六畳間の秘密基地
「――はい注目! 放課後ホームルーム終了後の臨時ミーティングを開会しま〜す!」
水曜日の放課後。
終礼の鐘が鳴り響き、教官が教室を出て行った瞬間、かりんが私の机の前に立ちはだかった。
いつものハニーブロンドのサイドテールを揺らし、ニカッと八重歯を光らせて両手を腰に当てる。
「おっきー、うらっち、あめりん! 昨日のファミレスで、マニちゃんから私たちの話を聞いたじゃん?」
「ええ。ネクロテイルの目的と、私たちの使命についてでしたわね」
麗が名刀の手入れ布をしまいながら、真剣な顔で頷いた。
天女もおっとりと微笑みながらカバンをまとめる。
「そこでだよ! ウチら四人と一匹が、作戦を練ったり、放課後に気兼ねなく集まって駄ベったりできる――『正式な秘密基地』が必要だと思うわけよ!」
「「「ひ、秘密基地……?」」」
私、麗、天女の声が綺麗にハモった。
すると、私の制服のブレザーのポケットから、ひょっこりと白い毛玉――マニが顔を出した。
「モキュッ。かりん様の提案、極めて合理的ですね」
ポケットから響く、落ち着き払った大人の女性ボイス。
マニはつぶらな瞳を光らせ、前足をちょこんと揃えて続ける。
「先日のようにファミレスや喫茶店では、人目や盗聴のリスクがございます。日曜朝の緊急招集に備え、四人が日常的に集まれる固定拠点の確保は、防衛組織の必須条件です」
「ほらモモンガのお墨付き! さっすがマニちゃん、話が分かる〜!」
かりんがマニの頭を指先でコショコショと撫でると、マニは気持ちよさそうに目を細める。
「……ふむ。悪くない撫で心地ですね。継続を許可します」
「マニちゃん、すっかりかりんちゃんに懐いてるね……」
私が思わず苦笑いすると、麗が腕を組んで考え込み始めた。
「秘密基地の必要性は理解いたしましたわ。……ですが、候補地はどういたしますの? わたくしの実家は、門番や使用人が常に目を光らせておりますし、父もおりますから……とても皆様と羽を伸ばしておしゃべりなどできる環境ではありませんわ」
「ふふ、私の神社も、夕方は参拝客の皆様で賑わっていますからねぇ」
「ウチのマンションもさ、家族がいるし、防音スタジオは配信機材でギッチギチだしねぇ」
それぞれの実家事情が挙げられ、会議は早くも暗礁に乗り上げた……かに見えた。
けれど、ふと三人の視線が――すっと、静かに、私の元へと集まったのだ。
「……あ」
嫌な予感がして、私はじりじりと後ずさりした。
「ま、待って……? その視線は、まさか……」
「おっきーってさ、そういえばどこに住んでんの?」
かりんが身を乗り出し、興味津々に瞳を輝かせてきた。
「え、あ、いや……私は、その……下町の外れなんだけど……」
「ご家族のいらっしゃるご自宅ですの? 突然お邪魔しては、ご迷惑ではありませんこと?」
麗が心配そうに尋ねてくる。
私は小さく息を呑み、迷った末に、意を決して口を開いた。
「あのね……実は、私、家族はいなくて。ずっと一人暮らしなんだ」
「「「えっ……!?」」」
三人が同時に目を見張った。
「小さい頃から身寄りがなくてさ。ずっと一人で生きてきて……たまたま特待生枠でアカデミーには入れたんだけど、学費が免除されただけで、生活費は自分で稼がなきゃいけないんだ。だから……一番家賃が安い、下町の古いボロアパートに一人で住んでるの。誰も来ないから気兼ねは全くないけど……本当に狭いし、ボロいよ?」
前世が三十五歳のおっさんだったこと以外は、全部本当の事実だ。
中学生くらいの女の子が天涯孤独で一人暮らしをしているなんて、重たい空気になってしまうんじゃないかと不安だったのだが――。
「なーんだ、一人暮らしジャン!」
かりんはあっけらかんと笑い、私の背中をバシィンと景気良く叩いてきた。痛い。
「身寄りがないなら、ウチらが毎日顔出して騒がしくしてやんよ! 一人暮らしとか最高じゃん、門限も気にせずダベり放題だし!」
「……坂田さんの言う通りですわ」
麗もふっと目元を柔らかく緩め、真っ直ぐに私を見た。
「苦労してきた過去を、恥じる必要など微塵もありませんわ。自分の力で居場所を確保し、特待生として学園に通っている……立派な探索者の姿ですわ!」
「ふふ、これからは私たちが、冲奈ちゃんの賑やかな仲間ですからねぇ」
ジメッとした同情なんて、どこにもない。
ただ対等な友達として、カラッと背中を押してくれる温かい笑顔。
「決まりっ! 今日の放課後は、おっきーの秘密基地お披露目ツアーに出発進行〜〜〜!」
◇
そうして電車に揺られること三十分。
下町の住宅街の外れ、夕暮れに染まる細い路地の奥で、かりんがバンッと両手を広げた。
「――というわけで! ウチらの『ルミナテイル作戦本部』、ここに決定だ〜〜〜っ!」
目の前にあるのは――木造モルタル二階建て、錆びついた外階段と色褪せた郵便受けが並ぶ、築四十年は余裕で超えていそうなボロアパート『ひばり荘』だった。
周囲は静まり返り、風が吹くとギシ、ギシと古いトタンがかすかに鳴る。
「おや……? 冲奈ちゃんかい?」
その時、一階の奥の勝手口から、腰の曲がった小柄なおばあちゃんがひょっこりと顔を出した。
色褪せた割烹着を着て、白髪を後ろで小さくお団子にまとめた、優しそうなシワの刻まれた顔――このアパートの大家、フミさんだった。
「あ、大家さん! ただいま戻りました」
「お帰りなさい。……おやまあ、今日は珍しく賑やかだねぇ。可愛いお友達かい?」
「初めまして、竜宮寺麗と申しますわ。突然押しかけてしまい、申し訳ありません」
「羽衣天女と申します。お邪魔させていただきます」
「ちわーっす! 坂田かりんです!」
三人がぺこりと礼儀正しく挨拶すると、フミさんは目を細めて嬉しそうに手を叩いた。
「まあまあ、ご丁寧にどうもねぇ。いらっしゃい。……冲奈ちゃんがこんなにたくさんお友達を連れてくるなんて、初めてだよ」
フミさんはそう言って、愛おしそうに私を見つめた。
実は、この『ひばり荘』。
時代の流れとともに住人が一人減り、二人減り……今では、一階に住む大家のフミさんと、二階の私の二人しか住んでいない、本当に静かなアパートなのだ。
そして――フミさんは、私が三十五歳のしがない下水路清掃員のおっさんだった頃から、十数年間ずっと温かく見守ってくれた、家族同然の恩人だった。
身寄りのない私に「しっかりご飯を食べなよ」とおかずを分けてくれ、仕事で泥まみれになって帰ってくれば「お疲れ様」とお茶を淹れてくれた人。
羽ペンの力で突然中学生くらいの美少女の姿になって帰ってきた時も――。
最初は腰を抜かすほど仰天していたけれど、胸元のマニと一緒に必死で事情を説明したら、
『……まあ、命があるならそれでいいよ。姿が変わっても、お前さんが真面目で優しい冲奈ちゃんなのは変わらないんだからねぇ』
と、頭を撫でて受け入れてくれたのだ。
マニを除けば、世界でたった一人、私の「真実」を知っている唯一の存在だった。
「フミさん、今日みんなと私の部屋で勉強したり、ご飯食べたりしてもいいですか? 迷惑じゃなければ……」
「迷惑なもんかね! このアパートには今、私とお前さんしかいないんだから。いくら騒いだって誰にも怒られないよ。ちょうど畑から大根と白菜を引っこ抜いてきたところだからね、みんなで鍋にでもしておあがり」
フミさんはそう言って、採れたてのみずみずしい大根と白菜を、新聞紙に包んで持たせてくれた。
「わあ……! ありがとうございます、フミさん!」
「大家さん、ご親切にありがとうございますわ!」
「ふふ、とっても美味しそうな冬野菜ですねぇ」
「はいはい、ゆっくり楽しんでいきなね」
手を振って勝手口へ戻っていくフミさんを見送りながら、かりんがパッと顔を輝かせた。
「おっきー、大家さん超いい人じゃん! しかも他に誰も住んでないとか、騒音気にしなくていいってこと!? マジで神物件じゃん!!」
「ふふ、確かに秘密基地としては最高の立地ですわね」
◇
「それじゃあ、二階へ行こっか」
ギシ、ギシ、と音を立てる鉄の外階段を上がり、二階の突き当たりの扉の前へ。
「本当に……驚かないでね?」
「大丈夫だって! どんな秘密基地でもウチらが可愛くリノベしてやっから!」
私が苦笑いしながら鍵を差し込み、ガチャリとノブを回した。
「どうぞ、入って――」
扉が開いた瞬間、三人が息を呑んで固まった。
「「「…………え?」」」
玄関をくぐった先、六畳一間の室内を見て、かりんの口がポカンと開いた。
「……ちょ、待って。おっきー、ここ築何年って言ったっけ?」
「築四十三年だけど……」
目の前に広がっていたのは、外観のくたびれた印象とは完全に別次元の空間だった。
狭いミニキッチンのステンレスシンクは、曇りひとつなく鏡のようにピカピカに磨き上げられ、換気扇のファンには油汚れの欠片すらこびりついていない。
古びているはずの畳は、水拭きと道具の修復スキル【レストア】によってチリ一つなく、まるで新品のように清々しいい草の香りを放っている。
古い木枠の窓ガラスも、まるでガラスが存在しないかのように透明に透き通っていた。
「な、なんですのこの清潔さは……!? 我が家の離れの茶室より整然としていますわ!」
「ピカピカすぎてビビるんだけど!?」
目を丸くして大騒ぎする麗とかりん。
天女も「がとっても澄んでいて気持ちいいですねぇ」と感嘆の声を漏らしている。
「あ、あはは……。ずっと一人暮らしだったからさ、掃除と片付けくらいしかやることがなくて……」
ポケットから飛び降りたマニが、畳の上にちょこんと座り、胸を張った。
「冲奈様の唯一にして最大の特技、現場仕込みの徹底清掃でございます。我が毛並みにも埃ひとつ付きませんよ」
「うーん、誇っていいのやら……」
◇
「よーし! 部屋が綺麗なのは最高だけど、ちょっと物が少なすぎて殺風景っしょ!」
かりんが部屋を見渡し、腕まくりをした。
確かにあるのは、小さなローテーブルと煎餅布団、必要最低限の食器くらいだ。
「駅前の百均と雑貨屋行って、秘密基地の装備調達してくるよ! 大家さんのお野菜もあるし、お肉とか買い足しに行こ!」
「いいですわね! わたくし、庶民の雑貨店というものをもっと見聞してみたいと思っておりましたの!」
夕暮れの街へみんなで繰り出し、雑貨店と百均をハシゴする。
パステルカラーの座布団を四つ、お揃いのマグカップを四つ、壁を飾るガーランドライト、そしてマニ専用の小さなフリースブランケット。
スーパーで豚肉やお豆腐、キノコやマロニーちゃんを買い込み、両手いっぱいのレジ袋を提げて部屋へと戻ってきた。
「はいっ! 買ってきた座布団並べて〜!」
「マニ殿、このブランケットでの寝心地はいかがですか?」
麗がマニの巣箱に、ふかふかのブランケットを敷き詰めて差し出すと、マニが「モキュッ」と滑り込み、満足そうに丸くなった。
「ふむ……極上のフィット感ですね。さすが麗様です」
「ふふ、お気に召して光栄ですわ」
殺風景だった六畳間が、あっという間に色とりどりの温もりで埋まっていく。
ローテーブルの真ん中にカセットコンロを置き、土鍋をセット。
天女がフミさんにもらった大根と白菜を手際よく切り、私が下ごしらえした出汁がグツグツと湯気を立て始めた。
「わあ……いい匂い!」
「大家さんのお野菜、みずみずしくてとっても甘そうですねぇ」
土鍋の蓋を開けると、ふわりと広がる出汁と醤油の温かい香り。
「いただきます!」と声を揃えて手を合わせ、小鉢に取り分けた熱々の白菜と豚肉をハフハフと口に運ぶ。
「ん〜〜〜っ! めっちゃ美味い! 出汁が染みまくってて最高なんだけど!」
「美味しいですわ……! 大家さんのお野菜もシャキシャキしていて甘みがありますわね」
「ふふ、お箸が止まりませんねぇ」
マニも小皿に分けてもらった茹でた白菜を、両前足で小さくかじって満足そうにしている。
テレビのない静かな部屋だったはずなのに。
いまは土鍋のグツグツという音と、お互いのお椀におかずを分け合う笑い声で、壁の隅々まで満たされていた。
一人で帰ってきて、冷たい部屋で納豆ご飯をもそもそ食べていた日々。
あんな孤独な日常が、たった数週間でこんなにも眩しい時間に塗り替えられるなんて、夢にも思わなかった。
「ねえ、おっきー」
ふと、かりんがマグカップのお茶を啜りながら、悪戯っぽく笑いかけてきた。
「ん? なに、かりんちゃん?」
「ここ、ウチらの正式な作戦本部ね! 放課後暇になったら、遠慮なく上がり込んでいいっしょ?」
「わたくしも美味しいお茶菓子をたくさん持って参ります」
「ふふ、私も果物をたくさん持ってきますね」
三人からの屈託のない笑顔。
私は鼻の奥がツンとするのを必死に堪えながら、満面の笑顔で頷いた。
「うん! いつでも来てよ。……みんなで、ずっとここに集まろうね!」
湯気が揺れる六畳間の小さな秘密基地。
四人と一匹の笑い声が、夜の帳が下りた下町の空へと、どこまでも温かく響き渡っていた。




