7話・珠弥子は
一通りの報告を終えて本部を出ようとしたところで、名前を呼び止められる。
「螺山局長」
私が名前を呼ぶと、やあ、と言うように片手を上げて、私の横に並んだ。
「貝原くん。大変だったね。きみは怪人と接触したのだろう」
「はい、いえ、はい」
返答と回答を混ぜ詳しく話そうとした私を螺山局長が「報告書を読むからいいよ」と制した。珍しく今日はネクタイの結び目が緩んでいるな、ということに気が付いて、夜も更けた時間に来てくれたことに心痛する。
「部屋に戻るところだったろう、すまない。じゃあ、送って行こうか。まあ、同じビルの中だけどね」
喉の奥で笑った螺山局長に、お願いしますと笑って返す。現場から戻って一時間、まだ体内からアドレナリンが出ているのかまったく眠気を感じない。
「貝原くんの忘れ形見を危険な目に巻き込んで、きっと私は怒られるんだろうな」
無機質な廊下で、時折すれ違う局員に頭を下げられながら、螺山局長と歩く。
「そんなことありませんよ」
螺山局長に言葉を返す。エレベーターの前に着く。
「誇らしいことをしていると褒めてくれるはずです」
螺山局長は私を見下ろしてふっと微笑むと「そうだといいね」と言ってエレベーターのボタンを押した。
地に足がついたままの浮遊感は今日感じたものと違う。心臓は正しい位置で規則正しく機能している。
こうして螺山局長と二人きりになるのは、珍しい。
──二人きりっなのに。
なぜかサソリ怪人の声を思い出した。うるさい。被りを振る。
「……私のお母さんって、局長から見てどんな人でしたか」
聞いたことに、深い意味はなかった。二人きりだったから。
「綺麗な人だったよ。言ったかもしれないけど、大学の後輩でね。地質学の専攻だったな」
螺山局長は唐突な話題にも表情を変えず、上昇するエレベーターの階数表示を見ながら答えた。
それから目を細める。まるで思い出すように。そして、私を見た。
「……きみがいつも着けているネックレス」
言われて胸元を確認した。服の下に隠れたネックレスに触れると、骨とは違う硬い感触がした。
「お母さんの遺品だろう? シリカの微粒子が長い時間を積層して出来たオパールのネックレス」
「これは」
呟いた途端、エレベーターが私の居住フロアに到着したことを告げる。螺山局長が開ボタンを押してくれている間に四角い箱の内側から出る。
「それを首につけたお母さんの顔を、僕も覚えているよ」
そう私に微笑みかけると、おやすみ、と低い声で言った。
「いい夢を」
曖昧なものに願いをかけてくれる優しさを受け取って、私もおやすみなさいと頭を下げた。
ねえお母さん、と呼びかける。それは幼い私の声で、母は私の向かい側に座って私を見ている。
これね、お母さんとお父さん。それから珠弥子なの。
そう言って描いた絵を見せる。
はじけた笑顔で喜んでくれるかと思った。向けられた母の笑顔が思ったもの違って、私は少し戸惑う。
「あなたにはね、本当はお兄ちゃんがいたの」
それ本当? と首を傾げて、絵を置く。母の目は穏やかに細められたままだ。
「本当よ、ここにはいないけど、お母さんのお腹の中にね、珠弥子より先に来てくれたお兄ちゃんがいたのよ」
私が、一番じゃないの、と見当違いに唇を尖らせると、母は私を呼び寄せた。私は素直に腕の中に収まる。
「お母さんはね、この世で一番珠弥子が大切よ」
頬の輪郭を確かめるように触れられる。温かい手だ、と思う。熱い体だ。鼓動が聞こえる。
「生きて産まれることはできなくて……お兄ちゃんは、骨も残らなかったのよ」
カメラのピントを合わせたように、お母さんの着けたネックレスだけが、よく見える。紙吹雪みたいだ、と思う。お誕生日会で見た、色とりどりの紙吹雪。
乳白色の中に、青、緑、黄色。──赤色。
「あなたはね、お兄ちゃんの分も真っ直ぐ生きるのよ」
「朝だ……」
気が付いたら眠ってしまっていたらしい。
寝巻きにも着替えずベッドにいた自分に、疲れてたんだ、といまさら全身を包む倦怠感に実感する。
枕元に置いていたスマホを確認すると、充電がほぼなかった。午前七時五十八分。
日曜日か。表示に安心したところで、スマホの充電が切れた。真っ黒な画面に乱れた髪の私が映って、スマホを充電器に差してもう一度寝転がる。
いつもはしない二度寝をしてしまったのは、夢を見たことを覚えているからだ。私は、覚えてる。
枕を掴んで顔を埋める。──父がしてくれた母の話を覚えている。死に際の母の言葉を覚えている。
──あなたは、私の分まで生きるの。
そう言って死んだ母を。
小さい頃、体が弱かった。母とよく家の中で過ごしていた。
母を失って間もなく、私は手術を受けた。
──これで元気になるからね。
父はそう言った。
その言葉は気休めでも願いでもなく事実になった。
あまり熱を出すことがなくなった私を、父はよく近所の公園に連れ出した。
──こんなふうに子供とキャッチボールするの夢だったんだよね。
父がボールを投げる。目の前で跳ねて、地面に転がったボールを私が拾う。
──男の子だったらさあ、一緒に警察官になろうって言ってたよ。
幼いながらも、人間は男の子と女の子に分かれてて、この頃には自分が女であることはわかっていた。
──なるよ、みやちゃん。おまわりさんなる。
だって、そうなんでしょ。
お兄ちゃんが生きてたら、そう言いたかったんでしょ?
──悪い人やっつけるんでしょ? お父さん、かっこいいもん!
私がそういうと、父が破顔した。
望みを叶えてあげる。だから──だから私を愛してよ。
そして父は、私が警察官になるのを見ることなく、唐突に死んだ。
いつ鳴るだろうか、と警報を気にしているとなかなか寝付けない日々が続いていた。
「うわっ! ミャー子先輩の隈すっご!」
食堂で朝食を食べていると、目の前に私服姿の透馬くんが現れた。
「……透馬くん、間に合う?」
既に私は制服に着替えていて、食事ももう終わりがけだ。
「間に合いますよ! ミャー子先輩が早いんですよ」
まだ七時半ですよ、と言いながら透馬くんは私の向かいの席にトレーを置く。吸い込んだカツカレーの匂いに、終りどきでよかったな、と思う。食前にこの匂いを嗅いでいたら胃が空なのにお腹いっぱいになるところだった。
最後に一口味噌汁を啜って「ごちそうさまでした」と箸を置くと、目の前に新しいトレーが置かれる。
サンドイッチ。
「あの日からろくに寝てねーんじゃねーのお前」
透馬くんの隣の椅子が乱暴な仕草で引かれて、どかりと座った。
「優人先輩!」
「うるせー……百デシベル」
「僕の声は電車の騒音と同じレベルですか!?」
透馬くんの突っ込みを気にせず、優人先輩がサンドイッチに左手を伸ばす。服装はどう見ても寝起きで、護塔先輩の性格からして何もしてないのに黒髪はまっすぐで綺麗だ。
「あの日ですか」
何も考えずに復唱する。護塔先輩がサンドイッチを食むと飲み込んで答える。
「アイツだろ。勝手に行きやがって。……会話データ聞いたぞ」
──贖罪としか思えないんだけど。
わかってる。サソリ怪人の声を思い出す。
話していたサソリ怪人の声は入っていないが、私の音声は記録を取られている。帰還した後テストの空欄を埋めるようにサソリ怪人と交わした会話を報告した。
組織があるんだ、とどよめいたのは大人たちだった。
目的は? 規模は?
考察を交わし出した局員たちの会話に混じらず、報告だけあげると私は螺山局員と部屋に戻った。──あの日から夢見が悪い。
「まだ右手痛そっすね、優人先輩。サンドイッチなのは箸使わなくていいからですか?」
護塔先輩の右手は包帯で巻かれている。
「いつもだっつの」
「いつも僕らが行く時間起きてないじゃないですか」
手の包帯は、ヤモリ怪獣に銃を落とされた時に負傷した傷だった。尾があたった手の甲の骨はヒビが入り、全治一ヶ月。
ヤモリ怪獣の尾に叩きつけられた足場は崩壊したので、その程度で済んだことは全身に纏う特殊生物対抗アーマーのおかげとか思えない。とはいえ一番銃の扱いがうまい護塔先輩が負傷したことは痛手だ。
「学校とか困んないんですか」
透馬くんは聞いて絶妙なルーと白米が乗ったスプーンを口に入れた。護塔先輩は口の中のサンドイッチを飲み込んで答える。
「困んね。元々ノート取らんし」
「不良じゃないですか!」
「要点得ないノートになるお前よかましだろ、レポートは音声筆記してるし」
護塔先輩は透馬くんとの会話がひと段落ふると、一口食んで私を見た。
「考え過ぎんなよ」
長い前髪の隙間に、護塔先輩と目が合う。白目の綺麗な、黒い瞳。
「夜眠れないなら昼間でも寝ろ。じゃねえと体もたねぇぞ」
護塔先輩の言葉に「ありがとうございます」と答えてお箸を置く。透馬くんがかじったカツを口の中に入れながら喋る。
「護塔先輩も眠れなかった夜あるんですか」
「お前人のことなんだと思ってんだよ」
責めるような口調にも透馬くんは反省したような顔を見せず、気にせずカツを口に入れた。衣がトレーの上に落ちる。
「入院中とか……俺にもそんな日あったっての」
護塔先輩も、透馬くんと同じく心臓病で、今までの人生で入院期間が長かった。
「優人先輩、家近いんでしたよね。なんでここ住んでるんですか?」
「……その方が都合いいだろ」
「僕は親と合わなくてなんですよ。言いましたっけ、僕宗教二世なの」
透馬くんはカレーを食べるペースを乱すことなく話していく。
「僕が体弱かったせいで悩んだんでしょうね。なんか健康にいい水だの、数珠だのお札だのいっぱいあって……結局病院で出会った螺山局長の最新治療のおかげでこうして元気に過ごせるようなりましたけど」
護塔先輩も、螺山局員の開発した心臓病の装置で症状が緩和し、こうして戦闘員にまでなっている。
ごちそうさまでした、と透馬くんがスプーンを置いた。
「神様ってきっと、目の前にいるんですよね」
三十度を超える外気温に不釣り合いな長袖は空調の効いた校内では快適で、私は再び担任に「はい」と頷いた。
「せっかくオーキャン行ったのにそれでいいんだ」
溜息混じり吐かれた言葉はさっきの質問と同じ意味だった。もう一度頷く。
「親御さ……保護者の方に話してみろ。今日来れなかった分、俺からも連絡すらからさ」
「やめてください」
螺山局長だに迷惑をかけたくない。苦虫を擦り潰して味がしなくなった口で言った。
「自分で話します」
進路指導の順番が早目だったので、いつもより早く帰路に着いた。昼間の道路上はろくに歩けたものではないので電車に乗るわけではないが地下通路に入る。
歩きながらスマホを取り出し、連絡先を表示した。
局長 螺山航太朗。
文字を数秒見つめる。申し訳ないな。忙しいだろう。
三コールで切ろう、と思って発信音を数えていると、ニコール目で音が途切れた。
「貝原くん」
耳元で聞こえた声に「局長」と応える。おつかれ様です、という挨拶が申し訳なさで小さくなった。
「すみません、今日進路指導で……」
「ああそうだったのか。ごめんね、もしかして保護者として行ったほうがよかったのかな」
聞こえる低い声が少し反響している気がする。研究室とかにいたのかも、と思ってさらに申し訳なくなった。
「ああいえ、それは大丈夫で、もしかしたら学校、担任から電話あるかもしれないので……それだけお伝えしたくて電話しました」
「それは」
私の言葉を聞いた螺山局長の返事には笑いが含まれていた。
「きみも問題児だったのかい?」
も、というのは補講だらけの透馬くんのことだろう。
こんな電話をしていてそんなことないとも言えなくて言葉に詰まると「今から帰るのかい?」と螺山局長が聞いた。
「そうです」
「きみは寄り道をしないね。夜は対策局にいてほしいけれど、そうじゃなきゃ、どこか行ってきたらどうだい」
言われても特に私がいきたいところなんてない。──強いていうなら。
「お墓参りとか、行ったほうがいいですかね……」
思いつきに、返事はやや間があった。
「いいんじゃないか」
じゃあ寄ってこうかな。対策局からも遠くないし、と頭の中で道を考えているともう一度螺山局長の声が耳元で響いた。
「無理に行かなくていいんじゃないかな。……よく考えたら、きみは、夜に備えて少しでも休んだほうがいいかもしれないね」
いいんじゃないか、は否定の言葉だったらしい。
言われてそれもそうかと組み立てていたルートを崩す。
「そうですね。……そうすることに、します」
電話を切って、対策局までの道を歩いた。
──お母さん、お父さん。
心の中で呼びかける。
私間違ってないよね。望まれた通りの子のままでいるよ。




