第1話・特対vsマムシ怪獣
6.ルソーは、自身の著書「エミール」で青年期を何と呼んだか?
回答を入力しようとタブレットのキーボードを叩いたその時、ビル全体に警報音が鳴り響いて画面から顔を上げた。
『警告、警告。特殊生物発生。戦闘員は至急出動してください』
アナウンスが終わっても未だ私の向かいで机に黒髪を預けて突っ伏している男性に呼びかける。
「行きますよ、護塔先輩」
繰り返し鳴り響く警報音に慌てて机に広げていた問題集と教科書を片付ける。
『繰り返します。特殊生物発生。戦闘員は、直ちに出動準備を……』
向かいに座っている先輩が、机の上に置いた腕の中で頭を動かした。
「だりぃー、今日六限まであったのに」
「そんなの関係ありませんって」
午後七時五十分。
この生活が始まってからお風呂に入る時間を遅くしていた私だって制服のままだ。立ち上がり広げていた問題集を片付ける。
帰ってきてから続きを書けばいいだろう。忘れないようにしないと──『第二の誕生』。
「先輩」
もう一度呼びかけると、机に突っ伏していた先輩が緩慢な動きで立ち上がった。机の上でぐしゃぐしゃになっていた黒髪が、立ち上がると素直に重力に従った。
「わーったっつの。ミャー子」
ふわあ、と場にそぐわない欠伸をして涙目になった護塔先輩を急かして、慌てて地下作戦本部に向かうエレベーターへ押し込んだ。 護塔先輩の腕を引っ張りながら地下の本部の中に入ると、大きなモニターを見ていた大人たちの中から声変わり前にも感じる男の子の声が私を見つけた。
「ああっ、きたきた! ミャー子先輩!」
「お待たせしました」
私と同じく制服姿の透馬くんが、走り寄ってきた。身長は私より少し高い程度なのにその動作は小型犬っぽい。
「優人先輩もー、また欠伸して!」
欠伸をしていた護塔先輩が諌めるように名前を呼ばれて、はいはいと軽く返事をする。
「うるせえな。わあってるって」
集まった私たちに、モニターを見ていた女性の施設員さんが言った。
「特殊生物発生地点、新東京電気協会です」
分割されたモニターの映像が複数の角度から特殊生物を映す。建物内の床から天井まで届く歪なシルエット。
「了解です。──戦闘に向かいます」
──未確認獣型特殊生物。俗称、怪獣。
それは昨年2037年の秋に突如出現した存在だった。
最初にその姿が認められたのは、東京郊外にあるアメダス、気象観測システムだった。
2008年に設置されまもなく運営から30年を迎えるというところ、故障ひとつなかった観測所から、突如としてデータが送られなくなった。同時に監視カメラも破壊され、エンジニアが向かった。そして、その異常な生き物を見た。
通報を受けて駆けつけた警察官。それが最初の被害者だった。警察の増援、続いて自衛隊の先遣部隊が突入した。
そして、臨場した十八人のうち、十五人が死んだ。
被害がそれで留まったのは、その存在が突然地中に潜って消えたからだ。地中から現れ、地中に消えた。
生き残った隊員曰く、その存在は銃弾を跳ね返し、銃火器の炎を地面に隠れ防いだ。人よりは大きく、三、四メートルほどの体躯があったモグラのようなそれは、けれど極めて小さなはずの目は赤く濡れたように光っており、複数ついていたと。
突如として現れた謎の存在に──脅威を感じた大人たちは特殊生物という呼称をつけて、作戦本部を設立した。
警察、自衛隊が出動した。
しかし既存の兵器が効かず、核を使った兵器も検討されるが、周辺地域への影響の懸念と、国民感情がある。停滞した状況を打破したのが、螺山局長の開発した武器とアーマーだった。
そのアーマーは、生き物のように着用する者を選ぶ。
適合しない者には身につけるだけで焼けるような痛みを感じさせる。しかし、適合した者へは人外の強靭な強さに対抗できるだけの恩恵を与えてくれる。
私は選ばれた。──選ばれたから受け入れた。
現在、私と護塔先輩、透馬くん。
対特殊生物アーマーを纏える人間は私たち三人だけ。
私たちは、特殊生物対策局の戦闘員として怪獣と戦っている。
輸送車の中で制服を脱ぎ、全身防護スーツを纏い上半身に特殊生物対抗アーマーのベストを着用する。
揺れる車内に置かれたパソコンで本部から届いた状況を確認した。
「周辺住民には怪獣出現の避難を呼びかけ、周辺一キロはすでに避難が完了しています」
「ラジャ」
「了解です」
耳につけたイヤホンマイクから護塔先輩と努くんの声が聞こえた。
優秀な装備品は、私が乗る輸送車の先を走るバイクで走っている二人の返事を、風の音でかき消すことなく届けてくれる。
パソコンのモニターには目的地である新東京電気協会の内部に設置されたカメラから、複数の映像が届いていた。
少し巻き戻し、それが飛びつき人を襲う様を確認する。本部の局員の声が届いた。
「今回の出現怪獣は、ヘビ型です」
巨大なヘビ。
いや、ヘビと呼んでいいかわからない。傍に倒れる人体より太い胴体には、まるで背びれのように、その身を貫くように、数本の骨が見えていた。そして八つある目は──煌々と燃えるような赤。
粘土で作ろうとした、蛇の失敗作のような見た目。
それは職員であろう人間に飛びつき噛みつくと、何度も床と天井に叩きつける。
逃げようとした同じ部屋にいた別の人間も、尾で掴まれると弄ばれるように叩きつけられ。やがて抜け出そうとしていたその上体は脱力していた。むごい。思わずした歯軋りが心臓まで痛む。
『……現在のところ、三階の夜間監視室で職員が二名被害を受けています。二階の仮眠室に一人避難しているそうです』
「じゃ、救助と駆除か」
通信に護塔先輩が答えた。
カメラの現在映像を確認しながら頭の中でシュミレーションする。
『モニターで確認された怪獣は六体。いずれもヘビ型です。噛みついて直接攻撃をしていたようですが、ヘビですから毒を噴射する可能性もあります。距離をとって攻撃を行ってください』
「了解です」
「了解」
本部の声に私と護塔先輩、透馬くんの声が重なった。
モニターを見ながら長い髪を一つに束ねようとすると、髪の毛が着けているネックレスのチェーンに絡まっていた。頭皮の痛みを感じながら髪を力づくで入れて引っ張り、切れた髪ごと一つにまとめた。
大丈夫。痛くない。戦う。生きて帰る。──人を守るために。
音を立てて輸送車が停車する。
夜の新東京電気協会は、非常時である赤いランプが点いていた。輸送車の後部ハッチから降りると、私を見て黒いバイクから降りた護塔先輩が白いライフル型の光学パルス銃を肩に担いだ。透馬くんもバイクを降りると同じ銃を携帯する。
「三階の生体反応は四。二階も二体……ですか」
ヘルメットを装着している努くんの呟きがマイク越しに聞こえた。
「俺と透馬で三階を抑える。ミャー子は駆除よりも救助を優先しろ。わかったな?」
護塔先輩の声はヘルメットの内部と二重で聞こえた。
はい、と頷いたのに、護塔先輩がじっと私の顔を見た。
「突っ走んなよ。……お前向こう見ずなとこあるから」
「大丈夫です」
そんなことないけどな、と思いながら「大丈夫です」ともう一度頷き、首元の生体認証に触れる。
二人はもう既に全身にアーマーを纏っていた。胸部が仄かに熱を帯びて同じアーマー部であるベストが密着する。大丈夫。これさえ着ていれば攻撃されても致命傷になることはない。
護塔先輩が通信が繋がる本部に向けて口を開いた。
「ではこれより突入を開始」
三人で視線を合わせて、ヘルメットのロックを閉じた。
半分開いていた観測台の自動ドアから侵入する。暗い中で、白いはずの床に赤黒い粘液が擦れたような跡が伸びていた。
ひっそりとした場所のはずなのにうるさく感じるのは心臓の鼓動のせいだろうか。入ってすぐの非常階段を駆け上り、踊り場で護塔先輩に言われる。
「殲滅後到着地点で」
「了解です」
登っていく二人の足跡を聞かながら、光学パルス銃を構え二階フロアに降りた。
ヘルメットのシールドは、暗闇で暗視モニタとして機能する。それでも暗い視界の中で目を凝らして進み──天井を見上げた。
「接敵!」
反射で声を上げる。赤い瞳が揺れて、闇と同化していた影が動いた瞬間、銃のトリガーに手をかける。
「発射します!」
トリガーを押した瞬間、ドンという発砲音と共に視界が白く包まれた。
反動に耐えて絡む光に一瞬閉じた目を開いた瞬間、足元にぼとりと塊が落ちた。
「大きい……」
はあ、と息を吐きながらこぼし、足元をよく見る。黒い爬虫類のような頭部。自らの体を食い破るかのように骨が突き出ており、画面で見てたようにその体は太く──
「それ──上半身だけです!」
短い。
床に落ちた物体にそう気が付いた瞬間、イヤホンから本部の女性の声が耳元でした。
同時に、ビチビチと質量を伴って生き物が跳ねる音が聞こえて──天井に張り付いたままの尾がこちらに向かって飛んできた。
「発射!」
銃を構えて真正面に飛んできた物体に弾丸を放つ。
イヤホンから音が消え、再び目の前の空間が全て白くなる。命中したと、足元に落ちた物体で気付く。 それは先ほどの上半身よりも長い胴体から尾の部分だった。
「真っ二つになっても、動くなんて……」
形としては足のないハルキゲニアのようだ、という感想を抱いた瞬間、落ちた胴体は端の方から崩れ落ち灰になっていく。
怪獣は生命核を撃たないと倒すことができない。だが、真っ二つになって片方が動くとは思わなかった。
先に撃ち落としていた上半身は既に灰になっていた。新しい下半身の灰を舞ってしまう前に一掴みしてスーツのポケットに突っ込んだ。
『珠弥子さん。前方六メートル。対象──』
「接敵。撃つ」
インカムで聞こえていた本部からの声が護塔先輩の声にかき消される。
ドンという発砲音が遠くに聞こえた。揺れた気がするのは気のせいだとわかっている。銃を構えて踏み出す。
「発射します!」
今度は透馬くんの声がして、再び発砲音がした。上の階も気になるが、今はこの階に集中しなくてはならない。敵は遠ざかっているのか、近づいているのか。
光学パルス銃は、発砲の際周辺に通信障害を起こす。
『──珠弥子さん、聞こえるようになりましたか』
インカムに戻ってきた本部の声に「はい」と短く答える。
「対象、前方八メートル。要救助者がいる仮眠室の前に到着しています」
しまった。奥歯を噛んで駆け出した。
「おいミャー子一人でむ──」
「発射!」
インカムから聞こえた護塔先輩の声が透馬くんの宣言でノイズになって消えた。急げ。自分を急かして走る。
潜んでいる人間を狙ヘビは目と鼻の間にあるピット器官で獲物の熱を探知するという。きっと仮眠室に人の気配を感じて狙っているのだろう。──なぜ人間を狙うかはわからないけれど。
重い銃を持ちながら走って薄暗い廊下を進む。
真正面に、それはいた。
暗い廊下の中に、天井まで届くいっそう深く黒い影の中に、六つの赤く光る目。
それを視界に捉えた瞬間、向こうも私に気が付いたのか、上部の影ががぱっと開き、真っ赤な咥内が、覗いた。
「うっ撃ちます!」
銃を構え放つ。反射的に光に目を閉じてしまう私の耳に、壁を破壊した音がした。──外した。
ヘビ怪獣は起こしていた状態を伏せて床を這いこちらに向かって前進していた。早いその速度に、自分の足元の少し先に照準を定める。
「発射します!」
「──つ」
私の宣言と同時に、イヤホンから途切れ途切れに護塔先輩の声が入った。
発砲音がいっそう大きく感じたのは重なったせいか。白の眩しさに見えなくなった瞬間、先ほどとは違う柔らかさを伴った破壊音が響いた。
ヘビ怪獣の動きは止まり、赤く光る目のあった頭部は無事破壊されていた。破壊箇所から崩れ、灰になっていく。体はちぎれていないからもう大丈夫だろう。
「二体殲滅完了」
『お疲れさまです』
本部の声が聞こえた瞬間、護塔先輩の声が届いた。
「無茶すんなって言っただろこっちはもう二体──撃つぜ」
私は目の前になった仮眠室の扉を開ける。
「こちら特殊生物対策局職員です。避難している方……」
中に向かって呼びかける。暗い室内の簡素なベッドの中で丸まっている人がいた。
「あ、あ……」
低く震える声に歩み寄る。
「救助に参りました」ヘルメットのシールドを上げる。「もう大丈夫ですよ」
二、三十代の男性は、私と目を合わせてやっと唇の震えがおさまってきたようだった。
「へ、び、が……」
「ええ。ヘビのようでしたね。大丈夫です、もうこの階にはいません。別のフロアの怪獣も、現在別部隊が駆除しています」
発射を告げる二人の声が耳元で聞こえた。室内にまで連続で届いた発砲音に、男の人の体が震える。残り二体、倒せただろうか。
「安心してください」
殲滅の報告はまだ来ない。目の前に笑いかける。
「さあ、行きましょう」
男の人を立たせると、私より大きな体は震えていた。
「要救助者を到着地点に届けます。本部保護後、三階に合流します」
インカムに告げると、護塔先輩の声が答えた。
「あー任せる」
「残り一体です!」
透馬くんの声が聞こえた。二人の声が聞こえることに安心して、男の人を支えて部屋の外に出る。
「……え?」
男の人がいた。
月光のような金髪は、暗い廊下でシールドを上げた私の肉眼に鮮やかに映った。
要救助者は一名だったはずだ。
その男の人は、白いシャツを着ていて── 私と目が合うと、ふっと笑って廊下の影に消えた。
「あの! 誰かいますか!」
『その階に他の生体反応はありません。どうしましたか』
「え……?」
確かにいたはずだ。
同意を求めて隣にいる男の人を見ると、何も見ていなかったようにきょとんとした顔をしていた。
シールドを着けていれば、見ていたものがモニターで本部に共有できていたのに。
「今、男の人が……」
『改めて要救助者がいないかカメラをチェックします。珠弥子さんは合流地点へ向かってください』
本部の返答に「了解」と答え、隣にいる男の人を導くように歩き出した。
無事に建物内を出て来ていた局員に男の人を引き渡して、すぐに館内に戻ろうとしたところで、護塔先輩から声が届いた。
「四体殲滅完了」
『建物内に生体反応なし。カメラを全て確認しましたが他要救助者はいないようです』
「え……」
「珠弥子さんが仰っていた男の人の姿は確認できませんでした」
いや、確かに見た気がする。そう思って気象台を振り返る。闇の中で浮かぶビルと警戒の赤い照明。あの金髪は、空に浮かぶ月と同じ色の金髪だった。
「局員が被害状況確認に入ります。戦闘員は撤収してください」
耳元で聞こえた本部の声に護塔先輩と透馬くんがそれぞれ答えた。
ヘルメットを脱いでその場で二人を待ちながら、一つの結論に至る。そう、見間違いだった。
これが一度目の邂逅だった。




