月の裏側
日曜日、午前7時59分50秒。
枕元の目覚まし時計がチクタクと無慈悲な音を刻む中、私はボロアパートの煎餅布団を頭からすっぽり被っていた。
「……今日も、やるのぉ?」
「もちろんですよ、冲奈様。運命の定刻でございます」
胸元のポケットからぬっと這い出てきた白い毛玉――マニが、落ち着き払った声でカウントダウンを告げる。
「五、四、三、二、一――空間転送、執行」
「ひぃぃん!やっぱりかぁぁぁぁぁっ!?」
――カチィィィン!!
足元の畳に桜色の魔法陣が炸裂した瞬間、視界が光の奔流に飲み込まれた。
そして――今週は私一人じゃない。
竜宮寺邸の自室にいた麗の足元にも蒼氷の魔法陣が、羽衣神社の境内にいた天女の足元にも柔らかな翠の魔法陣が、同時に展開していた!
◇
――ヒュオオオオッ、ドサァァァッ!!
「いったぁぁぁぁぁいっ!?」
「きゃあっ!? な、なんですの、この硬いコンクリートは……!?」
「あらあら、まあまあ……ふふ、賑やかな朝ですねぇ」
転送された先は――アトラス第3区、巨大ショッピングモールの屋上庭園広場だった。
パジャマ姿の私と、稽古着姿で名刀を抱えた麗、そして巫女服姿の天女が、綺麗に折り重なるように倒れ込んでいた。
「オホホホホ! 聞きなさい、休日に浮かれる愚民ども!」
広場の時計台の上に立ち、パステルピンクのパラソルを差して高笑いしているのは、ネクロテイル幹部のマユ。
その足元では、買い物を楽しんでいた市民たちから『休日の混雑によるイライラや疲労』を吸い上げた巨大怪異――無数のショッピングカートとパステルリボンが融合した『ワゴントロリー・キマイラ』が暴れ回っていた!
その頭上へ、ブゥゥゥン……! とけたたましい飛行音を響かせ、数十機の『HERMES Live』報道ドローンカメラが雪崩れ込んできた!
『キタキタキタァァァッ! 日曜朝8時ジャスト!!』
『今週は三人落ちてきたぞwwwww』
『美少女トリオ助かる』
ドローンカメラが一斉に超接写ズームを敢行する中、私たちの太ももと胸元のホルダーが、呼応するように眩い光を放ち始めた!
『――敵性波長を感知。概念現実化プロトコル、同時執行』
「行きますわよ、冲奈さん、天女!」
「はいっ、合わせましょう!」
「うんっ……!」
シュパッ! と射出された三本の羽ペン型ワンドを、三人の右手が完璧なキレで同時に鷲掴みにした!
そして――三つの声が、日曜朝の透き通るような声で高らかに重なり合う!
「「「――ルミナステール! オープン!!」」」
カチリ、と外れる三つのキャップ!
溢れ出る桜色のインク、舞い散る蒼氷の結晶、そして吹き荒れる翠の旋風!
トリプル変身バンクが屋上庭園を包み込み、薄暗い曇り空を一瞬で七色の光で塗り替えていく!
三人が背中を預け合って軽やかに着地し、カメラへ向けてビシッと決めの名乗りを放つ!
「夜空にひかる、優しい夢の物語! 『夢想神話ルミナ・ルナ』!」
「青い海から、信じる心の物語! 『深海神話ルミナ・マリン』!」
「青空をわたる、あたたかい風の物語! 『天風神話ルミナ・グレイス』!」
バシィィィッ!!
ウインクピース、神刀の切っ先、光弓の構えが完璧なトライアングルを描いた瞬間、ホログラムスクリーンが秒間数百万件のコメントで物理的に発光した!
『ぎゃああああああああ三人揃ったァァァッ!!!!』
『トリプル名乗り鳥肌ヤバすぎだろ!!!』
『ピンク、青、緑の黄金バランス!!』
『同接1800万突破ァァァッ! 鯖が燃える!!』
「まぁ、三人揃って調子に乗って! 踏み潰しなさい、キマイラ!」
マユがパラソルを振り下ろすと、怪異が鋼鉄の車輪を唸らせて猛突進してきた!
「皆さん、足元をお任せください!」
グレイスがふわりと微笑み、翠嶺の光弓を引き絞る。
「見えましたぁ」
気の抜けた掛け声とともに放たれた風の矢が、怪異のタイヤの軸へピンポイントで突き刺さる!
ドシュゥゥッ! と解き放たれた暴風の渦がキマイラの突進軌道をねじ曲げ、巨大な隙を晒させた!
「マリンちゃん、今です!」
「神速――氷柱割りッ!」
マリンが絶対零度の踏み込みで宙を駆け抜け、蒼氷の神刀が一閃!
怪異の車輪と装甲を一瞬で凍結させ、納刀の音とともに完全粉砕する!
「ルナ!」
「届け、みんなの願い……!」
二人が完璧にお膳立てしてくれた決定打の瞬間。私は天高くワンドを掲げ、空一面を覆う真紅の満月を展開した!
ルナ、マリン、グレイス。三人の魔力が螺旋を描いて一つに溶け合う!
「きらめく月光は、夢への輝き……!」
「――『フルムーン・ドリーム・ストライィク』ッ!!」
ドォォォォォォォン!!
桜色、蒼氷、翠の三色の光の奔流が怪異を優しく包み込み、パステルピンクの悪夢は光の紙吹雪となって青空へと溶け去っていった。
「今日も今日とて引き分けにしてあげますわ〜〜〜!」
マユはシャボン玉に包まれ、お約束のように空の彼方へ消え去っていく。
『圧倒的瞬殺!!』
『連携が美しすぎる……!』
『同接2200万突破! 歴史的新記録樹立!!』
ドローンカメラの熱狂を背に、私たちは顔を見合わせてふっと笑い合い、物陰へと飛び込んで静かに変身を解いたのだった。
◇
その頃――アトラス第2区、かりんの自宅マンション。
日差しが差し込むベッドの上で、かりんはタブレットの画面を食い入るように見つめていた。
画面の奥では、屋上庭園を浄化して去っていくルナ、マリン、グレイスの凛々しい姿がリピート再生されている。
「……すっげぇ」
ぽつり、と。
かりんの口から、感嘆のため息が零れ落ちた。
「マジでアニメのヒロインじゃん……。三人とも、世界中で一番キラキラ輝いてるじゃん……」
画面の中の三人は、ただ強いだけじゃない。
誰かの笑顔を守るために、迷いなく背中を預け合い、眩しいほどの光を放っていた。
病室のおばあちゃんが憧れていた「世界中を旅して、キラキラ輝く探索者」そのものの姿が、そこにあった。
かりんは、画面の端に小さく表示されている自分の配信チャンネルのアイコンをタップした。
フォロワー数、前回の激辛動画の再生数、コメントの数。
何百回も素振りを繰り返し、血豆を作りながらも、どうしても超えられない壁。
部屋の隅に立てかけられた、愛用の大斧【雷切丸】。
ラインストーンでどれだけ可愛くデコっても、それは無骨で、重くて、泥臭い武器だ。
『かりんちゃんは太陽みたいに明るいねぇ』
おばあちゃんの優しい声が、耳の奥でリフレインする。
「……ウチも、もっと早く強くならなきゃ」
かりんは自分の膝の上で、爪が掌に食い込むほど強く拳を握りしめた。
「おばあちゃんとの約束、絶対に果たさなきゃいけないのに……。こんなところで足踏みしてる暇なんて、ないのに……っ!」
画面の向こうの眩しい光を見つめる瞳の奥に、
誰にも見せられない、小さな焦燥の影が差していた。




