特訓!ドッジボール!
漆黒の闇が渦巻く、常世結社ネクロテイルの深淵。
崩壊した大理石の玉座で、首領ヴォイドは、静かに胃のあたりを押さえながら天を仰いでいた。
「……なぜだ。なぜ僕の聖なる深淵で、ゴムの擦れるキュッキュッという不吉な音が響いているんだ……?」
玉座の直下、広大な暗黒の広場。
そこでは、三人の大幹部が思い思いの姿で、一個のボールを囲んで熾烈な罵り合いを繰り広げていた。
「シデン! 脇が甘いぞ、腰を落とせ! パスってのは魂のダイレクトコミュニケーションだァッ!」
耐火ライダースの袖をまくり上げたガロが、火炎を纏わせたドッジボールを片手で構え、獰猛な笑みを浮かべて叫ぶ。
「ふん、非論理的だなガロ」
眼鏡のブリッジをクイッと押し上げ、タイトなスーツ姿のシデンが冷ややかに受けて立つ。
「球技を通じて連携のベクトルを同期させる試み自体は合理的だが、貴様の投球は力任せで初速のベクトルが乱れすぎている」
シデンが掌から放った水流の渦が、飛来した火の玉ドッジボールを綺麗に受け止め、無回転でピタリと足元へ落とした。
「ちょっと殿方! 泥臭いパス回しなんてわたくしの美意識が許しませんわ!」
パステルピンクのパラソルを差したマユが、ツカツカと割り込んできた。
その手元には、星やハートのデコシールがびっしり貼られ、水色の巨大サテンリボンが結ばれた、どぎついパステルピンクの特注バレーボール!
「見てくださいまし! 相手コートへ叩き落とすなら、これくらい可愛く映えるアタックでなければなりませんことよ☆」
「おいマユ、そのボール、リボンが空気抵抗になって軌道がブレブレじゃねえか!」
「黙りたまえ、そもそも深淵の暗黒空間で球技をする時点で摩擦係数の計算が――」
「あァ!? 屁理屈こねてねえでオレの剛速球を捕ってみやがれシデンッ!!」
ドガァァァンッ! と壁にめり込む火の玉ボール。
ギャーギャーと罵り合う三幹部。
玉座の上で、ヴォイドはこめかみを強く押さえ、冷徹な声で呟いた。
「……僕が白紙に戻したいのは、世界ではなく部下の情緒かもしれんな……」
「あ、そうだボス!」
マユがパラソルをクルクルと回し、思い出したように顔を輝かせた。
「地上のアストライアアカデミーで、近々『学園球技大会』なるものが開催されるらしいですわ! 青春の汗と涙、そして敗北した者たちの極上の悔し涙! スポーティで最高にビターな負の感情を吸い上げて、今度こそあの小娘共をボールごとコートの外へ叩き出して差し上げますわ〜〜〜!」
オホホホ! と高笑いを残し、マユはピンクのボールを抱えて地上へと転移していった。
静まり返った深淵で、ヴォイドはただ静かに、頭痛薬に手を伸ばしたのだった。
◇
一方その頃――国立アストライア探索者アカデミー。
月曜日の朝礼、1年A組の教室。
「――というわけでだ! 今週金曜は、伝統の『春の学園球技大会』を開催する!」
担任教官が黒板にバンッとチョークを叩きつけた。
教室中がわっと歓声に包まれる中、教官はニヤリと不敵に笑う。
「探索者たるもの、迷宮での戦闘だけでなく、味方との瞬時のパスワークや動体視力、ボールを使った空間把握能力も必須スキルだ! 種目はクラス対抗の『男女混合魔導ドッジボール』! チームワークを叩き直す絶好の機会だからな!」
「っしゃあぁぁぁぁぁッ!! 球技大会キタコレ!!」
私の前の席で、かりんが机をガタガタ揺らして立ち上がった。
サイドテールを弾ませ、瞳をギラギラと燃え上がらせている。
「ウチ、小学校の頃ドッジボールで男子全員外野送りにした実績あっから! 1年A組、完全優勝狙うっしょ!」
「まあ、頼もしいですわね坂田さん」
隣の席の麗が、優雅に腕を組んで頷いた。
「相手の視線と初動から投擲角度を先読みし、重心を崩して球の威力を殺す……。古流抜刀の間合いの見切りと、通じるものがありますわ」
「ふふ、みんなで一つのボールを追いかけるなんて、とっても楽しそうですねぇ」
天女もおっとりと微笑みながら、体操着のゼッケンを眺めている。
やる気満々の頼もしすぎる三人。
……だが、その横で。
私――月代冲奈は、机の上に突っ伏したまま、ガタガタと全身を小刻みに震わせていた。
(む、無理無理無理ぃぃぃぃぃっ……!!)
中身は三十五歳、元・下水路清掃員のおっさんである。
生前の学生時代から、運動神経は壊滅的。体育のドッジボールなんて、開始五秒で外野の隅っこに逃げ込んで、ボールがこっちに来ないことを祈るだけの人生だった。
しかもここは、未来のエリート探索者が集う戦闘特進クラス。
魔導ドッジボールなんて、時速百キロを超える火の玉や岩石が飛び交う殺戮ゲームに決まっている!
「おっきー、顔色真っ白だけど大丈夫? もしかして球技苦手系?」
かりんが心配そうに覗き込んできた。
「に、苦手っていうか……ボールが顔面に飛んでくるだけで、怖くて目を瞑っちゃって……!」
情けない私の声に、制服のブレザーの内ポケットから、すっと白い顔が覗いた。
「モキュッ。冲奈様、ボールとは物理法則に従って放物線を描く単なる球体です。恐れるに足りませんよ」
「簡単に言うけどさぁ」
「ふふ、大丈夫ですわ冲奈さん!」
麗がポンと私の肩を力強く叩いた。
「放課後、それに今度の土曜日も使って、わたくしたちが特訓に付き合って差し上げます! すぐに捕れるようになりますわ!」
◇
その日の放課後――広大な屋外グラウンド。
体操着に着替えた私たちは、ドッジボールのコートの前に立っていた。
コート横には、審判員(?)としてマニが立っている。
「よーし! それじゃキャッチのお手本見せるね!」
かりんがボールを持って前に出た。
「ボールをキャッチするコツは簡単! 飛んできたボールをガッと見て、胸の前でバッと抱え込む! これだけ!」
「大雑把すぎますわ、坂田さん」
麗が呆れたように割って入る。
「冲奈さん、武道において動体視力とは『相手の全身を観る』こと。投げる相手の肩の筋肉の収縮、重心の傾き、視線の配り方を見れば、ボールがどの軌道を描くかなど投げる前から一目瞭然ですわ。あとは軌道上にスッと腕を添えるだけでしてよ?」
「ふふ、麗ちゃんは理論派ですねぇ」
天女がのほほんと微笑みながら加わった。
「風の流れを感じることがコツですよぉ。飛んでくるボールの回転と空気の揺らぎをぼんやり全体で捉えると、ほら、ボールが止まって見えますよ。そこへ優しく手を差し伸べれば、自然と吸い付いてきます!」
「…………」
私はポカンと口を開けた。
かりん――天性の運動神経お化け。
麗――幼少期から古流抜刀術を叩き込まれた、超人的な動体視力の持ち主。
天女――弓道仕込みの抜群の視力と風読み能力を持つ、隠れた超ハイスペック女子。
「全員、最初からできる側の天才肌だよぉっ!!」
感覚でできちゃう人たちの解説、初心者に一ミリも参考にならない説!
「冲奈様のお嘆き、ごもっともですね」
胸元のマニが冷静に頷く。
「三人とも身体能力が高すぎて、なぜ捕球できないのかという根本的な躓きを理解できておりません」
「まあ、能書きはともかく実践ですわ! 冲奈さん、行きますわよ!」
麗が十メートルほど離れた場所から、ふわりと山なりの優しいトスを放った。
スピードは遅い。誰でも簡単に捕れるはずの球。
なのに――。
(うっ……ボールが、こっちに向かってくる……!)
自分に向かって物体が飛んでくるという視覚的恐怖に、私の脳が反射的にフリーズした。
ギュッと強く目を瞑り、首をすくめてしまう!
ポコォォォンッ!!
情けない乾いた音がグラウンドに響いた。
「ふごっ!?」
目を瞑ったせいでボールを完全に見失い、ボールは顔面のど真ん中へ綺麗に直撃!
そのまま勢い余って後ろへ派手にひっくり返り、芝生の上をゴロゴロと転がってしまった。
「ちょっ、おっきー!? なんで自分からヘディングしにいってんの!?」
かりんが吹き出しながら駆け寄ってくる。
「冲奈さん、目を瞑ってどうしますの! ボールを最後まで見なさいとあれほど――!」
「だって怖いんだもん! 目を開けてたら顔面に迫ってくるんだもん!」
涙目で顔を押さえる私。
「ふふ、じゃあ次は目を瞑らないように、両手でしっかり掴むイメージでいってみましょうか」
天女が優しくボールを拾って構え直す。
「う、うん……! 今度こそ、絶対目を瞑らない……!」
天女がふわりと、今度も優しいスピードでボールを投げてくれた。
私は必死に見開いた目でボールを睨み据え、迫り来る球体へ向けて、両手を「えいっ!」と突き出した。
ビシィィィィィンッッ!!
「え?」
バレーボールのアタックすら生ぬるい、金属バットでフルスイングしたような破裂音が鳴り響いた。
突き出した私の両の掌に当たったボールは、キャッチされるどころか――超音速のロケット弾のような勢いで斜め上方へと跳ね返り、キュルルルルッ! と猛烈なスピンを上げながら、遥か彼方の防球ネットを飛び越え、校舎の屋上のさらに向こう――夕暮れの空へと吸い込まれて消え去っていった!
…………静寂。
「「「「…………」」」」
全員がぽかんと口を開けて、ボールが消えた大空を見上げていた。
「……ぶっ、あははははははははッ!!」
かりんが膝から崩れ落ち、芝生をバンバン叩いて大爆笑し始めた。
「なにそれぇぇぇっ!? キャッチしようとして遥か彼方にホームランしちゃったんだけど!? どっか行っちゃったよボールwww」
「な、なんという理不尽な反発係数……! なぜ受け止めようとして音速で弾き飛ばしてしまうのですの!?」
麗も目を丸くして頭を抱えている。
「あらあら、とっても元気よく飛んでいってしまいましたねぇ」
天女だけがのんびりと手をかざして空を見送っている。
「冲奈様、ボール拾いという果てしないマラソンが確定いたしましたね」
胸元からマニの無慈悲な宣告が下された。
「うわあああごめんなさいぃぃぃ! 探してきますぅぅぅっ!!」
結局その日の放課後は、校舎の裏山まで飛んでいったボールを四人で捜索するだけで終わってしまったのだった。
◇
そして迎えた、土曜日の午後。
私たちはアトラス旧市街の河川敷グラウンドに集まり、買い直した新しいボールで居残り特訓を行っていた。
土手の上を心地よい春風が吹き抜けていく。
「おっきー、リラックス! 肩の力抜いて、はいっ!」
「こ、こいっ……!」
かりんが放った、山なりのボール。
しかし――。
ポコォンッ!
「あ痛っ!?」
やっぱり怖くて直前でギュッと目を瞑ってしまい、今度はおでこをかすめて頭頂部で綺麗にヘディング。
ボールはポテポテと土手を転がり落ちていく。
「うぅ……またヘディングしちゃった……」
「冲奈さん、ですからインパクトの瞬間まで球の芯を見極め――」
「球の芯……!」
「じゃあ、もう一度やってみましょうかぁ」
「はいっ!」
バチコォォォォンッッ!!
「きゃあああっ!?」
今度は目を開けて手を出した結果、またしても10%補正が暴走し、手のひらでビシィッと弾かれたボールが弾丸ライナーとなって川の対岸へ向けて爆飛!
対岸をのんびり走っていたロードバイクのおじさんのヘルメットをかすめ、水しぶきを派手に上げて川の真ん中へドボンと着水した。
「ちょwww おっきーまた彼方に跳ね返したんだけどwww」
「なぜですの……なぜ受ける力がすべて推進力に変換されてしまいますの……!?」
「ふふ、対岸まで届くなんて、とってもいい肩をしていますねぇ」
三人とも「普通にできる側」の超人たちだからこそ、冲奈が「なぜ目を瞑ってしまうのか」「なぜ力加減ができないのか」がどうしても感覚的に教えられないのだ。
結局、川へ流されたボールを麗が神速の抜刀で水ごと切り裂いて回収し、天女がずぶ濡れのボールを結界で乾かすという謎のチームワークを発揮しただけで、土曜日の特訓も手応えゼロのまま幕を閉じてしまった。
「ごめんね、みんな……。せっかく付き合ってもらったのに、私、全然ダメで……」
夕暮れの土手で、おでこを赤く腫らした私がしょんぼりと肩を落とすと、かりんがポンと背中を叩いてくれた。
「いーっていーって! 苦手なもんはしょーがないじゃん! 本番はウチが全部キャッチして、相手全員ぶっ飛ばしてやっからさ、おっきーは後ろに隠れてなって!」
「そうですわ。チームなのですから、補い合えば良いのです」
「ふふ、怪我をしないのが一番ですよ」
みんなの温かい言葉が、胸に痛いほど染み渡る。
けれど、胸元のポケットから顔を出したマニが、じっと私の赤くなった両の手のひらを見つめていた。
『冲奈様。あなたの身体能力は、羽ペンの補正もあり決して劣ってはいません。問題は心……飛来物への恐怖心が、反射神経を完全にロックしてしまっていることです』
『分かってるんだけど……どうしても、顔に飛んでくると体が縮こまっちゃうんだよ……』
心の中でマニに情けなく弱音をこぼしながら、私は赤くなったおでこをそっとさすった。
結局、最後までボールを捕る感覚を掴めないまま、私たちはアパートへと帰路についたのだった。




