティーが入りそうになって派手にむせた。
「なっ、何言ってるのかりんちゃん!? に、似てない似てない! 世の中に羽ペン型のキーホルダーなんて星の数ほどあるし! これはただの安物のガラクタで――!」
「あはは、冗談だって! あんな超絶可愛い伝説の魔法少女が、教室の隅で縮こまってビビり散らかしてるおっきーなわけないっしょww」
「うぐっ……(否定できないのが悔しい……)」
「まったく、朝から騒々しいですわよ、坂田さん。ホームルームの鐘が鳴る前に、そのはだけたブレザーを直しなさい」
「えー、うらっち堅い〜。美少女を愛でるのに校則なんて関係ないじゃん!」
きゃいきゃいとじゃれ合う二人と、それを穏やかに見守る天女。
まだ出会って数日だけれど、この賑やかで何気ない空気感は、張り詰めた私の心を少しだけ軽くしてくれる。
――ガララッ。
その時、教室の前扉が静かに、だが一切の無駄のない動きで開かれた。
瞬間、さっきまで騒がしかった教室内の空気が、ピシリと凍りつく。
「朝からずいぶんと賑やかね。ここは学び舎よ」
凛として涼やかな、けれど背筋が自然と伸びるような美声。
教室に入ってきたのは、漆黒の長い髪をハーフアップにまとめ、黒銀の飾緒を肩から下げた上級生だった。
すらりと伸びた長身に、一切の乱れがない完璧な着こなしの制服。切れ長の紫紺の瞳が、静かに教室全体を見渡している。
(うわ……すごい迫力……)
思わず息を呑む私の耳元で、かりんが「げっ……」と声を潜めて縮こまった。
「し、しおりパイセン……」
鶴ヶ谷紫織――高等部3年、探索者アカデミーの頂点に君臨する生徒会長。
群れることを嫌い、単独で中層から深層のダンジョンを平然と踏破する、学園最強と謳われる孤高のカリスマだ。
「誰がパイセンですか、坂田さん。リボンが曲がっています。それと、中のパーカーは規定違反よ。放課後までに正しておきなさい」
「う、うっす……善処しまーす……」
あの怖いもの知らずの陽キャギャル・かりんが、蛇に睨まれたカエルのように縮こまっている。
隣の麗も、名門の令嬢らしく背筋をピンと伸ばして一礼していた。
「鶴ヶ谷先輩、ごきげんよう。本日はどのようなご用件でしょうか」
「ええ。来週実施される『初級ダンジョン実戦演習』の通達プリントを届けに来たのよ。担当教官が会議で手が離せないそうだから」
紫織先輩は教卓へ書類の束をトン、と揃えて置くと、ふと視線をスライドさせた。
その鋭い紫紺の瞳が、教卓の真ん前で小さくなっていた私を真っ直ぐに射抜く。
「……あなたが、噂の特待生ね。月代冲奈さん」
「ひゃ、ひゃいっ! あ、はいっ!」
三十五歳、元清掃員の情けない裏返った声が喉から飛び出た。
紫織先輩は小さく目を細め、値踏みするように私をじっと見つめる。
「十四歳での飛び級編入……前代未聞の特例よ。試験では魔獣を一撃で屠ったと聞いているけれど……見かけは随分と頼りなげな小鳥のようね」
「おっしゃる通りです……! 本当に運が良かっただけでして……!」
「謙遜か、それとも底を隠しているのか……。まあいいわ。素性がどうであれ、ここは戦う者の学び舎。規律を乱し、仲間の足を引っ張るような真似はしないこと。せいぜい精進なさい」
冷徹で、付け入る隙のない完璧な態度。
先輩はくるりと背を向け、風になびく長い黒髪を揺らして教室を出て行こうとした。
――その、すれ違いざまだった。
トクン……ッ。
(……え?)
太もものレザーホルダーに収まっていた私の羽ペン型ワンド――テイル・ワンドが、まるで心臓の鼓動のように小さく跳ねた。
熱くはない。
けれど、吸い込まれるような「深い紫紺の光」が、ペン先から蛍火のように淡く、トクン、トクンと規則正しく明滅し始めたのだ。
(な、なに……!? なんで光ってるの……?)
日曜の強制変身の時とは明らかに違う、静かで、どこか誰かを呼ぶような優しい光。
紫織先輩が教室の扉の向こうへ遠ざかっていくと、その光はふっと名残惜しそうに消え、元の静かな羽ペンへと戻った。
「……ふぅぅぅ! 怖かった〜! パイセン、今日も氷点下三十度って感じの塩対応だったじゃん!」
教室の空気が緩んだ瞬間、かりんが机に突っ伏して叫んだ。
「無礼を言ってはいけませんわ、坂田さん。鶴ヶ谷先輩は我が校の至宝。お一人で深層ダンジョンに挑まれる誇り高きお方ですもの、厳格なのは当然ですわ」
「でもさ〜、もうちょっと笑ったほうが絶対美人なのにねぇ」
「ふふ、でも先輩、私たちの心配をしてくださるあたり、本当は優しい方なんですよ」
三人がそれぞれの言葉で紫織先輩のことを話している。
私は、自分の太ももにそっと手を触れた。
(さっきの光……なんだったんだろう……)
ポケットの中を覗き込むと、マニが巣箱代わりの布地から黒い瞳を覗かせ、何かを言いたげにじっと廊下のほうを見つめていた。
◇
「――というわけでだ! 来週の初級ダンジョン演習は、四人一組の固定パーティで挑んでもらう!」
続いて教室に入ってきた担任教師が、黒板にバンッとチョークを叩きつけた。
「学内ネットワークを通じた『HERMES』のテスト配信も兼ねている! チームワーク、戦闘力、そして配信の見栄え! すべてが成績に直結するからそのつもりでいろ! チームは放課後までに決めて提出するように!」
号令とともに、教室中がわっと騒がしくなる。
「チームかぁ……」
友達の少ない、というか知り合いが片手で数えるほどしかいない元・清掃員の自分にとって、最も胃が痛む学生イベントの発生である。
あぶれたらどうしよう……先生に「誰か余ってるところに入れてやってくれ」とか言われたら恥ずかしさで死んでしまう。
オドオドと視線を泳がせていると――ガバッ! と私の両肩に力強い腕が回された。
「おっきー、何ぼーっとしてんの! ウチらのチーム、あと一人足りないんだけど?」
「え……?」
振り返ると、ニカッと眩しい八重歯を見せて笑うかりんがいた。
その隣には、腕を組みながらもつんと顔を背けている麗と、優しく微笑む天女。
「……べ、別に貴女と組みたいわけではありませんけれど。新入生を放置して問題を起こされてはクラスの恥ですから、わたくしが監督して差し上げますわ」
「ふふ、麗ちゃんったら素直じゃないですねぇ。冲奈ちゃん、一緒に頑張りましょうね」
「み、みんな……!」
胸の奥が、じわりと温かくなる。
気遣いでも同情でもなく、ただ「当たり前の友達」として輪の中に引き入れてくれるこの感覚。
「決まりっ! じゃ、放課後は駅前のファミレスで初ミーティングね! うらっち、ドリアおごって!」
「なっ……! なぜわたくしがおごらなければなりませんの!?」
ギャーギャーと騒ぎ立てる二人を見ながら、私は今日初めて、心からの笑みをこぼした。
平穏とは程遠いけれど、悪くない高校生活。
けれどこの時の私はまだ知らなかった。
さっき太もものワンドが放った紫色の光が、これから始まる大きな運命の歯車の、最初の光だったということを――。




