臨時巫女は大忙し!
「――というわけで、来週月曜からは中間学科試験だ。探索者たるもの、身体だけでなく頭脳もエリートであれ。一科目でも赤点を取った者は、校則に基づき『ダンジョン探索ライセンス一時停止』および『放課後補習一ヶ月』だからな」
金曜日の終礼、担任教官が黒板にバンッとチョークで試験範囲を叩きつけた。
教室に重苦しい沈黙が落ちた直後、二つの悲鳴が綺麗にユニゾンした。
「うわあああああああ無理ぃぃぃぃぃっ!? 高校生になって最初の試練がライセンス停止とかマジで人生詰んだんだけどォッ!?」
頭を抱えて机に突っ伏したのは、言わずもがなギャルのかりん。
そしてもう一人、顔面蒼白で白目を剥いていたのは――私、月代冲奈だった。
(ま、待ってくれ……! 誰か嘘だと言ってくれ……っ!)
中身は三十五歳、元・下水路清掃員。
義務教育の記憶すら遥か彼方、現場のドロ水とツルハシ一本で生きてきた男である。
行政手続きのバグと太ももの羽ペンのチート補正でこの超難関エリートアカデミーに飛び級で放り込まれただけで、基礎学力どころか、黒板に並ぶ『高次魔導量子力学』だの『古代龍脈法制概論』だの、文字列を見ているだけで脳味噌がショートしそうだった。
「お、おっきー……! 飛び級特待生っしょ!? なんかこう、天才的なヤマ張りとかないの!?」
「かりんちゃん……私を買い被りすぎだよ……。私、昔からお勉強なんて全然やってこなかったよぉ……っ!」
ガタガタと震えながら手を取り合う、戦闘特進1年A組の赤点崖っぷちツートップ。
「情けない声を上げないでくださいまし、坂田さん、冲奈さん」
呆れたようにため息をついたのは麗だった。
名門・竜宮寺家の英才教育を幼少期から叩き込まれている彼女は、分厚い魔導書を優雅にめくりながら涼しい顔をしている。
「日頃から予習復習を怠らなければ、赤点など恐れるに足りませんわ。……ですが、お二人が探索禁止になっては困りますわね。放課後の寄り道もできなくなってしまいますし」
「ふふ、二人とも、そんなに怯えなくても大丈夫ですよ」
そこへ、若草色の髪をふわりと揺らして天女が微笑みかけてくれた。
のんびりとしたタレ目に、制服の上から羽織ったゆったりカーディガン。
普段はおっとりマイペースだが、読書家で知的好奇心が旺盛な天女の座学成績は、常に学年トップクラスの特待生レベルなのだ。
「もしよければ……今週末、私の実家の神社で、みんなでお泊まり勉強会をしませんか?」
「「「お、お泊まり勉強会……!?」」」
私、かりん、そして麗の声が綺麗にハモった。
「ええ。羽衣神社の社務所なら広いですし、静かですから集中できますよ。麗ちゃんにも教えてもらえば、きっと二人とも赤点は回避できます」
「じ、神社にお泊まり……! またしても未知の文化ですわ! 行きます、わたくしも喜んで同行いたしますわ!」
麗の瞳が好奇心でキラリと輝いた。
こうして、赤点回避を懸けた羽衣神社でのお泊まり勉強会が決行されることになったのだった。
◇
土曜日の午後。
私たちはアトラス旧市街の小高い丘の上に佇む『羽衣神社』へとやってきていた。
青々とした木々に囲まれ、長い石段を登った先にある厳かな朱色の鳥居と、荘厳な本殿。
境内の中央には、天を衝くようにそびえ立つ、樹齢数百年の巨大な御神木が静かに葉を揺らしている。
「うっわー! ガチのパワースポットじゃん! マイナスイオンやばっ!」
「空気が澄んでいますわね……。龍脈の結界が、寸分の狂いもなく美しく張り巡らされていますわ」
感嘆の声を上げる麗とかりん。
社務所へ案内されると、天女が申し訳なさそうに両手を合わせた。
「皆さん、ごめんなさい。実は今日、母が急な神事の寄り合いで留守にしておりまして……夕方まで社務所の手が足りないんです。もしよければ、勉強の前に少しだけお手伝いをお願いしてもいいですか?」
「お手伝い? もちろんいいよ! 泊めてもらうんだし!」
「神社のお手伝いとかチョー面白そう!!」
「ええ、施しを受けるだけでは竜宮寺の名折れ。何なりとお申し付けくださいまし!」
「ふふ、ありがとうございます。……では、まず形から入りましょうか」
天女がおっとりした顔のまま、奥の衣装部屋から抱えてきたのは――四人分の白衣と緋袴だった。
「「「み、巫女服……!?」」」
「ええ。境内に立つ以上、神様と参拝者の方への礼儀ですからね」
◇
三十分後。
羽衣神社の授与所と境内は、とんでもない熱気に包まれていた。
「い、いらっしゃいませ……! お守りはこちらですわ! 家内安全、無病息災、どれも神聖なる祈りが込められております!」
授与所のカウンターに立つ麗は、腰まで届く見事な濃藍色の黒髪ストレートに、純白の白衣と鮮やかな緋袴。
背筋がピンと伸びたその佇まいは、まるで平安の絵巻物から抜け出してきたような、息を呑むほど凛々しく気品に満ちた超絶美少女巫女だった。
「うらっちマジで似合いすぎててヤバいんだけど! ……はいはい、おみくじ引きたい人はこっち並んでね〜! 百クレジットポッキリだよ〜!」
その隣で元気いっぱいに呼び込みをするかりんは、金髪サイドテールにピンクのインナーカラーが揺れる、現代風の超絶陽キャ巫女!
持ち前のコミュ力で参拝客をグイグイ惹きつけている。
そして本職の天女は、若草色の髪をふんわり束ね、豊満な胸元を優美に包む巫女服姿で、おっとりと穏やかな笑顔を振りまいている。
立っているだけで周囲の空気が浄化されるような、圧倒的な包容力と癒やしのオーラ。
そして――。
「あ、あの……落ち葉、集めてます……」
境内の中央で竹箒を握りしめる私。
……悲しいかな、十四歳の小柄な体には大人用の白衣も緋袴もサイズがまったく合っていなかった。
裾をズルズルと引きずり、袖からは指先すら出ない完全な萌え袖状態。
どこからどう見ても『神社の社殿に迷い込んだ座敷童子』である。
「ねえ見て、あの子ちっちゃくて超可愛い……!」
「座敷童子ちゃん? マスコットの子?」
「あっちの黒髪の子、めちゃくちゃ凛々しくて美人なんだけど! アカデミーの生徒!?」
「金髪のギャル巫女ちゃんもノリ良くて最高!」
口コミとSNSの拡散力は恐ろしいものだった。
「羽衣神社にとんでもない美人巫女カルテットがいる」と瞬く間に噂が広まり、近所のお年寄りから、噂を聞きつけた若者、果ては学校帰りの男子生徒までが雪崩れ込んできて、境内はちょっとしたお祭り騒ぎになってしまったのだ。
「ちょ、参拝客増えすぎじゃん!? おみくじのストック足りないんだけど!」
「お、落ち着きなさい坂田さん! 列を乱しては神様に失礼ですわ!」
「冲奈ちゃん、奥から予備のおみくじの箱を持ってきてもらえますかぁ?」
「は、はいっ! 踏んづけて転びそうだけど頑張るぅ!」
てんてこ舞いでお札を渡し、おみくじを補充し、境内を案内する。
怒涛の二時間を駆け抜け、夕暮れの鐘が鳴る頃には、四人とも社務所の畳の上へバッタリと倒れ込んでいた。
「……し、死ぬかと思いましたわ……。迷宮の魔獣を相手にするより骨が折れました……」
「ウチもおみくじ千回くらいシャッフルしたわ……腕パンパン……」
「ふふ、皆さんのおかげで本当に助かりました。今夜はごちそうを奮発しますね」
汗を拭いながら笑い合う四人。
疲れたけれど、みんなで一つのことをやり遂げた後の空気は、どうしようもなく心地よかった。
◇
夜。
お風呂をいただき、夕食の豪華なちらし寿司を平らげた後、いよいよ本題の勉強会が始まった。
「いい、冲奈さん! この魔導術式の展開プロセスは、居合の抜刀と同じですわ! 初速でマナの龍脈を捉え、この定理でベクトルの分散を――」
「麗ちゃん待って、居合で数学を例えられても私の脳味噌が追いつかない!」
「あはは! うらっち、昔から教えるの下手くそだよね〜!」
かりんが笑いながらノートにペンを走らせる。
麗が「なんですって!?」とツリ目を吊り上げた。
「昔からとは聞き捨てなりませんわ、坂田さん! わたくしは至極論理的に――」
「ふふ、そういえば麗ちゃん、幼稚園の頃からそうでしたねぇ」
お茶を淹れて戻ってきた天女が、懐かしそうに目を細めた。
「天女、余計な昔話を蒸し返すんじゃありませんわ!」
「えっ、何なに!? あめりん、うらっちの昔話聞かせて!」
「興味津々です……!」
「冲奈さんまで!?」
天女はおっとりと微笑みながら、湯呑みをコトッと置いた。
「麗ちゃん、昔から負けず嫌いで一本気でしたから。幼稚園の頃、私が男の子たちに泥団子をぶつけられそうになった時、落ちていた木の棒を構えて『天女に手を出すなァ!』って突撃していったんです」
「なっ……! それは幼馴染として当然の義憤ですわ!」
「でもね、勢い余って社務所の障子を派手に突き破っちゃって。麗ちゃんのおじ様に怒られるのが怖くて、私の後ろに隠れて『ふえぇん、天女ぇ、怒られるぅ』って、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになって泣いてたんですよ」
「ぶふっ――!!」
かりんが盛大に吹き出し、畳をバンバン叩いて爆笑した。
「あっははははは! なにそれ超可愛い!! あのツンツンお嬢様が『ふえぇん』だって!? ギャップ萌えで死ぬwww」
「あ、天女ぇッ!! よりによってその話をしますのッ!?」
麗は顔中を湯気が出そうなほど真っ赤にして、両手で顔を覆って身悶えした。
恥ずかしがる麗と、ケラケラ笑うかりん、それを慈しむように見つめる天女。
(……そっか。二人は、幼稚園の頃からの幼馴染なんだな)
厳格な父のもとで、ずっと弱音を吐けずにいた麗が、天女の前でだけは子供らしく泣くことができた。
そして天女もまた、ずっと麗の不器用な優しさを隣で見守ってきたのだ。
◇
「――よし! 今日のノルマ達成!」
深夜零時過ぎ。
日付が変わる頃、なんとか予想問題集を解き終えた私とかりんは、歓喜のハイタッチを交わした。
社務所の広い和室には、四枚の布団が隙間なく並べられている。
それぞれパジャマに着替え、布団に潜り込んだ。
部屋の明かりを消すと、障子越しに青白い月明かりが差し込んでくる。
「ねえねえ、せっかく神社にお泊まりなんだしさ! 怪談話しようよ、怪談!」
かりんが布団からガバッと上半身を起こした。
「か、怪談……? 夜中に不吉な百物語など、お化けを呼び寄せるだけですわ……」
「うらっち、まさかビビってんの〜?」
「だ、誰がビビっていると! 望むところですわ、天女、何か神社の怪談を話しなさい!」
「ふふ、では……とっておきの、背筋が凍るようなお話を……」
天女が懐中電灯を顎の下から照らし、ゆったりとした不気味なトーンで語り始めた。
「あれは……雨の降る、暗い新月の夜のことでした。私、部屋で大好きな厚い本を夢中で読んでいたんです」
「ゴクリ……」
「物語がいよいよ佳境に入り、お茶を淹れようと一度本を閉じたのです。……そして、戻ってきて気づいたのです」
「な、なにに……!?」
「……しおりを挟むのを忘れて、何ページまで読んだか、完全に分からなくなってしまったのです……」
…………静寂。
「それ怪談じゃなくて、ただの読書中のうっかりミスじゃん!!」
かりんの全身全霊のツッコミが炸裂した。
「ふふ、でも結局、最初から五百ページ読み直すことになって……翌朝、目の下にものすごいクマができて、本当に恐ろしかったんですよぉ」
「恐ろしいのは天女の天然っぷりですわ!!」
全員で盛大にズッコケ、布団の上で転げ回るように笑い合った。
くだらなくて、おかしくて、涙が出るほど温かい時間。
やがて笑い疲れたかりんと麗が、穏やかな寝息を立て始めた。




