大切な思い出
「――というわけで! 放課後、みんなでウチのおばあちゃんのお見舞い行かない!?」
月曜日の昼休み。
屋上のベンチでお弁当を広げるなり、かりんが唐揚げを箸でつまみながら元気いっぱいに声を張り上げた。
いつもどおり明るいサイドテールを揺らし、ニカッと眩しい八重歯を見せて笑っている。
昨日、配信画面を見つめていた時の痛々しい焦燥の影など微塵も感じさせない、完璧な「太陽」の笑顔だった。
「まあ! 坂田さんのお祖母様のお見舞いですの?」
麗がお弁当の煮物を口に運びながら、目を丸くして尋ねた。
「うん! 実は今日、おばあちゃんのお誕生日なんだよね! ちょうどテストも終わってライセンス停止も免れたし、みんなのこと紹介したいな〜って思ってさ!」
「ふふ、素敵ですねぇ。お誕生日でしたら、何か喜んでいただけるプレゼントを持っていきましょうか」
天女がおっとりと微笑み、水筒のお茶をコップへ注いでくれる。
「うん、行こう! 私もおばあちゃんにご挨拶したいな」
私が笑顔で頷くと、かりんは「っしゃー!」と両手を突き上げて歓喜した。
◇
放課後。
私たちはアトラス郊外へ向かう緑豊かなモノレールに揺られ、小高い丘の上に建つ『アトラス陽だまり療養院』を訪れていた。
大きなガラス窓から柔らかな日差しが差し込む中庭には、色とりどりの季節の花が咲き誇っている。
「失礼いたしますわ……」
「こんにちは〜、おばあちゃん!」
麗がおっかなびっくり病室のドアを引くと、車椅子に座り穏やかな笑みを浮かべた老婦人が振り返った。
白髪を上品にまとめ、膝掛けをかけた優しそうなおばあちゃん。
かりんの部屋に飾られていた写真そのままの、温かい目元をしていた。
「おやまあ、かりんちゃん。……それに、お友達も一緒かい?」
「うん! アカデミーの同じチームのみんなだよ! こっちが抜刀術のお嬢様の麗ちゃん、神社の巫女さんのあめりん、そんで一番ちっちゃいのがおっきー!」
「一番ちっちゃいは余計だよ……! 初めまして、月代冲奈です」
「竜宮寺麗と申しますわ。お祖母様、お初にお目にかかります」
「羽衣天女です。お誕生日おめでとうございます」
三人で丁寧に頭を下げると、おばあちゃんは目を細め、シワの刻まれた両手を嬉しそうに打ち鳴らした。
「まあまあ、ご丁寧にありがとうねぇ。かりんちゃんから毎日のように話を聞いているよ。『おっきーは小さくて可愛い』とか、『うらっちはツンツンしてるけど実は超いい奴』とか、『あめりんは優しくておっぱいが大きい』とか……」
「ぶふっ!? ちょ、おばあちゃん!? 余計なことまで言わなくていいからァッ!!」
かりんが耳まで真っ赤にして飛び跳ね、麗が「坂田さん……!? なんという品のない紹介を……!」と青筋を立ててツリ目を吊り上げた。
天女だけが「ふふ、褒めていただいて光栄です」とのほほんと笑っている。
一瞬で和やかな笑いに包まれる病室。
「おばあちゃん、これ! 途中の駅前でみんなで選んだんだ! おばあちゃんの大好きな、老舗の焼きたてアップルパイ!」
「まあ、美味しそうだねぇ。いつも気を使ってくれて……ありがとうね、かりんちゃん」
切り分けたアップルパイをみんなで頬張りながら、学校でのドタバタや、この前の期末テストで赤点をギリギリ回避した話に花を咲かせる。
ふと、私はベッドサイドの棚の上に置かれた、小さな透明なアクリルフレームに目を留めた。
飾られていたのは、写真ではなく――少し黄ばんだ小さな白い色紙だった。
赤いクレヨンで描かれた、不恰好だけど愛嬌のあるクマのイラスト。
そして、覚えたての拙いひらがなで、力いっぱいに書き殴られた文字。
『おばあちゃんへ。
ウチ、ぜったいにせかいいちのトップストリーマーになるからね!
きらきらのかりんより☆』
端っこには、真っ赤なインクで押された小さな手形。
「あ……それ、見ちゃった?」
かりんが照れくさそうに頭を掻いた。
「ウチが小学校に上がったばかりの頃にさ、おばあちゃんにプレゼントした『かりん特製ファーストサイン色紙』。まだ配信なんてやったこともないガキだったのに、いっちょまえにサインとか書いちゃってさ。恥ずかしいから片付けなよ〜っていつも言ってるんだけど」
「とんでもない。これが私の世界一の宝物なんだよ」
おばあちゃんは愛おしそうに色紙に手を伸ばし、そっと指先で撫でた。
「毎日、この色紙を見るたびに元気をもらえるんだよ。『今日もかりんちゃんが頑張っているんだから、私も負けずにリハビリをしなきゃ』ってねぇ。……かりんちゃん、お前は本当に昔から私の太陽だよ」
「おばあちゃん……」
優しく微笑むおばあちゃん。
けれど、その手は微かに震えていて、車椅子に寄りかかる身体は小さく見えた。
「でもね、かりんちゃん。あんまり焦っちゃいけないよ? お前は昔から、他人の前では絶対に弱音を吐かない子だから……おばあちゃん、時々心配になるんだよ」
「……っ」
かりんの笑顔が、ほんの一瞬だけ強張った。
けれどすぐに、彼女はいつもの特大の笑顔を咲かせ、ビシッと親指を立ててみせた。
「何言ってんの、おばあちゃん! ウチは世界最強の探索者になる女だよ!? 焦ってなんかないし、辛いことなんて一個もないって! ウチが本物のトップストリーマーになって、世界一キラキラ輝いてる姿を見せるまで、おばあちゃんも元気で長生きしてよね!」
『約束だからね!』と笑うかりん。
おばあちゃんは「はいはい、約束だよ」と穏やかに頷いた。
◇
夕暮れ時。
面会時間を終え、私たちは茜色に染まる療養院の中庭のベンチに腰掛けていた。
冷たい秋風が吹き抜け、木々の葉をカサカサと揺らしていく。
「あー、楽しかった! おばあちゃん、めっちゃ喜んでくれてマジで良かった〜!」
かりんは伸びをしながら、いつもの調子で笑った。
けれど――その横顔は、沈みゆく夕日に照らされ、どこか痛々しいほど張り詰めて見えた。
「……坂田さん」
ふと、麗が静かな声で呼びかけた。
「え、何うらっち? もしかしてアップルパイのカロリー気にしてんの?」
「……無理をして笑うのは、おやめなさい」
麗の瞳が、真っ直ぐにかりんを射抜いた。
「貴女……週明けから、ずっと様子が変ですわ。訓練でも、いつも以上に無茶な大振りを繰り返して……まるで、何かに追い詰められているようです」
「え……?」
かりんの足が止まった。
図星を突かれたように、瞳が微かに揺れる。
「坂田さん。わたくしたちは、チームですわ。……何か悩みがあるのなら、話してくださってもよろしくてよ?」
「そうですよ、かりんちゃん。私たち、友達なんですから」
天女もそっと、かりんの強張った肩に手を添えた。
「……っ」
かりんは唇をぎゅっと噛み締めた。
視線を泳がせ、やがて――自嘲するように、乾いた笑い声を漏らした。
「……あはは。バレてたか〜。やっぱうらっちもあめりんも鋭いね」
かりんは両手をポケットに突っ込み、夕焼けの空を見上げた。
その瞳には、今まで一度も見せたことのない、暗い影が落ちていた。
「ちょっと焦ってんだよね、ウチ。……だってさ、みんなスゴいじゃん」
ぽつり、と。
胸の奥底に溜め込んできた澱が、零れ落ちる。
「うらっちは名門の天才剣士だし、あめりんは神童の巫女様だし、おっきーだって……いつもはビビり散らかしてるけど、いざとなったら信じられない怪力と身のこなしで敵を粉砕しちゃう。……それに比べてウチはさ、ただのバカなギャルで、特別な才能なんて何もないじゃん」
「坂田さん、そんなことは――!」
「それにさ、あの日曜朝の魔法少女たち……!」
かりんの声が震えた。
「ルナたんも、マリンたんも、グレイスたんも……みんな、世界中をあんなにキラキラ照らして、同接何千万人も集めて、本物のヒーローやってる。……ウチが何年かけても届かないような本物の光を、あの子たちは平然と放ってんだよ」
ぎゅっと、ポケットの中の拳が震えているのが見えた。
「おばあちゃんの病気、ああは言ったけど……本当は、あんまり長くないかもしれないんだ。……だからウチ、早くしなきゃいけないの。ウチがもっともっと有名になって、世界中で一番キラキラ輝いてる姿を……早くおばあちゃんに見せてあげなきゃいけないのに……っ!」
大粒の涙が、かりんの頬を一筋伝い落ちた。
けれど彼女は、乱暴に袖でそれを拭い去ると、無理やり唇の両端を吊り上げて、いつものカラッとした笑顔を作ってみせた。
「……なーんてね! 湿っぽい話してマジごめん! 忘れちゃって! 明日からも元気にブンブン大斧振り回してくかんね!」
「かりん、ちゃん……」
私の呼びかけを遮るように、かりんは「じゃ、ウチ先に帰るわ! また明日学校でね!」と手を振り、駆け足でモノレールの改札へと去っていってしまった。
夕暮れの療養院の庭に残された、私と麗と天女。
――その時だった。
トクン……ッ。
スカートの下、私の太もものレザーホルダーに収まっていた羽ペン型ワンドが、まるで脈打つように小さく跳ねた。
麗や天女の時とは違う、太陽のように眩しく、けれど少し切ない「黄金の光」。
かりんが駆け去っていった方角へ向けて、ペン先が微かに光を瞬かせている。
「……冲奈さん。このワンドの光は……」
「うん。かりんちゃんにも……きっと、力があるんだ」
天女も静かに頷き、夕暮れの空を見つめた。
「かりんちゃんは、いつだって私たちの前を明るく照らしてくれました。……今度は、私たちが彼女を照らしてあげたいですねぇ」
「ええ。絶対に、一人で焦らせたりはいたしませんわ」
三人で頷き合い、私たちはかりんの背中を追うように療養院を後にした。
◇
――そして。
私たちが立ち去り、中庭から完全に人の気配が消えた直後のことだった。
パサリ。
病棟の屋根の縁から、鳥の羽のような妖艶な布がひるがえった。
パステルピンクのパラソルを優雅に回しながら音もなく現れたのは――ネクロテイル幹部のマユだった。
「ふふふ……アハハハハ! 聞いてしまいましたわ、聞いてしまいましたわ〜〜〜☆」
マユはパラソル越しに、かりんたちが去っていった改札口を見下ろし、舌なめずりをした。
「先週はあの忌々しい三人組にコケにされましたけれど……まさかこんな極上の獲物が転がり込んでくるなんて! あの金髪の小娘……まあ、なんて香ばしくてビターな焦燥と劣等感かしら!」
マユの紫がかった黒髪が、夕風に妖しく揺れる。
彼女の視線は、二階の病室――さっきまで私たちがいた、かりんのおばあちゃんの部屋へと向けられた。
老婦人はすでに穏やかな寝息を立てており、ベッドサイドには、あのアクリルフレームが静かに置かれている。
「『せかいいちのトップストリーマーになる』という、幼き日の無邪気な誓い……。そして、その約束に押し潰されそうになっている、現在の無力感と絶望!」
マユは指先で、パステルピンクのデコレーション種をピンと弾いた。
星やハートのシールが貼られ、水色のリボンが結ばれた悪夢の種。
「……その二つが幾重にも染み込んだあのサイン色紙こそ、最高にメルヘンな怪異の苗床ですわ! 先週のリベンジ、たっぷりと果たして差し上げますわ〜〜〜!」
マユが腕をひと振りすると、種は不可視の魔力となって宙を滑り、病室の換気口の隙間から音もなく滑り込んだ。
そして――アクリルフレームの裏側から、あの色紙の繊維の中へと、ドクンッと音を立てて寄生した。
赤いクレヨンで描かれたクマの絵が、一瞬だけ妖しいピンクの光を帯びて歪む。
「オホホホホ! さあ、日曜日が待ち遠しいですわねぇ……!」
誰にも気づかれることなく、マユはシャボン玉に包まれて夕暮れの空へと溶け去っていった。
大切な人を照らそうと焦る、太陽の少女。
その純粋な祈りが、最悪の悪夢へと変貌を遂げようとしていた。




