4話・珠弥子vsサソリ怪獣
『2038/5/7国立天文観測所 呼称: ムササビ怪獣 三体
死者0人 重軽傷者0人
建物一部倒壊 移転予定』
──結局、この前怪獣出たばかりだし大丈夫だろ。という護塔先輩の謎理屈と若者の未来を守ろうという意思の感じる温かい目をした局員たちに勧められて、ナイトオープンキャンパスに行くことにした。
夜と言っても夕方からの開催で、私と同じ学校終わりの高校生の姿が多い。私も長袖のシャツにスカートの制服姿だ。空調の効いたキャンパス内は快適な温度で守られていた。
説明は最低限に模擬授業や体験実習などはなく、キャンパスツアーがメインだった。
護塔先輩の大学か。
こう見ると彼の偏差値と己の足りない数ポイントを思い出す。護塔先輩は「俺が待機しといてやるからいきゃいーだろ」と言っていたのでどこにも姿はない。はず。
壁に貼られた掲示物に喉から感情が漏れた。
「……うっ」
それはサークルの勧誘チラシで、イラストでモモンガかムササビが『漫研 漫画を読モモンガ!』と吹き出しで喋っているものだった。
いくらデフォルメされたものとはいえ、なんの生物かわかる絶妙な筆使いに、先日戦ったばかりの怪獣を思い出してしまう。自分で眉間に皺が寄っていることを自覚して少し揉む。
すっかり可愛いと思えなくなってしまった。あの怪獣は、まるでモモンガ(遺伝子分析結果はムササビだった)の死体を捏ねて作った失敗作だった。
なんであんな造形なんだろうか。
キャンパス内を周り説明を聞きながら今まで相対した怪獣のことを考える。
対策局の存在然り、怪獣の存在は公衆に知られている。ネット監視社会で、人の手に余るものは隠れきらなかった。怪獣の存在に囁かれているのは害獣人間報復説だ。
進む環境汚染の中、害獣と呼ばれ虐げられてきた動物たちが人間に報復するため進化したという噂がネット上で数多く見られている。
──真偽はわからない。だって獣は喋らないから。
在学生がいかに有意義にここで学んでいるかとか友人のありがたみとかを話しているのを聞き終える。 集められた講義室で質疑応答を終えて、二時間ほどのオープンキャンパスは職員の言葉で終わりを告げた。
「本日はありがとうございました。この後は自由に見てまわってもらっても……ああけど、親御さんと来ていない方は、親御さんが心配しない程度の時間に帰ってくださいね」
夕方から始まったオープンキャンパスは終わり、五月の初めのこの時間、外はとっぷり日が暮れているだろう。夕間暮れの時間は終わってしまったらしい。外に出ると、外灯が落とす影の境界が地面に淡く溶けた。
建物の間の通路を歩きながら、偏差値と学部について考える。言われたから来てしまったけど、私の偏差値よりも少し高い。
それに大学に入る気もなかった。もしも入学して環境学を研究をしたとして──そもそも怪獣は、いつまで出るのだろうか。いきなり現れたように、いきなり途絶えるだろうか。それともあれは、進化なのか。
護塔先輩がよく寝ているという図書館の建物を過ぎて門に向かう外灯に照らされた通路を歩き続けていると、不意に向こうから人がたくさん走ってきた。
「え?」
戸惑う声は近くを歩いていた同じ高校生だった。走り去る人の中から、戸惑いに応える声が投げられた。
「きみたちも逃げろ!」
まさか。と、逆流した人並みに予感する。
「怪獣が出た!」
聞こえた声が予感を事実にした。
「みなさん、落ち着いて避難してください!」
走り去る群衆に呼びかけて、対策局に連絡しようとスマホを取り出すと着信が入った。
「珠弥子さん! 聞こえますか!」
本部の声にはいと頷く。悲鳴の波は徐々に大きくなっている。向こうにまだどれだけ人がいるだろうか。
建物の中は? 怪獣はどこに?
「現在、珠弥子さんがいる構内に怪獣が出ました。確認できてるのは二体で──」
「ミャー子」
護塔先輩、と、本部の声に割って入った声の名前を呼ぶ。視界の脇で転んだ人がスマホを落とす。踏まれないように手に取るとすぐに立ち上がって再び走り出す。小さな悲鳴と上擦った声が、いくつも。
「六分で行く」
護塔先輩の声だけが、くっきりと聞こえた。
「……了解です」
通話口の向こうで頷いた気配がした。 スピーカーから聞こえる声が本部に戻る。
「珠弥子さんのアーマーを用意して輸送車を出動させます。それまで珠弥子さんも避難を!」
私の横をたくさんの人が走っていく。今は、私だけが、この場に立っている。
聞こえた言葉に内心で首を傾げる。避難? 私が?
私は戦わなければいけない人間なのに?
わかりましたとは言わなかった。
「皆さん、まわりに呼びかけながら避難してください!」
そう呼びかけて、電話を繋いだまま皆が逃げ出してきた方向に駆け出す。
珠弥子さん、珠弥子さん。手に掴んだスマホの中で何回も呼ばれる。
──私は逃げちゃいけない。
上がる息に比例してすれ違う人は少なくなる。人気がすっかり少なくなった通路で、ゆらりと影が立ち上がる様を見た。
「……サソリ……!?」
その形は見知った形だった。地を這う足の数は四対八本。黒い外殻に覆われて、鎖のように伸びた尾は血を固めたような赤黒い色をしていた。
恐怖心を凝縮したような胴体に、八つ埋め込めれた光る宝石のような目は──赤色だ。
誰が見てもサソリとわかる造形の怪獣が、目の前に二体いた。一体が鋏の腕を振り上げ、近くに置かれていたゴミ箱を挟むと投げ飛ばす。
その後ろで、もう一体は周囲を見るように佇んでいる。まるで従うかのように。──いや、指示を出して見守るように。
「サソリ怪獣、二体発見」
口に出すと、手に掴んだままのスマホから本部の声が飛んでくる。
「珠弥子さん! 近づいちゃだめ!」
私は生身だ。アーマーがなければ戦えない。怪獣の一撃は容易く人の体を破壊する。人より大きな体は、単純に攻撃の質量が高い。
幸い周囲に人はいない。皆この辺りから離れることができたのか。サソリ怪獣と距離を取ったまま周囲を伺う。
この怪獣の侵入経路は? ──まだこの先に人が。
「ひっ、ひいっ……!」
いるかもしれない、と思考の合間に答えがいた。
私服姿の女の子は大学生だろう。外灯が落とす灯の下で、その体は小刻みに震えている。
助けなければ。
そう思って彼女に向かって呼びかけようとした途端、ゴミ箱を破壊したサソリが動いた。
針のついた尾が持ち上げられる様がひどくゆっくりに思えた。なのに私が一歩を踏み出すよりも早く、その尾が振り落とされる。
破壊音を立てて、外灯が折れる。
「危ない!」
折れたところから倒れていく様は早かった。間に合え。駆け出して彼女を突き飛ばす。彼女が近づく影の外に投げ出される。
──よかった。
助けられた安堵に力が抜けたのは一瞬。落ちてくる。ぶつかる。衝撃を覚悟して硬く目を瞑った。
──なのに、いつまで待っても、痛みを感じなかった。
おそるおそる目を開ける。
赤黒いハサミの腕が、折れた外灯を挟むように受け止めていた。
「な……」
まるで私を庇うように。
「なんで」
目の前の光景が信じられず、口からそのまま間抜けに漏れる。
折れた外灯を投げ捨てると、さそりの頭がゆっくりとこちらを向いた。
今まで赤い目に感情を感じたことなど一度もないのに、確かにその赤い目は、意志を持って私と目を合わせたと思った。
途端、サソリの体がどろりと黒い液体のように溶けて輪郭を崩した。液体は地面に流れることなく、見えない容器に収まるかのように新しい形を作る。
「もー、見てらんなくてさあ」
ひどく不釣り合いな軽い調子の声だった。耳溶けのいい、低い青年の声。
「なんで自分から当たりに行くわけ? 自分が脆いってわかってないの?」
外灯の光を受けて輝く金髪は、少し長い。──見たことがある。その姿を。
白いワイシャツは汚れひとつなく。薄暗い景色の中で目の前の存在だけが発光しているようだった。
──脳裏に邂逅未満の、ヘビ怪獣が出た時のことを思い出した。
「誰……?」
思わず聞いてしまったのは、自分と同じ形をしていたからで。けど、目の色は、怪獣と同じ赤い目をしていた。
「えー、誰、なんて」
その顔が、目の前で面白そうに歪んだ。
「きみたちは俺たちに、名前をつけてくれていたの?」
あの巨大な外殻の体が、背が高いだけの男の人の体になっている。少し面長な輪郭。その中で高い鼻が陰影を落としている。目は甘い線の形をしていて、ただその色だけが人外と同じ赤をしていると気が付いて、体中の毛が総毛立った。
怪獣。
「怪じ……」
身震いした私と対極に、金髪の男は穏やかな笑みを湛えている。その顔を前に、獣だと言えない。
人語を解し、話している存在に、獣だと名付けることができるだろうか。
「怪人? ああ、いいセンスだ」
私の途切れた単語未満を、目の前の男は自己解釈したようだった。
理解の範疇を超える事態に、何も言えない。立ち上がる気力すら湧かない。そんな私の前で、薄紅色の唇が、また歪む。
「怖いの? おかしいなあ、この見た目、女の子には好評なんだけど」
さっきも声かけられんだけどなあ。 そう言って腰を曲げると、私の顔に手を伸ばした。「っ!」 顎先に触れた指先に驚いて、声にならない声をあげて背後にのけぞる。
冷たい。──人間の温度じゃ、ない。
「おお、すごいね、猫みたいな身のこなしだ」
私のその様子のどこが面白かったのか、男は楽しそうに笑った。金髪が揺れる。
「あーあ、それにしても、やる気が削がれちゃったなあ」
腰を伸ばす彼を見ているように。彼の声を聞くかのように、いつのまにか暴れていたもう一体のサソリ怪獣は動きを止めていた。
「ここ広過ぎて、ねえ?」
男の人はもう興味がないとでも言うように私に背を向けると、サソリ怪獣に向かって歩き出した。
サソリ怪獣に話しかけてるのか。
──この男は、一体なんだ。
「待ちなさい!」
呼んで待ってくれるとは思わなかった。頭の中には恐怖も混乱もあったけれど、口から発したのは責務だった。
男の足が、ぴたりと止まる。
「待ったよ」
綺麗な顔だ。まるで──神様のお気に入りみたいな綺麗な顔だ。
「それで脅しもできない丸腰のきみは、なんて言うの?」
試されていると思った。
まさか本当に止まると思わなかった。
振り向いた根本から金色の髪の下の顔は、面白がるような顔をしていた。
今言えることは。言うべきことは。
倒す、とか。そういうんじゃなくて。
「……こっちに、来てください」
間違ってない。自分の発した言葉は肯定できるのに、震えていた気がした。
「ははっ!」
直線上に強張っていた空気が揺れる。
「そりゃいいや。うーん、そうだなあ」
男は、赤い目を細めて私を見た。
「きみがこっち側にくればいいんだよ、ね、どうかな?」
「却下します」
「あ? そう、ざんねーん」
反射的に出た否の言葉に、男は気分を害した様子もなかった。笑みを浮かべた顔のまま、私に向かってウインクをする。
「じゃあまた会おうね、子猫ちゃん」
そう言うと、サソリ怪獣の鋏の腕に飛び乗って、あっと言う間に消えてしまった。
追いかけるという気力もなく、私は静けさの戻ったその場所にへたりこむ。
冗談じゃない。二度と会いたくなんてない。




