ヒロイン、大地に立つ
日曜日。
それは、過酷な労働と理不尽な現実から解放された人間にのみ許された、神聖なる安息の日である。
「ふぁあ……ん、よく寝た……」
古びた六畳間の煎餅布団の中。
私はくたびれた布団に顔を埋め、至福の二度寝へと意識を手放しかけていた。
中身は三十五歳、元・下水路清掃員。平日は慣れない女子高生生活と実技演習で心身ともに疲れているのだ。今日くらい、夕方まで泥のように眠り続けても誰にも文句は言われないはずだ。
だが。
枕元の目覚まし時計が――カチリ、と『午前7時59分50秒』を刻んだ瞬間。
「冲奈様、起床の時間です。プロトコルのカウントダウンを開始します」
胸元のポケットからぬっと這い出てきた白い毛玉――マニが、落ち着き払った声で無慈悲な宣告を下した。
「んぁ……? マニ……何言って……あと五分……」
「五、四、三、二、一――空間転送、執行」
午前8時ジャスト。
足元の畳に、突如として眩い桜色の魔法陣が展開した。
「えっ、ちょ、待っ――!?」
叫ぶ間もなく視界が歪み、私の体は光の奔流へと呑み込まれた。
◇
――ヒュオオオオッ、ドサッ!!
「いったぁぁぁぁぁいっ!?」
激しい尻もちをついたのは、硬いレンガタイルの上だった。
青空。吹き抜ける風。
見渡せば、そこは休日のアトラス第3区・中央公園噴水広場だった。
(な、なんで公園!? パジャマ代わりのヨレヨレTシャツに下はジャージなんだけど!? ノーブラなんだけどーッ!?)
パニックで頭を抱える私のすぐ目の前で、何やら物騒な演説が繰り広げられていた。
「ふふふ……はーっはっはっは! 聞きなさい、愚かな地上の民たちよ!」
噴水の上に立ち、高らかにマントを翻しているのは、タイトなスーツを着て眼鏡をかけた美形青年――常世結社ネクロテイル幹部のシデン。
その隣には、妖艶なドレスを着た美女マユが、パステルピンクのパラソルを差して立っている。
「今日こそ我が叡智の結晶……『ハイパー・ウォーター・トラップ』により、この広場を混沌へと叩き落としてくれる!」
「ちょっとシデン、相変わらずダサいですわね。もっとリボンとかフリルでデコレーションしないと映えませんことよ?」
「黙りたまえマユ! この水流は高圧カッターの原理で触れるもの全てを――ん? なんだ貴様は」
シデンが眼鏡のブリッジを押し上げ、地面で縮こまっている私を胡散臭そうに見下ろした。
周囲で逃げ惑っていた市民たちも、足を止めてぽかんとこちらを見ている。
しかも、それだけではない。
ブゥゥゥン……と鋭い飛行音を立てて、頭上に群がってきたのは――十機近い『HERMES Live』の自動追尾型報道ドローンカメラだった。
ドローンの赤外線センサーが、パジャマ姿でへたり込む私をガッツリとロックオンしている。
ドローン下部の大型ホログラムスクリーンには、リアルタイムの配信画面と、超高速で流れる視聴者コメントが投影されていた。
『草。急に女の子降ってきたぞwww』
『待って、ノーブラ部屋着じゃん! 放送事故!?』
『逃げてぇぇぇ! テロだぞ!!』
「ちょ、撮らないでぇぇぇっ!?」
顔を真っ赤にして両手で胸元を押さえ、逃げ出そうとしたその瞬間だった。
『――週間マナ充填率:100%に到達』
『周囲に敵性波長を感知。概念現実化プロトコル【ルミナ・ルナ】を強制執行します』
「え」
カチィィィン!!
太ももの革ホルダーに収まっていたアンティークの羽ペン型ワンドが、凄まじい熱を放ちながら「シュパッ!」と勝手に空中へ飛び出した。
そして――私の右腕が、目にも留まらぬプロのキレで勝手に伸び、空中の羽ペンをがっしりと鷲掴みにした。
「ちょ、腕が勝手に……!?」
止められない。
羽ペンを胸の前に掲げると、私の口が、日曜朝の女児向けアニメ声で朗々と叫び始めた。
「――ルミナステール! オープン!!」
「な、なんだと!?」
「あら、まあ……!」
シデンが目をを見開き、マユが小さく歓声をあげる。
そしてドローンカメラの群れが、一斉にぐぐっと至近距離までズームインしてきた!
『うおおおお!? なんか始まったぞ!?』
『変身バンク!? 日曜朝のアニメかよ!!』
『画質ヤバすぎ! エフェクトどうなってんの!?』
カチリ、と羽ペンのキャップが外れた瞬間、ペン先からまばゆい桜色のインクが奔流となって噴き上がった!
私の体はふわりと重力を失って宙に浮き上がる。
振り回される羽ペンが、空中に光のカリグラフィーで流麗な物語の文字列と、巨大な三日月の軌跡を走らせていく。
「やめてぇぇぇ! 全世界に配信されてる前で何させてんのぉぉぉっ!?」
心の中の悲痛な叫びをよそに、空中に浮かんだ光のインクがふわりとほどけ、柔らかな光の帯となって私の体を包み込んでいく。
ヨレヨレのTシャツがほどけ、代わりに幾重にも重なる純白と桜色の豪奢なフリルドレスが編み上がっていく。
背中には巨大なリボン、胸元にはきらめく三日月のブローチ。
そして、私のダークアンバーの髪が、発光する淡い桜色の超ロングツインテールへと一気に伸長した!
トン、とつま先から軽やかに着地する。
手元の羽ペンを指先でくるりと鮮やかに回し、「カチリ」と静かにキャップを嵌める。
そのまま、絶対領域である太もものガンホルダー風レザーホルダーへ、慣れた手つきですとんと収め――。
バシィッ!!
空を飛ぶドローンカメラの正面へ向けて、指先でピースサインを作り、完璧な角度のウインクとともに決めポーズが炸裂した。
「――夜空にひかる、優しい夢の物語! 『夢想神話ルミナ・ルナ』……!」
…………静寂。
公園全体、そして配信コメント欄が一瞬で凍りついた。
直後。
頭上のホログラムスクリーンが、秒間数十万件のコメントで激しく発光した。
『きたあああああああああああああああああ!!!!』
『なにこの超絶美少女!? 変身ヒロイン!?』
『可愛すぎて心臓止まった』
『ウインクの破壊力エグいって!!!!』
『てか誰!? 公式ライバー!? アトラスの新キャラ!?』
「お見事です、冲奈様。完璧な変身シークエンスでした」
頭の上で、マニが満足そうにパチパチと両前足を叩いている。
目の前では、シデンがぽかんと口を開け、マユはうっとりと頬に手を当てていた。
「あのワンドの波動……間違いない、『蓬莱の玉』の調律器を持つ光の継承者!」
シデンが忌々しそうに眼鏡を直しながら叫ぶ。
だが、当の本人はそれどころではなかった。
全身からブシュウウウッと湯気が出そうなほど、顔面が真っ赤に沸騰している。
「…………死にたい」
三十五歳、元清掃員のおっさん。
敵の前で、大勢の市民の前で、そして何十万人も見ているネット配信のど真ん中で、フリフリ全開の女児向けヒロインポーズを全力で披露させられたのだ。
羞恥心で今すぐこの星を爆破したい。
「に、日曜の朝から人の公園で何やってんですかアンタたち! 迷惑だから早く帰ってください……っ!」
「なっ……どこぞの世間知らずの小娘か知らんが、私の崇高なる作戦を愚弄するか! 喰らうがいい、高圧水流カッターッ!!」
怒り狂ったシデンが、噴水から時速百キロを超える濁流の刃を放ってきた。
「ぎゃああああっ!? ごめんなさい許してぇぇぇっ!!」
パニックを起こした私は声を上げて頭を抱え、情けなく地面にへたり込んだ。
だが――今の私は、100%出力の『ルミナ・ルナ』。
キィィィィィン!!
へたり込んだ私の周囲に、桜色の魔力による『絶対不可侵の月光バリア』が瞬時に展開された。
激突したシデンの高圧水流は、バリアの曲面に沿って綺麗にUターン。
凄まじい勢いで逆流し――高笑いしていたシデン本人を真正面から直撃した。
「ぶばばばばばばばっ!?!? なぜ私の水流がそのまま――目が、目がァァァッ!?」
シデンは自分が作った巨大ウォータースライダーの濁流に巻き込まれ、猛烈な勢いで公園中をぐるぐる流され始めた。
『ちょwwww自爆wwwww』
『敵幹部、自分のスライダーで流されてて草』
『バリア強すぎない!?』
「まあ! シデンが楽しそうに流されていきますわ!」
「マユゥゥゥッ! 見ている暇があるなら止めろォォォッ!!」
濁流に飲まれて絶叫するエリート幹部。
地獄のような絵面が、高画質ドローンで鮮明に全世界へ配信されていく。
「冲奈様、今です! 浄化技のプロトコルを!」
「え、あ、はいっ!?」
太ももから再び羽ペンを抜き、言われるがまま天高く掲げる。
――もう嫌だ。
私はただ、布団の中で二度寝がしたかっただけなんだ!
明日からまた、かりんや麗や天女たちと、学校でくだらない話をして笑い合うための、大事な休日だったのに!
しかも配信されてたら、明日学校でバレたらどうするんだよぉぉぉっ!!
「私の……私の平穏な生活と睡眠時間を返せぇぇぇぇぇっ!!」
魂の叫びとともに、羽ペンの先から膨大なインクが空へ噴き上がった。
頭上に浮かび上がった巨大な「光の三日月」が、腕の回転とともに一瞬で膨らみ、空一面を覆う「真紅がかった桜色の満月」へと満ちていく。
「な、なんだあの魔力量は……!? 計算が、計算が合わんぞォォォッ!?」
スライダーで流されながらシデンが白目を剥く。
「きらめく月光は、夢への輝き!!」
押し出された満月が崩壊するように解き放たれ、圧倒的な月光の奔流となって公園全体を飲み込んだ。
――『フルムーン・ドリーム・ストライィク』ッ!!
ドォォォォォォォン!!
柔らかな桜色の光に包まれ、暴走していた水流はみるみるうちに穏やかな噴水へと戻り、立ち込めていた暗雲は吹き飛んで抜けるような青空が広がった。
「計算違いだ……覚えていろ、ルミナ・ルナァァァ……!」
びしょ濡れのシデンはマユのシャボン玉に回収され、捨て台詞を残して空の彼方へ消え去っていった。
◇
光の粒子となってドレスが消滅し、私は元の「ヨレヨレの姿」へと戻っていた。
その場にへたり込み、地面に手をつく。
「……はぁ。……はぁ」
「お見事でした、冲奈様。初陣にして見事な完全勝利です」
マニがひょこひょこと肩によじ登り、労うように頬をすり寄せてくる。
見上げると、上空のドローンカメラたちは満足したように旋回し、去っていくところだった。
ホログラムスクリーンには『同時接続数:120万人突破! 新星魔法少女ルミナ・ルナ、トレンド1位!』というおぞましい文字が躍っている。
「……マニ」
「はい、何でしょうか」
「これ……毎週日曜の朝にやるの? しかも全世界に生中継されながら?」
「はい。毎週日曜の朝八時は固定シフトとなっております。なお、変身解除時の神話迷彩により、冲奈様の日常の容姿とは認知阻害がかかりますので、素顔バレの心配はございません」
「そういう問題じゃなくてぇぇぇっ!!」
私の悲痛な叫びが、秋晴れの青空へと虚しく吸い込まれていった。
◇
翌日、月曜日。
アカデミーの教室のドアを開けると、そこは昨日以上の大騒ぎになっていた。
「おっきー! おはよー! つーか見てこれ、マジヤバくない!?」
登校するなり、かりんがスマホの画面を突き出してきた。
画面には、昨日の『ルミナ・ルナ変身シーン&ウインク決めポーズ』の切り抜きショート動画がバッチリ再生されている!
再生数はすでに数百万を超えていた。
「昨日の中央公園の配信! 謎の魔法少女ルミナ・ルナ! ウチ、もう三千回くらいリピートしてんだけど! 可愛すぎてマジ天使っしょ! 推せる!!」
「ひ、ひえぇっ……」
自分の姿を目の前で親友に絶賛され、血の気が引いていく。
「わたくしも少々動画を拝見しましたけれど……あの洗練された美しい身のこなし、そして圧倒的な光の魔力。あれほどの使い手が、民間に隠れていたなんて信じられませんわ」
麗までが腕を組み、真剣な顔で動画を分析している。
「ふふ、とっても優しくてあたたかい光でしたねぇ。冲奈ちゃんもそう思いませんか?」
天女がのほほんと微笑みながら、温かいハーブティーを渡してくれた。
「あ、あはは……う、うん……すごいね……(死にたい)」
机に突っ伏しながら、私は小さく息を吐いた。
認知阻害のおかげで正体はバレていない。
けれど、目の前で自分のフリフリ姿を友達に鑑賞され続けるという、新たな胃痛の種が誕生してしまった。
(平穏な高校生活って……どこにあるんだっけ……)
キャッキャと動画で盛り上がる三人の笑い声を遠くに聞きながら、私は机に顔を埋めて、静かに現実逃避の眠りについたのだった。




