実技演習はパニックとともに
「これより、戦闘特進クラス放課後実技演習を開始する! 各員、訓練用ゲート前へ!」
インストラクターの野太い号令が、ドーム状の模擬ダンジョン訓練場に響き渡る。
貸与品の訓練用ショートスピアを両手で握りしめ、私――月代冲奈は、膝をガクガクと震わせていた。
(無理無理無理! 魔物と戦うなんて絶対無理だって……!)
中身はおっさんとはいえ、前世はただの下水路清掃員。
危険な魔物が出たら全速力で逃げて専門の探索者を呼ぶだけの、戦闘力も根性もないごく普通の小市民だった。
それなのに、隣を見れば名刀の柄に手をかけて凛と立つ麗、身の丈ほどもある大斧を軽々と担ぐかりん、優雅に神木の弓を構える天女。
どう考えても私だけ完全に場違いである。
「おっきー、顔色真っ青だけど大丈夫? もしかして普通にビビってる?」
かりんがピンクのインナーカラーを揺らし、心配そうに覗き込んできた。
「う、うん……正直、怖くて泣きそう……」
「あはは! 飛び級のエリートって聞いてたからどんなヤバい奴かと思ったら、案外普通にビビるんだ! いーよいーよ、ヤバくなったらウチが前出るから後ろにいな!」
カラッと笑って言ってくれるかりん。
その言葉だけで涙が出そうになる。
「何を甘いことを言っていますの、坂田さん。自らの身は自らで守るのが探索者の本分ですわ。……月代さん、無理だと思ったらすぐに後方へ下がりなさい」
麗はつれない口調ながらも、真剣な目で警告してくれる。
「ふふ、危なくなったら私の結界に入ってくださいね」
天女も優しく微笑みながら、弓をつがえてくれた。
『――ターゲット、射出!』
警告ブザーとともに訓練用ゲートが跳ね上がった。
ドゴォォォン! と重機のような足音を響かせ、飛び出してきたのは全身を鈍色の複合装甲で覆った三頭の機械化装甲猪。
低層ダンジョンの難敵で、時速八十キロを超える猛突進は分厚いコンクリート壁すら粉砕する。
「ブヒイイイッ!!」
赤く発光する単眼が、真っ直ぐに私を捉えた。
一番小さくて弱そうな獲物に見えたのだろう。三頭が一列になり、ジェットエンジンのような轟音を響かせて一直線に突っ込んでくる。
「ちょっ、おっきー狙われてんじゃん!? ウチが弾く――」
「合わせますわ、坂田さん!」
二人が前に出ようとした、その瞬間だった。
「うわああああああああっ!?」
迫り来る鋼鉄の巨躯に完全にパニックを起こした私は、情けない悲鳴を上げて頭を抱え、足をもつれさせて派手にすっ転んだ。
「きゃあっ!? おっきー!?」
「月代さん!?」
二人の悲鳴が重なる。
終わった。完全に終わった――!
ぎゅっと目を瞑り、激突の衝撃に備えて縮こまった。
――だが、その瞬間。
太もものレザーホルダーに収まった羽ペンが、カッと熱を帯びた。
キィィィィィン!!
少女の肉体に常時宿る『変身ヒロイン出力10%補正』が、生命の危機を感知して勝手に発動したのだ。
本人の意思など完全に無視して、足腰に異常なバネが炸裂する。
ズザザザザァッ!!
前のめりに倒れたはずの私の体が、まるで氷の上を滑るように驚異的な低空スライディングを繰り出した。
突進してきた装甲猪の鋭利な牙が、鼻先わずか数ミリの空を切って通り過ぎていく。
「ひ、ひぎゃああああっ!?」
突進の風圧に煽られ、起き上がろうと無我夢中で手足をばたつかせた。
その時、パニックで両手を激しく振り回したせいで、握りしめていた訓練用スピアが手の中で思い切り回転してすっぽ抜けた。
ヒュバッ!!
手放されたスピアは、変身ヒロインの馬鹿げた腕力補正によって、音速を超える砲弾のような勢いで真っ直ぐ飛翔。
そして――すれ違いざまに露出していた先頭の装甲猪の首元へ、ドスゥッ! と凄まじい衝撃とともに根元まで突き刺さった。
「ブゴッ!?」
魔力コアを一撃で叩き割られた先頭の猪が、錐揉み回転しながら大クラッシュ。
猛スピードで突っ込んできていた後続の二頭が、横転した先頭の巨体に次々と正面衝突した。
ドガガガガガァァァン!!
爆音とともに火花と白煙がドームいっぱいに立ち込め、絡まり合った三頭の装甲猪は、火花を散らしながらピクピクと痙攣して沈黙した。
「…………え?」
訓練場を完全な静寂が支配する。
スピアを放り出したまま、床にペタンと座り込み、涙目でガタガタ震えている私。
(い、今のは何……? なんか勝手に体が滑って、槍が勝手に飛んでったんだけど……!?)
驚愕と恐怖で呼吸が追いつかない私を見て、真っ先に沈黙を破ったのはかりんだった。
「……ぶっ」
くっくっと肩を揺らし、耐えきれなくなったように腹を抱えて爆笑し始めた。
「あっははははは! なにそれ!! 転んで床スライディングしながら、パニックで槍ぶん投げて三頭まとめて全滅させちゃったんだけど!? おっきーマジで何なの!? ウケるwww」
「わ、笑い事じゃないよ! 本当に死ぬかと思ったんだから……!」
「いや〜、ビビり散らかしながらの超ファインプレーとか、リアクション芸人として百点満点すぎっしょ!」
かりんが涙を拭いながら歩み寄ってきて、差し出された手を掴んで引っ張り起こしてもらう。
「……な、なんという無茶苦茶な……。ですが、結果として敵の突進を躱し、最小の手数で三頭を同時に無力化したのは紛れもない事実ですわね」
麗は呆れたように深くため息をつきつつも、警戒を解いて苦笑した。
「小柄なのにとんでもない怪力……。ドジっ子なのか天才肌なのか、判断に困りますわ」
「ふふ、怪我がないのが一番ですよ。冲奈ちゃん、とっても賑やかで楽しい戦い方でしたねぇ」
天女ものほほんと微笑みながら駆け寄ってくる。
畏怖されるでもなく、ただ「なんか変で面白いクラスメイト」として笑い合える空気。
すごいのは自分の腕前ではなく、太ももにくっついているこの理不尽な羽ペンの力なのだが、こうして対等な友達として笑ってくれる距離感が、どうしようもなく心地よかった。
◇
「――っしゃ! 演習も無事終わったし、駅前寄り道行くっしょ!」
放課後の夕暮れ時。
私服用のパーカーを制服の上から羽織ったかりんが、当然のような顔で私の腕を引いた。
「えっ、寄り道? 私も……?」
「当たり前じゃん! あんな面白いところ見せられたら、ダベらずには帰れないって! ほら、うらっちもあめりんも行くよ!」
「な、なぜわたくしまで! わたくしはこれから実家で古流抜刀の自主稽古が……!」
「いーからいーから! 高校生といえばドンキとタピオカ! これテストに出る常識だから!」
嫌がる麗の背中をぐいぐい押し、かりんが駅前の繁華街へ進んでいく。
天女はおっとりと微笑みながら、私の歩調に合わせて並んで歩いてくれた。
「冲奈ちゃん、こういう寄り道、あまりしたことないですか?」
「あ、うん……あんまり、こういうの慣れてなくて……」
「ふふ、放課後にみんなで来るのは、また違った楽しさがありますよ」
ドン・キホーテのけばけばしい照明と雑多な陳列棚の中、かりんに変なパーティー用サングラスをかけさせられて麗に「坂田さん、ふざけないの!」と怒られたり、天女が妙に渋い健康器具を真剣に見つめていたり。
どこにでもある、他愛のない普通の高校生の寄り道。
「はい、おっきーの分の黒糖タピオカラテ! 甘さ普通、氷少なめね!」
「あ、ありがと……」
駅前広場の木製ベンチに四人で腰掛け、太いストローを吸い込む。
もちもちとした甘いタピオカが口いっぱいに広がった。
「……ん、美味しい」
「でしょ〜! あー、疲れた体に糖分が染みるわ〜!」
「……少々甘すぎますけれど、まあ、たまにはこういうのも悪くありませんわね」
「ふふ、美味しいですねぇ」
茜色に染まる空を見上げながら、くだらない授業の愚痴をこぼし合い、笑い合う。
孤独に生きていた前世では、一度も経験できなかった時間。
(友達、か……)
まだ出会ったばかりのクラスメイトだけど、これからこの騒がしい日常の中で、少しずつ仲良くなっていけたらいいなと、素直にそう思えた。
「じゃあね、おっきー! また明日学校で!」
「月代さん、明日の座学は予習を忘れないようにしなさいね」
「冲奈ちゃん、気をつけて帰ってくださいねぇ」
改札前で手を振り合い、それぞれの家路につく。
胸の奥がじんわりと温かいまま、私は下町のボロアパートへと帰り着いた。
「ただいま、マニ……」
鍵を開けてヨレヨレの部屋着に着替えると、机の上から白いモモンガ――マニがひょっこりと顔を出した。
「おかえりなさいませ、冲奈様。本日の実技演習、無事に生還されたようで何よりです」
「生還っていうか、体が勝手に動いて死ぬかと思ったよ……。あ、家計簿はどう? 今日のタピオカ代、アトラス・クレジットで五百引かれたんだけど……」
「今月の食費枠から補填可能です。……ところで冲奈様、明後日は何の日か覚えておいでですか?」
「明後日? ……日曜日だけど。学校も休みだし、一日中泥のように寝る予定だけど?」
ふかふかの煎餅布団に倒れ込もうとする私を、マニは真ん丸な黒い瞳でじっと見つめ、落ち着いた声で告げた。
「お忘れですか。この羽ペンの調律契約は、一週間のマナを溜め込み、日曜日の朝八時に起動プロトコルを迎えます」
「……は?」
「日曜日、朝八時。冲奈様は『夢想神話ルミナ・ルナ』として、完全顕現を果たしていただきます」
「……へ?」
「その時が来れば分かります。どうぞ、今のうちにしっかりと英気を養っておいてくださいね」
マニは深々と一礼し、自分の巣箱へと潜り込んでしまった。
「ちょ、ちょっと待てマニ! 完全顕現って何!? 私の日曜の二度寝は!?」
静まり返った六畳間に、私の悲痛な叫びだけが虚しく響き渡った。
せっかく手に入れた温かい日常の裏で、日曜日の朝八時というカウントダウンが、刻一刻と迫っていた――。




